第55話 テロリスト


 マリー・アントワネットですと名前を聞かされた可愛い女の子の顔が、僅かにひきつっている。

 だが、次の瞬間、


「キャー!」


 両手を頬に当て、もう魔法の呪文を唱える仕事も忘れて叫んだ。


「マリー・アントワネット王妃さま!」


 女の子の悲鳴にも似た声に、店中は騒然となり、おれたちふたりの周囲に女の子達が集まってくる。


「あの、本当にマリー・アントワネット王妃さまなのですね」

「そうです」


 遂に店中の女の子が皆集まって来ると、次は居合わせたお客さんまで来てしまった。


「あの、王妃さま、当店を選んで頂き誠に誠に有難うございます」


 なんだか大変な事になってきたな。王妃さまを見つめる女の子達の視線が尋常ではない。

 この手のカフェではエバンゲリオンとかコスプレで来店し、本物だと言い張るオタクもいる世界なのだ。マリー・アントワネットを名乗る女性がやって来てもおかしくは無い。だが、王妃さまを見つめる女の子達の熱気は、オタクに付き合つている演技とは思えない。

 おれはこの時、ふとある疑惑が脳裏に浮かんだ。もう周囲から倒れ込まんばかりにして覗き込んでくる女の子達に聞いてみる。


「ねえ、あなた達はマリー・アントワネットって知ってるでしょ」

「もちろんですよ。こうして目の前にいらっしゃるじゃないですか」

「いや、そうじゃなくって、あの、マリー・アントワネットはフランス革命で――」

「かろうじて逃げ延びたんんでしょ」

「――――!」


 やっぱりそうか。この時代の歴史でマリー・アントワネットはフランス革命を逃げ延びた事になっている。おれの知る歴史とは違う彼女の生涯があるのだ。


「あの、その革命後のマリー・アントワネットなんだけど――」

「現代にタイムスリップしたなんて都市伝説が広まっていたけど、本当だったんですね」

「私何処かの研究所でタイムマシンが完成しているって聞いた事が有るわ」

「まさか、それこそ都市伝説でしょ!」


 遂に居合わせた客まで話に乗ってくる。


「マリー・アントワネットはフランス革命を逃げ延びた後、未来の日本にタイムスリップしたって話だろ」

「それはおれも聞いてる、だいたいナポレオンと互角に渡り合ったのは、未来社会の支援者が居たからなんだろう」

「へえ、そうなの」


 もう大変な騒動になってしまった。おれは思わず聞いてしまう。


「あの、だったらその後のマリー・アントワネットは――」

「ユイト!」


 ここでそれまでじっと話を聞いていた王妃さまが声を掛けてきた。


「王妃さま」

「ユイト、それ以上は聞かないで」

「――――!」


 王妃さまがおれの目を見つめてくる。


「お願いよ」

「王妃さま――」

「自分の未来を知ってしまうなんて怖いの」


 確かにそうかもしれない。自分の未来を知ってしまう事は、どんな死を迎えるかも分かってしまうという事でもある。おれだって怖い。これは少し迂闊だったな。


「あの、サインをお願いしてもいいでしょうか」


 おれはその声で現実に引き戻された。王妃さまは再び笑顔になり、気軽に応じている。


「貴方のお名前は?」

「エミカです」


 初めからずっとメニューの案内までしてくれて、おまじないまで指導してくれていた女の子は、興奮を抑えきれない様子で答えた。王妃さまがペンを手にする。


 ――親愛なるエミカさんへ、お目にかかれて大変嬉しく思います。先ほどは日本の非常に興味深い文化を紹介して頂き、オーストリアの国民を代表して感謝を申し上げます。マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ――


 その後も次々と差し出される何枚もの紙や店のメニュー帳に、王妃さまは様々な言葉を書き続けた。

 だが、


「緊急事態よ!」


 おれの携帯に着信だ。

 メイドカフェでオムライスを食べている最中に、結菜さんから届いた興奮しきった文面のメールがおれと王妃さまを驚かせた。


「ユミさんの研究所がテロ集団に襲われたようなの」


 事の重大さにしばらく呆然としていたが、やっと気を取り直す。メールではじれったい。おれは直ぐ電話を掛けた。


「結菜さん、それは本当なの?」

「嘘なんか言うもんですか。ユミさんはテロリストのスキをみて、やっとメールを送れたんですって」

「じゃあ、今日本に来てしまっている王妃さまの時空移転は――」

「どうしよう」


 どうしようったってどうしようもないだろう。なにしろ王妃さまは2百年も過去の時代の方なのだ。連絡通りユミさんの研究所がテロリスト達に占拠されてるんじゃ、時空移転装置が使えないんだろうか。もしも装置が壊されたらアウトではないか。


