第26話 日本にやって来たユミ・アレクシアさん
戦国の世も終わった大阪城から、現代に2度目の、いや3度目の時空移転されたおれは、結菜さんとまったりとした日々を過ごしていた。宇宙の超生命体とでも言ったら良いのか、おれを秀吉の嫡男鶴松に転生させたトキとは、多分……、永遠に会えなくなってしまった。だが、あの状況ならまあ仕方がない展開だった。
今台所に立つ結菜さんは食事の支度をしている。この匂いはカレーライスと彼女の得意料理目玉焼きだ。フライパンを持つその結菜さんがおれに声を掛けて来た。
「ねえ、今日外国の方から面白い話を聞いたの」
「ん?」
自他ともに認めるお城好きの結菜さんは、今も大阪城跡地で観光ガイドをしている。彼女のガイドは戦国武将のリアルな話やインスタグラム発信も手伝って、なかなか人気があるようだ。何しろ実際に戦国末期の時代に行って来た経験が強みだからな。外国から彼女指名で来る観光客なども居るという。
一方おれは相変わらずのフリーターでさえないかぎり。あのまま戦国時代に残って居たら、日本を支配していた権力者だなんて、誰が信じるだろう。
結局今のおれはこの狭いアパート暮らしだ。まあ現代に戻るか、あの時代に留まるかは究極の選択だったのだがな……
遠くを見るような気持になっていたおれは、結菜さんの声で現実に引き戻された。
「とっても綺麗な女性なんだけど、先祖が日本のサムライなんですって」
「サムライ?」
「そう」
「だけどその人って外国人なんだろう?」
女性はモルドバから来た観光客で、結菜さんのインスタグラムを見て会いにやって来たらしい。
「でもその方の先祖はヤスべとかの名前で、日本の剣豪らしいのよ」
「ぶは!」
ジュースを口に含んでいたおれは思わずむせそうになった。
「ヤスべだって!」
「そうよ、確か大阪城にもそんな名前の強いお侍さんがいらしたわよね」
安兵衛とはつい先日別れたばかりだが、実際に彼の生きた時代は1600年代前半で今から約4百年近く昔の話になる。
「でね、その女性に私のパートナーが多分詳しく知っているだろうから、会わせてあげるって約束したのよ」
「ちょっと待て、ひょっとして時空移転の話もしたの?」
だとしたらややっこしい事になる。
「それはしてないわ」
「よかった」
「会うのは明日ね」
「はあ」
その女性は名前をユミ・アレクシアと名乗った。先祖を意識して学んでいるらしく、流暢な日本語を話した。モルドバで商社を経営してる方のようなのだが、信じられないくらい美しい方で、カフェに入り向かい合って座ると、おれはまともに声が出なくなってしまった。美女に弱いおれの弱点がもろに出てしまう。
「…………」
「今日はいらして頂き有難うございます。結菜さんからいろいろお聞きして、是非お会いしたいと無理にお願いしてしまいました」
「あっ、そうです、あの、結菜さんはその、えっと今は、はい、えっと」
おれはテーブルの下で、隣に座る結菜さんから思いっきり足を蹴っ飛ばされてしまった。
「私の先祖は日本から来たサムライで、ヤスべと名乗っていたらしいんです」
「そうですか」
足の痛みでおれは自分を取り戻した。
「そのような名前の剣豪って、実際に居たのでしょうか?」
「はい、その侍でしたら、多分私の知る者ではないかと思います」
ユミさんはおれの返事を聞いて目を輝かせた。
「では日本の歴史に名前が残っているのですね」
「はい、実際に彼と会っていた私は、あ、いや――」
「…………」
さあどうしよう。おれが4年百前の人物と会っていたなんて言えるのか。
当たり前だが、奇人変人、危ない人の部類に入ってしまう。
多世界のパラレルワールド、つまりこの世界以外にも全く別な世界も存在しているなんて事は、実際に観測することも不可能で、その存在を肯定することも否定することも出来ない。
だから今ここでユミさんとそんな議論をするのは疑問だ。
「詳しく教えて頂けますか」
「それはもちろんです」
おれは熱心に聞き入るユミさんに、安兵衛に関して知っているほとんど全てを話して聞かせた。但し時空移転に関わる部分はごまかした。おれ自身もまだこの変化してしまったらしい世界に、すっきりしないものを感じていた。何がどう変わったのか確認も取れていないのだ。
この世界の現代では、ヨーロッパでヤスべと呼ばれ有名になっているらしいサムライは、九州の出身で名前は五島安兵衛。黒田利則殿の下に居たのだが思わぬ展開からおれ、つまり当時は秀矩の配下となる。薩摩藩を中心に伝わった古流剣術示現流の達人であった。しかし、その安兵衛がなぜ東ヨーロッパなどに行っていたのか。その辺の事情は全く分からない。おれが現代に戻ってしまった後の事なんだろう。何しろその後の4百年が、このおれには数日の、いやもしかしたら瞬間の出来事……
これはパラレルワールドなのか、それともただ未来が変化してしまっただけなのか良く分からない。とにかくおれがトキと出会う瞬間、つまり完全に以前と同じ現代に戻ったわけでは無かったのだ。
「オスマン帝国で彼はどのような暮らしぶりだったのかご存じですか?」
