第3話 雑草の名を覚えていますか (3)

 本題にいきましょう、とは言ったけれど、僕は今日本格的に草木を掻き分けて大声を上げるつもりはなかった。あまりにも事前情報が足りない。同じ方向に歩き出すのにも、ある程度顔を合わせる時間が必要だ。だから学生食堂を待ち合わせの場所に指定したのだけれど、だんだん生徒が増えてきて個人的な話をするのも躊躇われる混雑具合だった。

「申し訳ないですが、場所を移動してもいいですか? 混んできたので」

 二人が了承したので三人で席を立つ。食堂から屋外に直結するドアから出ると、途端に生温かい空気のかたまりがゆるやかに顔にぶつかってくる。休憩中の南風のたまり場につっこんでしまったような感覚がした。

「どこに行くの?」

「とりあえず部室かな? 遠いから、ゆっくり話しながら行こう」

 太陽はくすんでいた。すりガラスのなかで輝いているみたいに、ぼんやりとした優しい光を放っていて、それに合わせるように空も淡く乾いたパステルブルーに塗りつぶされている。魔女なんていそうにない、どちらかといえば妖精でもいそうな空だ。

猫村ねこむらさん、学校には慣れましたか?」

「……教室に行くのに、迷うことは無くなりました」

 風に巻き上げられる髪を押さえつつ、それはよかったです、と少しだけ大きな声を出した。地図を覚えるだけでも心理的な負担はかなり軽減される。知っている場所というのはそれだけで自己と周囲を隔てる境界線を曖昧にしてくれるものだ。

「職員室の場所は覚えない方がいいですよ」

「え、なんでですか?」

「職員室に行くような用事なんて無い方がいい」

 返事が無くなって振り返ると、猫村さんは驚き四割、躊躇い六割といった奇妙な表情をしていた。どう答えていいのかわからない、と顔に書いてある。緊張をほどこうとしたのだけれど、どうやら失敗したらしい。

「すみません、冗談を言うのが下手くそなんです」

 そう白状すると、途端に彼女は小さく噴き出した。くつくつとさざ波のような笑い声が響いて、どこか緊張していた空気がほどけて風に流されていった。

「そんな真面目なトーンで言われたら笑えませんよ、しかも敬語だし」

「僕なりに頑張ったんですけど……敬語だと親しみにくいですか?」

「まぁ、少しだけ」

 口調へのこだわりは特にない。初対面でタメ口を使うのは少しだけ抵抗があるけれど、でも誰に対しても、乱暴にならなければそれでいい。猫村さんとは、最初に言葉を交わした場面が場面だったから、堅苦しさがなかなか抜けないだけだった。

「じゃあ、タメ口にしよう。楽に会話できるのが一番いい」

 また猫村さんは零れ落ちたように笑う。なんだか安らかな顔をしていた。

「でもまぁ、もともと地図が苦手なわけじゃないのかな? 時間通りに部室まで来てくれたよね、少し辺鄙なところにあるけど」

「あ、先輩がいるんです。中学の先輩が、この学校にいて。だから教えてもらったんですけど……」

 僕が何かを言うよりも先に、猫村さんが思い切ったように続けた。

「あの、この部活っていったい何なんですか? 魔女に隠されたものって、どういう意味ですか?」

 あぁ、と声が漏れた。

「ごめん、そういえばきちんと話してなかったね」

 ずっと彼女はそれが気になっていたのだろう、と頭を掻く。敬語がとれたことで緊張がほぐれて聞きやすくなったのかもしれない。確かに、僕たちは基本的な部分を説明していない。探し物――今回は探し人だが――が特殊だったことと、猫村さんが入学以前から僕たちの活動を知っていたことですっかり失念していた。

 えーと、と言葉をまとめながら説明する。

 僕たちが所属しているのは、表向きは「文芸部」として活動する部活だ。水城先生も国語教員で、部室には創作に関する本なんかも数冊並んでいる。でもきっと、「文芸部」としては形骸化しているといっても過言ではないだろう。中には本当に創作をしている生徒もいるけれど、たいていはこちらの――誰かの探し物の捜索をしている。

 この活動に名前はついていない。そもそもこの活動を知っている人すら学園内にほとんどいない。部員は基本顧問からの勧誘で入部するし、宣伝もなければ特に目立った実績を上げるタイプの活動でもない。だからこそ皆が各々好きなように呼んでいるイメージが強いけれど、強いて言うならば「捜索部」という名前が一番広く知られている。創作と捜索をかけているのかもしれないが、僕が言い出したわけではないのでそのあたりはわからない。

 捜索部の活動はたいてい、一通のメールから始まる。

 ほとんどは水城みずき先生から簡単な依頼内容が送られてくるけれど、まれに今回のように直接生徒から連絡が来ることもある。その場合は、一度その人と会う前に先生へ報告する決まりになっている。猫村さんのことも、メールを受け取った翌日に先生に連絡していた。

 依頼者が捜索部を頼るまでの経緯にどれほど厳密なルールがあるのかはよく知らないけれど、僕が今まで関わってきた人はほとんど、水城先生から捜索部を紹介されて訪れてきた。きっと彼女が裏で動いているのだろう。不適切な依頼や悪ふざけを避けているのかもしれない。とにかく僕らは先生を介して依頼を受け、話を聞き、それを捜索する。見つかっても、見つからなくても、依頼者が「もう大丈夫です」と言えばそこで捜索は終了する。

