十二話 知は力である
あれよあれよと後宮入りが決まってしまった。
私は今、神台邑(じんだいむら)が属する翼州(よくしゅう)という土地の、州都にいる。
街の名は「北網城(ほくもうじょう)」と言い、字が示す通り、城壁に囲まれた、大きな街だ。
「城壁の一辺は6キロくらいかな。こっちの単位だと『半程(はんてい)』か」
準備期間を過ごすためにあてがわれた街の宿屋。
その一室の窓から、私は呆れるくらいに巨大な城壁を眺める。
昂国(こうこく)で距離を表す単位は、小さい順に「一歩(いっぽ)」「一行(いっこう)」「一程」と記す。
例の如く八進法がお好きな人たちなので、百二十八歩で一行だし、百二十八行で一程だ。
「こんな立派な城壁があれば、神台邑も襲われたりしなかったのに」
恨みがましく、私は天に呟いた。
玄霧(げんむ)さんの軍隊に保護された、あの後。
私は翼州左軍のみなさんと一緒に、邑のみんなをひとまず火葬して、土に埋めることができた。
邑を襲ったやつらの詳しい動向、情報については、別の部隊が調査してくれているとのことだ。
「なぜ今、この時期に覇世鳳(はせお)たちが、なぜこの邑を襲ったのだ?」
その経緯や背後情報が、玄霧さんには気になるらしい。
お仲間を引き連れて現場での対応もこなし、部隊の作戦も考える。
被害に遭った土地の避難、防衛計画も練りなおす。
翼州左軍副使という立場の玄霧さんは、まこと忙しい人のようだ。
「麗(れい)、あとの処置はこちらに任せて、お前は州都で身支度と心構えを整えておけ。のちに詳しい指示を出す」
玄霧さんはそう言って、私を州都、北網城に向かわせて、仕事に戻った。
私を街まで送り届けてくれたのは、玄霧さんの部下たちだ。
北網に着いてまず最初にしたことは、玄霧さんが作ってくれた紹介状を持って、州都の役所に行くことだった。
住人の戸籍管理をする部署まで足を運び、あちこちたらい回しにされて。
姓は麗(れい)。
名は央那(おうな)。
未婚の女。
両親は不明。
生年は福城(ふくじょう)十七年。
世話人は司午(しご)玄霧。
その他、云々。
ようやく作られた私の戸籍には、昂国の書式でそう書かれていた。
ついに北原(きたはら)という名字さえ、省略されてしまったか。
私の正体を詳しく知る人なんて、この街にはいないから、特に支障はないけどね。
福城という元号は、前皇帝さまの時代のものらしい。
六年前に今の皇帝さまに代替わりして、白明(びゃくみょう)という元号に変わった。
私が自身についての書類を書く機会はほぼないため、あまり使わない。
「玄霧さんから連絡が来るまで、本読もうっと」
買えと言われた衣服、髪飾り、靴、首飾り、腰帯、道具入れとしての長持ちなどなど、身の回りの品々は、もう揃えてしまった。
後宮の下女として恥ずかしくない程度に、ふさわしかろう身なりを整えろ、と言われたからだ。
なんて言われても、よくわからない。
お店の人に薦められるがままに買ったけど、支払いは玄霧さんにツケてあり、それは最終的に私が背負う借金となる。
「雷来(らいらい)おじいちゃん。勝手に貰って来ちゃったけど、許してね。大事に読むから」
私は、荒らし尽くされた神台邑の中でも運よく無事だった物資を、いくつか形見代わりに貰い受けた。
その中には、邑の会堂の祭壇に大事に仕舞われ祀られていた、二冊の分厚い書物があったのだ。
普段は化粧彫りをされた石の箱しか見てなかったけど、その中身は本だったのである。
「恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)かあ」
いつか、邑のオジサンが「泰学を修めるために勉強をしていた」と話していたことがある。
おそらくこの本を中心とした学問があって、それを深く広く学ぶための高等教育施設への入学を目指していたんだろう。
「祭壇に祀られてたってことは、聖書とかお経みたいな、宗教的な本なのかな」
私はまず、恒教と表紙に大きく記された書物の扉を開く。
恒(つね)なる教え、という意味の、教典的ななにかだろうか。
作者も編者も奥付の記載もないその本の一文目は、このように始まる。
「天地始成、四神自生」
やはりこの土地の書き言葉は、わかるような、わからないような、謎な漢字文章である。
