第4話


『おまえら、なにを騒いでいる!』


 テロリストの1人が恫喝しながらドアに立ち塞がる。彼の質問には乗客全員、沈黙で答えた。

 額の汗を拭うふりをして、アーニャの方へ目を動かす。どうやったのか、ライフル銃は手品のように隠されていた。

 テロリストからそれ以上の追及はなかった。しかし、乗客を見張るよう指示されて来たのか、ドアの所で仁王立ちして動かなくなってしまった。

 戦うと言ったアーニャがどんな作戦を思い描いているにしろ、この状況は不都合だ。何せ相手は短機関銃を持っている。アーニャの銃より大きく時代の進んだ武器だ。こちらに有利なところは何もない。それに、ここで撃ちあいになろうものなら、僕を含め乗客を巻き込むことになる。


「……今は機を待ちまショウ。石のウエニも三年と言います」


 いつの間にかアーニャが僕の横にすり寄ってきていた。ことわざの間違いを指摘はせず、僕はアーニャに尋ねる。


「待つって言っても、アーニャ。作戦はあるのかい? 上海に着くまで時間がないよ」


「だいじょーぶ。この客車にはアレが無いですかラ」


『す、すまない。トイレに行かせてくれないか』


 床に座っていた初老の紳士が手を挙げて言った。そうか、この車両にはお手洗いが無い。用を足すにはテロリストの背中、向こうの車両に行かなくてはならない。

 テロリストとしてもそこらに垂れ流されては気分が良くないのだろう。紳士に立ち上がるよう促すと、その背に銃口を突きつけながら連れて行く。


「えいっ」


 その無防備な後頭部に、アーニャの一撃。長いライフル銃を棍棒のように振るって銃のお尻を叩きつけた。

 その小さな体のどこにそんな力があるのか。倒れたテロリストの足を掴んでずるずると客車に引きずり込んでしまう。意識の飛んだテロリストを後部のドアにもたれさせ、手頃な布などで縛り上げた。


「おじさんは悪イですけど、トイレはもー少しガマンしてください」


 あまりの手際に何が起こったかも理解していないようだった紳士は、ギクシャクと座っていた位置に戻った。


「さてさて……とりあえズ見張りは片付きましたね。ここからがタイヘンですよ、ヒロフセイ」


「え? 僕?」


「ヒロフセイ。サムライのたましいを呼び覚ますときです」



 アーニャの提示した作戦は驚くべきものだった。

 この列車『河底」の車両を一直線に撃ち抜き、運転席にいると思しき主犯格を狙撃すると言い出したのだ。


「そんな、不可能だ!」


 その手の知識のない僕でもさすがに無茶だと言える。車両を隔てているドアの窓ガラスを計12枚も貫いて弾丸を当てるなんて。


「だいじょーぶだいじょーぶ、わたし自信ありまス」


 しかしアーニャは表情を変えることなくそう言ってのけた。


「それより、あいつから取り上げた銃で戦ったほうが良くない? 連発ができるだろうし」


「それだとわたし、運転席までテロリスト全員を相手しないといけない。映画じゃないから、絶対勝てるとは言えないね。それにわたし……やっぱり『この子』がお気に入リ。イチバン信じられます」


