五十一話 嵐の後

 全て終わったタイミングで、ようやく禁軍が到着した。

 除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師となにやら話して、大いに揉めている。

 勝手な判断で敵を逃がしてしまったのだから、姜さんの判断は禁軍の面目を丸ごと潰した形になる。

 覇聖鳳も姜さんも、人質交換から退却まで急いでいる感じだったのは、禁軍が来ると面倒事が増えるからだ。

 姜さんにとって、各所に折り合いをつけて関係者を納得させるのは、手間のかかる仕事だろうな。


「あれ、結局あいつら、逃げちまったン?」


 後宮南門前の広場での怪魔退治を終えた、軽蛍(けいけい)と仲間の流浪の少年団。

 みんなが私と翔霏(しょうひ)のいる北塀に合流した。

 目立った怪我とかがなくてなによりだ。

 今になって気付いたけど、私は軽螢が怪魔と戦い、倒す場面を、一度も見たことがないんだよな。

 まさか翔霏より強いなんてことはないと思うけど、どのようにして怪魔をやっつけているのか、謎だ。


「ごめんね、覇聖鳳(はせお)を殺しそびれちゃった」


 私が謝ったその言葉を、翔霏が否定した。


「なにを言うんだ。私があんな片目バカを相手にせず、さっさと覇聖鳳を殺していればよかったんだ。麗央那(れおな)のせいじゃない」


 お互いの非を慰め合っている私たちのところに、玄霧(げんむ)さんがのこのことやって来た。

 後宮で大人しくしていなかった、私へのお説教でも始まるのかな。

 なにを言われてもみっともない屁理屈で反論してやる。

 そう心構えしていたけど。


「ここにいるのは、翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)の流民だな」


 翔霏と軽螢、居並ぶ少年義勇兵たちを見て、そう聞いた。


「そーだけど」

「あれ、なんかおじさん、見たことあるぜ」

「確か軍の偉い人だよ」


 少年たちは既に玄霧さんを知っているようだ。

 こらこらきみたち、玄霧さんは、おじさんじゃないよ?

