第14話 スルタンの側近ヤスベ


 イェニチェリの男と対決した後、安兵衛は髷を切った。

 もう後戻りは出来ない。この地に骨を埋めようと覚悟を固めた時、ざんばら髪となった安兵衛はムラト4世に呼び出された。


「ヤスべ」

「はい」

「この者をそなたに授ける」


 そう言ってムラト4世は、横に控えている奴隷と思われる女性に、ヤスべの傍まで行くようにと指示した。ヨーロツパから連れて来られたと思われる女性だ。

 その眼は珍しいアースアイであった。世界にはさまざまな色の眼を持つ人々が存在するが、中でも最も美しい言われている虹色の眼がアースアイであり、鮮やかな色と模様を持つ瞳の色である。

 安兵衛の前まで進んで来た女子を見ると、大きな瞳の中に繊細な景色を閉じ込めているような瞳で、日本の女子とは容姿が全く違う。瑠璃色のドレスには様々な刺繍が施され、控えめな仕草で立っている。安兵衛が戸惑うような美人だ。女は安兵衛の前で膝を軽く曲げて腰を落とし、頭を下げて会釈をしたが、どうしていいのか分からない。


「…………」

「なんだ、気に入らぬのか?」


 自信をもって女子を選んだであろうムラト4世が声を出した。


「あ、いえ」


 オスマン帝国には雑多な言葉が溢れていた。公用語も無く、どの言語を強要するという考えもこの国には無かった。ましてや戦場で刀を振るうのに言葉は要らない。それでも少しづつ生活に必要な言葉を覚え始めている。しかしこの状況には、せっかく覚えた言葉が何も用をなさなかった。戸惑い、言葉が出てこない安兵衛にムラト4世は、


「ところでヤスべ、その髪はどうしたのだ?」

「はい、私はあなた様の帝国に骨を埋める覚悟を固めましたゆえ」

「…………」


 ムラト4世は満足げにヤスべを見ると言葉を続けた。


「その方の身分はこれよりセイフィエ(武官階級)とする」


 セイフィエとはイェニチェリ最高司令官と同じ階級である。家屋敷の他、目の前に立つ女性以外にも召使を用意すると言う。

 さらにムラト4世は言葉を続けた。


「ヤスべはこれより常に私の傍に居ろ」

「…………」

「何か言い分があるのか?」

「いえ、有難く仰せに従います」


 安兵衛はすぐムラト4世の足元にひざまずき、そのガウンの裾にキスをしようとした。この地の者達がスルタンに感謝の意を表す時の習慣を、すでに学んでいたのだ。

 戦場などで降伏したり負けを認めて、オスマンの配下になる事を許された国の高官などは、感謝と忠誠を示すため皇帝が羽織るガウンの裾にキスをしようとする。だがその際の待遇にも差は歴然とあり、敗軍の将としての立場を思い知らされる事となる。ガウンをわずかにずらす仕草をされた時は触ってはいけない。それ以上もちろん裾に触れる事は出来ず、首を曲げて皇帝の座る椅子の足にキスをする事になる。また玉座に近づく事さえ許されない場合は、皆の見守る前で床にキスをしなければならないなど屈辱的な扱い受けるのだ。

 だがムラト4世はガウンの裾を手にしようとする安兵衛を制すると、自らの手を伸ばした。ガウンの裾ではなく、私の手の甲にキスをしろと言うのだ。手の甲へのキスは、中世ヨーロッパの騎士道文化で生まれ、騎士たちが貴婦人への尊敬、敬意を表す形として、手の甲にキスをした名残である。相手に対する絶対的な忠誠心と尊敬、愛情を表現したのが手の甲へのキスなのである。ただしこれはそのような仕草だけで、本当にキスをする訳ではない。ところが騎士の中にはたまに不心得者がいて、そのチャンスを悪用し、本当にキスをしてしまい貴婦人たちの顰蹙を買う輩も居たという。

