七話 草食動物は草を食べて育つからその肉は実質草
軽螢(けいけい)は先日、元気がなさそうだった。
そこで心優しい私は、彼の様子を見ることにしたのである。
タイミングが合えば励ますくらいはと思い、軽螢の仕事を手伝う。
「メエエエェ」
雑草が生えた一画に連れて来られるヤギの群れと。
「よしお前ら、好きなだけ食えッ」
ヤギに号令をかける、軽螢。
もしゃもしゃ、バリバリ、と一心不乱に草を食むヤギたちの姿は、見ていて癒される。
今日の私は、ヤギの誘導をする助手だ。
「なるほど、畑を作る前の雑草除去に、ヤギに草を食べさせてるんだ」
邑(むら)で飼われているヤギの面倒を見るのは、主に軽螢の役割である。
ヤギを使役して雑草を取り除いたり、ヤギの乳搾りの指揮を執ったり。
私の想像はしかし、軽螢にあっさりと否定される。
「ここ畑じゃねえよ。新しい小屋か家でも建てるんじゃねえかな」
「また? 私が来てから、この短い間で何度目よ」
神台(じんだい)邑にいて驚いたのは、住民が頻繁に家や小屋を建て直していることだ。
埼玉県の団地で育った私にとって、家の新築やリフォームというのは、一生モノの決断と、多大な出費が伴う一大イベントというイメージだった。
しかし彼らの感覚はそれとは大きく違うようだ。
日常の中で家屋の建て増し、補強、取り壊しと新築が習慣化されている。
「古くなったら壊れるかもしれないし、古くなくても嵐や鉄砲水が来て壊れるかもしれないじゃンか」
「そりゃそうだけど」
「家が壊れるまさにそのとき、ってなっても知らないで寝てたら、潰されて死ぬじゃンか。だから丈夫な新しい建物にした方がいいだろ」
それが神台邑の住民が持つ、建築物に対する感覚のようだった。
武器を持たずに一人で外をうろついてはいけない、という危機意識と同様に、建物の安全性もかなり細かく神経を使っている。
だから神台邑の住人は、老若男女問わず、とにかくよく働く。
若干、パラノイアに近い慎重さのような気がするけど。
「家が壊れるほど大きな嵐、しょっちゅう来るもんなの?」
「俺が赤ん坊のとき、邑の食いもんが鉄砲水でほとんど流されたり腐ったりして、じっちゃんたち、木の皮も食ったって言ってた」
「え」
「俺の母ちゃん、確かそのときに死んだンだわ。体が弱って熱病になったってさ」
な、なんてこと。
軽率な質問をしてしまったことを、私は激しく後悔。
「ご、ごめんね。そうと知らないで。生意気なこと言っちゃって」
「いいよいいよ、麗央那(れおな)が気にしなくても。昔の話だって」
おかしい。
私は今日、軽螢の気持ちが上向けばいいと思って、ここにいるはずなのに。
彼を余計に傷つけてしまったかもしれない話をしてしまい。
あべこべに、私が慰められて、励まされてしまっている。
ちょっと勉強ができることを鼻にかけて、私は無意識に思い上がっていたのか。
海より深く、反省。
うう、自己嫌悪がひどすぎるわ。
「メエェ」
私がしょげていたら、立派なツノの雄ヤギがなんか寄って来た。
うい奴め、慰めてくれるのかな?
