第11話 ムラト4世


「旦那様、仁吉殿が見えられました」


 太郎兵衛の屋敷に、今は鍛冶業界の大御所となっている仁吉がやって来た。先の将軍秀矩より、新式火縄銃などを開発した功績を認められて苗字帯刀を許され士分になっている。太郎兵衛は普段自分の穀物商も続けている為、城下の屋敷に住まい、大阪城とを行き来する日々である。


「仁吉殿、今日はどのようなご用件でしょうか?」


 よそ行きの服装に、なれない脇差を腰に差した仁吉は、幾分緊張した面持ちで話し出した。


「早速ですが太郎兵衛様、私はあの方から鉄砲の未来を聞き及んでおります」

「…………」

「そのような鉄砲の開発をするには、ぜひとも必要な物が有り、そのお願いに参りました」



 豊臣、いや日本の将来の為には、大掛かりな製鉄所の建設が必要だと聞かされていたと言うのだ。

 日本での製鉄の歴史というのは意外に古く、なんと最古の遺跡は古墳時代にまでさかのぼるとか。鉄鉱石を原料として鉄を作る近代製鉄は、安政4年(1858年)に南部藩士が釜石において始めた。中国地方で製鉄が行われたのは、原料の砂鉄や燃料の木炭の入手が容易だからだ。豊臣政権下で進められるとすれば、日本における製鉄所の建設は史実より2百年も早い事になる。


「分かりました。幸村殿にも相談してみます」

「お願いいたします」


 仁吉は不器用にお辞儀をすると下がって行った。




 あの方から直接言われたという6人の記憶をまとめて、豊臣家が後の世にまで伝えて行かねばならない家訓として、書き留める作業は幸村がしていた。

 中でも最も貴重な経験をしたのが、秀矩の護衛を務めていた剣豪安兵衛であった。何しろ彼はあの方と共に、実際の未来に行って来たと言うのだ!


「話に出て来たチンドン屋と言う物を一目見て見たかったのですが、それは叶いませんでした」


 信じられない事ではあったが、その詳細な話を効くに及んでは、信じざるを得なかった。こうして未来でフリーターと呼ばれていると言う方の語録集は、代々豊臣家の子孫に伝えられて行くことになるのだった。





 大阪城の一室が洋風になっていて、商人パインは椅子に腰掛け控えている。秀矩が姿を現すとパインはすぐ立ち上がり、腰を折って深々と頭を下げる。


「久しぶりですねパイン殿、どうぞお掛け下さい」


 厚く漆が塗られた机には茶菓子として、南蛮菓子かすていらとかりん糖がギヤマンの皿にのせて供される。ギヤマンはポルトガル語でダイヤモンドを指す言葉だった。その南蛮菓子を目にしたパインは、


「これはかりん糖ですか」

「はい、あの方もよく召し上がっていらっしゃいました」


 秀矩は笑って答えたが、すぐに話題を変えた。


「ところで、見つけられましたか?」

「はい将軍、アフメト1世の子でムラト4世と言う者です」

「ムラト4世ですか」

「はい、今は亡きアフメト1世を慕うイェニチェリ軍団の亡命者達は、聡明なムラト4世を支持しているようです」


 イェニチェリとはトルコ語で、火器で武装した新しい兵隊を意味する。

 ムラトは逃げ惑う帝国の民をその目で見ている。長きに渡って繁栄し、腐敗しきっていたオスマンがいかに弱かったかを、子供なりに理解していたのか。若き指導者はオスマン帝国再興を目指し、自ら4世を名乗っていたのだった。


「ではパイン殿」

「はい」

「日本はそのムラト4世を支持します。武器の支援を申し出るようにして下さい」

「それでは、仁吉殿とも相談致します」


 未来の鉄砲や武器の知識を得ている仁吉は、新式火縄銃にとどまらず、更なる発想の火器や武器を造り、その改良と品質の向上に励んでいた。与えられた情報以上の創意工夫を進めていたのだった。


「それから貿易に関してですが、イングランドとだけの取引は止めて、これからは多くの国と交易を図ることにします」

「…………」

「オランダも日本との独占貿易を狙っているようですが、特定の国だけと交易をすると言う事は良くありません」


 秀矩は勝家であった時代に太郎兵衛の元に居た。九州を拠点にした南蛮貿易の最前線の状況を知ると同時に、商売人の感覚も身に着けていたのだ。パインは秀矩の毅然とした外交態度とそのセンス、決断の速さにはいつも驚かされている。


「またポルトガルはいつの間にか、中国の生糸を日本に運んで銀と交換し、ヨーロッパに香辛料を運ぶよりもはるかに大きな利益を得ていると言うではないですか」

「…………」


 ジョン万次郎は明治3年(1870年)、普仏戦争視察団として大山巌らと共に欧州へアメリカ経由で派遣されている。グローバルな活躍をしている最初の日本人だ。もし秀矩のような人物が実在していたら、万次郎より2世紀も早く世界を俯瞰して活動する日本人となっていただろう。


「平戸に拠点を築いたイギリス東インド会社のように、日本もアジアに貿易会社を出そうと思うのです」

「では私の会社が有るアユタヤではいかがでしょうか」


 パインはシャム(タイ)を中心にアジア全域の国と取引を行っている。そこを共に拠点としようと言うのだ。実際にはパインの会社とは別な貿易会社が、同じシャムのアユタヤに設立される事になる。


