第34話 安兵衛、久しぶりだったなあ


 研究所の巨大な3Dスクリーンには黒海が映し出されている。大きな船の軌跡を追う作業は進んで、いくつかの候補が見つかり港に入ったばかりの船がある。


「結翔さん、行ってみましょう」

「分かりました」

「ねえ、ちょっと!」


 振り返ると結菜さんの様子がおかしい。


「あの今、手が離せないんだ」

「手が離せないってなによ」


 ほって置かれていると感じるのか、明らかにおかんむり状態だ。ユミさんが声を掛けた。


「結菜さん少しだけ待ってもらえますか。向こうが落ち着いたら一緒に行きましょう」


 おれも向こうは今戦争状態で危険だから、ちょっとだけ待ってくれないかと頼む。何とか納得してくれた。そして出発前、タイムマシンの横でユミさんが、


「結翔さん、これを持ってもらえますか」

「何ですかこれは?」


 手荷物と言った感じの箱で結構重たい。


「石鹸です」

「石鹸?」

「ラウラさんへのお土産です」


 新しい石鹸は12世紀ごろにオリーブ油と海藻灰を原料として作られ、不快な臭いも無い。なので人気が有り、ベネチアからも盛んに輸出されていた。

 

「ラウラさんも石鹸をよく取引していたようです。でも今の石鹸とは品質も香りも比べ物にならないでしょう」

「これは喜んでもらえるでしょうね」


 と返事をしたが、どんどん歴史が変わって行くような気がして、複雑な気持ちだった。






 その日、おれとユミさんは問題なく、黒海の港にピンポイントで降り立った。


「あの船の事を教えて?」

「パルパテチオさ」


 港に居た男に聞くとその大きな船はやはりラウラ家のものだと答えた。

 ラウラ家の交易船パルパテチオ号は地中海での交易を終え、モルダビアの港に帰って来たばかりだった。


「ラウラさんはいらっしゃるかしら?」


 船の近くまで行き、ロープを巻いている乗組員らしい男にユミさんが聞くと、


「今はいねえよ」

「何処にいらっしゃるの?」

「さあな、館にでも行ってみな」


 そう言いながら、おれとユミさんの服をジロジロと見ている。ユミさんは動きやすいようにと考えたのだろうか、カジュアルなパンツスタイルだ。男は丘の上を指さしていた。

 教えられた道を上がって行くと、大きな館はすぐに見つかる。


「ラウラ・アレクシアさんのお宅ですか?」


 応対に出たメイドに、


「私はユミ・アレクシアと申します。お取次ぎ願えますか?」


 とユミさんが告げると、びっくりしたような顔をして奥に入って行った。


「ユミさん、本当の事を話すのですか?」

「それが、まだ迷っているのです」

「…………」


 本当の事を話しても、当然信じてはもらえないだろう。この時代の人にタイムマシンの話など、理解の範疇を超えている。

 やがて奥から物静かそうな女性が現れた。おれは一目見て息を飲んだ。ユミさんも綺麗な方だが、今こうして現れた夫人も信じられないくらい優雅で、西洋の美人画から出て来たような方だったのだ。


「わたくしがラウラですが、どなたでしょう」

「突然お邪魔して申し訳ございません。私はユミ・アレクシアと申します」

「…………」


 ラウラさんは自分と同じアレクシアを名乗るユミさんに、明かに戸惑ったような顔をしている。


「それで、どのような御用件でしょうか?」

「あの……」


 ユミさんが言い淀んでいる。おれは思わず口に出してしまった。


「安兵衛に会いに来ました」


 おれの発した安兵衛と言う言葉に、ラウラさんは目を見開いた。


「あなた方は一体――」

「はい、そうです、私達はヤスベにも会いに来ました」


 そう言ったユミさんはさらに言葉を続けた。


「ヤスベは私達にとって、共通の知り合いなんです。会わせて頂けませんでしょうか」


 びっくりした様子のラウラさんは、


「とにかく中にお入り下さい」


 安兵衛の話が出て、当初の怪訝な態度を幾分和らげてくれる。ゆっくり話を聞きたいと思い始めたようだ。



 ユミさんの説明を聞いたラウラさんは、すぐヤスベさんに連絡をするようにと言って使用人を出した。ただ未来から来たと言う話は、やはり理解出来ない様子だ。

 だから未来と言う国から来たという、訳の分からない話になってしまった。

 ただ傭兵軍団を出してほしいと言う要請は受け入れてくれた。ラウラさん自身は争いを好まず、直接兵を養ってはいなかったが、反ルーマニア貴族ダニエル家の危機だと聞いて、傭兵の派遣を決断したのだった。面識は無かったが、同じモルダビアの貴族同士として、対ルーマニア貴族との戦いに苦戦しているとあらば、手を貸さない訳にはいかないというのだった。


「そうですか、それでは私が懇意にしている傭兵隊長のバルクに連絡を取り、至急兵を集めてくれるように頼みましょう」

「あの、それで、どのくらいの兵力になるんでしょか」


 ユミさんに通訳してもらうと、4百人ほどだろうと言う。思わずそれでは全く足りないと言いそうになるのを、ぐっとこらえた。折角兵を出してくれると言うのに、文句は言えない。ユミさんも心なしかがっかりした様子だ。しかしラウラさんも打ち解けて来ると話が弾んだ。

 その時、


「殿!」


 振り向くとまぎれもない、安兵衛がそこに立っているではないか。安兵衛は鶴松時代のおれも、アパートに帰った後の姿も知っている。おれは椅子からすぐ立ち上がったが、懐かしさのあまり、すぐには声が出なかった。


「……安兵衛、久しぶりだったなあ」

「殿、これは一体、どういう事ですか?」


 それを聞いたユミさんも隣から声を掛けて来た。


「えっ、殿って、どういう事ですか?」


 ラウラさんも呆然と成り行きを見守っていた。

 おれはとにかくふたりに知ってもらおうと、それぞれを紹介した。


「安兵衛、この方はユミさんといって、そなたの子孫になる」

「…………」

「ユミさん、この男が、貴女の会いたがっていたヤスベです」

「…………」


 ゆみさんも安兵衛も声が出ない。おれもなんて言ったら良いのか分からなかったが、とりあえずふたりには腰を下ろしてもらった。サロンとも呼べる広い部屋は、重厚な調度品が周囲を埋めている。メイドが飲み物を運んで来た。


「あの、ユミさんさん、おれは戦国時代で時の将軍秀矩になっていたんですが、その際に出会ったのがこの安兵衛だったんです」


 おれはその辺のいきさつを一通り話して聞かせた。


「それで結翔さんが殿と呼ばれるんですね」

「はい」


 安兵衛も何度か時空移転は経験しているので、ユミさんの事情はすぐに察したようで、


「では貴女が私の子孫という訳なのですか」


 ユミさんを見る安兵衛が感慨深い様子だ。ただ、ラウラさんだけはひとり取り残されたように、戸惑っていた。

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