第25話 安兵衛モルダビアの地に眠る


「殿……」

「ん、どうした?」

「その、生徒達が参っております」


 城下で学ぶ生徒達の代表数名が、大阪城の秀矩に面会を求めて来たのだった。

 

「秀矩様、私たちの審議書を持参致しました。是非ご意見をお伺い致したく存じます」

「審議書?」

「はい」


 生徒達は日本の内政や外交のあり方を審議し、その内容をまとめたので、秀矩様のご意見を伺いたいと言って来たのだった。

 秀矩は、うなってしまった。そこまで生徒達の意識は高まっていたのかと。


「分かりました。これは重要な事なので、後日、日本の内政を総括している太郎兵衛殿ともども、いちど皆さんと一緒に議論する場を設けましょう」


 と読み終えた秀矩は答える。新しい試みを全く否定しようとしない秀矩に、生徒達の顔は明るかった。

 実は太郎兵衛も隠居を申し出ていたのだが、秀矩がまだ後継者が居ないと無理やり引き留めていた。

 日本は海外に門戸を広く開け、何人も拒まず教えを請いていた。その卒業生達が郷里に帰って、さらに子弟を増やし続ける。秀矩の希望した人材は、既に数万人の規模で全国に広がり始めていた。秀矩(勝家)と佐助の試みが実を結び始めていたのだ。


「全国の大名達に触れを出して下さい」

「はい」


 生徒たちだけではない、全国の大名の代表者も集め、秀矩ら全員が集まり審議を重ねようという趣旨だ。

 始めは大阪城で開かれたのだが、すぐ手狭になり、やがて大きな公会堂が建てられて、国会審議館と名付けられた。

 審議委員制度も始まり、毎年更新された。

 こうして新しい日本は大きなうねりとなって沸き上がり始めている。世界の講師から教えを受け、全国に広がった若者達の日本を改革しようとする流れは、もう誰にも止められないものだった。



「サスケ」ブランドは17世紀後半のヨーロッパを席捲することになる。

 佐助の提唱する考えに触発された女性たちの間では、新しい美の形を追求する動きがエスカレートしていく。日本から送られて来るデザイン画は、パリの社交界でバイブルにまでなった。パインが居なくとも、ヨーロッパからの熱いメッセージが佐助の下に届けられて来るのだった。


 女性たちのコルセットが無くなると、ハイウェストのドレスが一般的になって行った。貴族階級の間ではスタイルがよく見えるという理由から、高くふくらませた髪型も流行する。

 史実ではフランス革命以後、ナポレオンの台頭に前後してヨーロッパの女性はよりシンプルな服装になっていくのだが、佐助はその動きを1世紀も早めてしまった。

「サスケ」ブランドの推奨する、曲線と直線の微妙なマッチングは、後世に現れるアール・ヌーボーやアール・デコのスタイルを先取りしていたのだ。極端に細い裾シルエットが話題を呼んだり、布のたるみを活かしたシンプルなスタイルのドレスが流行するようになる。

 特に佐助がこだわったのは、身体の動きがそのまま自然にドレスに伝わり、波のように動く処だ。それまでのがっちりと固めたドレスなどではない。ヨーロッパの女性たちは、信じられないようなその優雅に動くシルエットに魅了された。未来のしゃしんから得たインスピレーションが、佐助の埋もれていた類まれなセンスと絶妙にマッチングし始めていたのだった。


「流れるように、スカートが舞うように歩くのよ」


「サスケ」ブランドのガールズコレクションで、佐助はモデルの女生徒たちに声を掛けた。あの方が始められた大阪城でのガールズコレクションだ。佐助はそのイベントをずっと引き継いでいる。


「観客の反応が心配だわ」


 だが、コレクションの様子を伝え聞いたパリの社交界では、「サスケは美の職人だ」とささやかれる。東洋の美を洋服に昇華したと。だが、佐助は反応した。


「私は美の職人じゃないわ、女性を解放したいの。あの方もきっとそれを望んでいらっしゃるはず」


 佐助はそっと未来に問い掛けるのだった。


「そうですよね、殿……」







 安兵衛は娘に「ユキ」と名前を付けていた。雪のように肌の白い子だとの意味を知って、たいそう喜んでくれたミネリマーフだったのだが、既に病に倒れ、帰らぬ人となっている。病の床でミネリマーフは安兵衛の手を取り、


「ヤスべ様、私は貴方と一緒になれて幸せでした」

「…………」


 安兵衛もミネリマーフの手を握り返す。


「ミネリマーフさん」

「ユキをよろしくお願いします」


 安兵衛は最後まで妻の呼び方を変えなかった。ふたりは出会いからずっと互いを尊敬しあい、安兵衛はミネリマーフさんと呼んでいた。



 そしてユキはもう12歳になっている。ラウラの館を訪問した時は、庭で共に遊ぶラウラになついているようだ。

 ラウラが聞いて来た。


「ヤスべ様、私と一緒に住みませんか?」


 大きな瞳で見つめて来るラウラに、


「ラウラさん、私の妻は今もミネリマーフです」

「……ミネリマーフさんがうらやましい……」


 返事を聞いたラウラは、そう呟いて寂しそうに笑った。





 今では頭髪もすっかり白くなってしまった安兵衛の傍にユキが居る。


「お父様、何を書いていらっしゃるのですか?」

「これか、これはな……」


 安兵衛によって書かれているものは碑文であった。自らの墓に書かせようといういうのである。


「今は何処にいらっしゃるか分からないのだが、私の大事な、最も信頼している方への手紙なのだよ」

「え、どこにいらっしゃるか分からないって、そんな手紙を、いつどうやって渡すのですか?」

「はっはっはっ、そうだな。それは難しい質問だ」


 好奇心旺盛なユキは食い下がった。


「……ここに書かれている文字は、どういう意味なのですか?」

「ここに書いた文字の意味は……、殿、またお会いしましたなと言っているのだ」

「殿?」

「そうだ、殿だ」


 いつの日か殿はきっとここにいらっしゃるに違いない。そしてこの碑文を読まれる。安兵衛はそう確信するのだった。その安兵衛はそのままモルダビアの地を離れることなく生涯を終え、ミネリマーフの眠る墓の横に埋葬された。墓には安兵衛の願い通りに碑文が刻まれていた。


「TONO MATA UOAISIMASITANA YASUBE」


 碑文はオランダ式ローマ字で書かれていて、お会いという言葉が、うお会いになっていた。

 ラウラは残されたユキを養子として引き取り、生涯独身を貫いた。ユキはラウラの指導を受け、商人としての才能を開花させてラウラ・アレクシア家の後を継ぐ事になる。




 安兵衛と佐助から殿と呼ばれている結翔(ゆいと)は、現代の日本に戻っている。そしてほぼ地球の裏側のモルダビア公国、史実でそこはウクライナになっている。この新しい世界ではモルドバと国名が変わり、ユキの子孫がラウラ財団を築いていた。今の総帥はユミ・アレクシアで、先ほどからプロジェクター機能により、テーブルに投写された映像を操作している。パソコン本体に内蔵された赤外線センサーシステムによって写された映像を、手でタッチ操作をして空間に浮かぶスクリーンに見入っているのだ。


「戦国時代を生きたサムライの風俗をリアルに説明してくれるんですって!」


 日本で大阪城のガイドをしている結菜さんのホームページに、目が釘付けとなっているのである。それを読んでいるユミ・アレクシアは、このガイドの説明がただの知識だけではないと疑っていた。本で読んだだけでは知りえないリアルな情報が豊富にありすぎるのだ。


「これはぜひ直接会って確かめなければいけないわね」

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