十話 彼岸に旅立つ命と此岸に残された命

「もう一度聞く。本当に邑(むら)に行って、場景(じょうけい)をその目で見たいのだな?」


 私は玄霧(げんむ)さんのお伴の人たちに囲まれて、神台(じんだい)邑へ戻っている。

 道すがら、玄霧さんは念を押すように、私に再度その質問をした。


「はい、お願いします」


 私は、見て確かめなければいけないと思った。

 私が逃げたその場所が、今、どうなっているのかを。

 生き残った私が、見て、記憶して、残せるものがあるはずだと。


「わかった。ならもう、なにも言うまい」


 それきり玄霧さんは黙って、馬を進めるのだった。

 一行は邑の入り口まで到達する。

 炭や木材などの、炭素と。

 そして、肉や脂の焼け焦げた残り香が、私の感覚を襲った。


「まだ、死者の骸(むくろ)は片付いていない」


 そう言って、玄霧さんは馬から降りる。

 邑の中で作業をしている、おそらくは兵隊さんたちに、声をかけに行った。

 私は。

 最初に目に入ったのは。

 いつか、石数(せきすう)くんたちと一緒に調べた、雑穀を保管している、石の倉。


「あ、あああ」


 駆け寄って、目の前の光景に、そのあまりの惨劇に、体全身が張り裂けて。

 すべての肉片が、千々(ちぢ)に飛び散ってしまいそうになり。


「うわああああああああああ!! あああああああああああああ!!」


 喉も裂けよとばかりに、人目もはばからずに悲鳴をこだまするのだった。


「あああ、石数くん、あああ、あああああ」


 倉を守ろうとしてくれたのか。

 それとも、たまたまここに斃れたのか。


「だから副使どのが言ったんだ」

「そう言うな。まだ子供だ。無理もない」

「ああ。俺たちから見たって、この有様は……」


 遠巻きに私を見ている兵隊さんたちが、なにか言っている。

 私は跪いて。

 右半身が焼けてただれて、うつろな目でなにも言わなくなった、動かなくなった石数くんの遺骸を胸に抱いて。


「うううう、ぐううう、ひぐ、ふぐううッ」


 中の穀物と一緒に燃えて終わってしまったであろう、石数くんの、十年そこらの短い命。

 私は春から夏、短い付き合いでしかなかったけど。

 一緒に食料の倉を管理して、掃除したり、ネズミを追っ払ったり、食料を数えた石数くんとの思い出。

 それが脳内に強烈に押し寄せた私は、動物か赤子のように、泣きじゃくるしかできなかった。


「黍(きび)か」


 そこに玄霧さんが来て、倉の中の燃えカスを手に取り、独り言のように口にした。

 私は、せりあがる横隔膜を無理矢理に抑えつけて、石数くんの遺骸に顔を押し付けつつ、絞るように言った。


「キビと、アワと、ッぐぅ、あとちょっとのソバと、うっく、合わせて、150俵(ぴょう)」

「確かか?」


 私の答えに、玄霧さんは少し驚いたように反応した。


「はい。麦の倉は95俵。米の倉は40俵、それと、大豆が、うう、うううっ!!」


 そうだよ、私が数えて、管理してたんだよ。

 豆腐屋になりたいと話した石数くんといっしょに、朝な夕な、数えたんだよ。


「うああああああ、石数くん、あああああ、ごめんね、ごめんねえええええええ!!」


 私がこの邑の倉の中にある食べ物を、増えたり減ったりしていく量を、記録して計算してたんだよ!!

 それが全部、全部燃えてしまった。

 泣き腫らした目で邑の周囲を窺えば、そこには煤(すす)で黒くなってしまった建物たちと。


「なんで、なんでこんな、こんな」


 優しくて、あったかくて、どこの馬の骨ともわからない私に、いつもよくしてくれた、邑のみんなの亡き骸が。

 ああ、雷来おじいちゃんも、会堂の横に倒れてる。

 誰よりもツボ押しが上手い両腕が、どこかに飛んで行ってしまい、なくなってる。

 ごめんね、今、起き上がれそうにないから、まだみんなのお墓を掘ってあげられないけど。

 

「もうちょっと、もうちょっとしたら、ちゃんとみんな、弔ってあげるから」


 口に出して言葉にしてしまったせいで。

 私は、神台邑のみんなの「死」を、心身ともに深く認識してしまい。

 

「うっぐ、ぐううう、ふううう。うああああ」


 また目を閉じ蹲って、激しく慟哭するしかないのだった。

 玄霧さんと兵隊さんたちが、その脇で黙々と、邑人の死体を一か所に集めていた。



「落ち着いたか」


 玄霧さんが革の水袋を持って、邑の端っこでうなだれている私の元へ来た。


「少しは。お騒がせして、申し訳ありません」

 

