三十話 幾千の首狩りと、わずかな毒と

 皇帝陛下との一泊二日のお楽しみを終えて、我らがあるじ、翠蝶(すいちょう)貴妃がお戻りになられた。


「あの同姓殺しの首切り魔人が来てるの? 翼州(よくしゅう)に向かうはずだから途中で寄ったのかしらね」


 閨房(けいぼう)の湿った余韻もへったくれも感じさせない、いつもの表情で、ポポイポイと重苦しい衣服を自分で脱ぎ捨てている。

 それを片付けながら話した私の報告を受け、上記の言葉を返された。

 もちろん、首切り魔人とは、除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師のことだ。

 とんでもなく、悪意に満ちた呼び方であった。

 除葛さんが翼州北辺に赴くという人事異動は、翠さまはすでにご存じのようだ。

 皇帝陛下とのピロートークでお聞きになったのかしらん。


「百憩(ひゃっけい)僧人と旧知のようで、親しげにお話してらっしゃいました」

「ぞっとする組み合わせね。その場に居合わせたら蕁麻疹が出そうだわ」


 うげえ、と舌を出す翠さま。

 悪しざまな言い方をしているけど、除葛軍師をことさら恐れている気配はない。

 名門武官の子女なだけあって、肝が据わっているのだろう。

 そもそもこの人、嫌いなものは沢山あっても、怖いものとかはなさそうだし。


「反乱を鎮めるために軍師として働いたことが、そんなに蔑まれることなんでしょうか?」


 私は自分の感覚として違和感を持ったことを訊いてみた。

 親戚同士で相争うことがあるのは、日本では源平合戦、中国なら三国志なんかで、当たり前に起こり得る。

 しかも除葛軍師は国の、皇帝陛下の命令で反乱を平定したのだ。

 このように悪く思われ、言われている理由が、私にはわからなかった。


「乱が起きたのは十年くらい前の話だから私も又聞きでしかないんだけど」


 そう前置きして、翠さまは話を続けた。

 十年前と言うことは前皇帝の時代、元号は「福城(ふくじょう)」だったはずだな。


「先の帝(みかど)も宰相たちもあいつが出陣するのを停めたのよ。他に軍師も将軍も沢山いるんだから同姓同士で殺し合うこともないだろうって」

「多大なるご恩情ですね」


 陛下も各大臣も、色々なお考えがあるようだ。

 わざわざ除葛軍師が出向くことはないというのなら、その方が確かにいい。


「でもあいつは先帝と閣僚の前で堂々と『小官が最も乱地の事情に詳しいので、最も迅速に、少ない戦費で事態を収拾できるものと思われます』って言い放ったってのよ」


 他に言い方はないのか、除葛さんよぅ。


「理屈ではそうかもしれませんけど、人の情を考えると、なんとも言えない話ですね」


 少なくとも除葛軍師が、合理主義の怪物であるのは確からしい。

 生まれ故郷で起きた反乱なら、敵のことも土地のことも知り尽くしているだろうさ。

 だからって、同郷の親戚知り合いを相手に、鎮圧と言う名の、殺戮の行軍を指揮できるものだろうか。

 しかも、軍事費用の節約までを考えて、だ。


「確かにあいつの言う通りに反乱はすぐ鎮圧されたけどね。降伏勧告とか寝返り工作とか兵糧攻めとかいろいろやったみたい。反乱軍が拠点としてた街を半分くらい火にかけたり」

「軍師としての力量は、間違いなかったんですね」

 

 あのフニャフニャしたお兄ちゃんが、なあ。

 幕舎の中で策謀をめぐらし、戦略指示を遠い土地の軍隊に出す、というタイプではなく。

 戦場の前線に立って、軍隊を動かしもすれば、謀略を仕掛けもする、バリバリの現場主義な軍師だとは。

 あの体力でそんな仕事が務まるんだろうか。


「仕上げに除葛は謀反を起こした旧王族とその腹心たちの首を皇都からの指令が届く前に山ほど刎ねたわ。実際に首の数を勘定するのに京観(けいかん)を築いたってんだから相当な数よ。それからあいつは『魔人』って呼ばれるようになったの」

