第七章 答え合わせ

五十話 梟雄、去りぬ

「さ、参謀どの。どうしても、いかんのか」

「堪忍やで。ここはこらえてんか」


 歯ぎしりしている玄霧(げんむ)さんを、姜(きょう)さんが抑えている。

 自分の妹である翠(すい)さまが解放されて、容赦する必要がなくなった玄霧さんとその部隊。

 彼らは今にも飛び出して、覇聖鳳(はせお)たちを蹂躙したいと、瞳をぎらつかせている。

 もちろん、人質である環(かん)貴人を巻き添えにして、だ。

 一度は妹の翠さまをも犠牲にしようと決意した玄霧さんである。

 よその金持ち女の一人や二人、どうなろうと構うものか、と思っているに違いない。


「あいつを生かしておいて、昂国に益はない! この千載一遇の機を見逃せと言うのか……!」


 玄霧さんたちにとって、もちろん私にとっても、次のチャンスがあるか、わからない。

 覇聖鳳が油断して去って行こうとする今こそ、そこを突けば、あっという間にことは終わるのだ。

 しかし姜さんはそれを良しとせず、玄霧さんに説く。


「僕ら、そもそも作戦中とちゃうからね。たまたま異動しとる途中で厄介ごとに行き合わせてもうただけで、将軍さんたちからもなんも指示、貰ってへんし」

 

