第59話 マクシミリアンの恐怖政治からマリー・アントワネット女王誕生へ


 18世紀半ばからイギリスで起こった産業革命は、石炭利用とそれにともなう社会の変革のことである。この新しい世界では前倒しで早くも始まっている。おれが鶴松に転生して以来、数々の時空移転が歴史に様々な影響を与えているようだ。

 ここはロンドン・ロスチャイルド家の執務室である。口出しはしないと言っていたはずなのだが、ネイサンと向かい合って座わる王妃さまの提案がしっかり続いている。


「イギリスではこれから産業革命が起こり、鉄の需要が高まりますから、製鉄事業に乗り出すべきです」

「…………!」

「また戦争の混乱によりドイツでは綿製品が不足して価格が高騰すると思われます。ですからイギリスで大量生産されていた綿製品を安く買い付けてドイツに送れば莫大な利益を上げるでしょう」


 背後におれの情報があるなどとは思いもしないネイサンは、王妃さまの提案に驚きの表情を浮かべる。

 この時点までネイサンは、この王妃はお菓子を食べながら宮廷でおしゃべりをするだけの、世間知らずだと思い込んでいた。マリー・アントワネットから共同経営の話があった当初は、自分がリーダーシップを握ればこの王妃などどうにでも支配出来るとふんでの共同経営だったのだ。


 ロスチャイルド家は大規模にアメリカ公債を引受けたり、ヨーロッパでも鉄道事業に積極的な投資を展開していたが、債権国同士が対立する時代になると、その兄弟間の国際協調に限界がくる。

 相次ぐ戦争と各国での国家主義の高揚により、衰退が始まったのである。ロンドン家とパリ家は繁栄していたが、フランクフルトの本家はネイサンの提案を聞かず、発祥の地フランクフルトに固執して新しい金融の中心地ベルリンに移ろうとしなかった。ために衰退し、ウィーン家もハプスブルク家と運命をともに没落していった。ナポリ家に至っては危機的状況に陥っている。王妃はそんなロスチャイルド家の内情を的確に言い当てたのだ。


「まず初めに家長のフランクフルト家、さらにナポリ家も家業を閉鎖する事態に追い込まれます。そして世界規模の大戦が起こると、ウィーン・ロスチャイルド家は財政が危機的となり、やがてオーストリアの内乱で閉鎖となるでしょう。最後まで残るのはロンドン家とパリ家です」


 この世界はおれの知る歴史とは微妙なずれを生じており、全て前倒しが原因の様で、おれの知識も次第に通用しなくなってくる。それでもおれの知識はネイサンに比べたら段違いだ。マリー・アントワネットの遠大な予言とも取れる話に、ネイサンは言葉を失っていた。


 マリー・アントワネットが残したとされる言葉「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」からもわかるように、彼女は貧しい市民たちに目もくれず、豪華絢爛な日々にどっぷり浸っていたとされる。そして彼女こそがフランス財政破綻の根源であったと理解されがちだ。

 しかしそれは非常に誇張された話だった。確かに彼女は今までの王族同様に華美な生活をしていた。だが彼女がフランスの財政を破綻に陥れるほど浪費したという証拠はどこにもなく、実は彼女が敵国ハプスブルク家の出身であったことを妬んだヴェルサイユ宮殿内の貴族たちの企みによって、そのように誇張したイメージや噂がパリ中に広められたというのが真相のようである。

 あのオーストリア女と陰口を叩かれ、浪費家の王妃、フランスの悪の根源と市民の怒りを爆発させるはけ口となってしまったのだ。




「ユイト、貴方にお願いがあります」


 スターバックスの席で、王妃さまは言葉を改めるようにしておれに話し掛けてきた。


「私には復讐しなければならない者が居るんです」

「えっ!」


 スプーンを置いた王妃様の口から、復讐などと穏やかでない言葉が出てきたのだ。

 マクシミリアン・ロベスピエール、それが王妃さまの復讐する相手だと分かる。ルイ16世をギロチン台に送った男だ。ただ史実ではワーテルローの20年も前にロベスピエール自身がギロチン送りにされているから、この作品では前後関係がかなり変わっています。

 そして余談ですが、ギロチンが発明された当初、それを見たルイ16世は「平な刃を斜めにすればもっと良く切れるのではないか」と発言したという話が伝わっています。ギロチンは首切り役人の負担を減らして、更に失敗も無いから人道的だと、当時の人々からは思われていた様です。



 マクシミリアン・ロベスピエールの恐怖政治により、僅か1カ月半でパリの断頭台は1千人以上の血を吸い込んだ。フランス全体では約2万人が処刑されたという。処刑方法はギロチンがよく知られている。

 そのロベスピエールは議会演説で「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」と主張した。


「私の復讐の為だけではありません。フランス人民の為にもあの男の暴走を止めなくてはならないんです」


 王妃さまは固い決意をあらわにしたのだった。



 ロベスピエールは人民の蜂起を求める演説を巧みにおこない、穏健な思想を持つジロンド派を追い落とす。人民軍の指揮は仲間のアンリオがとることになった。アンリオはまずジロンド派の中心的な人物、ロラン子爵夫人を逮捕する。美貌に加えて並外れた知性と教養を持っていたが、平民出身だったために貴族に受け入れられず、共和主義者になる。フランス革命を主導した人物のひとりとなり、捕らえられた夫人は失意のまま処刑された。