 ムラト4世の信頼を得て、スルタンの側近ヤスべが誕生した瞬間だった。安兵衛と共に来た侍達も、正式にイェニチェリの一員に組み入れられた。


 安兵衛に与えられた館は、静かな庭に囲まれていた。日本の家屋とは余りにもかけ離れていたが、一番の違いは何と言っても傍に控える女性だった。


「名前は何とおっしゃるのですか?」

「ミネリマーフと申します、ご主人様」


 その白い肌の女性は控えめに答えると、膝を少し曲げるようにして頭を下げた。アジェミー(新参者)と呼ばれる、ハレムに入ったばかりの娘だった。


「貴女はもう奴隷ではない。ご主人様ではなく、私の事はヤスべと呼んで下さい」

「…………」

「それから私の前で下を向いている必要はありません」

「…………」


 宮廷のしきたりで奴隷は主人の顔を直接見る事など許されていない。許可が有って初めて見られるのだ。やっと顔を上げて安兵衛を見つめる女性に、私の祖国日本に奴隷という制度は無いのだと説明した。だが、どう説明してもまた頭を下げるばかりだ。

 剣に生きて来た安兵衛は女子の扱いには慣れていない。


「もう好きにしてくれ」と突き放すような態度をとってしまう。


 するとその安兵衛の様子を見た女性は、さらに謝って来るので困り果ててしまった。しかし月日が経つと、その関係も次第に深まって行く。ムラト4世同様、ミネリマーフの信頼も得たようだった。

 ある日の事、安兵衛の館にひとりの男が訪ねて来た。


「ヤスべ様」と言って、小さな包みを差し出して来た。まだ話した事は無かったが、宮廷内で時折見かける人物だ。要件を聞くのだが、大した用も無いのか雑談をしただけで、包みを置いたまま帰って行った。木箱を開けると中に幾つかの宝石が入っている。安兵衛が腕組みをして見つめていると、ミネリマーフが傍に来た。


「ヤスべ様」


 今ではやっとご主人様とは言わなくなっている。


「ご注意下さい」

「なに!」


 あの者は信用がならないと言うのだ。


「…………」


 ただでさえ新参者の安兵衛が、ムラト4世の側近に取り立てられて、好ましく思っていない者も居るだろう。この先どんなトラブルに巻き込まれないとも限らない。用心するに越したことはない。


「さて、このような物をどうしたいいのか」


 だが、突然の来訪者はひとりだけではなかった。次々と大した用も無いのに訪れては、何かしら物を置いて行く者が後を絶たなかった。剣一筋に生きて来た安兵衛にとって、初めて経験する試練でもあった。







「旦那様、仁吉殿が参られました」

「お通ししなさい」


 当時の浪速は淀川下流のデルタ地帯で大阪城の西側、つまり丘の下はもう海岸で、もちろん穀物商の大矢太郎兵衛は大坂へ入る米の流れをはよく見ている。さらに両替商として掛屋も兼ねたうえ、諸藩の御用達を引き受けて財政再建にも尽力している。さらに豊臣幕府の経済ブレーンとして1万石以上の扶持米をもらっていた。その扱いは大名並みで、毎年、正月になると各藩から役人が挨拶にやって来る。それでも当主に会えず、番頭に会うのが関の山だった。

 だが仁吉の来訪となれば話しは別である。太郎兵衛も話が有ったので周囲の者を遠ざけた。


「太郎兵衛様」

「仁吉殿、今日はどのような御用件でしょうか?」


 仁吉の用と言えば、武器弾薬の事、あるいは製鉄所の事に違いないと太郎兵衛は思った。だが、切り出したのは意外な話だった。


「実は寺子屋を造ってみようと考えております」

「寺子屋ですか?」

「はい」


 仁吉の発想を現代風に言えば、職業訓練所であった。


「私は今まで、あの方から聞かされた銃を造る事に夢中でした」

「…………」

「ですが今では、私と弟子だけでは、とてもこなしきれない規模になっております」


 仁吉が見習いに入った頃は、トンカチで殴られながら、技術を盗み覚えたものだと言う。だが今そんな事をしていたら、到底秀矩様の要求するような数はこなせないだろう。職人をもっと増やす必要があると相談に来たのだった。


