第29話 馬上の男達
全身が包まれたようになる、なかなか座り心地の良いタイムマシンに収まると、スタッフがこまごまとした装置の説明をしてくれた。
「こちらのレバーを引くと希望する年代が変わります」
「…………」
「ただし今は特別短く、数分過去に戻るだけの設定となっております」
そうか、さっきの若者がやっていたのと同じだ。
「万一元に戻れない事態になっても、トラベラーの位置情報はこちらで把握しておりますからご安心ください」
いやご安心なんかじゃなくって、それでも時空の迷子になったらどうして戻るんだよ。
「緊急事態と判断した時は救出致します」
「…………」
なるほどね、そうですか、まあいいでしょう、どうせ数分後にはこの部屋のどこかに時空移転するんでしょうから。だがカプセル状の覆いが閉まり、ひとりになったおれが説明を受けた手元にある年代別設定レバーを見ていると、有る事に気が付いた。
「あれ、これは」
年代の1カ所に印がしてある。細かな目盛りではないが、どうやら1600年代の前半か中間だ。という事は、
「そうか、ユミさんはやっぱりヤスベに会いたいんだな」
おれは確信した。そうだよな、タイムマシンが完成したら会いに行きたいんだろう。そういうおれも出来る事ならもう一度会いたい。このレバーを印にセットすればいいんだ。
マシンはまだ動いていない。おれはレバーを引いて、その印で止めてみた。これでまたあの安兵衛に会えるのなら面白いではないか。もちろん今そんな危険を冒すつもりはない。すぐレバーを元の位置に戻そうとした。
「あれ」
今度はレバーが動かない。
「えっ」
顔を上げて前を見ると靄に掛かっているように周囲のフタッフが見えなくなっていく。
「やばい!」
いつの間にかタイムマシンが稼働を始めていたのだ、車や電車ではない。何の前触れも振動も無く時空移転は始まっていたのだった。
「やばい、やばい!」
レバーは1600年代を示している。
そして次の瞬間、トキに時空移転された時と同じように、周囲の空間がゆがんだ。
「ここは……」
軽くめまいがすると、研究所が無くなっている!
これはまずい事になった。
「おおーい」
おれは辺りの空間に向かって呼び掛けた。
「おれはここだ、戻してくれ」
だが何も起きない。トラベラーの位置情報は掴んでいると言っていたではないか。辺りは鬱蒼とした木々が生い茂っている。だが研究所の建っていた森とはちょっと違う感じがする。いやそれとも、やはり同じ場所なのか。周囲を見渡しても建物らしい物は見当たらない。
「うわあ、最悪だ」
とんでもない事になってしまった。あのレバーをうっかり引いてしまった結果がこれだ。おれはトキから何度も時空移転をされてきている。だからそれなりの経験はしているし、慣れてるともいえる、だが今回は全然状況が違う。
「おおーい、戻してくれ!」
何度も呼び掛けてみるが、一向に変化が無い。これは困った事態だ。無情に時間だけが過ぎて行く。
おれは途方に暮れてしまった。だが、まてよ、ここは冷静になって考えよう。ジタバタしない事が肝心だ。なにしろおれは何度も時空移転を経験しているからな。
落ち着いて辺りを見回してみた。道とかあれば誰かと出会える可能性がある。人と会って話しをすれば、今が何年なのか、此処が何処なのか知る事が出来るだろう。
もしも1600年代のモルダビ、いやモルダビア公国であれば安兵衛にも会える可能性が出て来るではないか。
木々の隙間から空を見上げると、太陽の位置がなんとか確認出来る。移転してからもう時間はかなりたっている。何時迄もこのまま何もしないでいるわけにはいかない。此処から一定方向に向かって歩いてみよう。そうすれば今居るこの場所に再び戻って来る事も出来るだろう。
研究所のスタッフはトラベラーの位置情報を把握しているとは言っていたが、用心するに越したことはない。必ずこの位置に戻って来れるように、あたりの風景を記憶しておこう。
おれは周囲の様子に注意しながら歩き出した。しばらく進むと、所々開けた場所もある。幸いさほど深い森でない事が分かってきた。起伏もほとんど無いから歩きやすい。これなら馬に乗って走る事も出来るだろう。
その時、
「ん!」
誰か来る。人が居た。思わず走り出しそうになったが、その足が直ぐ止まった。馬に乗った数人の男達がやってる来る。次の瞬間、おれは木立の陰に隠れていた。近づく男達は、明らかに武装集団だ。硬そうな胴着を身につけ、腰には剣を帯び弓まで持っている。あの者達の様子を見なくては。今出て行くのはどう考えても危険だ。
結局男達はやり過ごした。その後に出会った者も居たのだが、得体のしれないおれに警戒したのか、むこうが逃げて行ってしまった。
「ふう、どうしたもんか」
だがおれは次第に疑問を感じ始めていた。本当にこの時代の者と交流して良いのだろうか。過去を変えてしまうと、未来はどうなってしまうか、リスクは限りない。 万が一未来が変わると、おれの救出に支障が出るかもしれない。その可能性は原因と結果が瞬時に決まる。過去に降り立ったトラベラーの行動で未来が一気に変わってしまうなど、人間の理解出来る範囲を超えている。送り出したタイムマシンなど、どうなるかわかったものではないのだ。これは一旦元の場所に戻ろう、そう考え歩き出した足先の地面に矢が刺さった。
なに!