天地創生神話のような話からこの本は始まるのだな、ということはわかる。
なんとなく私の口から出た読み下しは。
「天地が始めに成り立ち、四つの神さまがおのずと生まれた。いや、自然に生まれた、かな?」
冒頭、最初の一文の解釈から、少し躓きがちである。
この四神とやらは自力で、自分の意志で勝手に生まれたのか。
それとも、天地成るという条件が先にあり、その条件下、天地のエネルギーの影響で自然発生的に生まれたのか。
「ま、いいや。あとで玄霧さんか、街の物知りを探して聞こう」
なにぶん参考書もないので、私の読解が正しいかどうかの保証なんてないのだ。
「次はなになに? 龍は清水、鳳は大空、獅は山林、麒は草原を支配した、と。こいつらが四神なわけね」
龍って水の生き物なんだ。
鯉が昇って龍になるって言うし、確かに淡水魚かも。
「獅は獅子でライオン、麒はキリンかな。でもライオンって山にいないよね。こいつらは神社の狛犬みたいな伝説の生き物か。他の二匹もそうだし」
などと勝手に咀嚼しながら、突っかかりながらも、私は「恒教」の書生になるのであった。
宿の外では子供たちが、なにやら楽しげに歌っている。
読書のBGMとしては心地よい。
「城を壊したその人が、せっせと城を建て直す。
田畑を荒らしたその人が、手ずから田畑を鋤き直す。
あな恐ろしや、尾州(びしゅう)の魔人は除葛(じょかつ)の公子。
まさしく葛(くず)を除けるように、同胞(はらから)の頭も伐り払う」
歌詞の内容は、なにやら殺伐としていた。
過去に起きた戦乱かなにかを歌ったものだろうか?
「お夕飯ですよ」
部屋の戸の外で、そんな声が。
水分補給もトイレも忘れ、すっかり本の虫になって時間を過ごしてしまった。
気が付いたら日も暮れかけていて、宿では夕食の準備ができている。
「ありがとう、いただきます」
ふう、難解な文章も多かったけど、充実した読書の時間を過ごした。
こっちに流れ着いて以来、はじめてのことかもしれない。
埼玉で受験生やっていたときは、受験に必要な科目の、とにかく大量の文字情報と戦っていた。
語句の読解なんてものに時間をかけず、ひたすらパターンを把握して回答の時間を短縮したり、頻出分野の情報ばかり深掘りしたり。
「一つの本をじっくり読む楽しさなんて、忘れてたなあ」
でも今は一字一句がどういう意味なのか、丁寧に丁寧に読んで、色々な解釈の可能性を探しながら、本と対話している。
この恒教、泰学という二冊の本が、私と神台邑を今も繋げる、とても大事なものだから。
もとはと言えば読書は大好きで、特に物心ついたときから百科事典の虜だったから。
それらはもちろん理由の一つではあるけど。
「まだまだこれからだ。私はなにも知らない。知らない相手とは戦えないし、目的も果たせない」
この土地、昂(こう)と呼ばれるこの国のこと。
私がこれから行く皇都、その中心にそびえたつ宮殿、さらにその中にある後宮のこと。
神台邑を滅ぼした、戌族(じゅつぞく)の青牙部(せいがぶ)というグループのこと。
そのリーダーらしき覇聖鳳や、横にいた邸瑠魅(てるみ)という女のこと。
「知ってやる。丸裸にしてやる。お前らの焼いた邑の焼け残り、生き残りが、お前らの首を獲る刺客を育ててやるぞ。それまでの間、のうのうと生きているがいいさ」
玄霧さんからの追加連絡が、早く来ないかな。
きっとその中には、覇聖鳳たちに繋がる情報も、少しは混じっているだろう。
ふふ、ふふふふ。
「お客さん、ご機嫌ですね……」
「ええ、まあ」
ご飯の最中、ニヤついていたらしく、女将さんに少し気味悪がられた。
「なにか、いいことでもございましたか?」
「いえ、とっても最悪なことが、あったばかりです」
薄ら笑いを浮かべてそう答えてからというもの。
宿の女将さんは必要なことしか、私に話さなくなってしまった。
読書の日々は続き、さらに後日。
手紙ではなく、玄霧さん本人が直接、私の逗留している宿に顔を出した。
州都での仕事のついでに寄ってくれたようだ。
「とうとう後宮入りですか」
この日が来たか、と私はさすがに緊張してそう尋ねたけど。
「その前に、改めてお前を面接する。なに、簡単な質問と確認だけだ」
「はあ」
ほぼ身支度も心の準備も終わってるこの状況で言われてもな。
面接ってのはアレかい。
なにか打ちこんだものは?