 渋いけどちょっとだけ抜けてそうな、実はお人よしのお兄さんだからね。

 アラサーの男性をおじさんと呼ぶかお兄さんと呼ぶかは、人類が永遠に解決できない難問である。


「このたびは大いに助かった。暮らしぶりはどうなんだ。なにか困っていることはないか」


 玄霧さんが、十代の少年たちの群れに、素直に頭を下げてお礼を言った。

 私はそれに驚きと喜びを覚えて、同時にカメラがないことを強く悔やんだ。

 偉そうな軍人に真正面から礼を言われ、生活の心配までされて。

 少年たちはなにやら、くすぐったそうにしている。


「そりゃあ、その日暮らしで、ゼニも食い物も足りないよ」

「前に軍の使いっぱしりして、お小遣いもらったことあったよな」

「兵糧が余ったとか言って、差し入れしてくれる部隊もあったぜ」


 なにそれ、イイ話じゃん。

 どうやら翼州の国境を守る軍隊と、流浪の少年義兵たちは持ちつ持たれつの関係を今まで続けていたようだ。

 玄霧さんの手紙に、廃墟になった邑に住みついてる流民を心配する記述があったことを思い出す。

 なんだよ、この子たちが飢えないように、ちゃんと面倒見てたんじゃないか、玄霧さん。

 そういうとこだぞ、ほんとにもー。


「見ての通り、後宮も広場も中書堂も、大きく損壊の憂き目に遭った。お前たちに行く当てがないなら、再建工事の手伝いとして雇うこともできる。俺が掛け合ってやろう」


 仏頂面のくせして、相変わらず面倒見いいなあ、この人。

 私としても、願ってもいない、素晴らしい提案だ。

 後宮が損壊した責任の何割かは私にあるんだけど、誤魔化せる限り、誤魔化し通そう。


「いい話じゃない、軽螢。しばらくお世話になったら?」

「うーン、そうだな」


 相棒であるデカい白ヤギの背を撫でながら、軽螢は少し考えて、言った。


「よし、ここで『角翼(かくよく)少年義兵団』は解散だ! あとはお前ら、好きにしろ! 俺も好きにする!」


 せっかく数十人単位の集団の頭目になっていたのに、あっけなくその立場を放り投げた。

 単に面倒臭くなっただけじゃないかな、コイツ。

 好きにしろといきなり言われても、どうしたものかと少年たちは戸惑って顔を見合わせていた。


「その前に、お前たちに渡すものがある」


 玄霧さんがそう口を挟んで、中身がミチミチに詰まった重そうな皮袋を、翔霏に渡した。


「これは?」


 いぶかしんで中身を確認した翔霏。

 私もそれを覗きこむと、なんと満杯の銀貨、いわゆる現ナマ。 

 どれだけ入っているのか、袋を手に取って重さをつい、確認してしまう。


「重ッ!!」


 5キロくらいはある!!

