第6話 ユキの決意


「マラトてのはあんたか?」


 ついに船が見つかった。ユキの言っていた水夫頭はちょうど食料と水の買い出しに上陸してしたところで、暴徒達は疑うことなく下船を許したようである。


「分かりました。協力しましょう」


 船は確かに暴徒に襲われ乗っ取られたのだが、背後にはどうも貴族達の影がちらついているのだとマラトは言った。さらにここで買い手が見つからなければ、地中海に出ようとしたのだが、ヴェネツィア海軍が海峡を封鎖しているのでやはりすぐには動けないようだ。


「船乗りと襲って来た連中は何人だ?」

「船乗りは70人で、武器を持って乗り込んで来た連中は20人くらいです」

「全員船に居るのか?」

「はい」


 結局3人で下手に乗り込んでも、銃で武装している暴徒達が相手ではダメだろうと、仲間全員が来るのを待つことになった。



 


 遅れてコンスタンチノープルに着いたユキはバルクから報告を聞き、タリウトとふたりを見る。


「これは不意を突いていきなり乗り込む方法を考えるしかないでしょう」

「それ以外に手はなさそうですね」


 タリウトの返事を聞き、ユキは水夫頭マラトに指示を出した。


「明日の朝早く乗り込みます。乗組員全員にその事を伝えておいて下さい」

「はい」

「但し、暴徒の連中には気づかれないようにね」

「分かりました」


 さらにユキはマラトに金貨を渡した。


「酒を買って帰りなさい。暴徒の連中にうまいこと言って飲ませるの」




 翌朝早く、数隻の手漕ぎボートを借りた。傭兵達とユキが沖合に停泊しているパルパテチオ号に近づくと、待ち構えていたマラトが顔を出す。


「こっちだ」


 投げ降ろされた縄梯子を伝い、次々と傭兵が乗り込み、ユキも乗り込む――


「ユキさん、うまくいきました、こちらです」


 マラトの案内で暴徒達の居る船室に行くと、ほぼ全員がうまい具合に酔いつぶれていた。20人ほどの暴徒は、その場であっけなく後ろ手に縛られ、船底に連行されて転がされる事になる。

 そして、ルーマニア人貴族の男がひとりいた。


「貴方がリーダーね、船を奪った盗賊行為です。モルダビアの法廷で裁かれるでしょう」

「…………」


 その男も他の暴徒と同じように後ろ手に縛られ、船底に投げ込まれた。




「タリウトさん」

「はい」

「今から別行動で、ワラキアのカンタクジノ家の館に行って下さい」


 あの時の夫人に会い、食料やその他の物資を調達する手助けを頼んで欲しいと言った。


「このコンスタンチノープルに輸出するのです」

「分かりました」


 タリウトはユキと同じようにコンスタンチノープルの状況を見て、輸出すると言う言葉を聞き、その考えをすぐに理解した。


「では10人ほど兵を貸して頂き、参ります」

「はい、そうして下さい」


 ユキはタリウトに十分な金貨を渡す。そして船は馬も積み込みワラキアに向かうのだが、その前に一度モルダビアに寄って様子を見る事にした。





 パルパテチオ号がモルダビアに着くと港が不穏な空気に包まれている。


「どうやら上陸は無理ですね」


 まだ暴動の余波が残っていて、自由な上陸は無理だと分かった。

 再び出航となる。


「ユキさん、これからどうするんですか?」


 バルクが聞いて来る。


「船底から暴徒達を連れて来なさい」


 甲板に20人ほどの男達が連れ出されたのだが、全員を縄でつないである。久しぶりに日の光を浴びて、皆目をしばたたせている。ユキが船底から出した理由を説明し始めた。 


「あなた方にはふたつの選択肢があります。ひとつはこの船で働く事。そうでない場合は、また船底に戻ってもらいます」


 無敵艦隊の旗艦であったガレオン船サン・マルティン号は乗員が6百名も居たという。この時代の帆船は常に人手が足りなかった。特に外洋に出る帆船の水夫は、戦場に行く兵隊に次いで危険な仕事だった。栄養失調で死ぬ者など当たり前で、アフリカの喜望峰を回る航海など、半数は生きて帰れない。出港時に水夫の頭数が足りなければ、港の酒場に行き、酔いつぶれている男を片っ端からさらって来る。船に乗せて船出した後は、もう働くしかないと引導を渡す。そんな事がごく普通に行われていた世界だった。

 さらにこのラウラ家が総力を上げて作ったパルパテチオ号は巨大で、いくらでも水夫が必要だったのだ。男達は皆働く事に同意した。もともと暴徒に加わった理由も、職にあぶれた日々の鬱憤からだった。ユキは給金を必ず払うと言っているのだ。さらに貴族の男も、再び暗い船底に戻されるくらいならと、甲板で働く事を希望した。


