第51話 王妃さま、傭兵を雇っては頂けませんか?


 スーパーで買い物を終え帰宅する間も、おれの頭の中はナポレオン暗殺計画で一杯だった。ナポレオンを暗殺する事自体は、時空移転を有効に使えばたやすく出来るだろう。例えばおれが安兵衛を伴ってナポレオンの身辺に潜り込み、いきなり切り殺してしまえばいい。後はまた時空移転でその場を離れる。

 だが、それはまずいんじゃないか。そんな事をしていたら未来はめちゃくちゃになってしまう。歴史はやはりその時代の者が作り上げて行くべきだろう。その辺りのけじめは、時を旅する者が戒めとするものでなくてはいけない。


「ユイトさん、どうしたのですか?」

「えっ」


 王妃さまが突然聞いて来た。おれがスーパーを出てからずっと押し黙っていたのが気になったみたいだ。


「あっ、いや、なんでもないです」


 ナポレオンは別に悪い事をしているわけではない。侵略戦争も当時の有能な為政者としては当然の事をしているまでだ。それに彼は類まれな人物で、歴史に名を残す偉大な男なのだ。だから本当に殺してしまっていいのかと悩んでいた。

 王妃さまが暗殺を決断したその時期、ナポレオンの勢力はイギリス・スウェーデンをのぞくヨーロッパ全土を制圧し、イタリア・ドイツ西南部諸国・ポーランドはフランス帝国の属国に、ドイツ系の残る二大国、オーストリア・プロイセンも従属的な同盟国となった。このころがナポレオンの絶頂期と評される。




 アパートに帰るとすぐにシャワーを浴びようという事になった。


「結翔さん」

「ユイトサン」

「分かりました後ろを向きます」


 背後で服を脱いでいる気配がする。


「まだ見ちゃだめですよ」

「ダメ、デ、ス、ヨ」

「見ませんよ」


 横向きに歩いて料理の支度をし始める。だが、玉ねぎを刻みながらも、やはり暗殺の方法が頭に浮かんでくる。どうしたら良いだろうか。実際に手を下すのは王妃さまやその配下の軍関係者がいいだろう。時空移転をして手助けもいいが、あまりやりすぎるのはどうかと思う。やはり自然で不思議な出来事が話題にならない方が良い。


「結翔さん」

「ユイトさん」

「ん?」


 いつの間にかふたりはシャワーを浴び終わっていた。床に横座りの王妃さまは、今回もジャージーにTシャツ姿で悩ましい……

 また結菜さんがパソコンを開いて王妃さまに見せている。


「…………」

「王妃さま、この子たちが今はやりのアイドルです」

「ア、イ、ド、ル?」


 外を歩いていた時も、通りかかる車に目を見張っていたが、パソコンのモニターに映し出されたアイドル達の踊りや歌にも言葉を失っていた。


「この子たちは何故こんなに小さいのですか?」

「あっ、あの、王妃さま、この子たちは小さいのではなくって、その――」

「王妃さまそれは動く絵画です」


 おれは助け舟を出した。これ以上の説明は不可能だろう。結局王妃さまは余り納得できない様子だった。

 少し早めに食べた夕食のカレーライスとデザートは、やはり今回も大好評だった。カレーを作ったおれも、こんなに喜んでもらえると嬉しい。


 夜は結菜さんと王妃さまがベットに寝て、おれはまたソファーだ。

 翌朝は首筋がおかしい。無理な体形でねちがえたか。




 王妃さまは朝食を摂って帰られた。


「何日も留守にしていたら周囲の者が騒ぎ出します」

「そうですか、また何時でもいらして下さい」


 結菜さんは近所の友達が訪ねて来たような感じで送り出す。


「王妃さま、例の問題は慎重に考える必要が有ります。でもその時が来たら私達は必ず手を貸しますから、安心して下さい」

「ユイトさん、お願いします」




 暗殺はどうしても暗いイメージが付きまとう。しかし戦場で敵の弱点を突くのは王道で、何もやましいことは無い。おれはヴァグラムの戦いに注目した。その約2カ月前アスペルン・エスリンクの戦いでオーストリアは辛くもナポレオンの指揮するフランス軍に勝っている。

 ドナウ川に架かる橋はオーストリア軍が全て破壊しており、フランス軍は北への渡河点として、ドナウ川が支流に分かれている中州の周辺地域を選んだ。オーストリアのカール大公は崩壊したオーストリア軍を立て直してドナウ川の対岸に集結させ、奪われた首都の東に位置するこの地での決戦の構えをとった。

 橋が無いため新たな橋を架けながら少しづつしか渡れないフランス軍を対岸で待ち構える作戦だ。これは素人でも考えられる。当然不利なフランス軍が手痛い敗北を喫する。だが、その約2カ月後、ナポレオンは周到な準備をして再度この地にやって来る。そして始まるのがヴァグラムの戦いだ。