 銀貨一枚の重さはおよそ4グラムのはずなので。


「せ、せせせ千枚以上!?」


 思わず、銀貨千枚で買える穀物の量を計算してしまった。

 今の首都での穀物相場がどうなってるのかなんて、詳しく知らんけどね。

 そんな大金を渡した理由を、玄霧さんが告げた。


「神台邑の住人が貯めておいた怪魔の耳、その褒賞だ。お前が紺(こん)という住人だな」

「そうだが」


 怪魔を退治すれば、一匹当たりいくらというお金が、州の役所から褒賞としてもらえるのだ。

 あまり気にしていなかったのか、もう忘れたのか、翔霏はよくわからないといった顔をしている。


「お前に会ったら、渡さねばならんと思っていた。役所で正当な手続きを経た、まっとうな金だ。好きに使うがいい」


 みんなが翔霏の周りに集まって、鈍く光る満杯の銀貨に目を奪われている。 

 玄霧さんは仕事に戻らなければならないようで、去り際にこう言い残した。


「銀府(ぎんぷ)市場の外れに司午家(しごけ)の別邸がある。しばらくはいる予定だ。仕事が欲しいなら来い」


 私へのお説教はなく、玄霧さんは少年たち相手に、格好つけて去って行った。

 いきなり大金を渡された翔霏は、それを明らかに持て余して眉をひそめ。


「みんなで山分けしよう。均等に配ってくれ」


 ドスンと、皮袋を私に押し付けた。

 いやいやいやいや、と私は首を振る。


「ほとんど翔霏のお金だよ? 分けるにしても、翔霏が気持ち、多く取るとかしても、誰も文句言わないって!」

「わからん。どうでもいい。ゼニカネの勘定は苦手だ」


 本当に心底、面倒臭そうにムスッとした顔で、そう言うのだった。

 ケラケラと笑って、軽螢が言った。


「翔霏は指の数以上が、数えられないンだよ。特に金の話になるとさっぱりでさ。俺たちがいなきゃ、買い物もできないンだぜ」

「ゆ、指の数って、ほんとに!?」


 闘いの神と呼んでいい翔霏に、そんな弱点があったとは驚きだった。

 確かに数字、特にお金と言うのは概念的、抽象的存在の側面が強い。

 私たちにとって役に立たない銀の欠片やペラペラの紙幣の集まりが、明確に役に立つ食料や道具と交換できるという時点で、不思議なシステムだからね。

 その複雑な性質を把握するのが苦手な人は、意外と多いのだという話を聞いたことがある。

 翔霏もその一人なのだろう。


「うるさい、余計なことを言うな」

「イテッ」


 プンとむくれた翔霏が、棍で軽螢のお尻を叩いた。

 思い返すと、神台邑の中で生活していて、翔霏が細かい数字を口にしたのを、聞いたことがない。

 小さな村で共同生活している分には、特に困ることはなかったんだろうな。

 神台邑に、お店なんかなかったからね。


「改めて聞くのもおかしいけど、翔霏はどうしてこんなに強いの?」


 私はかねてからの疑問をみんなにぶつけてみた。

 翔霏くらい強い人は、ひょっとして昂国(こうこく)八州(はっしゅう)では珍しくないのかなとも思ったことがある。

 けれど、どうやら違うらしいということを今回、強く思い知った。

 屈強な戌族(じゅつぞく)の戦士たちを一度に何人も相手して、比喩でもなんでもなく、子ども扱いしていた。

 軽螢は、ハテ、と首をひねりながら、一つの推論を述べた。


「親が申族(しんぞく)の軽業(かるわざ)芸人だったから、身軽なンじゃね?」

「申族って言うと、八畜(はっちく)の一つの?」


 確か、恒教(こうきょう)の序盤に書いてあった。

 歴史の原始、八つの地を定めた八つの氏族を指して、八畜と呼ぶ。

 戌族はその中から八州に残ったものと、八州を北に飛び出したものとに分かれる。

 覇聖鳳たちは後者の、飛び出した方の末裔だ。

 翔霏は八畜の一つである、申、要するにサルの氏族の末裔なのだと、軽螢は語る。


「じっちゃんに聞いた話だけど、前に神台邑に旅芸人の一団が泊まりに来たんだってさ。そンときに軽業芸人の女の人が産気づいて、それで産まれたのが翔霏なんだ」

「翔霏はもともと、神台邑の子じゃなかったんだ。私と同じだね」


 愛想笑いの一つもしない翔霏が、サーカスや雑技団の娘とは、面白い。

 軽螢が続ける。 


「たまたま邑に来た旅人が赤ちゃんを産むなんて、これはめでたいことに違いないってんで、邑のみんなは芸人の一団に拝み倒して、翔霏を邑に貰ったんだよ」

 

 祝福の子であり、貴種(きしゅ)流離譚(りゅうりたん)じゃないか、それ。

 翔霏は生まれながらにして、なにか大きな宿命を背負っていたのかもしれないな。

 軽螢は次のような考察を付け加えた。


「人が神サマに飼われてた頃のままの、強い力を持って生まれるやつが、たまにいるンだってさ。ひょっとしたら翔霏もそうなのかもな」

「神さまの家畜、八畜かあ」


 天地が成り神が生まれ、人の祖先である八畜が地を平定した。

 恒教(こうきょう)の神話では彼らは魔法使いやエスパーのように描かれているけど、昂国の今を生きる人たちがその力を完全に失ったわけではない。

 現に、結界を張って怪魔(かいま)の侵入を阻止したりという、異能の力を行使する皇帝や貴族がいるのだ。

 ひょっとすると怪力宦官の巌力(がんりき)さんも、遺伝子に眠っていた八畜の力が目覚めて生まれた、特殊な人なのかも。

 牡牛のように力強いから、丑族(ちゅうぞく)とかだろうか?

 そんなものは別に大げさな話でもない、といった顔で、翔霏が続きを話す。


「生みの親にはたまに会ってるが、普通の人たちだぞ。巡業途中に神台邑に寄ることもあったし、州都の北網に行けば芝居小屋で会うこともできる」

「あ、それきり離れ離れってわけじゃないんだ」


 そうか、翔霏は親御さんと離れて暮らしているけど、会おうと思えば会える関係なんだ。

 だから私が、故郷埼玉の親や友だちと離れ離れになって、便りもつかないという状況に同情して、心配してくれたんだね。

 みんなホント、優しいなあ。


「じゃあ俺たち、どっか寝泊まりできる場所でも探すから。金もたんまりあるしな」


 軽螢がそう言って、結局は仲間の少年たちを先導する。

 とりあえずみんなは、少しの間、河旭(かきょく)の街に留まることに決めたらしい。

 ここで仕事を見つけるか、また流浪の旅に出るか、定住できる街や邑を探すのか、故郷の邑を再建するのか。

 ゆっくり決めてくれればいいと思う。

 せっかくもらったお金を、せめて無駄遣いしないで大事に使ってね。


「私もいったん後宮に戻るね。ご主人さまたちに色々説明しなきゃいけないこともあるし」

「わかった。また後でな」


 翔霏とお別れして、私は翠さまたちの所へ戻る。

 翠さまと、銀月(ぎんげつ)太監、他数名が、泣き崩れる巌力(がんりき)さんの側に集まっていた。

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