第五章 そして繭になる

二十九話 麒麟の落とした仔

「あっ、なんか引き留めてもうたね。時間大丈夫なん?」


 除葛(じょかつ)軍師にとっては軽い雑談のつもりであったのだろう。

 彼は窓の外を覗き、陽の高さを確認して、私の事情を慮った。


「大丈夫です。せっかく中書堂(ちゅうしょどう)に来たので、百憩(ひゃっけい)さまにご挨拶して帰ろうと思います。ごちそうさまでした」


 私はお茶とお菓子をいただいたお礼を言って、椅子から立ち上がる。

 それを聞いた除葛軍師は目を丸くして。


「は? 百憩はんって、沸教(ふっきょう)の百憩和尚かいな?」


 どうやら知り合いであるらしく、驚いてそう言った。

 和尚かどうかは知らない。

 と言うか和尚ではなかったはずだけど、沸教の僧侶であることは間違いない。


「そうです。こちらの三階にいらっしゃるのですけど、ご存じありませんでしたか」

「知らん知らん。なんせ朝にこっち着いたばっかりやし、知り合いおらんから誰もそんなこと教えてくれへん」


 いちいち私の親近感をえぐるなあ、この人。

 そうだよね、知り合いがいないところにいきなり放り込まれたら、最初はなにもわからないよね。


「ホンマかあ、百憩はんが中書堂におるんか。ちょっと案内したってえや、央那ちゃん」


 凄い気軽にさりげなく、馴れ馴れしい呼び方をされてしまった。

 けど、不思議と嫌じゃない。

 なんだろうな、除葛さんは、人の心に入り込むのが、上手い。

 軍師職、作戦参謀である以上は、ガリ勉してるだけでは務まらない、相応以上に人に揉まれないといけない、ということだろうか。

 本ばっかり読んで愛想のかけらもない、他の中書堂の書生たちは、爪の垢を煎じて飲んだらいい!

 人との距離を測っていないうちに、いきなりナンパしてくるような若造もな!


「ではご一緒しましょう。私は少し挨拶したら、戻ると思いますけど」

「うわあ懐かしいなあ。何年振りやろ。元気にしてはるんかなあ」


 ウキウキした様子を隠そうともしない除葛さんを連れて、私は三階へ降りる。

 ここの東の間の奥に、百憩さんは自分のデスクを構えて、勉強なのか修業なのか知らないけど、毎日読み書きして過ごしているはずだ。

 クビになったという噂を聞かないので、今日も同じ机にいるはず。

 当然のごとく、百憩さんはいつもの席に座って、相変わらずなにか書き物をしていた。


「あ! ホンマにおった! おーいおーい! 百憩和尚! 僕やで! 丹谷(たんこく)の姜(きょう)やで!」

「はっ?」


 集中して筆を執っていた百憩さんが、いきなり大声で呼ばれて手元を乱した。

 墨汁が紙の上に、黒い水たまりを作る。

 あーあ、あの紙はもうダメだな、書き直しだろう。

 丹谷というのは、除葛さんの出身地かな。


「うわー変わっとらんなあー! 僕より若いみたいやないかー! あの頃を思い出すわー!」

「幼麒(ようき)ではないですか!? 皇城(こうじょう)にお仕えするようになったのですか?」


 驚きながらも喜びを浮かべた表情で、百憩さんは席から立ち、除葛さんの肩を抱いた。


「ヨウキ、ってなんですか?」


 私は疑問に思ったことを口に出す。

 百憩さんは目を細めて、遠い日を懐かしむように、大事な思い出を語るように教えてくれた。


「幼い麒麟、麒麟の申し子、その意味で私が彼に与えたあだ名です。もう二十年以ほど前になりますか。いやあ、あの幼麒が、こんなに立派になって……」

「ちょ、和尚、恥ずかしい話はやめてんか! 知らん人が聞いとるやないかい!」


 オッサン二人が目じりに涙を浮かべて、再会を喜び合う。

 除葛さんはいい大人の割に、あんまり立派に見えないな?