 この戦いでフランス軍は見事に対岸に渡り切っている。だが、おれはフランス軍が、山沿いに陣を張るオーストリア軍に攻撃を始めると、ナポレオンの周囲が手薄になる瞬間がある事に気が付いた。


「そこだ。その瞬間に突撃を仕掛ければナポレオンを倒せるかもしれない」

「えっ、何?」


 突然声を出したおれに結菜さんが聞いて来た。






 朝食後部屋の中で手を振って帰られてから暫くして、王妃さまから踊るような文面の手紙が来た。アスペルンとエスリンクの戦いで、ついにオーストリア軍がフランス軍に勝ったという内容だった。だが確かにナポレオンの指揮するフランス軍に勝ちはしたが、オーストリア軍にとっては非常に有利な条件での戦いだったのだ。この2か月後に控えている戦ではそう簡単に渡河を妨害出来ない事をおれは知っている。

 ナポレオンは周到な準備をして橋を渡る腹積もりだ。彼は2度と同じ轍は踏まない。

 

 おれはすぐユミさんに頼んで、王妃さまに手紙を渡してもらった。


「王妃さま、次の戦でナポレオンは周到な準備をして橋を渡ってきます。今回のような訳にはいきません。多分オーストリアのカール大公もそれを分かっていらっしゃるでしょう。ですからここで提案です。王妃さまにはナポレオンの司令部を急襲する少数精鋭の部隊を指揮して頂きたいのです。私には分かるのですが、次の戦で後方に待機するナポレオンの周辺が手薄になる瞬間があります。そこを王妃さまの部隊が奇襲攻撃を仕掛けて頂きたいのです。もちろん王妃さまが直接指揮を執る必要はありません。それは危険ですので代わりの信頼できる将軍か士官に任せて頂ければ良いかと存じます。これは暗殺ではありませんが、立派な戦の駆け引きです。この作戦でナポレオンを倒しましょう。詳しい事はまた後程」


 折り返し王妃さまから手紙が来た。


「ユイトさん、有益な情報を有難うございます。すぐカール大公に話をしてみたのですが、奇襲に関しては思うような返事を頂けませんでした。作戦のもう少し詳しい話を聞かせて頂けますか?」


「王妃さま、作戦はこうです。次の戦はドナウ川北岸の町ヴァグラムの周辺地域で起こるはずです」

「…………」

「フランス軍は渡河を開始した後、アスペルンからエスリンクの一帯を制圧し、午後には18万の大軍が渡河を完了します。そして左翼、中央部、右翼と20キロメートルにわたる陣を張るでしょう。戦闘が開始されると、最初はオーストリア軍が主導権を握り、フランス軍右翼へ陽動作戦を仕掛けるはずです。続いて本格的な攻撃がフランス軍左翼へ向けられます。フランス軍は後退させられますが、これに対して騎兵が救援に向かいます。そして右翼のフランス軍がオーストリア軍を押し返すと、ナポレオンはこの好機を見逃さず、オーストリア軍の中央部へ向けて近衛軍団に突破攻撃を命じ、他のフランス軍団も援軍として駆けつけます。

 ナポレオンが後方で待機しているこの瞬間が、司令部を奇襲する絶好のチャンスなんです。周囲に彼を援護する部隊があまり居なくなります。これは歴史がそうなっているのですが、今の状況から推測すると同じ展開になると思われます」

「ユイトさん分かりました、奇襲部隊をオーストリア軍の陣から離れたところに潜伏させておけばいいのですね」

「王妃さま、その通りです。奇襲のタイミングは私が現地で探り、お知らせします」


 暫くして王妃さまからまた連絡があった。


「ユイトさん、残念です。カール大公に話をしたんですが、分かってもらえません。細かい戦の予想を話すとびっくりしていましたが、それでも私に部隊を預けるなど考えられないと言い、行ってしまいました。もちろん今の私に動かせる直属の部隊などありません。どうしたら良いのでしょう」


 手紙を読んでおれは決心した。この機会を逃す手は無いだろう。


「ユミさん、おれをバルク隊長の所にお願いします」


 再び現れたおれにバルク隊長はびっくりしていたが、頼みは快諾してくれた。但し派遣できるのはやはり4百騎ほどで、フランス軍が18万8千、オーストリア軍が15万5千の大軍同士が戦う戦場では取るに足りない寡兵だ。ピンポイントでの急襲で成果を上げる必要がある。

 また王妃さまに連絡をする。


「王妃さま、私に考えがあります。傭兵を雇っては頂けませんか?」


「ユイトさん、傭兵を雇うのはかまいませんが、この期に及んでそんな時間の余裕がありません」


「王妃さま、フランスから逃亡する時にお供をした、傭兵騎馬軍団を覚えていらっしゃいますか。あの者達がいつでも王妃さまの下に駆けつける手はずになっております」


 王妃さまは手紙で歓喜の言葉をつづって来た。

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