 翌日は武装した群衆を率いて国民公会を包囲、逃亡しようとする議員29名と大臣2名を拘束する。のちに数人は処刑され、ふたりは自殺した。こうしてロベスピエールが率いるジャコバン派の独裁が開始される事となる。暴徒を利用しただけで、正当性などどこにも無い。人の命など簡単に断つ事が出来る、そのような力による恐怖こそロベスピエールの正義だった。


 史実では1793年10月、王妃マリーアントワネットが処刑されます。両手を後ろ手に縛られた彼女は、群衆の見守る中を刑場に送られた。6年にわたるフランス革命が終わる2年前に、ギロチンによる刑が執行されたのだ。それまで息を殺して王妃の処刑を見守っていた群衆は「共和国万歳!」と叫び続けたという。取り巻いていた群衆が引き上げた後も、数名の憲兵がしばらく断頭台を見張っていたが、やがて彼女の遺体と首は刑吏によって小さな手押し車に載せられ運び去られた。


 その後、王妃の処刑に反対していたジロンド派の粛清が行なわれ、21人のジロンド派全員が死刑判決を受けた。皆ギロチンで処刑されたが、要した時間はわずか30分ほどであったという。ひとりの首を平均2分も掛からずに切り落としていったのだ。さらにパリ市長も処刑された。国王ルイ15世の愛妾であったデュ・バリー夫人は金持ちというだけで処刑された。また有名な科学者は共和国は学者を必要としないという理由で処刑された。ルイ16世の死刑に賛成票を投じた王族のオルレアン公も処刑された。これを暴走と言わず何と言うのか。もうめちゃくちゃだ。

 反革命容疑で逮捕拘束された者は全国で約50万人、死刑の宣告を受けて処刑されたものは約1万6千人、それに内戦地域で裁判なしで殺された者の数を含めれば約4万人にのぼるとみられる。

 誰も彼もが処刑されるのは既に恐怖政治の末期症状だ。スターリンも最後は処刑を遂行する部隊の者まで殺したと言われている。



 オーストリアがプロイセンと軍事同盟締結して、フランス包囲網を形成すると、フランス立法議会はオーストリアに対して再び宣戦布告を決定した。しかし貴族将校達は恐怖政治を恐れて既に亡命しており、作戦指導をできる優秀な将官はいない状態となっていた。

 戦地ではよく訓練されたオーストリア=プロイセン同盟軍が進撃を始めると、未訓練の義勇兵を中心としたフランス軍は、統制を欠いて戦える状態ではなかった。各地で敗北、敗走を重ねていった。

 一方フランス国内では、ロベスピエールは急進派を味方にして革命の主導権をさらに掌握しようとする。だがその思惑とは裏腹に、国民はもう恐怖政治に嫌気が差すようになっていた。ジャコバン派の一部はロベスピエールを打倒しようと画策し始める。そして再び穏健派と強硬派は対立。いつまでも収まらない闘争に嫌気が差したのか、ロベスピエールは公の席にほとんど姿を見せなくなっていた。その間にも反対派の陰謀は進行していたのだった。

 しかしロベスピエールが国民公会にやっと姿を見せると、議員達を震え上がらせる発言をする。


「粛清されなければならない議員が此処にいる」

「――――!」

「誰だそれは?」


 議員達は皆その名前を言うように要求したが、ロベスピエールは拒否。攻撃の対象が誰なのかわからない以上、全ての議員はギロチンの恐怖に沈黙するしかない。もう同志もなにも無い、ロベスピエールの気分次第で仲間の誰もがギロチン送りになる可能性を秘めている。


「ユイト、これを国民公会のテーブルに置いて欲しいんだけど、出来るかしら」


 それは王妃さまが書かれたもので、ロベスピエールが逮捕されるべき人物としている議員達のリストだった。


「トキ頼むよ」

「いいわよ」


 おれはトキに頼んで、議員達に気づかれないように、そのリストを国民公会のテーブルの上に置いてきてもらった。もちろんこれは捏造だが、そのリストを回し読みし、自分の名前を見た議員達は驚愕する。同志タリアンの名前もあるではないか。反対派たちの結束はこれで決定的なものとなった。

 翌日、ロベスピエールらは国民公会に臨んだ。そこでロベスピエール擁護の演説を始めると、突如タリアンが立ち上がり激しく野次った。


「昨日同じように孤高を気取っていた奴がいたはずだ。黒幕を切り裂け!」

「そうだ!」

「そうだ」


 突然の野次にロベスピエール擁護の演説は止まってしまう。さらに議長は繰り返し発言を求めるロベスピエールらを阻止。議場から他の野次が次々と上がった。


「暴君を倒せ」

「奴は暴君だ!」

「暴君は誰だ」


 鳴りやまない野次と怒号が飛び交う中、タリアンはロベスピエール達の逮捕を要求した。採決が求められると、ロベスピエール擁護の声は反対派の怒号にかき消され、議長は全会一致だと宣言。プロスクリプティオ(特定の人物を国家の敵として、法の保護の外に置く措置)が決議された。