「え、それって」


 京観。

 人頭の丘。

 刎ねた首で築く山。

 無数の髑髏のピラミッド。

 想像だけで身が震えるようだ。

 ああ、でも、ごめんなさい、翠さま。

 私は除葛軍師の気持ちが、少しだけわかるのだ。

 反乱軍にまだ残党がいたとしても、そこまでやれば怖気づくから。


「でもね」


 そう言って、翠さまは悪意を除いた、客観的な意見を付け加えた。


「あいつが迅速に乱を食い止めて首謀者たちをさっさと処分したから人死にが最小限で済んだのは否定できないのよね。乱が長引けば長引くほど兵はもちろん無関係の民も沢山死んじゃうでしょ。そうなれば犠牲は数千なんて単位じゃ収まらなくなるわけだし」


 確かにその通りだと思う。

 わかっていてもその決断ができるかどうかは、別の話だと思うけど。

 私はその上で、気になっていることを質問した。


「平定がすぐに終わったなら、除葛軍師は今までなにをしていたんですか?」


 中書堂に顔を出すのも十年ぶりだ、と言っていたので、中央政治に関与していなかったのは間違いない。


「戦後処理と新しい州公の補佐でそのまま尾州の都に詰めてたはずよ。前の州公は乱の責任を感じて自分で首をくくっちゃったから」

「州の宰相、ということですか」


 いくつもの県が集まって州という行政単位が存在する。

 実質的に小さな国のような規模だ。

 州公の補佐官である州宰は、よほど責任の重く、権限の大きな立場である。


「そんなもんね。巷(ちまた)では『自分で燃やした城を自分で建て直し、自分が荒らした畑を自分で耕し直している。魔人はきっと自分が入る墓穴も自分で掘るに違いない』なんて流行り歌が出てくる始末よ」


