六話 与えられた役割は自己実現の本質足り得るのか
邑(むら)の大人たちに私はとり囲まれた。
なにやら不穏な空気になりつつある、そんな状況である。
「え、倉の台帳を失くしたのは私じゃないです。石数(せきすう)くんです」
「ちょっ」
私は躊躇なく年下の男の子に矛先が向くように弁明する。
ごめんね、泥を全部被ってあげるほど、私は聖人じゃないんだ。
「あぁ? それなら便所の脇に落ちてたよ。おめえさんが出した数量も、だいたい台帳の記録と合ってたわ」
「それはよかった。大人たちにガン詰めされる石数くんはいなかったんだ」
「助かったー」
こういうときはハイタッチだよ、と石数くんに教え込んで、喜びを分かち合う。
「ええい、ちょこまかと、じゃれてるんじゃねえ。麗央那(れおな)、おめえさんはあんな学を身に着けてるってことは、ひょっとして『泰学(たいがく)』の書生さんなんかよぉ!?」
「なにそれ。ぜんぜん知らない」
泰学とは一体なんぞや。
書生さんが云々と言っていたので、勉学に関わることであるのは想像できる。
私が受験して合格し入学するはずだったのは、東京の私立高校だ。
泰学というものに関しての単元やカリキュラムはなかったはずと、入学案内の範囲からは記憶している。
呆けている私の説明に納得せず、オジサンは更に私に詰め寄る。
「俺もなあ、昔は街の学府への及第を志して、おめえさんくらいの年頃にゃあ、夜の夜中まで勉強してたもんよ。鼻血が出るほどになぁ」
「ご苦労なさいましたね」
筋肉ムキムキで熊みたいなオジサンだけど、インテリ青年だった過去があるんだ。
少しばかり、私はオジサンに対する心の距離が近くなる共感を覚えた。
私も受験本番前に、寝言とか夢遊病とかあったなー。
試験が終わったら一気になくなったから不思議。
「大して身になりゃあしなかったがよ。それでも、おめえさんが数えた穀物、ありゃあ実に巧みな、算の技あってのことだ。耄碌(もうろく)した落第生の俺でもわかるってもんよ」
オジサンに続き、やっぱり名前も知らないオバサンも私に向かってクレームを投げる。
「なんで今まで、隠してたのよ~。もっと早く教えてくれれば~」
彼らはそう言うけど、私にも言い分はあった。
「私、邑に来たとき、最初に『埼玉の中学校を卒業しました』って言いましたけど」
「そんな、どこにあるかわからねえ田舎町の学童が、こんなややこしい算術をモノにしてるわけはねえだろう」
埼玉は、田舎じゃねえ!
と反駁したくなったけど、面倒臭いので流して、話を進める。
「いいですけどね。それで、なにが大変なんですか?」
「そうとわかりゃあ、おめえさんにやって欲しい仕事が溜まってんのよな。邑にある物資の数え直しと、それに税がどれだけかかるかも一から洗い直してえんだ」
「はあ」
気のない返事しかできない私であった。
ひたすら物の数を数えて、その後にひたすら、消費率だの損耗率だの税率を計算しろという話だろうか。
やってやれないことはないと思うけど、激しく面倒ではある。
オジサンだけでなくオバサンも立て続けに、注文を付けて来る。
「邑の周りに植えてる栗の木とか柿の木とかも、高さを測り直したいのよね~。どの木を伐ればどれだけ材木が採れるか、伐る前にわかるならその方がいいじゃな~い?」
「この私めに、測量までもをやれとおっしゃいますか」
うーん、確かに地上から木の頂上までの角度を出せば、木の高さもだいたいわかるけどさ。
おっきな分度器と三角定規セット、それとコンパスでも作るかな。
「どうだい、できそうかねえ?」
「やってくれると、助かるのよ~」
「麗央那なら、できるよ!」
オジサンオバサンからキラキラした眼差しを浴び、話を理解しているのか怪しい石数くんの励ましも受けて。
「わかった、わかりました。お世話になってる以上、けちな小娘でございやすが、力を尽くさせていただきます」
答えるべき言葉は、それしかないのだ。
小心者なので、面倒なことでもついつい、請け合ってしまうのです。
この邑に対する恩とかも、甚だしく大きいからね。
嘘、私の社畜適性、高すぎ?
