3.
「……っ、……」
「お下品ですよ、アルドバート様」
隠しもしない舌打ちに、惰性のお小言が飛んだ。苛立たしい気持ちが抑えきれずに、ペンを投げ出す。肩も手首もろくに動かないので、投げ出すといっても机の上に転がすくらいにしかならなかった。
「何も出来ん!」
「仕方ないでしょう。骨バキバキなんですから」
数日前、深淵から一際巨大な魔物が現れた。前例のない魔物で、未だ名前もつけられていない。イボガエルを民家の大きさくらいに巨大化した姿で、酸を吐く。幸い回復隊の運用がうまくいっており死者は出なかったが、多くの負傷者がでている。
アルドバートも討伐に参加した。酸を浴びまくっても気にせず突撃し、顔面を眉間で一刀両断することに成功したが、痛みに暴れ回るカエルに激突されてしまい、利き手を複雑骨折する羽目になった。当然、戦闘には参加できないし、書類仕事にも難儀している。朝起きてから寝るまですべてが不自由で、苛立ちは募る一方だ。
「もういいから一気に治させろ」
「ダメですってば。腕の関節が百個になったらどうするんです」
ちょっとした骨折程度なら回復魔法でいくらでも治るが、アルドバートの腕は落としたガラスのようにバラバラになってしまった。もちろん回復魔法で治療は行なっているが、一気に治療しようとすると骨がきちんと元に戻る前に強引にくっつけることになってしまい、良くないらしい。そんなもの一旦治してから動かしまくれば体が慣れていくものだと思っていたのだが、回復隊の猛反対にあい断念した。今では朝昼晩にそれぞれ、少しずつ回復魔法をかけていくという地道な治療を行なっている。
「もうそろそろ来ますから落ち着いてくださいよ」
溜め息をつきながら書類を重ねるユウィットに、アルドバートの体がぎくりと強張った。
「……なんの話だ」
「手紙でしょう? いくら待っても早くくるわけじゃないですよ」
「別に手紙など待っていない」
と言いつつ、日の傾きをちらりと確認してしまう。そろそろ午後の手紙が届く時間だ。これは別に手紙を待ち望んでいるわけではなく、遅れているからにはなんらかのトラブルが発生したのではないかと心配しているだけだ。
「そうですか。ひと段落したから取りに行こうかと思ってましたが、じゃあ休憩にしましょう」
「待て」
「コーヒーと紅茶どっちがいいですか?」
「いらん」
「じゃあ自分だけ失礼しますね」
「休憩もいらんだろう」
「要りますよ。休憩なんていつでも要ります」
そう言いながらユウィットは本当に自分の分だけコーヒーを淹れ始めてしまった。とても手紙を取りに行ってくれそうな感じはない。だからといってアルドバートが自分で取りに行くかというと、それも出来ない。アルドバート自らが行ってしまうと、仕事が遅いと部下を叱り、次回からもっと早くやれと急かす意味合いが出てきてしまう。今アルドバートが遅いと感じていても、実際に事務員たちの仕事が遅れているわけではないのだ。気が急いているだけ。
また一つ大きな舌打ちが出てしまう。ユウィットはコーヒーの香りを吸い楽しんでいたが、溜め息にして吐き出した。
「分かりましたよう。取りに行ってあげます」
と立ち上がったと同時に、ドアがノックされた。
「申し訳ありません閣下、ユウィットがいたら、ドアを開けさせてもらえませんか」
「おりますよ。どうぞ」
一瞬で外面を貼り付けたユウィットがドアを開ける。開けられたドアの向こうで、事務官は両手に箱を抱えていた。箱の上に手紙の束が載っている。
「奥様からお荷物が届いております」
「荷物?」
「中を検めさせていただきましたが、絵画でございました。お手紙が同封されておりますので、ご確認ください」
「……絵画……?」
絵画を、彼女が?
