第3話


 ほどなくして、武装集団は僕らのいる客車に乗客を押し込みつつ現れ、聞き取りづらい英語でこの電車をジャックしたことを告げたのだった。乗客全員の携帯電話を取り上げると、前の車両へと戻っていった。


 旅を終え日本に帰るだけというところで、まさかこんな目に遭うなんて。ここまでの道のりは、海外は治安が悪い、という常識を嘘と思えるほど平和に過ごせたのに。


「ネ、聞きそびれた。あなたの名前は?」


 自分のベッドの上で何事もなかったかのように座るアーニャが聞く。本当に、まるで何も起きていないかのように。その倒錯にあてられたのか、僕の恐怖も不思議と消えていくようだった。


「八木広伏。ヒロフセ、が名前ね」


「ヒロフセイ。これもご縁です。よろしくおねがいします」


 と言って正座して深々と頭を下げる。何か間違った日本観を持っているような……いや、行動自体はとっても礼儀正しくて大変よろしい。ただ状況をあまりにも顧みていないだけだ。

 しかしながら、ここで怯えて緊縮していても何も状況は変わらないのだ。アーニャの言動はある種の諦め、諦観なのかも知れない。それはある意味日本的で、美しい……のかも知れない。彼らの目的がなんなのかはわからないが、丸腰の僕らはただ救助が来ることを祈って待つしか無い。何か気紛らわしでもしようか。


「あ、そうだ。アーニャ、見て欲しいものが」


 アーニャの写っていた例の写真を見せようとして、僕のベッドは崩れてしまったのを思い出した。枕元にカメラを置いたまま眠っていたから、どこへ行ったやら。探そうにもあまり動くと連中に咎められそうだ。


「ナニを見ればいいでス?」


「いや、それはね……」


 仕方なく、僕はモスクワで撮った写真にアーニャが写っていたことを話した。


「すごい偶然じゃない?」


 モスクワとこの列車、場所も時間も違う場所に二度も一緒に居たのだ。ついでに犯罪にも一緒に巻き込まれたわけだが。


「タシカニ。是非ともその写真、見せてほしいデス」


「でもカメラ、どこか行っちゃったんだよね。テロリストが居なけりゃベッドの下でも探すんだけど」


「アラアラ。このままじゃその機会はエイエンに訪れないでショウ」


「……どういうこと?」


「この列車は、あと二時間もすれば私たちともどもコッパミジンですから」


 ………………。


「どどどどういうこと!?」


「そんなに近づかないで、恥ずかしいデス」


「そんなに甘ったるいシチュエーションじゃないんだよ今は! 説明して!」


 ここまで言ってようやく、渋々という感じでアーニャは語った。


「ヤツラの話を盗み聞きしてたです……ロシア語だったから」


 要約するとこうだ。

 連中はロシア系の過激派集団。ロシアを牽制し続ける中国に対する警告として、シベリア鉄道と対を為すともいえるこの黄河鉄道をジャックした。

 ここまでは、僕や他の乗客も彼らから直接英語で聞いている。

 問題はこの先。

 彼らはこの列車に乗り込むと同時に大量の爆発物を持ち込み、それを終着駅上海にて起爆。列車もろとも駅を吹き飛ばすという恐ろしい計画を進行中だったのだ。


「なんてこった……」


 引いていた脂汗がまた出てきた。


「まさによもすえです」


 アーニャが他人事のように呟く。


「……死ぬなら、日本で死にたかったよ……」


 列車からの脱出を考えたが、時速百何㎞というスピードで走る電車から飛び出せば、それこそ命はない。


「アキラメてはいけません。この世はインガオーホウ。悪には必ずムクイがあるのです」


「そうだね……もしかしたら、助けが来るかもしれない」


「ああ、それは、期待しないほうがイイでス」


「へ?」


「わたしたちゼイインヒトジチ。走る電車にウカツに手なんて出せないでス」


「八方ふさがりじゃないかぁ……」


 脱力してがくりと頭が落ちる。もはや我々にできることは、最後の時までに辞世の句を残すことだけか……いや、爆発するんじゃ、それすらも叶わない。通信機器が取り上げられてなければ…………家族に電話の一本くらいさせてくれてもいいじゃないか。


