第35話 タタールの傭兵部隊だ


 安兵衛は改まっておれの方に体の向きを変えると、


「では、殿が御出陣でしたら、拙者もお供させて頂きます」


 と、一礼をする。

 結局安兵衛はおれとユミさんの護衛を買って出てくれ、戦に同行する事になった。安兵衛が留守の間、娘のユキはラウラさんが面倒を見てくれる事になり、すぐラウラ邸に呼ばれる。安兵衛の妻ミネリマーフは、家族でモルダビア公国に到着した年の暮れに病で亡くなっていた。




「ユミさん、この子が娘のユキです」


 安兵衛に紹介されたユキが、大きな瞳でユミさんをじっと見ている。


「ユキさん、初めまして、私はユミ・アレクシアと申します」


 腰を落として床に片膝を着けるユミさんは、幼いユキに対して言葉使いが丁寧になっている。何しろこの少女は、一代でアレクシア家をヨーロッパ随一の財閥に押し上げた、偉大な御先祖様なのだ。

 そのユキはつられて、ちょこんと頭を下げた。


「そうだ、ユキさんにお土産が有ります」


 ユミさんは現代から運んで来た石鹸を、ラウラさんとユキの前に出して見せた。


「では蓋を開けますね」


 まずユキに渡された石鹸は、贅沢に使用されたらしいラベンダーの香りがふんわり漂って、少女を驚かせるには十分だった。次にラウラさんには、さっぱりとしてナチュラルなジャスミンの香りだ。

 他にはレモンやライムなどの柑橘系、ほんのり甘く優しいスギの香りが漂うもの。すっきりとしたみずみずしいシトラスな香りから、ローズ、と変化していき、そこにほんのりとバニラの香りが絡み合うという、上品で夢のようなような香りの石鹸が並んでいる。またそのパッケージのデザインが可愛らしく、ユキは夢中になってしまった。


「このような物を何処で手に入れたのですか?」


 ベネチアから石鹸を輸入しているラウラさんは、信じられないといった感じで見入っていた。





 その後、傭兵軍団の隊長バルクから、準備が整ったとの連絡が入った。

 おれとユミさん、腰に刀を差した安兵衛の3人は、ラウラさんの用意してくれた馬で軍団の野営地ベンダーに向かう。乗馬が得意というユミさんは、見事な手綱さばきだ。

 ベンダーに到着した3人をバルクが出迎えてくれた。

 さっそくおれがユミさんの通訳を交え状況を話す。


「我が方の兵力はカヤンの城に1万5千で、包囲している敵は確実にその数倍だと思われます」


 おれがそう言うと、バラク隊長は不敵に笑い、


「久しぶりの戦だ。暴れまくって、タタールの底力を見せてくれますよ」


 と、兵力差などどこ吹く風だ。バルクは直ちに進軍を命じた。

 傭兵騎馬軍団の兵力はラウラさんの言う通り、約4百だった。城に向かう途中、先にダニエル氏に報告に行くと言うユミさんだけ、別行動を取る事になる。おれは並んで馬を進める安兵衛に声をかけた。


「安兵衛」

「はい」

「そなたとは久しぶりの戦だな」

「腕が鳴ります」


 安兵衛は満足そうな笑みを浮かべる。戦乱を求めて大陸に渡り、オスマン帝国に身を投じた根っからの戦人なのだ。

 

「ところで殿は武器を持っておられないようですが、どうなされるのですか?」

「私の武器はこれだ」


 ユミさんから頂いたスタンガンを、懐から抜いて見せた。高性能でかなり離れたところからでも、敵にダメージを与える事が出来るらしい。

 ここでユミさんが帰って来た。


「結翔さん」

「ユミさん、どうでしたか?」

「城では攻撃の準備が整ってます。傭兵部隊が援軍に来ていると伝えました」


 軍団がカヤンに近づくと、ユミさんに通訳してもらいバルク隊長に聞いてみる。


「敵の陣容は分かりますか?」

「はい、既に斥候を出して調べてあります。前線に町人や農民など寄せ集めの兵で、その後ろに大小の貴族部隊。最後尾にはポルスの本陣が控えておるようです」

「なるほど、では敵に気づかれないように接近して、本陣を急襲する事は可能でしょうか?」

「やってやりましょう」

「では指示が有ったら決行して、そのまま混乱に乗じて城に入って下さい」

「分かりました」

「それからユミさん」

「はい」

「もう一度城に行きダニエル氏に伝えて下さい」


 ダニエル氏には、傭兵部隊が後方からポルスの本陣を急襲するので、同時に城からも討って出て欲しい。その後は様子を見て、傭兵部隊も城に入る予定だと伝えてもらう事にした。


「バルクさん」

「はっ」

「城との連絡は直ぐとれます。こちらの攻撃と同時に城からも討って出る手はずです。後は任せます」

「承知しました」


 バルク隊長は全軍に向かい、今から敵の本陣に向かうから、堂々と進軍しろと言い、敵に城側の軍とばれた時には突撃すると伝えた。

 その傭兵軍はたいして怪しまれずに進軍していたが、やはり、


「待て!」


 呼び止められた。


「お前たちは何処の者だ?」


 多分そう聞かれているのだろう。ポルス軍は混成部隊なので、いちいち敵か味方か聞かないと分からない。だが、籠城中の敵を攻撃するのは、包囲している全軍の共通認識で、後方から敵が来ることは想定していない。一応何処の部隊か確認をしているだけだ。聞かれたバルクははっきりと答えた。


「タタールの傭兵部隊だ」

「…………」


 尋問した兵士達が皆で相談している。


「タタールの傭兵が来るって、おまえ聞いてるか?」

「さあ」

「だけどな、百姓まで駆り出して兵を増やしてるんだ。傭兵くらい雇っているかもしれんな」

「ちょっと待て、確認して来るから」 

「確認は無用だ」


 バルクの右手が上がった。


「切れ!」


 その場で呼び止めた数人の兵士が、次々と切り殺された。


「野郎ども、突撃だ!」


 のんびり構えていたポルス軍本隊は、背後からの予期せぬ攻撃に遭い、多数の死者を出して混乱状態に陥った。襲って来たのが4百騎ばかりの小隊だとは思えず、逃げ惑う兵士が多い。

 それでも、しばらくして状況が見えてくると、やっと冷静さを取り戻して反撃が始まった。


「突き抜けろ!」


 隊長バルクの指示は留まって戦う事ではない。疾風のように本陣の兵をなで斬りにしながら突き進んで行く。もともとタタールの男達は遊牧民で、普段から馬と共に暮らしている。ましてや騎馬軍団に入るほどのつわもの共だ。馬上から身体をずらし、剣で地面の草を払いながら馬を走らせるなどたやすい事なのである。

 次々と敵兵の首が刈られていく――

 そして城の方でも動きが有った。城門が開かれ、ダニエル氏の率いる兵が討って出て来た。

 待ち構えるポルス軍最前線の兵士は、無理やり徴兵されて、いやいやながら従軍して来た町人や農民で、すぐ浮足だってしまう。さらに後方の大小貴族の軍に、逃げる農民兵が殺到して大混乱となった。

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