そう思っていたら。
「コイツも美味そうに肥ったから、そろそろ食いどきだなあ」
私の情緒の脈絡など全く無視して、軽螢がそう言った。
「食べるんだ」
「ヤギは放っておくとどんどん増えっからね。ある程度は増えたらさっさと食っちゃった方がいいンだ。増え過ぎっとこいつらも病気ンなるし」
動物も人間と同じで、一か所に集まりすぎると伝染病にかかりやすくなる。
そうならないために間引き、屠殺するヤギの見極めも、だいたい軽螢に任されているようだ。
大らかで気にしない軽螢の性格には向いている役目なのかな、と、私は勝手に思った。
その数日後。
「ヤギの食欲、恐るべし」
予定されていたエリアの雑草があらかた食べ尽くされた状況を見て、私は野生の生命力に感嘆するのだった。
これだけ綺麗に土が丸裸になれば、なにを作るにしても後の作業はやりやすかろう。
「野郎ども! 次のエサ場は柿の林の下だ! 行くぜ!」
「メエエエエエエエ!」
まだまだ食べ足りないヤギたちは、軽螢に導かれて邑の境界にある柿林に進軍する。
畑で桑の葉を摘んでいるときより、よっぽど生き生きしている軽螢であった。
その夜、すっかり暗くなった邑の中。
「やっぱり見慣れた位置にオリオン座も北斗七星もないな。ここはまさか南半球なのでは」
月星の光を頼りに、私は邑に点在し設置されている共同トイレに行って、部屋に戻るところだった。
星は見えるけれど、見覚えのある正座を把握できない。
神台邑のトイレはこのように、おそらくは肥料確保の利便性から、家屋の外にある共同式だ。
しっかりと男女別になっているのは良い。
「誰かヤギの柵の方にいるのかな」
夜風に当たり、星座を探し眺めて混乱し、のんびり戻っていると。
なにかゴシゴシこするような作業音と、人の声がする。
見ると、一頭のヤギに話しかけながら、その毛を繕って梳いている、軽螢の姿があった。
「今までご苦労さンなあ。お前は賢くて大人しくて手がかからなくて、俺も助かったわ」
桶に水を溜めて、熊毛のブラシと手拭いを使い、丁寧に丁寧に、ヤギの体を綺麗にしていく。
それはもちろん、いつだったかに「潰して肉にする」と話していた、立派な体格のあのヤギだった。
「メェェェ……」
自分の運命を知ってか知らずか、軽螢になすがままトリートメントされているヤギ。
気持ちよさそうに目を細めているのが愛らしい。
月と星の光の下、白く透き通るような佇まいの雄ヤギは、立派なツノのおかげもあり、まるで神聖な獣のようだった。
「アイヌのクマ送りみたい」
屠殺する動物を丁重にケアするというのは、なにも珍しい話ではなく、動物に限った話ですらない。
前近代の中南米では、生贄にして殺す人間を、一年間ずっと大切に、宝物のように扱うこともある、との話だ。
軽螢にとってこの行為が、感傷から来るものなのか。
宗教的習慣により儀式化しているものなのか、私は知らないけれど。
彼は泣くでもなく、喜ぶでもなく。
「翔霏(しょうひ)は臓物の乳煮込みが大好きだからな。お前は、翔霏の体の一部になって、たくさんの怪魔をぶっ倒すんだ。英雄になるんだぞ」
けれどどこか誇らしげに、慈愛を持って鷹揚な顔で、ヤギに死出の装いを施し続ける。
悪いものを食べてはいけないということは、逆を言えば、善いものを食べよう、ということである。
食べるためのヤギを「善いもの」にするために、必要な手順なのかもしれないな。
表情や動作を見ると、軽く、柔らかく、楽しそうな、いつも通りの軽螢だった。
可愛がっていたヤギが死ぬ、自分の手で殺すということを目の前にして、それでもなお、いつも通りなのだ。
いつも通りの自分であることを貫くこと。
言葉では簡単でも、それを実行するのがいかに難しいかくらい、小娘の私にだって、よくわかる。
ちょっと元気がなくて心配たこともあったけど、私なんかより軽螢はずっと大人で、強い。
「あんた、きっとイイ男になるぜ」
どこから目線かわからない謎の捨て台詞を、私は聞こえない程度の小声で残す。
私はちょっと濡れた目じりをぬぐい、その場をクールに去ろうとした。
「麗央那、遅いじゃないか。心配したぞ」
ちょうどそのタイミングで、私を心配して探しに来た翔霏の声が響いた。
あちゃー、台無しだわ。
「おわっ!? 誰かいンの? 麗央那と翔霏か?」
声にびっくりしてヤギのブラッシングを中断した軽螢。
当然、こっそり気付かれずにこの場から消えようとした私の姿は、あえなく月光の下に晒される。
「やあこんばんは。星が綺麗ないい夜だね」
私は適当なことを言ってはぐらかした。
軽螢がヤギの手入れをしていたのを見て、翔霏が尋ねる。
「そいつ、〆るのか? 手伝おうか?」
「明日か明後日にね。そンときになったら声かけるよ」
あっけらかんと、あっさりと。
二人とも、なんのこだわりもなくそんなやりとりをするのであった。
死にゆく命への崇敬と、生きて日々を送るための食欲と。
両者は矛盾も対立もなく、共存しうるのだなあ。
私はヤギの側へ寄り、毛並みがすっかりなめらかになった背中を撫でつつ、声をかける。
「今までありがとうね。あなたの命は、大事に、大事に、いただきます」
「ヴァー」
雄ヤギの短くも力強い返答が、夜空にこだました。
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