第54話 王妃さまメイドカフェに行く
ひとりの兵士が女神に向けて発砲してしまったではないか。それを見て動揺驚愕して叫ぶ周りの兵達。
しかし、その直後に起こった信じられない展開に、彼等は言葉を失なった。女神が馬ごと瞬時に消えてしまったからだ。
もちろんこれは王妃の危機を感じとったユミさんが、安全な場所に空間移動させたからに他ならない。だがその兵士達の目の前で起こった奇跡で、女神様が降臨したという話は真実になってしまう。
可哀想なのは銃を撃った兵士だった。その場で仲間達から袋叩きにされボロボロになった。しかしその男も、消えてしまった女神と馬を目撃したのだ。すぐ「あの方はたしかに女神さまだ」と痛みに顔をしかめながら皆に謝罪をした。
この戦場にナポレオンは10万を超える軍勢を率いて来ている。実際に王妃のレギパン姿を至近距離から拝められた幸運な者は、軍全体から見ればさほど多くはない。
だからナポレオンが王妃を見ていたかどうかは分からないが、女神が現れて兵を引くようにと言ったという話は、あっという間に知れ渡る。実際に女神の姿を見て、その声を聞いた者達の発言は信憑性がある。2度と銃を構えようとしなくなってしまった兵士達には、さすがのナポレオンもなすすべが無かった。
フランス軍が兵を引くとオーストリア軍も戦場を離れることになる。
こうして王妃さまはたったひとりで戦争を収めてしまい、ヨーロッパにつかの間の平和が訪れた。
そしてこの女神降臨の話はあっという間に、フランスはおろかヨーロッパ中に広まってしまう。フランス軍兵士達の話を聞いた画家が、平和を諭す女神像として絵画を描き、歴史に残ることになったからだ。
「これはちょっと違うわね」
スターバックスで女神降臨の図という絵画の写真を見ながら、王妃さまと結菜さんとおれは話しが弾んでいる。
史実で「民衆を導く自由の女神」というフランスのロマン主義絵画は、国旗となる旗を高く掲げ民衆を導く女性が、フランス革命のシンボルとして描かれている。この女性は女神として画家の想像により描かれた。なぜ女神だと言えるのか。その絵では旗を掲げる女性の両乳房がリアルに描かれているからだ。女性の裸を描くことなどタブーとされる時代であったのにだ。確かに実在する人物の裸を描いてはいけないが、女神やビーナスなど架空の人物に関しては描いても良いという不思議な解釈がある。だからその史実のフランス革命絵画は、ひとりだけ中央に女神を描いたということになる。
今回の女神は大勢の兵士が実際に見ている。問題は描かれた王妃さまの胸元なのだ。両乳房がリアルに描かれてしまっているではないか。つまり、レギンスパンツはセパレーツなのだが、描かれた絵画では下半身しか身に付けていないのだ。
あの時兵士達が実際に見た王妃さまは、もちろん胸など出してはいなかった。それなのに絵画ではリアルに描かれてしまっている。
おれも黙って見ているだけではいけないから、つい言ってしまう。
「やっぱり、これは女神として描かれたんですよね」
そう言うしかなかった。
だが大勢の兵士達を前にしているのに、乳房を平然と出しているように描かれてしまった王妃さまは、おれの目の前で微妙な顔をなさっている。
暫くしてやっと写真から目を逸らし、キャラメル フラペチーノのクリームをスプーンですくい、口を大きく開けてパクッと召し上がった。
結菜さんは黙って写真を見ていた。だがスターバックスで自分の胸を大っぴらに出してしまっている絵画を見ていた王妃さまは、話題を変えようとしたのか、おれに向き直って話し掛けて来た。
「ユイトさん、何処か面白い所に連れて行って頂けますか?」
「面白い所?」
「はい」
おれは思わず隣の結菜さんを見た。
「面白い所ねえ」
結菜さんは他人事のような感じで軽く受け答え。
まだアイフォーンで写真を見ている。
「うらやましいわ」
「はっ?」
結菜さんが見つめるのは王妃さまの胸元のようだ。女性同士でも気になるのだろうか……。
「結菜さん!」
「…………」
「王妃さまに何処か面白い所を紹介してあげようよ」
「そうね何処がいいだろう」
やっとアイフォーンから目を離した彼女は、おれと王妃さまの話に乗って来た。
ここでおれはふと思いついたアイディアを言ってみた。
「秋葉のメイドカフェなんかどう?」
「えっ、ユイトさん、そんなところに行った事があるの?」
「あっ、いや、だた話題になっているから、今ふと思いついたんだよ」
「…………」
結菜さんが疑い深い目でおれを見ている。
「本当だってべば」
思わず舌がもつれた。
結局おれと王妃さまは秋葉原のメイドカフェに行く事となった。
その日結菜さんは臨時の仕事が入り、どうしても行けなかったのだ。
おれは王妃さまとふたりして新幹線に乗る。
「王妃さま、そのチケットをここに差し込んで下さい」
「…………」
新幹線の改札口に来ている。ずっと以前に戦国時代から現代にタイムスリップした佐助の時もこうだった。
「扉が開きますから、すぐ通って下さいね」
「…………」
「あちゃ、やっぱりだ」
ゆっくり歩き過ぎて、また扉が閉まってしまう。