「ん、話はまとまった感じ? よかったよかった」
今までどこに行っていたのか、軽螢(けいけい)がおやつの草団子をかじりながら顔を出す。
「あんたがみんなに余計なこと言い触らすから、仕事が増えたんだけど」
憎まれ口の一つも叩きたくなる。
「大丈夫大丈夫、麗央那なら上手くやるって」
相も変わらず、無根拠に楽観的な軽螢であった。
でも、実に不思議なことで。
軽螢に「大丈夫大丈夫」と言われると、本当に、そんな気になってくる。
そして、これは恥ずかしいから誰にも言わない、私の胸にだけしまっておく感情だけど。
誰かから期待されて、必要とされるというのは、気分のいいことなのだった。
今まで、助けられてばっかりだったもんね。
翔霏が帰って来る前に、部屋でちょっとだけ泣いたのは秘密だ。
「はあ疲れた」
私は結局、その日のうちに米の倉と麦の倉の在庫も調べて、帳簿の記録と大きなズレがないことを確認した。
食料関係は全体的に、記録上よりも実際の分量が少なく存在しているのも想定通りだ。
穀物は時間が経つと水分が蒸発して、重さは軽く、体積は小さくなるからね。
神台(じんだい)邑では稲作は小規模でしか行われておらず、倉にある米の大部分はよそから買ったものだ。
邑の人口に対して、すべての品目を合わせた総収穫量はどれくらいなのか。
消費する分、売り買いして増減する分、最終的に余る分は、どれくらいなのか。
そういったことを細かく記録し、計算し、来年度以降の予測を立てることも、邑を管理する長老さんがたにとっては、重要な案件なのだな。
「お疲れさん。麗央那、俺、将来は街で豆腐屋を開きたいんだよな。豆腐が好きなんだ」
助手として横で応援だけしてくれていた石数くんが、そんな未来予想図を語る。
計量した物資の中に大豆があったから、その流れだろう。
「私も好きだよ、豆腐。栄養あるし。繁盛するといいね」
疲れているので、対応がおざなりになる私。
照れくさそうに鼻をススンと指でこすって、石数くんは続ける。
「で、でも勘定とか俺は苦手だからさ、麗央那を雇ってあげるよ。一緒に店をでっかくしような」
「それはありがたい申し出ですな。せいぜいいい暮らしができる給料をお願いしますよ」
年上の人間が小さな子どもの純真な夢を、否定してはいけない。
豆腐屋の主人だって、立派な仕事であるのは間違いないからね。
人懐っこい石数くんなら、いい商売人になるのではないか。
「約束だかんな! じゃーね!」
「ばいばーい」
勢いよく、石数くんは家に走って帰った。
若者はええのう、と思う十五歳の北原麗央那でありました。
「おじいちゃんたち、まだなんか話してるな」
もうじき夕食だというのに準備もうっちゃって、邑の会堂では何人かが集まって白熱した議論が行われている。
外にもその声は漏れて聞こえてきた。
「勝手にそんな取引すると、州の取り決めがなあ……」
「うちもそんなに余裕があるわけじゃないからのう」
「あの連中、そもそも信用できるのかしら~」
「北辺の人さらい、まだ増えてるって話じゃねえか……」
なにか難しい、あまり愉快ではない議題について話し合っているようだ。
半ば部外者であり、事情を深く知らない小娘の私が、余計な首を突っ込むことではないか。
そう思っていると、うんざりした顔で軽螢が、会堂から出てきた。
話し合いに参加していたらしい。
「大変みたいだね」
「ン? いやあ、そんなでもないよ。大丈夫、大丈夫……」
いつもより歯切れが悪くそう言った。
そのうち、外の用事を済ませて翔霏も戻って来た。
大人たちの会議が長引きそうだったので、私たち若年組は先に夕食を済ませることに。
「コイツはいったい全体、なぜこうもしみったれた顔をしてるんだ。拾い食いでもして腹を壊したのか」
軽螢の様子がいつもと違うので、翔霏も違和感を持ったようだった。
心ここにあらずといった風で、ご飯も半分しか手を付けていない。
「軽螢、これ食べないの? 貰っちゃうよ?」
ひょい、と石数くんが横から軽螢のおかずを盗む。
「……ん? ああ、いいよいいよ」
大好物であるはずの、カエル脚ピリ辛焼きを奪われても、軽螢の反応は薄い。
「そうか、なら私も」
便乗して、翔霏も軽螢の貴重なおかずを箸に取った。
今度は気付いてすらいないようだった。
みんなが食事を終えるころ。
「あれ、今日の俺のメシ、なんか少なくない?」
そんな軽螢の嘆きが聞こえたのだった。
私も煮豆を少し貰った。
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