「あの将軍、ひとつお聞きしてもいいでしょうか?」

「何ですか」

「先ほどのお話ですが、まだ再興出来るかどうか分からないオスマン帝国です。肩入れすると仰るのは何故ですか?」

「今ヨーロッパはイングランドからの独立で混乱していて、東方に出兵する事は出来ないと考えられます」

「…………」

「またサファビー朝ペルシャは、北から国境を脅かす遊牧民族に苦慮しているようです」


 パインは秀矩の目をじっと見つめ、その言葉に聞き入っている。


「私はムラト4世と、彼を慕うイェニチェリ軍団の亡命者達に賭けようと思います」

 

 共に歩むのなら成熟しきった王朝よりも、もっと可能性のある国に目を向けようと言うのだ。それを聞いたパインは身を乗り出した。


「それでしたらアメリカとはどうでしょうか。今はまだ東の端だけの植民地ですが、大陸の西には未開の荒野が広がっているそうです」

「…………」

「イングランドよりずっと遠くなりますが、これから交易すれば、かの土地の者でしたら無限の可能性を秘めていると思われます」

「なるほど、貴重な情報をありがとう。そのようにしましょう」





「大矢様」

「はい」


 秀矩はいまだに太郎兵衛をそう呼んでしまう。ふたりだけになる時は、いつも勝家時代の師弟関係に戻ってしまうのだ。太郎兵衛も秀矩と勝家の関係は知っているのだが、今では常に秀矩様とお呼びして立場をわきまえ接している。


「イングランドとの交易に支障はないでしょうか」

「と申されますと」


 東南アジアでの交易を盛んにするのは良いが、イングランドやオランダなどと問題を起こすのは避けたいと考えているのだ。


「イングランドとオランダはアジアで激しい利権争いをしているようです」

「…………」

「かじ取りを間違えれば、我が国も同じ紛争の渦に巻き込まれかねません」


 この時代、イングランドとオランダの両東インド会社はアジアの貿易で対立していた。

 そこに1623年、イギリス東インド会社商館をオランダの手の者が襲い、商館員を全員殺害するアンボイナ事件が起きる。詳しくは分からないが、この事件には日本人の傭兵も関わっていると言う。これにより、イングランドの香辛料貿易は頓挫し、オランダが権益を独占していく事になる。


 この事件は東南アジアにおけるイングランドの影響力を縮小させ、オランダの支配権を強めた。しかし、かつて同量の金と交換されることもあったほど高級品だった香料は、冷凍保存の技術が開発されるなどした為、その価格は次第に下落。それに伴い、オランダの世界的地位も下がって行く事になる。

 一方海外拠点をインド、イラン(サファヴィー朝)へ求めたイングランドは、良質な綿製品の大量生産によって国力を増加させて行った。


「イングランドと競合しない交易品を取り扱う必要があるでしょう」

「そうですね、イングランドとは今の友好な関係を壊したくない」

「はい」


 この時代は幸いにと言うか、日本で香辛料の需要はさほど多く無い。だから胡椒などの権益にこだわる必要が無かったのだ。

 ここで部屋の外から家臣が声を掛けて来た。


「殿」

「どうした」

「仁吉殿がお目にかかり、お話したい事があるそうです」

「お通ししなさい」


 大阪城の奥まった一室にやって来た仁吉は、秀矩の前に出ると深々と頭を下げ、そこに居た太郎兵衛にも会釈をした。


「仁吉殿、今日はどのようなお話ですか」

「はい、実は……」


 仁吉は秀矩が想像も付かないような話をし出した。これまでと違う、全く新しい銃を開発しているというのだ。


「あの方は、機関銃と仰ってました」

「機関銃?」

「はい」


 多くの弾丸を連続して発射できる銃だと言う。


「しかし今の火縄銃の改良だけでは限界が有ります」

「…………」

「弾丸と火薬を別々に装填していては機関銃にはなりません」


 このふたつを一体化させる必要があると言う。そのためには鉄よりも柔らかくて、加工がしやすい金属の開発が是が非でも必要だと、話に来たのだった。


「そのような金属が出来るまで、火薬は紙製薬莢で包み、別々ですが連続して装填出来ないか考えておりました」

「それで、何処まで出来ているのですか?」

「はい、実は今日その試作品をお持ちいたしました」


 機関銃の試作品を披露出来ると言うのだ。中庭に設置された機関銃をさっそく試射してみることになった。

 

 火薬の包みと弾丸がセットになっていて、それを上に積み上げる薄板状のカートリッジがある。射手はふたりで、ひとりがそのカートリッジを上から下に押し込んでいくと、もうひとりは一発づつ引き金を引く。また銃座の一点で支えた銃身は、自由に回転出来るようになっている。引き金を引きながら上下左右に振り、狙いを移動させる事が可能だった。火薬への点火方法は火縄銃と同じようなものだが、発砲速度は驚異的に早くなった。後は故障なく何処まで連射出来るようになるかがカギだと言う。


「仁吉殿、これを量産出来ますか?」

「はい、お望みとあらば、さらに改良を加え、増産にこぎつけます」


 現代の機関銃からは程遠い物だが、それでも一発ずつ弾丸や火薬の包みを装填して撃つ新式火縄銃と比べたら、画期的な攻撃力を発揮するだろう。ましてやこれを増産して並べ、一斉に撃てば、とんでもない展開となるに違いなかった。

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