三話 鹿が多いことを指して麗しいと云う

「あれ、なんか一人、増えてンね」


 私たちは翔霏(しょうひ)さんのお仲間の、応(おう)軽螢(けいけい)さんという男性と合流した。

 短髪に鉢巻をして、背中に大きな籠を負っている。

 どうやら山菜などを集めて入れているらしい。


「旅の途中に道に迷ってしまったらしい。危うく怪魔(かいま)に食われるところだった」


 翔霏(しょうひ)さんが先ほど退治したバケモノの耳を軽螢さんに渡して、軽く事情を説明した。

 軽螢さんも翔霏さんも、年のころは私と同じくらいだろうか。

 二人とも顔にはまだ少年少女のあどけなさが見え隠れしていた。

 軽螢さんは私、見知らぬ水浸しの擦り傷女を見て。


「そっか。ま、大丈夫、大丈夫」


 と、詳しい話を聞くまでもなく、自分で結論を出し、納得して歩みを再開した。

 いや、ちっとも大丈夫じゃねーよ。

 突っ込みそうになったけど、耐えた。


「ど、どうも、お世話になります。北原(きたはら)麗央那(れおな)と言います」


 私は軽螢さんに軽く自己紹介をして。


「見事な鹿の群れが真ん中にいる邑(むら)、か」

 

 と、私のファーストネームへの端的な感想を貰った。

 言われて私は、麗央那という名前に使われている漢字三文字を脳内で分解してみる。


 麗という字は、両という部首、かんむりの下に鹿と書く。

 立派な鹿が並んで連なる光景を、昔の人は美しいと感じて、この字を充てたのかもしれない。

 央は文字通り中央の央。

 最後の那という漢字は、仏教系で使われることの多い字だ。

 時間や空間を広く示す概念的な字だけど、単純に「場所」を意味することもある。

 部首であるおおざとへん、右についてる耳みたいなやつは、本来は読みの通り「大きな里、立派な村」を表す。


「確かに、そういう意味になりますね」


 思考の末そう結論付けて、私は軽螢さんにそう答えた。

 自分の名前を、そういう角度で真面目に検証したことはいままでなかった気がする。

 しかし。


「なんか黙って難しい顔してると思ったら、自分の名前の意味を今更考えてたン?」


 と、なんとなく、バカを見るような目で、呆れられた。

 いいじゃないかよう。

 お母さんから聞いた話によれば、麗央那という名前は、麗しく、堂々と、という意味だ。

 お父さんがつけてくれた、ってこと以外、よく知らない。

 名前負けしている自覚は、正直小さい頃からあるのだ。

 ともあれ、ここから少しの間、私と軽螢さん、ときどき翔霏さんの、邑(むら)へ行く道中の会話を記すことにする。


「あの、私、正直どうして自分がここにいるのか、わからないんですけど」

「頭でも打ったンかね。大丈夫大丈夫、邑に行けば薬もあるし、じっちゃんはツボの名手だから」


 だから、そうじゃねーんだよ、と私は反論したかった。

 しかしそんな私を尻目に、軽螢さんは口笛を吹きながら、道端の石ころを蹴飛ばしながら、悠々と歩く。

 私は話題を変えた。


「さっきみたいな、大きい犬の怪物は、また出ますか?」


 とりあえず目の前の、喫緊(きっきん)の重大問題について質問する。


「どうかな? まあ出ても大丈夫だよ。翔霏がブッ倒してくれるから」


 なにも特別なことではない、と言うような口調で、軽螢さんは言った。


「お前も少しは手伝え。なぜ毎度毎度、私ばかり走り回らなければならないんだ」

「俺が待てって言っても、翔霏が走って行っちゃうンだろ。いいじゃん、なんとかなったンだし」


 クレームも、軽い態度で受け流していた。

 翔霏さんも特に表情を変えていないので、別に不愉快なやりとりではないらしい。

 二人が信頼し合っている様子がうかがえる。

 もっとも、翔霏さんは常にクールなポーカーフェイスを崩していない。

 機嫌がいいか悪いかは、正直不明だ。


「あと私、親にも連絡を取りたいんですけど」


 目下、最大の懸案事項についても、もちろん相談する。

 ここはどこで、どうすれば家に帰れるのだろう。

 電車や道路などの交通手段はどうなっているののか?

 電話や手紙などの通信手段は?

 邑というところに行けば、それらはちゃんと整っているのか?