自分の妻と絵画が全く頭の中で結び付かなかった。
アルドバートが妻に迎えた女性、カルティナは、美しい容姿に空っぽの中身をした女性だった。与えられたほんのわずかな知識を頭の中で捏ね回して生きてきたため、常識は欠けており思考回路もぶっ飛んでいる。
が、それは過去の話だ。
教育を受けたカルティナは、かなりのスピードで成長を続けている。教師からの課題で毎日アルドバートに手紙を送ってきているが、その文章も日を追うごとに流暢になってきた。
手紙は便箋三枚に分かれている。
一般的な貴族女性らしい当たり障りのない文章(つまり課題をクリアするための教科書通りの文章)。
詩の課題である謎の怪文書。
それから、何も考えずに書かれている日記と手紙の間のような文章、の三つだ。
手紙は毎日ほぼ同じなのだが、怪文書と三枚目が面白く、つい心待ちにしてしまっている。
今日はさらに絵画だ。絵の教師は呼んでいるし本人もよく筆を取っているとは聞いているが、ずば抜けて優秀なわけではないらしい。もしかしたら本人の描いた絵ではないのかもしれない。
木箱を受け取ったユウィットが、机の上に置いて蓋を開けた。
「おい勝手に開けるな」
「あなた自力で開けられないでしょうが」
その通りなのだが、妻から自分宛に送られた荷物を他人に開けられるのは気分のいいものではない。魔物相手とはいえ戦時ではあるので、検閲は仕方ないとしてもだ。
「これ……は……」
木箱から取り出されたのは、壁にかける鏡くらいの大きさのキャンバスだった。妻なら両手で持たなければならないだろうが、男なら片手で小脇に抱えられるくらいのサイズ感だ。
「……なんでしょうね?」
「……分からん……」
描かれた絵を見て、ユウィットと二人首を傾げる。
描かれているのは、緑と、水色と、なんらかの生き物だった。おそらく緑は草原、水色は空を描いているのだろう。ただそこは本質じゃないのだとでも言いたげに、ただ色が塗られているだけだ。草の質感も空の質感もない。
そしてキャンバスの中央にどんと、白い毛玉が居座っていた。背景とは違って、毛の一本一本までが本物かのように細かく描かれている。雪だるまのように真ん丸な体に真ん丸な顔がついており、顔のあたりから地面を引き摺るほど長い耳らしきものが生えていた。鼻と口は毛に埋もれているのか見えない。
「……魔物ですかね?」
「妻が魔物を見たことがあるわけないだろう」
妻の目に魔物が映るなどあってはならない。一匹たりとも屋敷には近づけていないのだから、魔物ではないはずだ。
「耳? が、異様に長いな……。つまり、ウサギなのではないか?」
「ウサギ? これが?」
「いや俺にもウサギには見えないが、それくらいしか可能性が思い浮かばないだろう」
「二足歩行なら猿を人間だと言い張るタイプなんですね」
「皮肉が強すぎる」
とりあえず同封された手紙を読んでみることにした。ユルティムに封を開けさせ、読みやすいように整えさせてから受け取る。
一枚目はいつも通り、教科書を写したような貴族の手紙。二枚目には「馬の走るとき、地面の悲鳴、ごぼっぼ。ぼがっ。」といういつもの怪文書。三頼みの綱の三枚目には、一言しか書かれていなかった。
『癒されてください』
「……」
どうやって……?