 なにか、聞き覚えのある話だった。


「あれ? その歌、翼州(よくしゅう)の北網(ほくもう)でも流行ってましたよ。細部は微妙に違って伝わってましたけど」

「でしょうね。あたしの地元の角州でも広まってたくらいだし」


 西南にある尾州と東北方面にある翼州、角州は、かなり離れた位置関係にある。

 遠く離れた地でも、除葛軍師の凄惨な伝説、武勇伝が、歌になるまで広まっているとは。

 嫌われ者も、そこまで至れば善悪や是非の判断を超え、かえって見事なものだ。


「央那(おうな)もあんな怪しい連中に関わるんじゃないわよ。いつの間にか引きずられて自分も化物になっちゃうんだから」


 翠さまのご心配、あるいは戒めを聞いて、私は既視感を覚える。

 前に同じようなことを、神台邑(じんだいむら)の翔霏(しょうひ)から言われたことがあったからだ。


「悪いものを体に取り入れると、自分も悪いものになってしまう」


 その忠告はとっくに、手遅れなんだけど。

 私は心の奥底で悪意の化物を飼い馴らし、せっせと育てている最中なのだから。

 心の中の化物が大きくなっていくにつれ、私は暗く陰湿な歓びを深く強く募らせてしまっている。

 第一、除葛軍師が調べていた北方の戌族(じゅつぞく)の資料は、私もあとで読むつもりなのだ。

 魔人と称される人と同じ本を読むうちに、いつか私も魔人になってしまうのだろう。 

 望むところだと、私は思っている。


「気を付けます」


 私は曖昧な返事を残して、次の仕事に移った。

 向かう先は、物品庫だ。

 前に後宮の物品倉庫で、有毒物や可燃物の管理がずさんだった状態を指摘したことがある。

 翠さまは宦官と女官に、危険なものはきちんと仕分けて整理し直すように、とのお達しを出した。

 言いだしっぺはなんとやらの法則で、翠さまのお付き侍女である私も、それに参加する流れになったのだ。


「ちょうどその手の本を読んでる最中だったし、いい機会かな」


 中書堂から借りて来た本には、主に山地や岩石から採れる、鉱物毒のことが書かれている。

 鉄粉や硫黄が物品庫にあったのはすでに知っているので、それらに関連した見識も深まるだろう。


「ではお集まりのみなさま、宦官の銀月奴(ぎんげつやっこ)めが取り仕切らせていただきます。お気付きのことがございましたら遠慮なくおっしゃってください」


 私と同じ立場の部屋付き侍女と、皇城と後宮の庶務に従事する女官が、何人か。

 そして太監と呼ばれる、ちょっと偉い宦官の銀月さんに加えて、数人のヒラ宦官が集まっていた。

 銀月さんよりもっと、もーっと上に位置する一番偉い宦官は「司礼総太監」と言うごつい肩書きをお持ちの方だ。

 私はお会いしたことはない。

 きっといつも皇帝陛下の側に侍っているのだろう。


「加熱すると危険なものは、陽の当たらない所に移したほうがよさそうですね」


 横にいる名前の知らない女官さんと一緒に、私は可燃性の物品が入っている箱を移動、整理する。

 女官さんは「なんで私がこんなことを」とでも言いそうな、ぶんむくれた顔で黙っている。

 それでも渋々、周りの人の声掛けで、荷物を移動する仕事をこなしていく。

 こんなことをしなければいけない大きな理由は、私が仕える翠さまの一言なので、気まずい。


「朱い、塗料かな? なんだろ」


 作業中に私が中身を確認した壺。

 真っ赤な砂のような物質で満たされていた。

 銀月太監がそれを覗き見て教えてくれた。


「丹(あかし)ですな。朱塗りに使うものです。これ、このように」


 そう言って、縁が欠けた赤い陶器の茶碗を棚から手に取り、私に見せる。

 濃く鮮やかな赤色の立派なお茶碗だけど、壊れてしまっている。

 誰かが物品庫に放り込んで、そのままになっていたのだろう。


「ああ、水銀朱(すいぎんしゅ)」


 知識としては知っていたけど、原料としての現物を見るのははじめてだった。

 水銀朱、もしくは辰砂。

 理科の教科書的に言うなら、硫化水銀、硫黄と水銀分子の一対一の化合物だ。

 日本人なら誰でもおなじみの、神社の鳥居や、ハンコの朱肉の、あの朱色である。


「さよう。宮妃さまがたは手慰みに陶器や磁器を焼き、作った器に漆や朱を塗ることもあります。そのために用意しているのですよ」

「手芸や工作に使うんですね」


 赤は好き。

 眼が冴えるし、景気もいい感じがする。

 器物に朱を塗るのは、確か防腐剤も兼ねているはずだ。


「拙(せつ)も環(かん)貴妃のお造りになった陶の杯に、朱を塗らせていただきました。あのお方は実にお手元が細やかで、見事な陶器をお造りになられます」

「環貴人、陶芸できるんだ。凄いなあ」


 銀月さんが話す環(かん)玉楊(ぎょくよう)貴妃さま。

 後宮の東苑(とうえん)で最も位の高いお妃さまは、確か目が見えていないはずだ。

 周りの手伝いあってのことだろうけど、そんな彼女が焼き物を上手にこさえるんだな。

 私は細やかな手芸関係はからっきしなので、羨ましい限りだ。

 人のできること、可能性というのは、実に広いものだと思う。

 確かに刃物を使う彫刻に比べれば、粘土からの焼き物は目が不自由であっても手を怪我することも少なく、いい趣味なのかもしれない。

 焼き上がった器は、生活の役にも立つし、プレゼントすれば相手も嬉しかろう。


「環貴人と言えば、宮中に並ぶものなしと言われた琵琶の名手でもございます。麗(れい)侍女はお耳にしたことがありますかな?」

「いえ、まだその機会はありません」


 なにせ翠さまに「環貴人には会うな」って釘を刺されておるものでしてな、わたしゃ。


「残念にございまするな。ぜひ一度、翠蝶貴妃のお伴の間にでも、お耳にすることがあれば」

「はあ」


 銀月太監の無駄話は続く。

 私は途中で話を右から左に流し、別の考え事を始めた。

 硫化水銀から水銀蒸気を分離して、さてどのように採取、保管するべきだろうかな。

 加熱すれば水銀と二酸化硫黄に別れるはずなんだ。

 取り出した水銀はもちろん、猛毒である。


「フラスコ、ゴムチューブ、試験管、そんなものはないよな」

「ハテ、なにかお探しですかな」


 独り言が出て、銀月太監に聞かれてしまった。


「なんでもないんです。たまに頭の中にもう一人の自分の声が聞こえて、会話しちゃうんです」


 気味の悪い言い訳をしてしまったのが功を奏し、銀月太監はそのことに触れないでくれた。

 物品庫の中に、代用できるものが転がっていないか。

 思索に没頭したので、銀月太監の長い話も、物品整理の力仕事も、ちっとも苦ではなかった。

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