「船長」

「はい」

「ワラキアの港に向かって下さい」

「分かりました。甲板長、帆を上げろ、出航だ」


 モルダビアの南に位置するワラキアに港は無いのだが、オスマン帝国領の港からさほど離れてはいないし、帝国領とは何の問題も無く行き来できている。

 数層構造の巨大なパルパテチオ号船尾楼は、重厚な調度品で飾られている船主の専用船室でもある。背後の窓から、静かに離れてゆくモルダビアの港をユキは見ている。その港の背後には、あのラウラ邸のある丘とラウラを埋葬した場所が遠望できるのだ。

 帆をはらんだパルパテチオ号の航路後が白い波筋となって細く続いている。羽織袴姿のユキは床を突いて刀を立てる。そして柄に両手を重ねて置きつぶやくのだった。


「おば様、見ていて下さい。これから私がラウラ家を立派に再興する事を、この刀に懸けて誓います」




 船が港に着くと、ユキはすぐ傭兵を連れてカンタクジノ家の館に向かう。表門から中庭に通ずる道の両脇には、チューリップ、ヒアシンス、アネモネなどが咲いている。出迎えてくれたエバァ夫人はカンタクジノ家の第2夫人であったのだが、今は未亡人となっており、ほぼ家長として実権を握っていた。


 ユキは先に来ていたタリウトから説明を聞く。

 夫人は食糧や他の物資の調達に協力してくれ、既に港に輸送する手はずが整っているとの事だった。夫人の招待で夕食の宴が始まる。ユキの他バルク、タリウト、クイナがテーブルに着いた。他の者も皆別室で歓迎されているようだ。

 宴も後半になり、夫人はカンタクジノ家の現状を話し出した。カンタクジノ家はギリシャ人の祖先に始まるファナリオティスの由緒ある家柄であった。現在カンタクジノ家の領地はワラキアの東の外れで、オスマン帝国の支配地と接していた。北方に位置する宿敵のバレアヌ家は大地主であり、抗争が長引いてカンタクジノ家は劣勢に立たされているのだと言う。先に助けられた時も短い距離だからと、油断していて供の者も少なかった。だからひどい嫌がらせをされそうになっていたようなのだ。


「これも何かの縁ですね。私達に出来る事は何でもしましょう」

「有難う御座います」

「それから物資の調達はまだまだこれからも続くと思われます」

「…………」

「協力して頂けますか?」


 夫人は喜んで協力すると言った。







「ユキさん!」


 傭兵のひとりが深刻な顔で報告に来た。


「どうしたんですか?」

「積み荷が奪われました」

「えっ」


 港まで運んでいた積み荷の一部が、何者かの集団に奪われたと言うのだ。

 ふたりの傭兵が付いていたのだが、集団で襲われ奪われてしまったようだ。


「御者ともうひとりは無事ですか?」

「御者はすぐ逃げ、傭兵のひとりは深手を負いましたが、命に別状はないようです」

「…………」


 ユキは負傷した傭兵と共に、深手を負った者を見舞った。


「大丈夫?」

「これくらいの傷は……」

「動かないで」


 起き上がろうとした男をユキが止めた。


「敵は大勢だったの?」

「20人くらいでした」


 敵対勢力の仕業に違いないとにらんだユキは、すぐ館に皆を集める。夫人からバレアヌ家の情報を聞いた。


「バレアヌ家はどの位の兵力を持っているのですか?」

「その時により差はあるんですが、20人ほどの時も有れば、50人を超える私兵を出して来る時もあります」

「これからは軍団全員で護送する必要が有るわね」


 ユキはバルクに敵情を偵察出来ないかと聞いた。


「やってみます」


 数人の男達が選ばれて、偵察に行く事になった。


「それから一刻も早く荷物をコンスタンチノープルに運びたいの。すぐに出発しましょう」

「分かりました」


 幸い強奪された積荷は調達した物のごく一部だった。残された食糧も他の物資も十分な量がある。全ての荷を、軍団全員で護送する事になった。


 さすがに今回は襲って来ない。港に着くとすぐ積み込みが始まる。


「タリウトさん」

「はい」

「この港を管理している帝国の行政官に会いたいので調べて下さい」

「分かりました」




  行政官の屋敷は港の近くに有った。


「私はモルダビア公国の商人ユキと申します」

「…………」

「この度は行政官様にはお会いして頂き、光栄に存じます」


 行政官はテーブルに置かれた果物をつまみながらユキを見た。


「何の用かな?」

「はい、私は先日コンスタンチノープルから帰ってまいりました」

「…………」

「行政官様のお国は大変な状況になっており、食糧の輸出をしなければと用意しました。行政官様のお力添えを得て船の出航を許可して頂ければと、こうして伺いました」


 交易船の出航は届け出だけで、許可など必要ないのだが、これから大量の物資を輸出しようと考えているのだ。今のオスマン帝国は戦時中でもあるし、後々の事を考えると用心に越したことは無い。

 ユキは行政官にさりげなく高価な贈り物を手渡した。教えられた処世の術の一部である。「世の中は自分の感情だけでは動かないのよ」ラウラはそう言ってユキを教え導いたのだった。

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