手紙を持ったまま、疑問すぎて固まってしまう。一体この謎生物はなんなのか、ウサギなのか、ウサギじゃないのか、癒されてくださいとはどういうことなのか、何も意味がわからない。描かれた生物が一体何なのかもわからない状態ではとてもじゃないが癒やされようがなかった。
「あ、見てくださいこれ」
ユウィットが絵画をひっくり返した。そこには掠れた絵の具で、小さな文字が書かれている。
旦那様が癒されますように。
「健気じゃないですかぁ。かーわいい」
「人の妻を勝手に可愛いなどと言うな」
「可愛くないんですか?」
「お前には権利がないと言っている」
「そうですかぁ。旦那様の特権ってやつですかぁ」
軽口を叩き合いながら、ドアのそばに向かう。ドアから入ってきた第三者からは見えなくなるよう、蝶番のある方の壁に釘を打った。あとはキャンバスに紐をつければ飾れるようになる。
「絵を見る余裕がある時期でよかったですね」
「……いつまで続くかは分からんがな」
魔物の侵攻は、一時期ほどの苛烈さはなくなった。ただ、終わることはなくだらだらと続いている。刺し傷から噴き出していた血が、勢いをなくしても止まらず流れ続けるように。
この間のイボガエルを倒してから、さらに余裕が生まれた。願わくばこのまま魔物の湧きがおさまってくれればいいのだが。
「——マッ!」
「ん?」
今何か、鳴き声のようなものが聞こえた気がする。この部屋にはもちろん、砦自体に生き物は入れていないはずなのだが……。
「マッ! マッ!」
「うわぁっ! な、何かいますよ!」
何かに気づいたユウィットが背中に隠れ、しがみついてくる。
「怪我人を盾にするな!」
「デカかったですよ! 結構デカかった!」
「チッ」
壁にかけられていた剣を手に取る。利き手じゃない上に片手なので鞘払いはしなかった。剣は鈍器にもなる。
「ンーーーーマッ!」
執務机の裏から、白い塊が飛び出してきた。空中にふわりと浮き上がり、そのまま止まる。
雪だるまのような、真ん丸の体に真ん丸の顔、頭の位置から異様に長い、耳のようなものが——干した包帯が風になびくように、びろびろとひらめいていた。
「こ、こいつは」
執務机に置いておいたはずの絵に目をやる。緑と水色と、真ん中に白という配色はおなじだった。が、真ん中の白はよく見れば、ただの空白になっている。
描かれていたはずの生き物は、そっくりそのまま、目の前で宙に浮いていた。
「お前は、あのウサギなのか……?」
ぽつりと呟くと、ウサギ(?)がこちらを認識した。目が合った瞬間、ぱぁっと顔が明るくなる。毛の下から、笑っているかのような口元が現れた、
「マーーー!」
「っ!」
顔面に向かって一直線にとびこんでくる。咄嗟に折れた利き腕で顔をかばうと、柔らかい感触がぶつかって飛んでいった。
「マッ! んマッ!」
空中に見えない足場があるかのようにぴょんぴょんと飛び跳ねながら、ウサギ(?)は何度でもこちらに飛んでくる。避け続けるとしまいには、頭の上で旋回しながら「マぁ〜〜……」と情けない声をあげて泣き始めた。ほとほとと小さな雫が頭の上に落ちてくるが、不思議と髪が濡れることはない。
「……抱っこしてほしいんじゃないですか?」
「は?」
「いや、ずっと避けられる続けて悲しいのかなって」
「……」
ウサギ(?)を見るとやはり一瞬で嬉しそうな顔になり、潤んだ目のまま突撃してきた。突撃されるとつい避けてしまうのだが、我慢してみる。胸の位置に飛び込んできたウサギ(?)は、ぐりぐりと顔を胸に擦り付けてきて、やがて満足そうに笑顔を浮かべた。
「マぁ〜〜」
腑抜けた顔というか、とろけた顔というか。平和で幸せそうな赤子みたいに笑うものだから、つい柔らかい毛並みを撫でてしまった。あたたかく、やわらかい。そして肌触りがとてもいい。これがクッションか何かで、思い切り顔を埋められたらさぞ気持ちがいいだろうと思うような毛並みだった。商人に乱獲されそうだ。
「えっ、腕動くんですか!?」
「は?」
ついつい夢中になって撫でてしまっていたが、そういえば利き手を使っている。元々は肩から動かなかった。肘から先を石膏で固めていたのだが、違和感がなくなっている。
「おい」
「えっ無理です無理ですこんな得体が知れないものあっ……」
ウサギ(?)をユウィットに押し付け、肩をぐるりと回す。動く。痛みもない。手を握ったり開いたりを繰り返してみる。問題ない。肘の曲げ伸ばし。問題ない。
「治っている……?」
回復魔法でも簡単には治せないはずだったものが、一瞬で治っている。
「あっこれ……気持ち良過ぎる……しかもかわいい……」
「ンマーーーーッッッ!」
ユウィットに抱きしめられたウサギ(?)は嫌がっているのか腕の中で暴れ回っている。
害のある生物には見えない。
しかし、絵画の中から出てきた(と、状況から判断せざるを得ない)り、怪我が一瞬で治ったり、あまりにも不可解なことが起こりすぎている。
「……カルティナ……」
君は一体、何をしているのだ。
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