 でも、なんだろう、無関係の私まで、じんわり来てしまうゾ。

 って、オイ待てェ。


「二十年以上も前!?」


 いったい、実年齢がいくつなのかますます謎な百憩さんが、二人の馴れ初めを簡単に語った。


「尾州(びしゅう)の丹谷という街で私が乞食(こじき)をしていたところ、幼麒……失礼、除葛どののお父さまが、空き家を貸してくれたのです。そこで私は沸(ふつ)の教えを街の人に伝えることができました」

「百憩はん、乞食言うたらあかんがな~。托鉢僧やろ?」


 なるほど。

 百憩さんの布教と修業の最中に、除葛さんのお父さまが便宜を図って、住むところ、布教の拠点となる家屋を提供してくれた、ということか。

 過去に小さいながらも経堂を構えていたからこそ、除葛さんは百憩さんを「和尚」と呼ぶのだな。


「あの頃の除葛どのは、それはもう大人たちの手に余る、まさに麒麟児で。ご自身の友人が少しでも問題を抱えていると、少年団を引き連れて大人相手でもわめき倒すわ、問題となった相手の家に、腐った卵を何百個と投げつけるわ」

「恥かしい話はやめたってえや~。地元の人間しか知らんこっちゃで~」

 

 顔を赤くして、除葛さんは髪の毛をぼりぼりとかきむしる。


「とても面白いので、もっと聞かせて欲しいですね」

「央那ちゃんも、かなんな~! オッサンいじめて楽しいんか~!?」


 私の失礼で無慈悲な言葉にも、除葛さんは笑っておどけるのだった。

 除葛さんはかつて、本当に麒麟の子と称されるような、破天荒で天衣無縫な子どもだったんだろうなあ。

 幼麒、まさに言い得て妙ではないか。

 面影が十分に滲み出ているように、私は思った。

 そんな彼が国の中枢で作戦参謀の要職を得て、政情怪しい最前線に向かうのだから。

 人生というのはどうなるか、わからんもんだのう。


「ところで、麗女史と除葛どの、お二人はどのようなお知り合いで?」

「さっき初めてお会いしたばかりです。本を何冊も抱えて重そうに階段を登っていたので、おせっかいかと思いながらもお手伝いいたしました」


 私は事実をありのまま、百憩さんに伝える。

 彼らの話は聞いていて楽しいけど、そろそろお暇(いとま)しなければいけない時間だ。

 話を早く切り上げたいと思う私の表情を察したのか、百憩さんは納得したように首肯して。


「多大なお世話をかけました。あなたが拙僧と幼麒を引き合わせてくれたのも、深遠な縁(えにし)あってのことでしょう」  


 そう言って、深く頭を下げた。 


「お二人の喜ばしい再会の一助になれたのなら、私も嬉しいです。それと、先日の葬儀の際には、翠蝶貴妃もわたくしたち侍女一同も、大いに助けていただき、ありがとうございました。それでは失礼します」


 ダラダラと話を聞いていると、いつまでも長居してしまいそうだ。

 私は後ろ髪を引かれながらも、謝辞を述べてその場を後にした。

 二人は私を階段まで見送って、引き続き昔話に花を咲かせたようだった。

 いいよね、古い知り合いとの、再会。

 思いがけずのことなら、それは尚更、嬉しいに違いない。

 羨ましいからって、泣いたりしないもんね。


「央那、ただ今戻りました。お仕事を空けてしまい、申し訳ありません」

 