「オスマン帝国!」
「はい、ヤスべはそこで私の先祖、ラウラ・アレクシアと出会ったようなのです」
「………」
これは参った。おれは何も知らないではないか。あの安兵衛の身に一体何が起こっていたのだ。
もうユミさんに教えるどころではなくなってしまった。何とか知っている昔の話をしてお茶を濁した。
ユミさんと別れた後すぐ書店に行き、あらゆる歴史書を棚から引っ張り出して、遅まきながら安兵衛に関する記事を読み漁った。それでやっと分かったのだが、オスマン帝国や今でいう東ヨーロッパに渡って大活躍をしたサムライとして、どうやら有名になっているようだ。あの安兵衛が日本を飛び出し、遠い異国でそんな働きをしたのか。
戦国時代に転生して現代の知識を有効に活用したおれだったが、新しいこの現代では逆に知らない事だらけだ。戻って来てまださほど日が経っていないのだが、おれの元居た時代とは随分様子が違うと分かってきた。それはそうだろう、なにしろ家康が敗れて秀吉の嫡男秀矩が天下を治めたのだから。
だがその後は豊臣と関係のない新政府が誕生する事になったらしい……
結菜さんはユミさんからまだ数日のガイドを引き受けているようだ。おれは新しい現代に続く安兵衛の足跡データを、頭に詰め込んだのだった。
結菜さんもおれも甘党だと知ったユミさんから、翌日はアフタヌーン・ティーに招待された。
ユミさんと滞在先ホテルのロビーで再会したが、昨日とは違う彼女の優雅なファッションに圧倒される。なにか住む世界が違うようなと思っていると、ユミさんはこの外資系のホテルにとって格別な顧客なのか、スタッフがやって来てエレベーターで最上階に案内される……
昨日の街中で入ったカフェとは全く様子が違ってくるから、隣を歩く結菜さんにそっと声を掛けた。
「あの、今日はお茶なんだよね」
「…………」
ホテルで会うという事で、一応一張羅を着込んで来た結菜さんも心なしか緊張しているように見える。
大きな展望の良いラウンジに着くと、さらに別室に案内される。お茶を飲む為だけに個室が用意されていたのだ。ホテルのエグゼクティブシェフ率いるチームが時間をかけ創作したプライベートエリアでアフタヌーン・ティーが提供されるという。落ち着いた室内で、壁にはモダンアートの絵画、テーブルの横は季節のフラワーアレンジで装飾されている。見とれていると、部屋に案内してくれたスタッフとはまた別な女性が声を掛けて来た。コンシェルジュなのだそうである……
「こちらはアッサムティー・セレクションですが、他にもグリーンティー、タイ紅茶など、どれもシェフが特別に選んだもので御座います。またオーガニックコーヒーも用意して御座います」
優雅な仕草の女性コンシェルジュは「エスプレッソ、モカ、カプチーノ、ラテ、マキアートなどもご要望にお応えいたします」と丁寧に言った。やがてテーブルに色とりどりにデザインされたスイーツが運ばれてくる。甘党のおれと結菜さんはもう声が出ない。
次々と並ぶ、スイートクロテッドクリーム、パッションフルーツのジャム。
カノム クロック:ココナッツ・ライスケーキ。
チェリートマトのキッシュ。
クロカンブッシュ:マンゴーカスタード入りミニシュークリーム。
ミニチョコレートムース。
よりどりみどりだ!
早くも真っ赤な“いちご”モチーフのデコレーションを取り入れたムースと抹茶チーズケーキを交互に口に入れてしまった結菜さんは、初めてあの秀吉の建てた大阪城を目の前にした時と同じ陶然とした表情を浮かべて、目がうつろになっている。
もちろん甘党のおれも遠慮なく頂いた。
暫く食べてやっと落ち着き、興奮も収まってくると、ユミさんをほって置いては失礼だと気付いた。
「ユミさん、食べてばかりですみません」
「いいえ、昨日はヤスべの興味深いお話をどうも有難う御座いました」
「あ、いえ、そんな事」
今度はさっそくユミさんから御先祖の話を聞いてみる事にした。おれがユミさんから安兵衛の娘ユキの話を聞く番だった。ヨーロッパで海運王と呼ばれるまでになったユキなのだが、編成した商船団が地中海から大西洋、さらにはインド洋まで進出していたという。
「ユミさんはその事業を引き継いでいらっしゃるわけなんですね」
「私は力不足で、とてもユキのような活躍は出来ないでいるんです」
「やはり海運事業ですか?」
おれは柄にもなく、口をついて出て来る話がでかくなっている。
「今は陸と空運にも進出しています」
「…………!」
心の乱れを隠そうとナプキンで口元のクリームを拭き取ったおれだが、フリーターの自分を思うと、一瞬で話すべき言葉を失ってしまった。
あの安兵衛の子孫が……
「空運って、航空会社の事ですか?」
「プライベートジェットを世界中にチャーターしております」
「…………!」
なんとか先に進もうとしたが、もう完璧に言葉が出てこなかった。話に付いていけない。
おれは紅茶を一口飲んで、やっと質問を続けた。
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