おれの周囲をあっと言う間に騎馬武者集団が取り囲むではないか。あのやり過ごしたはずの男達だった。
「その方、何者だ!」
馬上のひとりが声を響かせた。始めて聞く言語だが、声の調子で何を言われているのか見当は付く。この状況下で政治情勢や物価を聞かれているわけでも天気の話でも無いのだ。
「あ、おれは、結翔、いや、えっと、タイムマシンで、その――」
「殿、追っ手です!」
おれに声を掛けて来た武者とは別な男の声を聞き、指さした方を振り向くと、全速で駆けて来る荒々しい新たな騎馬集団が目に入った。おれの前には5騎、新たに現れた集団は10騎前後だ。
すぐおれの周囲で両集団同士の戦闘が始まった。
「わわわ」
5対10だ。だが木の陰に隠れるおれは、いつの間にか最初に現れた5騎の方を応援していた。判官贔屓。だいたいこういう時は追手の方が悪者と相場は決まっている。
敵のひとりだけは弓で射られ落馬した。後は全員馬を降りると、激しい斬り合いが始まったのだが、ひとり、あの殿と呼び掛けた部将がめちゃくちゃ強い。
次々と敵を切り倒していく。
「うおー、強っ!」
だがそれでも数の劣勢は明らかになってくる。斬り合っている範囲が広がってしまい、ひとりの剣豪だけで全ての戦闘に対処するのは無理ではないか。このままでは離れた場所の者が迫る複数の敵から順にやられて負けてしまう。何とかしてやりたいが、今のおれには何も出来ない。
その時、すぐ近くで敵に囲まれ明らかに防戦一方となっている武将がいた。おれに「その方」と声を掛けてきた人だ。左右から打ち掛かって来る敵をなんとか防いでいる。
「このヤロー!」
頭に血が上ったおれは既に倒れていた者の剣を拾い両手で握りしめる。兜などかぶっていない敵の頭を、後ろからぶんなぐってやった。さらによろめくそいつを滅多打ち。
劣勢だった5人組は3人にまで減っていたが、それでもなんとか凌いだようだ。剣豪が駆けつけると、残った敵は遂に逃げて行った。3人はおれの前まで来ると、助けてあげた武将が剣を腰におさめながら声を掛けてきた。
「その方、礼を言うぞ。名は何と言う」
多分礼を言われて、名前を聞かれているのだろう。
「あの、結翔、ユート、と申します」
次はきっとこう聞かれるに違いない、「ユートか、妙な服を着ておるな、異国の者かな?」と。
「妙な服を着ておるが異国の者かな?」
3人ともおれの足元まで興味深げに見ている。
この日おれの服装は黒のワイドパンツに、リーボックの派手なスニーカーを履き、シャツはユニクロで買った物で、白地に細いブルーのストライプが入っているボタンダウンだった。
「あ、あの、異国と言うか、そのタイムマシンで……」
やはりおれの服が目立つたのか。だからさっきはわざわざ戻って来たのだな。
「ユート」
多分名前を呼ばれた。
「あ、はい」
「カヤンに寄る事があれば、城まで儂を訪ねて来るがいい。いつでも歓迎するぞ」
再び馬に跨った3人が立ち去って行く。
「あ、ところで、えっと、今は何年――」って。
行ってしまった。
仕方がない、いったん元の位置に戻ろう。何か進展があるかもしれない。
だが、
「ん、これはまずい」
散々動き回って、元来た方角が分からなくなってしまったではないか。
夕闇が迫り、目安になるはずの太陽も沈んでしまっている。
仕方がない、これは此処で野宿だな。幸いさほど寒くはなかった。比較的柔らかそうな地面を探し、腰を下ろして木立に背中を預けた。
「ふう、やっぱり、これは厄介な事になってしまった」
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