第4話 雑草の名を覚えていますか (4)

「随分早かったね」

 そう首を傾げるやなぎの瞳には、怪訝というよりも疑惑の念が込められていた。ちらりと腕時計の文字盤に視線を落とす。一時間と少し。そのうちの四十分ほどは学校の敷地内を歩き回って終わっている。松葉まつばさんがいたら教えてもらうよう頼み、第一校舎から第二校舎、それから中庭や図書館まで大体の敷地を見て回り、部室に戻ってからは次の活動日を確認して解散した。当然と言えば当然だけれど、たいして真剣に松葉さんを探すわけでもなく一回分の活動が終了した形に見えるのだろう。肩をすくめる。煩雑な部室で彼女と対峙した僕は意図的にいたずらがバレた子どものような表情を浮かべてみたけれど、柳は説明を求める目つきのまま、僕の手元を指さした。

「しかもそれ、いつもあかねくんが学校に置いて帰る本だよね、どうして取りに来たの? わざわざ猫村ねこむらさんを連れて」

「ごめんね。活動が予定通りにいくかわからなくて、情報共有するタイミングを失ったんだよ。それに、目的が無いと校内を歩き回るのが少し不自然かと思って」

 猫村さんの友達の幽霊が、三年生の教室にいるのは少しおかしい気がしない? と僕は喋りながらポケットのスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開いた。一番上の――ついさっきメッセージを受け取った本のアイコンをタップし画面を柳に向ける。

「……第二校舎のエレベーター、第二校舎三階の手前から二番目の教室のベランダ、第二校舎と第一校舎を繋ぐ二階の渡り廊下……」

 校内に散在するいくつかの場所を柳は小さく読み上げ、「全部さっき行ったところだ」と呟いた。

「ここは?」

本瀬もとせに調べてもらった。校内で幽霊がいる場所として有名な場所だよ」

 噂は何度か聞いたことがあった。どの学校にもある七不思議のような、フィクションの要素が多いエンターテイメント的な話題ではあったけれど、もしかしたら、真面目に聞けば実際にそういう存在を認識できる人がいるのではないかと思ったのだ。だから一番交友関係の広い本瀬に頼み、幽霊が出る場所を聞き込んでもらっていた。

 本瀬はただの雑談として友人や先輩を巻き込み、かなりの情報を集めてくれたらしい。オカルト研究会なんかもあるから盛り上がったのかもしれない。場所の他にも、その場所が挙がった回数や信憑性の有無を細切れなメッセージで報告してくれていた。

――第二校舎のエレベーターは本当にいるっぽい、霊感あるやつが絶対近づかないって。

――第二校舎三階の手前から二番目の教室のベランダ、小さい女の子を見た人が何人かいた。

――第一校舎と第二校舎を繋ぐ渡り廊下、無人なのに誰かが走っていく音とか、窓閉まってるのに変な風を感じた人が数人いるらしいぜ。

 手のひらサイズのディスプレイに収まる、文字でできた何人もの幽霊の姿を見つめながら、柳は「でも」とうすい唇をひらいた。

「猫村さんは何も言ってなかったよ」

 僕は頭を掻いた。可能性のひとつとしては予測していたけれど、なかなか難しい方向に話が進みそうで簡単に言葉を出せなかった。

「幽霊とコミュニケーションがとれるくらいだから、どこかの幽霊は認識すると思ってたんだ」

 でも、彼女はどの幽霊スポットに差し掛かっても何の反応も示さなかった。もちろん、その情報がまったくの作り話で、実際に幽霊なんかいなかった可能性だってある。それか、松葉さんを含めたすべての幽霊が見えなくなっている可能性も。でも、猫村さんは認識できなかっただけでなく、松葉さん以外の幽霊の話をしたことがない。きっと、松葉さん以外に幽霊を知らないのだ。