 僕の提案はふわふわと却下されてしまう。


 それで僕に与えられた役割というのが。


「ちょっと! 本当にこれでいくの!?」


「だいじょーぶ、完璧な高さです。しかし絶対に揺ラしてはなりませンよ」


 ドア窓を一直線に撃ち抜くにあたって、ひとつ問題があった。アーニャの身長では高さが足りない。踏み台が必要だった。


「だからってコレはないだろう!」


「ナゼです? アーニャ、重たイですか?」


 踏み台にアーニャが選んだのは、僕の背中だった。客車の通路に四つん這いになった僕の背に、裸足のアーニャが立っている。

 ベッドや乗客の荷物を借りてそこに乗るのでは駄目なのかと問いただしたが、アーニャは首を横に振った。


「ベッドで押し倒されたときのことを思い出して、ヒロフセイのカラダならちょーど良いとズっと考えてました」


「あれは事故だから! 人聞きの悪いこと言わないで」


「喋ると揺れますかラ。おしゃべりはやめましょー」


 子供を諭すように黙らされてしまう。しかし、これがうまく行かなければ僕らは助からないのだ。すべては彼女に託された。


 すぅ。と幕が下りるように空気が冷えた。アーニャから放たれる雰囲気が変わったのだ。僕から彼女の表情はうかがえないが、狙撃体勢に入ったのだろう。

 なれば僕も、決して揺らすまいと息を止めて体を緊張させる。神様、どうか……心の中で祈り始めた矢先。


 バアアン! 重厚な破裂音が車内に響いた。思えばこんな近くで銃声を聞くなんて初めてだ。驚いた僕の体がびくりと痙攣し、踏ん張りが途切れる。そこにアーニャの足裏が発砲の反動で僕の背を押し、即席狙撃台「ヒロフセ」は呆気なく崩れてしまった。


「ご、ごめん、アーニャ! 大丈夫?」


Отличноよし。まず一人」


 僕の背から仰向けに落ちた姿勢のままアーニャは呟く。さっきまでのふわふわした口調はどこへやら。機械のように告げた。


「あ、当たったの?」


「ヒロフセイ、急いデ直してください。すぐ次を撃ちます」


 アーニャが半身を起こして命ずる。ガシャっとアーニャの手が銃の後ろについたレバーを引っ張ると、煙をあげる薬莢が飛び出し、カランカランと床を転がった。


「運転席に、ヤツラのリーダーを見つけました。アレを排除すれば、列車を取り返せるでしょう」


「わ、わかった」


 次こそは狙撃台を維持しなければ。再び四つん這いになり、再建された狙撃台にアーニャが足をかけた。その時。


「うわあっ!」


「……っ!」


 またしても僕は姿勢を崩し、アーニャは投げ出される。それは僕が不甲斐ないとかじゃなくて……。


「か……カーブだ!」


 列車が線路のカーブに突入したのだ。速度も落とさぬまま曲がりだしたせいで、その慣性に僕の体は大きく振られたのだ。

 しかし、それよりももっと重大な問題に気づく。連結された列車はカーブに沿って曲がる。つまり、直線で飛ぶ銃弾を先頭車両まで通すことができなくなってしまったのだ。


 アーニャももちろんそれに気づいているようで、表情こそ変わらないものの、床に座った姿勢のまま動かなくなってしまった。


「ど、どうするの、アーニャ!」


「今、考えていまス」


「ああ~~どうすれば! カーブは長い! 奴らがこっちに気づいてしまうよ!」


 窓から湾曲した車両が見えるほどの、長いカーブだ。テロリストたちが狙撃されていることに気づいたら、きっと銃を持って押し寄せてくる。良くて射殺、酷ければ拷問まがいの暴力を受けた後に上海で木っ端みじんだ……。


「あっ……アーニャ! 窓、窓!」


 僕は気づいた。とても簡単なことだけれど。指さすはドアの窓ではなく、広大な砂漠の景色を写す客車の横窓。


「窓から先頭車両が見える! カーブで曲がっているから……! 今なら窓から狙撃が出来るよ!」


 アーニャも理解した。目を見開いたまま、にっと口角を上げる。


「さすが、サムライですね。ヒロフセイ」


 アーニャはすぐさま立ち上がり、小銃を窓の外へ突き出す。


 解き放たれた弾丸が、車両の外、開かれた世界をショートカットにして目標へすっ飛んでいった。





「……ただいま」


 あれから、約二週間後。予定よりもはるかに遅れて、僕は家に帰ってきた。二人暮らししている母が、涙を湛えて出迎えてくれた。


 アーニャの活躍によって、テロリストの計画は頓挫させられた。リーダーを失ったテロリスト連中は、混乱の末列車を止めて逃げることを選んだ。

 僕たちも爆弾の積まれた列車に乗っているわけにいかないため、砂漠の真ん中で降り、しばらくして到着した警察組織に保護された。

 テロリストたちをすぐに逮捕はできなかったが、乗客は全員無事に帰ることができたのだ。

 ただ、事情聴取に出国の手続き、マスコミと様々な理由で僕の帰宅は遅れに遅れてしまった。


 アーニャは……救助が来る前にいつの間にか姿を消した。まるで最初から『河底』には乗っていなかったかのように。

 乗客の証言で、テロリストから皆を守った少女として取り沙汰されたが、本人が特定されることはその後いつまでもなかった。彼女の特殊な出自が原因だろう。きっとアーニャは今までも、自らの存在を隠すように生きてきたに違いない。