「親御さん、てっきり、はぐれたのかと思ったけど、違うン?」


 軽螢さんにそう聞かれて、私は首を振った。


「その、一人で用事を足しに出かけてたら、いつの間にかここにいて」

「得物(ぶき)も持たずに一人でこんなところをうろついては、いけない」


 私の説明に、相変わらずの無表情で、でも口調は厳しく翔霏さんが戒める。

 いや、こんなところと言われましても。

 来たくて来たわけじゃ、ないです。

 武器なんてそもそも持ってない。


「そうそう、俺と翔霏がいくら狩っても、どこからともなく怪魔(かいま)が出て来るんだよなあ。誰かが喚(よ)んでるンかな?」

「軽螢はろくに退治の役に立っていないだろう……」 

 

 といった二人のよくわからない話を聞きながら。

 歩くこと体感にして二時間弱、私は彼らが言う「邑(むら)」に、無事に辿り着いた。

 そこで私は、邑の入り口に建てられている、直方体の細長い石碑を目の当たりにするのだった。

 優雅に駆ける鹿の絵と、漢字が彫られている。


「中国語、じゃないな。なんだろ?」


 その石碑には、こう書かれてあった。


「翼州公塀 此廻環濠 以為結界 欲無恙乎 名神台邑」


 一見すると中国語、漢文のようだけど、違うとハッキリ言える理由がある。

 それは「塀」という漢字は、日本で独自に作られた「国字」であるために、漢文に登場することはありえないからだ。

 しかしその、日本語の古文でもなければ中国由来の漢文でもない、この石碑の銘文を、私はなぜか、不思議と、スラスラ読めるような気がした。


「翼州(よくしゅう)という地方の公爵である塀さんが、この邑の周囲にお堀、溝を掘ってめぐらせて、結界のような意味を持たせた。以後、なにごとも災いがありませんように、と願い、神台邑(じんだいむら)と名付けた」


 邑の周囲をめぐらす環濠には、水が張られていた。

 江戸城や姫路城といった有名なお城と同じく、水濠(すいごう)の様式が採られているのだ。

 私の独りごとに、翔霏さんが相変わらずの、古い樹木のような無表情で返す。


「随分と昔の話らしいがな。州公さまが呪力を用いて、邑に結界の環濠を掘ってくださったのだそうだ」


 続けて軽螢さんが、うんうんと頷きながら。


「そのおかげで結界の中には怪魔が入って来ない。ありがたい話だよ本当に」


 どうやら私の読解は、大意として間違っていなかったらしい。

 え、どうしてこんな、由来不明の謎文章が私は読めるんだろう?

 受験勉強のしすぎで、頭がおかしくなったのだろうか?

 などという私の思索をよそに、軽螢さんはずんずんと邑の中に歩みを進めて。


「さ、まずはじっちゃんたちに紹介するからさ。ややこしい話はそこでしようよ」


 そう促され、私は小さな邑の中央に位置する、比較的大きな建物に案内された。

 おそらくは邑の集会場的な公堂だろうか。

 神棚のような仏壇のような、なにかの祭壇と広間があるだけで、生活の気配はない。

 彫刻が施された立派な石の箱が、丁重に祀られていた。


「ただいま。珍しい客を連れて来たぞ。サイタマ? とかいう遠く地の果てから来た、麗さんだそうだ」


 翔霏さんが集まっている人たちに、私のことを紹介してくれた。


「は、はじめまして。よろしくお願いします」


 私は自分が知らない間にここに来て、これからどうしたらいいのか。

 なにもわからないという現状を、みなさんに正直に伝えた。

 簡単な生まれ育ち、家族構成、東京で買い物をしていて、なぜかここにいきなり来ていたこと、など。

 事態が好転すればいい、と強く願った私だったけど。


「うーん、さっぱり、お前さんの言うとることが、わしにはわからんのう」


 邑の長老の一人であるという、軽螢さんのおじいさん。

 名を応(おう)雷来(らいらい)という、髪の毛のないおじいさんに、そう言われた。

 他に集まってくれたみなさんの口からも、似たようにお手上げな意見が上る。


「そもそもサイタマっちゅうのはどこじゃいの」

「先の大戦で、そんな名前の町が滅ぼされたって聞いた気がするべえ」

「駅なら山ひとつ向こうにあるけど、月に一度、馬しか来ないわよ。その、デンシャ? って言うのはなにかしらねえ」


 つまるところ私、北原(きたはら)麗央那(れおな)、十五歳は。

 日本でも中国でもない、電気も通っていない謎の土地、文明圏に。

 女独りの身で、放り出されてしまったようだ。


「詰んだ」


 私は思わず、再度、独りごちるのだった。

 そんな私の絶望をよそにして。


「色々あって疲れとるじゃろう。ほれ、そこに横にならんか。ツボを押しちゃるわい」


 雷来おじいさんに、背中と首と足の裏のツボを押して貰った。

 旅の疲れを取るのと、頭をスッキリさせるために、との理由だ。


「ンギィ~ッ」


 痛みと快感で、私は変な呻き声を上げたのだった。

 でもこれは、癖になりそうな心地良さだった。

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