 豪商の娘であり高位の妃である環(かん)貴人を、果たして巻き添えにしてもいいのか。

 そこが微妙な問題であり、姜さんは今回、見逃すという手を選択した。

 過去に、正式な指令が降りる前に、反乱勢力の首を伐りまくった姜さんが。

 今回は屁理屈じみた論理を盾に、真逆の行動を採ったのだ。

 正解がなんであるかは、誰にもわからない。

 ただ一つ、確かなことは。

 戌族、青牙部(せいがぶ)の覇聖鳳を取り逃がしたということの責任を、姜さんがなんらかの形で、取らされるのだろうということだ。


「クソッ!」


 ガアン、と玄霧さんが剣を地面に叩きつけた。


「こんなことってあるか!!」

「今日こそはあの獣夷(じゅうい)どもを、殺せると思ったのに!!」


 同じように、玄霧さんの部下たちが、悔しそうな顔で武器で地面を叩き、音を鳴り響かせた。

 揚々と逃げて行く覇聖鳳たちへ聞こえるように、わざと、大げさに、音を立てていた。

 響き渡る金属音は、神台邑(じんだいむら)の悲劇を知っていて、仇を取ることができなかった全員の、嘆きと慟哭だ。

 歯噛みしている玄霧さんたちを見ていて、私も同じ憤りを共有し、溢れそうになる涙をこらえた。

 そりゃそうだよ。

 だって姜さんってば、環貴人が申し出て来る前は、翠さまを死なせるのもやむなし、と判断していたはずだ。

 覇聖鳳も倒せるし、その後は玄霧さんが納得して責任を取って死んでくれるだろうから、すべてこともなし。

 そう、頭の中でそろばんをはじいたはずだ。

 なのに、人質が環貴人に替わった途端、死なせないようにと対処している。

 あの名軍師は翠さまや玄霧さんの命と、環貴人の命を、無情にも天秤にかけやがったんだ。

 このような判断を下した姜さんは。

 きっとまた、様々な人に、嫌われるのだろうな。

 私だって、翠さま「なら」死なせても構わないと判断した姜さんを、しばらく許せそうにない。


「おお、そうだ、大軍師サマよ」

「誰のことやねん。そないなやつは知らんよ」


 去り際。

 覇聖鳳は玄霧さんたちが睨みつける視線も軽くいなし、姜さんに一つの質問をした。


「今回の俺サマの落ち度はなんだろうな? せっかく会えたんだ、ケチらず教えてくれよ。あんたに一度、教えを請いたいと思ってたんだ」


 話す覇聖鳳の表情は、戦場の殺伐とかけ離れた、少年のようであった。

 邪気も悪意もないその相貌は、誰しもの心を惹くのではないかと思われるほど、純粋だった。

 覇聖鳳は除葛(じょかつ)姜という首狩り軍師の、ファンなのだな。

 自分もそうなりたい、そうありたいと思って、今回も苛烈な作戦の実行に踏み切ったのかもしれない。

 その気持ちがわかる私と覇聖鳳は、つまるところ、似たもの同士なんだろう。

 フン、と鼻息を鳴らし、つまらなそうに姜さんは答えた。


「きみは央那(おうな)ちゃんを知らんかった。央那ちゃんはきみを知っとった。それだけやろ」


 ちょっと褒められてるみたいだけど、う、嬉しくなんか、ないんだからねっ。


「それだけで、この俺サマがここまで煮え湯を飲まされるかね。これでも地元じゃ、ちったあ知られた男なんだが」


 納得がいっていない覇聖鳳に、姜さんは金言を授けた。


「兵は知見を以て貴しと為す。其の知らざる見えざるは、須(すべか)らく戦わざる可(べ)きなり。泰学(たいがく)にも書いとる、初歩の初歩や」


 知っている相手、見えている敵とだけ戦え、との意味になるだろうか。

 敵を知り己を知れば、という有名な兵法と通じるものがある。

 相手のことを知らないのであれば、はなから勝負は成立しない。

 だから私は、敵を知るために、努力した。

 姜さんの指摘を聞き、翔霏が覇聖鳳に聞こえない程度の小声で付け加えた。


「馬の利点は速い足だ。一つの壁際に取り付いて破壊に人手をかけた時点で、愚かな選択だったということだ」


 そう、覇聖鳳たちは、自分たち騎馬急襲部隊の個性を、自分たちで台無しにしたのだ。

 火薬による中小の爆弾と、人が振るう大槌という、硬い塀を破るには不便な道具を用いて。

 本気で塀を破りたいなら大砲で金属弾をぶっ放すか、先を尖らせた巨大な丸太で、ドーンと突くべきだった。

 相手のことがわかっていない上に、自分たちの不得意な分野で勝負しようとしたのだ。

 その結果、覇聖鳳は自分の手で後宮を荒らし尽くすという目標を、達成できなかった。

 覇聖鳳が、誰に聞かせるでもない顔でごちる。


「あの頭のおかしい、お転婆貴妃さまに似た顔の、ちんちくりん女か」


 うるせーな、と反論しようとしたけど、全部自覚して自称してたわ。

 少し考える顔をして、覇聖鳳は続けて言った。


「確かにそんな女がいるなんて、あの宦官は言ってなかったし、知らなかったな」


 麻耶さんが戌族に、後宮のことを教えた。

 私ごときがなにかをするとは思ってなかったから、なにも言わなかったのか。

 それとも、なにか思うところがあって、私の話をしなかったのか。

 中途半端に麻耶さんが入れ知恵したせいで、覇聖鳳の騎馬民族として貫徹すべき戦術プランが、むしろ狂ったのだろう。

 麻耶さんに真意を確かめるつもりは、私にはもう、ない。

 彼からもう、なに一つとして、教わることはないんだ。


「これ以上は教えんよ。次に会うときは僕も容赦せん。きみが僕を思い知るときは、死ぬときや」


 いつもふにゃりと笑っている姜さんが、刀のような鋭い目で言い切った。

 再びまみえることがあれば、必ず殺すと。

 できないことを口にする人ではないので、確実に、そうなるのだろう。


「おお怖い。俺サマが油断したと思って追ってきたりするなよ。人質はもちろん、破れかぶれに邑の一つや二つ、うっかり燃やしちまうかもしれねえ」


 私の方を軽く見て、覇聖鳳は最低の捨て台詞を吐いた。

 本当に、殺してやりたい。

 一度だけでなく、何百回、何万回と。

 無数の殺意を背中に浴びて、覇聖鳳たちは皇城から逃げて行った。

 怪我をしたり、毒ガスを吸って動けなくなった仲間たちを、邸瑠魅(てるみ)以外は置き去りにして。

 戦利品に環貴人だけを手に入れ、騒ぐだけ騒いで、いなくなったのだ。


「あいつら、騎乗でも後ろを向いて矢を射ることができるのか」


 翔霏が眉間にしわを寄せて呟く。

 全く隙を見せることのない、素早く、憎らしいまでに見事な退却だった。

 多くの戌族が倒れ、殺されたことで、覇聖鳳は貴重な戦力の大部分を喪失した。

 生きて逃げた人数は、最終的に五十人にも満たなかっただろうけど。

 覇聖鳳はきっと、再起するという確信が私にはあった。


「お、おおお、環貴人、ああ、ああおうおぉぉ……!」


 巌力さんの慟哭が、去り行く環貴人に届いたかどうか。

 耳のいい人だから、きっと聞こえたに違いない。

 不倶戴天の宿敵に、逃げられてしまった。

 私も、こらえきれずに滝のような涙を両の瞳から流していた。

 隣にいる翔霏も、ここで戦いを終わらせられなかった悔しさがあるだろうに。

 優しく、私の頭を撫でてくれたのだった。

 彼方から、琵琶の弦が弾かれる音が、微かに聞こえた気がした。

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