「ヒロフセイ。ワタシ、アキラメてはいけないと、言いました」


 頭上からアーニャの雨音のような声が降りかかる。


「助けに期待できないと言ったのは君じゃないか。抵抗しようにも僕ら丸腰だ。死ぬのが一時間ほど早くなるだけさ……」


「……ワタシは戦います。ワタシは、死ぬためにこの列車に乗ったのではないのですから」


 アーニャはそう言うと、自分の座っているベッドの下に手を伸ばす。戻ってきたその手が持っている物に、僕は目を見開いた。


「道は……自分の力で切り開くものでス」


 骨董品のような小銃が一丁。小さな手のひらに握られていた。



「ヴィントフカ=モースィナ……モースィン=ナガーン。1942年製。ワタシの、アイジュウ、です」


 そう言い、銃床の木目を愛おしそうに撫でる。

 アーニャの語るように、その銃は博物館レベルに古くさい代物だということは素人目にもわかる。現代の銃器とは似ても似つかない外観。まるで一本の槍のように長く、今のように持ち主が座って、銃口を天へ向けているとその頭を軽く越えてしまうほどだった。


 車内に新たな銃保有者が現れたことで、乗客たちに再び悲鳴とどよめきが蘇った。アーニャはそれを人差し指を立てて制す。


「あ、アーニャ……そんなもの、どうやって……」


 乗車の際大がかりな荷物検査があったわけではないが、銃の持ち込みなんて見咎められないはずがない。


「……ワタシは、ニェト、ワタシタチは、いつ、どこでも武器を手放すことはありませン。閉ざされた道を切り拓くためニ。ワタシタチのママ……母の教えでス」


「ママ……?」


「少し、おはなしをしまショウ。まだ時間もありますし……」


 アーニャは僕に、自分の今までの人生を語り始めた。


「かつて、ワタシの祖国が、まだソヴィエト連邦だったころ。家族がいない女の子を集めて、いっしょに暮らす場所がつくられました」


 そこは特に戦争孤児となった少女らを住まわせた、いわゆる孤児院だったらしい。しかしその施設での教育は通常のそれと大きく異なっていた。

 そこは少女達を幼少の頃から訓練し、秘密工作員に育てるための機密施設だったのだ。時は冷戦、水面下で大国同士の激しい諜報戦が繰り広げられた時代。孤児となった女子を徹底的に教育し、優秀な諜報員部隊をつくる。それが、アーニャの育った場所で行われていたことだった。


「ワタシはどこで生まれたのかもおぼえていまセン。ワタシにとってあの家が世界のスベテでしタ」


 そこで施設長、および教育、訓練を一手に担っていたのが、アーニャの言うママという人物だとのことだ。


「ママはとてもきびしい人でしタ。でモ、やさしかった……。ママのつくるボルシチのおいシいのは、今でも忘れマせん」


 施設の子供達は、彼女を本当の母親のように慕っていたようだ。

 しかし、別れは突然やってきた。

 ソヴィエト連邦が解体されたあとも、秘密裏に運用を続けられていた施設だったが、昨年にとうとう解散を命じられたらしい。

 スパイとして生きるためだけに育てられた少女たちに、突如降ってきた自由。存在自体が隠され、頼る人もいない彼女らの戸惑いは想像に難くない。


「ワタシたちは国のために育てラレました。国が決めたことにはサカラえまセン」


 軍や行政に所属が決まっていた者はともかく、そうでない子供たちは各々生きる道を探して散り散りとなったらしい。


「ワタシはそんな中、最後まで残っていまシた。 ママに自分のシタいことが見つかるまデは、居てもイイと言われて……。そして先日、ついにアタシは旅立ちました。世界のどこかに自分の場所を探すために……そうして今ここにイるのです」


「そうなんだ……」


 その矢先にとんでもない災難だったね。とは続けられない。本当に洒落にならないから。


「ユエに、です」


 アーニャはライフル銃を捧げ持ち、颯爽と立ち上がった。


「ワタシは戦います。ワタシはそのためのチカラをママから教えられテきましタ。ワイショーな悪漢ごとキにワタシの道は閉ザさせませン」


 民衆を導く女神……そんな概念が彼女の背景を彩る。

 日本語がわからないなりに、何かポジティブなことを言っているのを感じ取ったのだろう。周囲の乗客から歓声があがった。


 アーニャは再び人差し指を立てて車内を静かにさせる。


「しー……悪いヤツが戻ってきますヨ」


 ブーツと、銃器の揺れるガシャガシャという音が聞こえていた。



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