 私は毒の本を抱えて、部屋に戻った。

 いいのよいいのよ、と笑って先輩侍女たちが迎えてくれた。

 私にだって、こんなに優しい先輩たちと、素敵なご主人さまが、いるもん。


「翠さまがいないから、今日のお夕飯は思いっきり、辛いものを食べようと思うの。どう?」


 いたずらっぽい笑顔を浮かべて、侍女頭の毛蘭さんが言う。

 私も満面の笑顔で、それに賛同した。


「いいですね。翠さま、辛いもの、食べられませんからね」


 ハッキリ言って翠さまはお子さま舌の持ち主だ。

 辛いもの、塩辛のような発酵食品、香草やニンニクのガッツリ効いたものは、ほぼ食べないと言っていい。

 タコが好きだと言ってたけど、あくまで新鮮なタコをあっさり釜揚げ、あるいは塩茹での話。

 翠さまがタコやイカを好むのは、角州(かくしゅう)の海沿いがご実家だから、というのは余談だ。


「そうなのよねえ、私、尾州の生まれだから、たまに無性に辛いものが食べたくなるのよ」


 ほほう、毛蘭さんと除葛軍師は、同じ州の出身なんだ。

 確か地図で見た尾州の地は、西南の内陸にある。

 山深い土地に暮らす人たちは、クソ甘い食べ物や塩辛い食べ物に飢えているという傾向があるそうだけど、そのクチだろうか。


「さっき中書堂でお会いした除葛という役人さんも、尾州の出身だって言ってました。毛蘭さんのお知り合いだったりします?」


 なんとなしに聞いた私の言葉に、毛蘭さんは、身を竦ませた。

 明らかに、恐怖や驚愕の色を、その顔に浮かべていた。


「じょ、除葛って、まさか尾州の麒麟(きりん)、除葛姜(じょかつきょう)軍師のこと? 中書堂にいたの?」

「は、はい、そうですけど。北辺に行く途中に、調べ物があるから中書堂に寄ったって、言ってました」

 

 その説明に毛蘭さんはふーっと深い溜息を吐き、安堵したようだった。

 な、なんだろう。

 そんなに、除葛軍師に、この皇都、河旭城(かきょくじょう)にいて欲しくないんだろうか。 


「良かった、除葛軍師は皇都に赴任したわけじゃないのね。すぐ北辺へ向かうのね」

「そのはずです。な、なにか問題がある人なんですか?」


 人懐っこい、田舎の金持ち出身の若白髪。

 そんなイメージで、私の中では固まっている。

 しかし毛蘭さんは、まるで怪談話でもするかのように、あたりを窺って、声を潜めて、言った。


「あの方は、尾州の旧王族の傍系のご出身なの。昂国(こうこく)の前に八州を支配していた、除葛氏のはしくれね」

「は、はあ、高貴な生まれなんですね」


 例えるなら徳川家の末席か。

 いいところのお坊ちゃんであるという雰囲気は、確かにあった。

 なんだろう、万事においてこだわりが、屈託がない感じが、翠さまに若干似ている、と思ったのだ。 

 深刻さがわかっていない私に、毛蘭さんは続けて教える。


「それなのにあの方は、尾州で旧王族の反乱が立ちあがった際に、昂国の軍師として討伐の最前線に赴いたのよ。自分と祖先を同じくする同氏同族の反乱軍を、徹底的に叩きのめして、数千の首を刎ねたというわ」

「う、嘘」


 思わず口を衝いて出た。

 あの人のよさそうな、人懐っこいお兄ちゃんが。

 自分の故郷、尾州で起こった、自分の親戚たちが起こした反乱を、容赦なく誅滅して。

 笑うと目じりや口元に細い皺ができる、年齢の割には可愛らしい顔で、数千人を処刑した。


「嘘なんかじゃないわ。だから尾州の人間はみんなこう言うの。幼麒などであるものか、あいつは人の姿をした怪魔(かいま)、魔人だって」

「魔人、ですか」


 思い返すと、中書堂で本を運ぶのに難儀していた除葛さんを、私以外は誰も助けようとしていなかった。

 今朝のうちに中書堂に着いた除葛さんに、親しく話して友誼を結ぼうと、教えを請おうとする書生たちも、一人もいなかった。

 あの除葛軍師にそんなもう一つの顔があると信じられず、私は二の句が継げずにいた。


「でも皇都が赴任先でなくてよかったわ。性情が酷薄な除葛軍師なら、北辺で異族の相手をするのは合ってるでしょう。適材適所というのはこのことね」


 毛蘭さんが腕を振るった、舌が痺れるほどにしょっぱ辛い炒め物を食べながら、私は考える。

 同氏同族殺し、稀代の軍略家の、はぐれ貴公子。

 そんな軍師、除葛姜が玄霧さんたちの詰める北辺へ赴くことは、果たして私にとって、いいことだろうか。

 わからないけれど、なぜだか、胸が高鳴った。

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