 恐怖政治も凄いが、法の外に置くと言うのも無茶だろう。そう決めつけられた者は何をされても文句は言えないというわけだ。


 その後、パリ市のコミューンが蜂起し、その混乱に紛れてロベスピエールらは市庁舎に逃げ込む。そこにまだロベスピエールを支持する40人前後の兵士や、武器を手にした暴徒が集結して来たのだ。

 王妃さまはおれと共に移転してもらったが、数十人の殺気立ったロベスピエール支持者達を前に困惑していた。


「ユイト、どうしましよう」

「王妃さま、後ろをご覧になって下さい」


 雨に濡れて黒く光る石畳のパリ市庁舎前で、王妃さまにおれは声を掛けた。

 周囲に甲高い蹄の音が満ちている。


「――――!」

「バルク隊長です」


 フランス革命が起こった直後に、マリー・アントワネット王妃の脱出を支援した、タタール人傭兵騎馬軍団がいつの間にかそこに来て居た。それを見た王妃さまは、歓喜の笑みを浮かべたが、おれは肝心な事を言った。


「私は後ろにいますから、軍団の指揮をお願いします。これは王妃さまの戦いです」

「分かりました」


 王妃さまが進み出る。軍団の先頭で騎乗しているバルク隊長は、少々大げさなそぶりで会釈をすると声を掛けた。


「王妃さま、御命令を」


 王妃に率いられた軍団が一斉に剣を抜くと、その後はあっけない展開だった。対抗する兵士は銃を手にしているのだが、暴徒達は剣を振りかざして向かって来るプロ戦闘集団の迫力に後退りを始める。

 さらにバルク隊長の一喝と、初めて見るタタール人騎馬軍団に圧倒された兵士と暴徒達は、ついに無抵抗で引き上げ、軍団はやすやすと市庁舎を占領したのだ。逃げていた議員の中には諦めてピストル自殺をする者もいたが、ロベスピエールは後から来た国民公会の率いる軍に逮捕される。

 バルク隊長の騎馬軍団はいつの間にか居なくなっていた。その後、ロベスピエールらは牢獄に連行されて短い最後の夜を過ごした。


 翌日、かつてロベスピエールの指示に従って反対派を断頭台に送り込んでいた革命裁判所の検事はロベスピエールらの死刑を求め、裁判長より死刑判決が下された。

 その日の午後、ロベスピエールら22人は革命広場でギロチンにより処刑された。翌日には70人のコミューンのメンバーが処刑され、そのさらに翌日には12人が同じ罪状で処刑された。ジャコバン派の生き残りは、同年から翌年にかけて次々に逮捕され、死刑に処せられた。

 恐怖政治を終わらせたマリー・アントワネットの噂も、パリ市民は皆聞いていた。あのオーストリア女、贅沢三昧の浪費家と評判の悪かった王妃が、なんと騎馬軍団を率いてロベスピエールを追い詰めたのだ。

 王政復古の可能性は流動的であったが、戦争に疲れて平和を求める世論に押されて戦勝国も妥結した。

 そしてマリー・アントワネットはついにフランスの宮廷に戻って来た。


 史実では第6次対仏大同盟軍はルイ17世を復位させた。新憲法は全フランス人の法の前の平等をうたっていたが王侯貴族の特権を大幅に温存していた。

 戦後フランスは7億フランの賠償金の支払を課せられ、その国境は縮小された。ワーテルローの戦いの後120万の外国兵に占領されたが、最終的には約20万の兵が占領するとされ、賠償金に加えて占領軍の駐留経費負担の支払が課せられた。


「ユイト、私は宝石の全てを売る事にしました」

「えっ」

「そんな物が無くっても生きていけるでしょ。それよりも、カレーライスのレシピを教えて」

「はっ?」


 王妃さまは宝石を売った代金を賠償金返済の一部に当てると言うのだ、もちろんロスチャイルドの件で手に入れた資金もある。そして戦争で疲弊した市民たちの生活を支援するプロジェクトを立ち上げると、その一環としてカレーライスを作って庶民に食べさせたのだった。

 王妃さまの計画は、即刻国民公会の議員達に知らされる事となった。

 マリー・アントワネットは宮廷に戻って来たが、ルイ16世は処刑されて跡継ぎも居ない今、フランスに残された王族はマリー・アントワネットしかいなかった。


「マリー・アントワネット女王万歳!」


 誰かが叫んだ。







 ここは宮廷とはほど遠い我がアパートだ。食事をカレーライスにしようかと話し会っていた、ある日の事だった。また結菜さんが歓声を上げた。


「キャー!」

「どうしたの?」

「王妃さまからメールよ。ちがった、女王さまからよ」


 メールにはマリー・アントワネット女王からの短いメッセージが書かれていた。


「お願い、またカレーライスを食べさせて。それから後でストロベリー・フラペチーノもね。マリーより」

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【改訂版】その2 剣豪とタイムマシンとカレーライスと @erawan

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