「そういえば」

 しばらく唸っていた柳がおもむろに口を開いた。

「ん?」

望星みほしちゃんは、猫村さんの依頼内容を知ってるのかな」

「そりゃあ、知ってると思うよ。探し物だったらまず内容を聞くだろうし、定期とか財布とか普通の失くしものだったらわざわざ捜索部を紹介したりしないでしょ。しかも入学すらしてない新入生を。筋が通らない」

 失くしものを探す場所が行ったことのない場所だなんて、普通はあり得ない。失くしものは過去のどこかでするものだ。

 彼女は差出人のわからない手紙を受け取ったときのような表情を浮かべて黙り込んだ。その小さな頭の中でいろいろな思考が巡っているのをイメージして、思わず口をつぐむ。賑やかな運動部数人の声が外から響いてきて、より沈黙が色濃く沈んだ。

 柳のわずかに刻まれていた眉間の皺が深くなった。

「じゃあ、望星ちゃんは猫村さんが幽霊を探してるって知って、そのうえで捜索部について話したってことだよね?」

「きっとね」

 さっき、彼女は「早速つぶちゃんの依頼を引き受けてくれたんだね」と言っていた。やはり依頼内容を知っている口ぶりのように聞こえる。最初に、猫村さんは望星に対して幽霊の話をしたのだろう。「魔女に隠されたものを探す」なんて胡散臭くて怪しい部活を、「先輩が教えてくれたから」というだけで入学後幾日もしないうちに訪ねてこられるくらい信頼している先輩なのだ。望星だって、内容も聞かず無責任に捜索部を紹介するような人だとも思えない。

「じゃあ、ちょっとおかしいかもしれない」

「おかしい?」

「だって望星ちゃん、幽霊とかおばけとか全然信じてないから」

 結構前の話だけど、と柳は計量カップに水をそそぐような慎重さで言葉を続けた。

「幽霊とかおばけとかは、科学で解明できる現象の理論的な部分を、心が覆い隠してるだけなんじゃないか、って言ってた。だいたいはフィクションだと思ってるって。自分が全然信じてないものについて話をされて、簡単に捜索部をあてにさせるかな。それって少し、こっちへの押し付けな感じがする。望星ちゃんのイメージに合わない」

 なんとなくだけど、と自信なさげに呟く柳の繊細なまつげを見つめながら、凛とした望星の横顔を思い出した。

 もし、可愛がっている後輩が自分の認識の範囲外の存在について相談をしてきたとして、そのとき僕はどうするだろう。いや、違う。今僕たちはその場面にいる。最初猫村さんと話をした時点で、僕たちが置かれたのはそういう状況だ。

「望星ちゃんだったら、多分自分で調べると思う。私たちが話を聞いてこうやって松葉さんについて考えるのと同じように、猫村さんとちゃんと話をして、一緒に探してみると思う。でも猫村さんはそんなこと言ってなかったし、望星ちゃんだってそういう報告は私たちにしてこなかった」

 確かに、もし猫村さんと望星がふたりで松葉さんを見つけるためのなんらかの取り組みをしたのなら、その情報をこちらに伝えるのが自然だ。わかっていることがあるのなら共有した方が、無駄な動きを省略できる。そんなことは、最初僕たちが松葉さんについて話を聞いたときに猫村さんだってわかるはずだ。

 つまり望星は、猫村さんの事情を知っていて、且つそれを解決するのは自分ではなく捜索部が適任だと判断して紹介したことになる。

「明日、望星に訊いてみようか」

 神妙な顔で柳が頷く。その緊張した輪郭に「力抜いて」と声をかけると、目の前の真面目で優しい少女は恥ずかしそうにほどけた息を零した。

「とりあえず、僕は先生に今日の活動を報告してくる。少しかかるだろうから先に帰ってて」

「ううん、下駄箱のところで待ってるよ」

「そう? ありがとう、じゃあ一緒に帰ろう」

 部室を出ると、さっきまでのあたたかくぼやけていた空気は冷え、すこしだけ硬く張り詰めていた。ゆったりと充ちていた空気が、上履きの足を踏み出すたびにぴりぴりと破れていくようで、意味もなく足音を立てずに僕は石畳を進む。