「えっと、お願いします」
近くで見ていた駅員さんに来てもらう。
今度はエスカレーターだった。
「足を上げて乗って下さい」
「…………」
「一緒に乗りましょう」
何とか乗った。
王妃さまは自動で上がって行く階段に目を白黒させている。
だが、今度は降りる番だ。
「気を付けて。足を上げて。転びますからね」
「―――!」
「うわ、危ない!」
王妃さまをかろうじて抱き留める。もろ転びそうになった。
この日王妃さまの服装は、結菜さんから借りた黒の半袖トップスにアイボリーホワイトのプリーツスカートで金色のベルトをしている。靴はかかと低めのパンプス。スニーカーにしようとも考えたが、今日は夕方の都心に行くのだからとちょっぴりお洒落に決めたのだった。もちろんネックレスとかブレスレットも付けている。以前王妃さまから頂いたものだ。
ちょっぴりとだけお洒落をしたとは言っても、そこはロングヘヤ―をなびかせる優雅な王妃さまなのだ、通り過ぎる人の殆どが振り返って見ている。
駅構内で入った既に馴染みのスターバックスでも、王妃さまは注目の的となった。
東京駅で山手線に乗り換える時は、あまりの人混みに王妃さまは息を詰まらせていた。そしてやっと秋葉原駅に着いた。改札口を出るとすぐネットで調べてあったメイドカフェに向かう。
「王妃さま、これから行くところは魔法のツインテールというお店です」
「魔法――」
「そうです、魔法で人の姿になっている女の子が給仕をしてくれるお店です」
「魔法なんて……」
そうです、魔法ですよ。おれは次第にわくわくしてきた。
これは面白くなりそうだ。
そこは小さな雑居ビルで4階がそうらしい。
おれは建物の中に歩いていき、
「王妃さまここに入ります」
「――――!」
王妃さまがおれの腕をつかんだ。
「大丈夫です。これはエレベーターと言って、これから4階の店まで私達を運んでくれる箱なんです。
だが、エレベーターは狭く、動き出すと王妃さまはおれの腕をさらに強くつかんで来た。
「ユイト……」
いつの間にかユイトさんからユイトになっている。
おれはことさらににこにこと、
「すぐ着きますからね」
「…………」
4階に到着すると、すぐ前に明るいピンクの看板が目に入る。
おれは迷わずドアを開け中に入った。
「おかえりなさいませご主人様!」
ピンクのドレスを着た女の子達が、超明るく出迎えてくれた。
これが噂のメイドカフェなのか。もちろんおれも結菜さんに嘘は言ってない。正真正銘初めてなのだ。
室内は壁も何も全てピンクずくめで、やはりピンクの椅子に案内された。
「お姫様もお帰りなさいませ」
ひざまずいて挨拶する女の子に、王妃さまは言葉に詰まっているご様子。
ここでおれはちょっとした悪戯心が出た。
「王妃さま、この子たち皆、実は魔法を掛けられて人間の姿に変えられているんです」
「えっ!」
王妃さまが絶句する。
だが、おれが発した王妃さまという言葉に、今度は女の子が絶句。
「えっ、お嬢様は王妃さまなのですか?」
「はい、そうです」
「あっ、あの、どちらの王妃さまでいらっしゃるんでしょうか?」
「オーストリア公国です」
「…………」
しばらくの沈黙が続いた。
そして気を取り直した女の子が言って来た。
「あの、ここに居る女の子は、魔法の国から人間の姿に変えられて来ているんです。ですから最初にご注意なんですが、私達は触られると魔法が解けて人ではいられなくなってしまいます」
さらになんとか一通りの決められているらしい案内を言おうとしていたが、ついにその子は我慢できなくなったのか聞いて来た。
「それから、えっと、あの、本当に王妃さまなのですか?」
「本当ですよ」
「…………!」
微妙な沈黙を破って、女の子がメニューの説明を始めている。
「お飲み物はクリームソーダですね、直ぐお持ちします」
何度もひざまずく女の子は、大きな瞳でなかなか理知的な顔立ちだ。飲み物の後はメイドカフェ定番のオムライスを頼んだ。もちろんケチャップで絵を描いてもらう。
王妃さまは笑顔全開。
クリームソーダが運ばれて来た時、女の子が言ってきた。
「御注文頂きましたお飲み物なのですが、これからおまじないをかけたいと思います」
「…………」
「より一層美味しくなるようにする為のおまじないです。指でこの様にハートマークを作って頂けますか」
おれと王妃さまは言われた通りに、両手でハートマークを作った。
「萌え萌えきゅんきゅん。美味しくな~れ!」とおっしゃって下さい。はい」
「萌え萌えきゅんきゅん。美味しくな~れ!」
「萌え、萌えきゅんきゅん。美味し、く、な~!」
随所に散りばめられた文字通り萌えなシチュエーションとセリフ。ここでその女の子が聞いてきた。
「あの、王妃さま」
「はい」
「お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」
「マリー・アントワネットです」
「――――!」
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