「だけど、まてよ、メールが来たって事はまだタイムマシンは無事だって事だよね」

「そうね、じゃあ返信のメールを送ってみましょうか」

「いや、それは慎重にした方がいいよ。なにしろ向こうにはテロリストが居るんだろ。ユミさん達に危険が及んでもいけない」


 ここでそれまでじっと話を聞いていた王妃さまが声を出した。


「日本語で送ってみましょうか」

「えっ」

「モルドバで起こったテロに、日本人が関わっている可能性は低いでしょう」

「そうか、日本語のメールならテロリスト達には何が書かれているか分からないよね」

「ユミさんはきっと誤魔化してくれるわ」


 おれは直ぐ簡潔な文章で送信する。

 暫くしてユミさんからも日本語の返信が来た。


 テロリストはイスラム過激派だった。全員が銃器を手にしている。

 厄介な事にタイムマシンの知識も少しは有るようだ。だがこれと言って明確な考えが有っての襲撃にも見えないという。





 ここ研究所ではテロリストの襲撃などという事は、全く想定していない。数人いた警備員は銃を所持していたが、既に殺されている。


「動かせ!」

「誰をどの時代に行かせようと言うのですか?」

「キリスト教徒共に一泡吹かせてやる」

「だから、どの時代に行けばいいのですか?」

「決まってるだろ、十字軍の連中が居る時代だ!」


 実はイスラム教徒ほど世界中から誤解されている人々はいないのではないか。例えば中東の歴史によく登場し、映画やドラマなどで描かれるハーレムが良い例だ。

 殆どは欧米人の願望によりイメージされ、創作されたものだと思われる。

 現実的に考えてみれば直ぐ分かる事だ。年中真っ昼間から大勢のワイフ共が、全裸でその辺にゴロゴロ寝そべっている光景を想像してみよう。スルタンだろうが旦那だろうが、うんざりしてきっと思うに違いない。服ぐらい着ろよってね。

 酒は飲まないタバコは吸わない、イスラム教徒の生活はかなり禁欲的なようです。実際観光客が中東の国々で楽しめる夜の歓楽街などは無いという。ドバイなどでは酒を飲まない代わりに、金を持つ男達の楽しみはゴテゴテに盛り上げたスイーツだったりする。アフガニスタンでも問題になっているイスラム過激派は、そのほとんどが田舎に住んでいた素朴な男達だ。慣れない都会人の特に女性の前に出ると、教え込まれた教義以外に頼るものが無いんだろう。だから銃口を向けて威嚇するのは、自分達の弱みを見せない為でもある。だがもともと純朴であるが故に、狂信的な信仰心が加わると、その破壊力は凄まじいものに変化する。


「世界はイスラムの教えに導かれなくてはならない」


 テロリスト達が勝手にマシンを操作しだしてしまう。


「やめて下さい」

「うるさい」

「まだ設定が」


 タイムマシンが稼動し始めた。





 メイドカフェにいたおれの元にユミさんからまた電話が来た。


「王妃さま、研究所が大変な事に――」

「キャー」

「なに!」


 狭いメイドカフェに銃を持った男達が忽然と現れ、周囲を見廻しかたまっている。

 だが、それを見た勇敢なひとりのメイドが声を上げた。


「ちょっと、なんなんですか貴方達は。そんなオモチャの鉄砲を持ったりして、直ぐここから出て行って下さい」

「…………」

「ルールに従わないで、乱暴な事をする方は入店をご遠慮して頂きます」


 この連中は研究所から来たテロリストじゃないのか。怒らせたら大変な事になる。


「王妃さま、この男達は武装して世界を荒し回っている厄介な連中です」


 おれは周囲の女の子にも声をを掛けようとして、


「貴方たちも下手に動かない方が――」


 だがそれは遅かった。


「なんだ!」


 おれが声を出す間も無く周囲の空間が歪み、王妃さまもろとも、移転されたテロリスト達と一緒に再び時空を超えた。

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