***


 ローファーで石畳を歩くのが好きだ。

 優しい力で支えられている。例えば柔らかな土だったら、ぎゅっと少し沈んで自分の重さを認識してしまうけれど、石畳はとんと柳の重さを前へ進む反動にしてくれる。しなやかな革と石が重なる、たんと弾んだ音も心を軽くする。

 先生への報告が終わって帰ってきた茜は、下駄箱の周りをローファーで歩き回る柳の姿を見て、眉を寄せながら口角を上げた。

「なにしてるの?」

「歩いてたの」

「退屈だった? ごめんね待たせて」

「そうじゃないよ」

 柳は石畳とローファーの組み合わせの心地よさを説明しようとしたけれど、なかなかうまく言語化できなかった。いつもいろんなことを考えているのに、頭の中では感情も思考もフラッシュカードのように次々と移り変わっていって、言葉で上手に繋げるのが難しい。膨大な映画のワンシーンをおさめた大量のフィルムを、順番に貼り合わせていく作業のように思う。そんなことを咄嗟に正しくやるのは苦手だ。

 下手な柳の話を聞いて茜はわずかに目を丸くし、「考えたこともなかったな」と地面に目をやった。

「素敵だね」

「何が?」

「そういう思考がだよ。僕、いつも何か急いでるからそういうことに気づかない」

 たんたん、と彼は上履きで石畳を叩いたあと、革靴に履き替えて同じように足踏みをした。確かに少し音も感覚も違うね、と彼は笑う。校内の石畳でも、歩道のアスファルトでも、砂利道でも公園の土でも彼は同じように一歩一歩を丁寧に歩いていった。

「僕は土を踏んだ感覚も好きだな」

 公園のゴミ箱に紅茶のペットボトルを投げ入れながら言う彼に、どんなところが? と柳は土に刻まれた二人分の足跡を見つめながら尋ねる。

「ちゃんと歩いてる感覚がある、ここにいるっていうか。足跡が残るのもいい。アスファルトみたいな硬いところだと、ちょっと浮くような感覚になることがある」

 猫村と松葉も、こんなふうに自身の感覚を分け合ったりしたのだろうか。この世界のどんなところを、どんなふうに感じていて、何が同じで何が違うのか、そうやって言葉を交わし合ったりしたのだろうか。猫村が安らかに笑う姿を想像して、それが茜を前にした自分の安らぎとふと重なる。

「わかる気がする」

 茜の言葉を聞くのが好きだ。

 はっきりと土に刻まれた彼の足跡は、柳のものよりもひとまわり大きくて、深くて間隔が広い。少し猫背気味で、ゆったりとしたうすい身体にとても優しい言葉を沢山抱え込んでいる。

 彼がぐぅと背筋を伸ばした。飛び出したのどぼとけが目立ち、伸びる細い筋ごとごくんと大きく上下するのが見える。柳は自分の細い首に触れた。薄い、血管が張り巡らされているとは思えない皮膚を指先がすべる。

 似ていてもシルエットは違うし、感性は合っても同じわけではない。柳は橙色と空色が混じりつつある曖昧な空を背に立つ茜を不思議な思いで見ていた。

「主人公がいない公園はやっぱり少し寂しいね」

「この時間に子どもがいないのは珍しいね」

「うん。でもまぁ、学校でも家でも住宅街の一角でもどこでもいい感じがするな。子どもはどこにいたってそこが似合う気がしない?」

 ふっと腑に落ちて、あぁと柳の唇の端から声が零れ落ちた。

「うん、なんとなくわかった」

 主人公はどんな背景でも似合う。

 もしかしたら、この世界を構成するのはとてもシンプルなものなのかもしれない、と柳は思った。

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