「なるほど、それで寺子屋ですか」

「はい」


 寺子屋と言うのはちょっと違う感じもするが、仁吉の言いたい事は分かる。

 確かに仁吉の言う通りだ。武器や弾丸を輸出するという事を考えると、それに対応できる技術者を一気に増やす必要が有る。ふたりともあの方の傍に居て、職人の分業化という事は既に聞いた事がある。この時代の者とはどこか違う考え、感性を身に着け始めていたのだった。





 大航海時代はさまざまな変化を世界にもたらした。

 南米大陸では土着の民族や文化が根絶やしにされて、アルゼンチンなどの国で見られるように、白人系や白人系との混血の国民がほとんどを占めている。スペインやポルトガル人の入植による、民族浄化ともいえる悲惨な歴史の結果である。ところが東南アジアではそのような事が起こらなかった。スペインやポルトガル人などが大挙して押し寄せて来ていたのにも関わらず、白人系が多数を占める国は現在一つもない。これには日本人の傭兵が深く関わっている。

 日本で朱印船貿易が盛んになっていた頃、東南アジアでは傭兵として、現地の組織に雇われる日本人の侍が大勢いた。何しろ戦国の世を生き抜いて、戦慣れしている連中なのだ。朱印船に乗れば海外渡航は簡単で、激しい戦いにも慣れ、鉄砲を扱える日本人傭兵は東南アジアの政治状況を左右させるほどの影響力を持っていた。オランダもイギリスの東インド会社も勇猛な日本人傭兵を雇っていたのだ。

 そしてその頃、タイオワン事件という出来事が起こった、明国との貿易を行う際の中継基地が高砂(台湾)である。そこをオランダ東インド会社が占領して城を建て、この地における交易には一律10パーセントの関税をかけはじめた。明国の交易商人などは従ったが、これに断固反発したのが朱印船の船長浜田弥兵衛であった。オランダ総督を人質にして関税撤回を要求。もちろんオランダも戦おうとしたが、日本人傭兵の力にはあらがえず、紛糾の末、ついにオランダ総督はこれをのみ、高砂を自由貿易地とする事に成功した。

 またアンボイナ事件では、イギリス東インド会社に雇われていた日本人の傭兵がいた。オランダの衛兵らに対し、兵の数をしきりに尋ねていたと言う。これを不審に思ったオランダ当局が、拘束して拷問にかけた。するとイングランドが砦の占領を計画していると自白。直ちにイギリス東インド会社商館員ら数十名を捕らえた当局は、凄惨な拷問を加えて認めさせた。関わった日本人傭兵は、10名ほどだった。

 いずれにせよ日本人傭兵の力が強く、スペインもオランダも南米のように簡単にはいかない事が重なり、ヨーロッパの国々では、日本人の傭兵が居る東南アジアの植民地化は難しいとの認識がされはじめたのである。日本人傭兵が居なければ、今頃東南アジアは白人系の人種が大半を占める国々になっていたかもしれないのだ。

 だがヨーロッパがアジアに進出させている東インド会社の影響は大きい。彼らは互いに軍隊を繰り出してまで、自分たちの権益を守ろうとしている。それだけアジア貿易は利益が大きいという訳だ。

 一方アジアの国々は、ヨーロッパ勢の言いなりになっていた状況がある。北インドの都市ではそれまで商工業が発達していたのだが、イギリス東インド会社と関わってから、既製品を輸出する地位から原材料供給国となり、代わって既製品輸入国となってしまった。原材料を輸出するだけでは貧しくなるばかりだ。既製品を輸出する国にならなければならない。それが秀矩の考え方だった。

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