第58話 王妃さまからのプレゼント


 ロンドンでの国債取引の後、王妃さまからは丁寧なお礼の手紙とプレゼントが送られて来た。


「結菜さんこれを見て!」

「なに?」


 王妃さまからのプレゼントだという宝石箱がふたりの前に置いてある。その蓋を開けると、中から顔をのぞかせたのは、ひとつが指の先ほどもある大粒のダイヤモンド計112個があしらわれた、長さ18センチ強、重さ97グラムものブレスレットだった。

 

「えっえっえっ!」


 結菜さんは正に目をダイヤモンドの様に輝かせて絶句した。

 王妃さまが今回の投資で得た利益の何パーセントかは謝礼として渡したいと言って来たのだが、固辞すると代わりにと送って来たものだった。宝石箱にはメッセージが添えられていた。


「ユイナさん、身に付けないのであれば、売ってしまっても構いませんよ」と、


「王妃さまはおれ達の生活の実態をよくご存じだな、結菜さん」

「……それって、皮肉なの?」

「いや、そうじゃないよ」


 それにしてもこのブレスレットは豪華すぎる。とても結菜さんが身に着けて出かけるようなものではないだろう。それにこのアパートに置いておくのは不用心だ。


「結菜さん、やっぱりこれは王妃さまの仰る通り、売りに出そう」

「そうね……」


 そう言いながら、結菜さんはいつまでもブレスレットをなでていた。



 ブレスレットは高額な美術品などの競売で有名なサザビーズに鑑定を依頼した。

 但しマリーアントワネットの所有していたものだとは言えない。その様な試みは秀吉の造らせた大判金貨を現代に持って来た時に失敗している。

 このブレスレットも本物なら2百年もの時を経ている。ダイヤモンドはくすんでしまっているはずだ。しかし18世紀から時空移転されたブレスレットは、造られたばかりの輝きを見せているのだ。歴史的価値ではなく、宝飾品としての価値を見てもらうしかない。それでもマリーアントワネットの所有していたものとそっくりだと評判になり、とんでもない鑑定結果が出た。


 2014年に南アフリカで発見されたダイヤモンド「ジョセフィンのブルームーン」が競売に出された時は4863万4千スイスフランで落札。競売額としては、ダイヤモンドとしても1カラット当たりとしても価格も過去最高の記録を更新した。


 マリー・アントワネット王妃さまが所有していたダイヤモンドのプレスレットは、スイス・ジュネーブで競売に掛けられる。745万9千スイス・フラン(約9億2千万円)で落札されたのは、送られてきてから約6カ月後の事だった。出品者は匿名としてもらった。


「この驚くべきブレスレットは、まるでマリーアントワネットの所有していたもののようであり、本物ならフランス史で最も重要な時代を物語るもので、魅力と栄光、ドラマが染み込んでいる」と競売では評された。


「王妃さま、これで彼のイギリス・ロスチャイルド家は破産するかもしれません」


 もう常連となっているスターバックスの奥まった席に、おれと結菜さん、そしてストロベリー・フラペチーノを前にした王妃さまがいる。


「しかし、今回の狙いはそこではありません」

「…………」


 王妃さま、正確には元フランス王妃マリー・アントワネットは、スプーンをソーサーの上に置くと、おれの顔をじっと見つめ、次の言葉を待っていた。

 スターバックスで、おれは王妃さまにロスチャイルド家がこれから辿る苦難の歴史を話し、理解して頂いた。王妃さまにはネイサンに接触すると、おれとの打ち合わせ通りにイギリス・ロスチャイルド家の共同経営者となる話を持ち掛けてもらうのだ。





 重厚な調度品で埋め尽くされたネイサンの執務室に座る王妃さまは、ロスチャイルド家の先行きに暗雲が垂れ込めていると話し始める。


「ベルリンへの移転は断られているのではないですか?」

「――――!」


 ネイサンは本家が発祥の地フランクフルトに固執して、新しい金融の中心地ベルリンに移ろうとしない事を心配していた、本家は考えが古いと。そんな兄弟間の意見が別れている事や、さらにロスチャイルドがこれから辿る厳しい道のりと、世界の変化を重ね合わせて聞かされたネイサンは眼を見開く。世界情勢はともかく、この方はなぜそんなロスチャイルド家の内部事情まで知っているのか。秘密は固く守られているはずなのに。ワーテルローの戦いはフランスで戦われたのだから、元フランス王妃のマリー・アントワネットがいち早く戦況を知ったとしてもおかしくは無い。だが、ロスチャイルド家の内情をそこまで詳しく知っているとは信じがたい事だった。