 私は飲み物を受け取って勢いよくゴキュゴキュと飲み干す。

 泣きすぎて水分を全部失うのではないかと思っていた私の体に、驚くような速さで水は沁みた。


「麗(れい)なにがしと言ったな。話せる範囲でいい、知ってることを教えろ」


 玄霧さんは周囲の惨状を改めてくるりと一瞥し。


「真実を語り残すことこそが、死んでいった邑人の、真の供養になる」


 力強い表情で、そう言った。

 おそらく彼ら翼州(よくしゅう)左軍(さぐん)というのは、地域の軍隊だろう。

 神台村が襲われたという報せを聞いて、ここまで来てくれたんだ。

 見たところ、邑を襲った連中は逃げてしまったみたいだけど。

 

「私と、邑の仲間の翔霏(しょうひ)っていう女の子とで、一緒に邑の外で地図を書く仕事をしてたんです。そのときに、邑の方から煙の臭いがして」


 そうして私は、思い出せる限りの情報を、玄霧さんたち左軍のみなさんに教えた。

 翔霏は、北の国境を越えた先の部族が怪しいと言っていたこと。

 大人たちは、周辺の邑で人さらいが多発しているのを気にしていたこと。

 それと関係あるのかないのか、よその邑や商人と食べ物や貴重品を取引するときに、上手く行っていない雰囲気があったこと。


「邑長(むらおさ)の家らしき建物に、大量の怪魔(かいま)の耳が置かれていたが、あれはなんだ? この小さな邑であれほどの数の怪魔を狩っていたのか?」


 玄霧さんの質問に、私は少し、誇らしい上向きな気持ちを取り戻しつつ、答える。


「さっき話した翔霏って子が、ほとんど一人でやっつけたんです。残りの少しは、邑長の孫の軽螢って男の子と、仲間の少年たちが」

「大したものだ。百以上は溜まっていたぞ」

「翔霏はたまに、一日で二匹も三匹も、退治することがありましたから」

「にわかに信じられんが、証拠の品がある限り、そうであるのだろうな。お前が虚言を吐く理由も無かろうし」


 バカにする口調ではなく、素直に感心したように玄霧さんは言った。

 そうだよ、翔霏は凄いんだ。

 軽螢も、軽螢の仲間のわんぱく少年たちも、やるときはやるやつらだよ。


「あ、あと」


 翔霏の雄姿と、怒り狂って敵に向かっていく恐ろしい貌(かお)が脳内をよぎり、私は思い出した。

 思い出したくもなかったけど。

 思い出さなければいけないし、伝えなければいけない、大事なことが。


「邑を襲った連中の偉いやつに、白馬に乗って長い刀を持った、髪の長い男がいました。その横に、日に焼けた肌の、片目に眼帯をした、女戦士みたいな人が」

「なんだと」


 それまで冷静に私の話を聞き、子分さんに書き留めさせていた玄霧さんの顔色が変わった。


「青牙部(せいがぶ)の覇聖凰(はせお)と邸瑠魅(てるみ)が、こんな内陸まで……?」


 どういう意味だろう。

 人の名前なのか、組織や団体の名前なのか。

 はじめて聞く言葉なので、よくわからない。


「貴様ら! 作業の手を停めろ! ここに集まれ!」


 聞き取った話をもとに、玄霧さんは仲間と情報交換、及び会議に入った。

 私は、兵隊さんたちが邑の広場に丁寧に整列させてくれた遺体の、一人一人の顔を見る。


「おじいちゃん、石数くん、オジサンオバサンたち、軍のみなさんが、きっと、仇を取ってくれるよ」

 

 彼らに声をかけながら、気付く。


「軽螢(けいけい)と、翔霏(しょうひ)の遺体がない」


 元々、邑の若い男性女性は、別の町に出稼ぎに行ってたりする。

 特に二十代三十代の男性は、邑には少ない。

 私たちのような若年層か、壮年のオジサンオバサン、赤ちゃんを育てている期間の若いお母さん、そしてお年寄りが人口の中核だ。


「翔霏たちじゃなく、他のわんぱく少年たちの遺体もない」


 ある程度の人数は、逃げたのか。

 それとも、奴隷狩り、人さらいのような形で、悪いやつらに連れて行かれてしまったのか。

 わからないけど、でも。


「生きてるかもしれないんだ。翔霏も、軽螢も、他の子たちも」


 軽螢は、なんか信用ならないところがあるけど、あの翔霏がやられて殺されるなんて、考えられない。

 ひょっとすると、逃げた悪者どもを追いかけて、そのまま戦いを継続しているかもしれない。

 軽螢、翔霏。

 私、生きてるよ。

 生きてれば、またみんなで、会えるよね?

 私の体に、わずかばかりの力が、気合いが戻ってくる。


「メエエエ、メエエエ」


 私と同じく仲間を失って、さまよう雄ヤギが一頭。

 荒れ果てた邑の真ん中で、虚空に向かって啼いていた。


「あの子、結局は食べられなかったんだ」


 いつだったか、屠殺して解体する話をしていたはずの、立派な体格のヤギだった。

 そうだよ、生きている。

 私たちは、生きているんだ。

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