 もう一度、ちゃんとお礼がしたかったな。


 玄関先で荷物を下ろしながら、彼女の顔を思い出す。アーニャの姿が写ったカメラデータだが……おそらく、『河底』の中に置き去りだ。乗客の荷物はテロの後処理のごたごたで、必ずしも持ち主のもとに帰ることはないのだろう。


 あの不思議な少女のことを、僕だけは決して忘れまい。


「そうそう、広伏。海外からあなたのお友達が来てるわよ。あなたの帰りが遅れるのにずっとホテルに泊まらせるのも悪いから、家で寝泊まりしてもらってたの」


 母さんが言った。海外の友人? 居なくはないが……日本の、僕の家に訪ねてくるなんて連絡受けていない。いったい誰が……。


 母さんとともに居間へ向かった僕を弾丸のごとき衝撃が襲った。


「こんにちは、ヒロフセイ。少しぶリですね」


「あっあっ……アーニャ! どうして家に!」


 居間のローテーブルに湯飲みを持ったアーニャが、ちょこんと正座をして座っていたのだ。


「言っていまセんでしたか? わたしがあの寝台列車に乗っていたのは、日本に来るためです」


「今初めて聞いたよ!」


 まさかこんなに早く再開の時が来るなんて思ってなかった僕は、センチな気持ちも吹き飛ばして彼女を質問攻めにした。


「日本が目的地だってのはいいけど、どうして僕の家にいるの? なんで僕の実家の住所がわかったの? あと……」


 捲し立てる僕に、アーニャは少しも落ち着きを崩さず、そっと人差し指を唇の前に立てた。あの列車の中でのように。


「しー。わたしはママに育てられた中でもイチバン。ヒロフセイの家を探すなんて、朝ご飯前です」


 そういうと、彼女はポケットから何かを取り出した。


「これを、渡しておかナければと思いまして」


 『河底』で紛失したと思っていた、僕のカメラだった。


「アーニャ……わざわざありがとう」


「いえいえ。それより、わたしの写っている写真を見せて欲しいのです。日本のカメラ、使い方がわかりませんので」


「ああ、もちろん」


 ピッピッとデジカメを操作して目的の写真を表示する。目の前にいる少女と全く同じ顔が、モスクワを背景に現れた。


「なるほど……あの時写真を撮っていたのがヒロフセイだったのですね」


 僕の横まで膝をついて移動し、一緒にデジカメの画面を見る。


「ヒロフセイ、このアイコンのボタンはなンです?」


「え? 削除ボタンだけど……」


 急に何でも無さそうな質問が来て、僕はつい考えもせず答えてしまった。


「えい」


 アーニャが削除ボタンを押した。確認メッセージにも、決定ボタンを押してしまう。


「あっえっ、ちょっとアーニャ! 消えちゃったじゃないか!」


「ええ、消しました。わたしがモスクワに居たというコンセキを残すわけにはいかないのです」


 アーニャは悪戯な笑みを投げかけてくる。僕は呆気にとられて脱力し、カメラを取り落とした。


「まさか、そのために僕の家まで……?」


 このアーニャという少女に、初めて怖ろしさを覚えた。


「いいえ、違いますよ」


 しかし彼女の返答は予想外のものだった。


「わたしが日本を目指した理由は……わたし自身の夢を叶えるためです」


「アーニャの、夢?」


「……わたしはお嫁さんになりたかったノです。サムライの、お嫁さんに」


 アーニャは白い頬をほんのり赤く染めて続けた。


「ふつつかモノですが、どうぞよろしくお願いしまス」




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レッドノスタルジー・トレインバレット 植野陽炎 @uenoyoen

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