くさびですねえ。
なんてボケればいいのかな。
今更「今回は不採用です。貴殿のこれからの健勝をお祈りします」なんて言われた日には、大路に飛び出て狂ったように叫びながら走り出す勢い。
全裸で。
「歌曲や舞戯(ぶぎ)に自信はあるか?」
「まったくありません」
正直に即答する。
鈍くさい運動不足の、音痴です。
楽器はリコーダーなら少々。
「竹や木の蔓(つる)で人形や部屋飾りくらい、こさえることはできるであろう。花の剪定などはどうだ」
「親譲りの不器用で、子どものときから損ばかりしています」
大雑把な作業や単純作業には自信があるけど、細かい手芸系はほんと、苦手意識が強くて、たまに情けなくなる。
あと単純に私、美的センスがないというか、なにか作っても地味で直線的な、飾りっ気のないものになりがち。
これはお母さんも同様だったな。
若い頃は美容師になりたかったらしいけど、結局は普通の会社員になった。
お母さんの得意料理は、だいたい大雑把な炒め物か煮物だった。
手羽先を煮込むと、いつも焦がしていたのを思い出す。
「これは参ったな。流行り唄に詳しいであるとか、衝球(しょうきゅう)が巧みであるとか、なにかこう、町娘らしい技芸はないのか」
玄霧さんは頭を抱えて、しまった、という顔をしている。
衝球というのは、パターゴルフとビリヤードが混ざったような遊びで、州都で流行っている。
地面に置いた球を棒で打って、他の球や的に当てて点数を競う、シンプルなゲームである。
宿の窓から外を見ると、おのおの庭や空き地で衝球をたしなんでいる女の子たちの姿を見ることができる。
「町娘じゃなくて、邑娘ですので。倉庫番の」
「弱った。まさかこんな落とし穴がお前に潜んでおったとは、この俺としたことが読めなんだ」
随分失礼な言い分だけど、玄霧さんの心配はわかる。
後宮と言えば、いわば女の園だ。
そこで暮らし働くのなら、女子が好むような、華やかで軽妙優雅な趣味特技があるに越したことはない。
一目置かれることもあるだろうし、そこまで達者でなくても、コミュニケーションが円滑にはなるだろう。
「あの、今からなにか、身に付けるというのは」
一応私もまだ、脳みそが柔らかい十代の娘のつもりなのでね。
お洒落スキルの一つや二つ、覚えようと思えば、なんとか、きっと、多分、あわよくば。
「そんな悠長なことは言ってられぬ。妹は……いや、翠(すい)貴妃(きひ)は、早くお前を送ってよこせと、たいそう乗り気になってしまってな」
「妹?」
玄霧さんは、妹、翠貴妃、と言った。
文字通り、貴い妃で。
それが妹で、後宮で。
「ま、ままま、まさかとは思いますけど、玄霧さんの妹御は、こ、皇帝陛下の、お妃さまであらせられる!?」
「今更なにを驚いておる。まさか、知らなんだか!?」
「え、ええ、あの、お恥ずかしい限りで」
知らねえよ~!
早く言えよ~~!!
私が驚いて大口を開けていると、玄霧さんは泣きそうな顔でまくしたてた。
「俺の同腹の妹にして、後宮は西苑(さいえん)の主(あるじ)、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下を、俺が務めるこの翼州、北網の宿に寝起きして、よもや知らぬとぬかしおるのか!?」
うん、宿の人、私とお喋りしてくれないからね。
しかし、貴妃さまの、お兄さんか~。
だからこの人、最初からなんか尊大だったの?
そんなに偉い人でも、現場で軍人やって馬に乗って土埃にまみれてるんだから、そういうのは、イイと思います。
「ど、どうか今までの数々のご無礼を、田舎娘の無知ゆえとお許しください」
へこへこ、と腰を曲げ頭を低くする私。
今更取り繕っても、どうなるものではない。
「はあ……物を知らぬとは、幸せなことよな。やけに怖じる気配がないと思えば、とんだ野良娘を拾ってしまったわ」
がっくりと肩を落としてうなだれる玄霧さんであった。
うううう、ちくしょうめ。
やはり知識は大事だと、私は大いに思い知ったのであった。
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