 しかしその資金出費の提案は、イギリス国債を殆ど全て失った今となっては、この上なく魅力的な話である。今回の損失分全てを無利子で提供しようと言われたのだ。これでイギリスに対する発言権も回復出来るかもしれない。さらに共同経営とは言っても、ネイサンの手腕を尊重して、資金を出すだけで、口は出さなくてもいいとまで言っている。ついにネイサンは王妃さまの提案を受け入れ、ここに新生ネイサン・ロスチャイルド家が誕生したのだった。

 その後は、王妃さまの声掛けで、ロスチャイルド家一族全員がハプスブルク家より男爵位を与えられ、また五兄弟の団結を象徴する五本の矢を握るデザインの紋章も与えられた。




 今回の話でおれは表に出ない事にした。王妃さまの後ろから手助けをする、裏方に徹しようと決めたのだ。おれが出て行くとまた面倒な事になるだろうからな。

 しかし王妃さまの提案を呑んだネイサンではあったが、未だに釈然としないものを抱えているらしい。

 何度も、どうしてワーテルローの結果を早く知る事が出来たのか、またロスチャイルド家の内情に何故そんなに詳しいのかと、探りを入れる質問をしてくるという。王妃の後ろには並外れた経済ブレーンが存在しているに違いない。ネイサンはそれを知りたがっているようだ。


「王妃さまはどう答えていらっしゃるのですか?」

「情報の大切さを認識しているのはロスチャイルド家だけではありませんと」

「…………」

「私もあなた方ロスチャイルド家を遥かに上回る情報網を持っていますと答えておきました。そうでしょ、ユイト」


 そう言った王妃さまはおれの顔を見ると、意味ありげに笑ってみせた。ただ隣に座っている結菜さんは微妙な顔をしていた。王妃さまがおれをユイトさんではなく、ユイトと呼んだからだ。






「ねえ結翔」

「ん?」


 アパートでおれは結菜さんと昼の食事にカレーライスを食べた後だった。結菜さんは手に持った食べかけのドーナツをお皿の上に置くと、おれを見据えた。


「王妃さまと何が有ったの?」

「ぶはっ」


 おれはコーヒーを飲んでいたから、むせそうになってしまった。


「何が有ったって、どういう意味?」


 王妃さまのおれに対する態度が変だと言うのだ。確かにそれはおれもうすうす感じている。


「いや、別に、何にも無いよ」

「嘘おっしゃい!」


 結菜さんの目がおれを非難している。


「いや、本当だってば」

「王妃さまとあなたはふたりだけであの夜出掛けたでしょ」


 それは確かに出掛けた。何処か面白い処に連れて行って欲しいと王妃さまから頼まれて行った事がある。秋葉原のメイド喫茶を見せてあげたのだが、それは結菜さんも承知しているはずだ。その時に時空移転したテロリスト集団に襲われる事態に遭遇してしまい、とんでもない事になった。だけど後から結菜さんにはちゃんと全てを説明している。


「それ以外にも何か有ったでしょう」


 これはまいった。結菜さんはおれと王妃さまの関係を疑っている。実を言うとおれも王妃さまのおれに対する態度が変化しているのには気がついていた。実は前回スーパーマーケットに行った時に、総菜コーナーの前で王妃さまがおれの腕をつかむと「ユイト……」そう言って固まってしまった事がある。そこには焼き魚が並んでいただけなのだが……

 

「王妃さま、どうされたんですか?」

「これはなに!」


 サンマの塩焼きである。お頭としっぽ付きの、いわば姿焼きであった。


「あっ、王妃様、これは魚を焼いてあるんです。醤油をつけて食べるとおいしいですよ」

「…………」


 王妃さまは身体を固くしたまま無言でサンマを見つめていた。何やらショックであったようであるのだが、この時、王妃さまはおれの腕をつかんだまま離さなかった。それを結菜さんは後ろから見ていたのだ。

 確かにあの秋葉原のメイド喫茶にふたりして行った夜から、王妃さまのおれに対する態度が変わった感じがする。だけどまさかそこまで結菜さんが疑っているとは思いもしていなかった。

その時、


「結菜さんに逆らったらダメよ」と、トキがおれの耳元で囁いてくれた。


「あの、本当に何にも無いけど、これからは注意して王妃さまとは接するようにするよ」

「…………」


 結菜さんはなんとか納得してくれた。



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