 そこら辺をかいつまんで説明したところで、猫村さんが口を挟む。

「じゃあ、普通の人は捜索部の存在を知らないんですか?」

「そうだね、知らない。僕たちは不用意にこの活動を他言しないよう言われているし、基本胡散臭いだろうからね、少し話を聞いたとしてもみんなすぐに忘れる」

「『魔女に隠されたもの』というところですか?」

「一番はそうだよ、純粋にそれを受け入れられる人はなかなか少ない」

 活動内容を聞かれて「魔女に隠されたものを探している」と言ったところで、少しメルヘンな帰宅部の言い訳のように聞こえるだろう。そう解釈されれば、僕らの主張の構造は家で暇を持て余すことを「自宅警備」と表現するのとそう変わらない。

 とはいえ、本当に魔女が存在するわけでもない。魔女が杖を一振りして誰かの何かを隠しているなら、それはある意味シンプルでわかりやすいけれど、現実はそうはいかない。

「魔女」という言葉を最初に使ったのは、僕の記憶の限りでは水城先生だ。それから、何かを「魔女に隠されたもの」と表現したのもきっと。彼女がどんな文脈を背景に、どんな意味を持ってその言葉を選んだのかは知らない。でもきっと、優しい嘘のようなものだ、と僕は思う。

 魔女にはいろいろなものを隠される。具体的なモノであることもあるし、抽象的な概念だったり、感情だったりすることもある。でもそのほとんどが本人にとっては大切なもので、失われればその分の空白を生むものだ。それを失う原因をなったものを僕らはまとめて魔女と呼ぶ。それが必ずしも「魔女」である必要はないのだろう。きっと水城先生が童話好きだ、という程度の理由しかない。でも、それを魔女と――別の名前で呼ぶことには理由がある。何かを護るためか、何かから目を背けるためか、あるいはその両方か。その二つはよく似ていて、僕はまだそこに踏み込みたくはない。

 でもそこまで猫村さんに言う必要も意味もなくて、ただ僕は今まで何度も口にした言葉をなぞる。

「でも言葉そのものに意味はないよ、僕たちは君が探したいものを探す手伝いをする。ここはそれだけの部活なんだ」

 水城先生は以前、窓辺で夕焼けを眺めていた僕に言った。

――でも君たちがやるべきことは、それを取り返すことじゃない。

 なんとなく、僕はそれを理解できる。そして、共感までできたからここにいる。

「なるほど」

 と猫村さんがうなずき、「うん」と僕が言った。そこで会話がなんとなく終わり、なんだか急に喉が渇きはじめる。恐らくずっと渇いていたのを身体が思い出したのだろう。そういうことはよくある。「自販機に寄ってもいいかな?」と二人の方は見ずに尋ねると、猫村さんの相槌と一緒にぬいぐるみを抱き起こすときと同じ温かさで「いいよ」と返事が返ってきて、僕は南風と同じくらい柔らかな息を吐いた。



 しばらく麦茶とストレートティーで迷って後者を選んだ。なんとなく、麦茶は夏の飲み物という感じがする。赤いパッケージを引っ張り出しながら「ふたりは何か飲む?」と聞くと、それぞれの声と言葉で否定の言葉が返ってきた。

 そう、とひとりペットボトルの蓋をあけて口をつける。冷たい。紅茶の味よりも先に渋みを感じて、ゆっくりと噛むように飲み込んだ。

「そういえばさっき先輩がいるって言ってたけど、捜索部にいるの?」

「さぁ……それはわかりません。でも、探し物を手伝ってくれる部活があると言ってました。前に手伝ってもらったそうです」

「そうなんだ」

 かつての依頼者ならそういうこともあり得るだろう、と頷いた。少ないけれど一定数はいるから、そういうネットワークなんかもあるのかもしれない。

「部室の場所も教えてもらってたので助かりました。ひとりじゃ迷子になってたと思います」

「確かに、初心者にはハードだね」

 捜索部の部室は、第一校舎でも第二校舎でもない、そもそも校舎から距離のある離れのような場所に設置されているプレハブだ。かつては生徒会室として使われていたようだが、今ではほとんど物置で、備品やがらくたなんかを片付けて使えるようにしたらしい。文芸部の部室は別にあるけれど、捜索部としては原則そこが使われる。

 学内の地図に載っていないから、事前情報なく見つけるのは難しい。捜索部の存在が周知されない理由にはそこらへんも関係している。

 話を続けようとしたところで、ヴヴ、とポケットのスマートフォンが震えた。短いバイブレーションが二回。メッセージの通知だった。

「ちょっとごめんね」

 ちらりと内容を確認して、簡単に返信を打つと、僕はふと二人を振り返って部室とは逆方向の第二校舎を指さした。

「ごめん、忘れ物をしていたみたいで。すこし、文芸部の部室に戻らせてほしい」

 忘れ物、と訝しむような声音でやなぎが首を傾げた。僕は半分意図して苦笑いを浮かべる。

「明日友人に貸す予定だった小説を部室に置いてきたみたいなんだ。もちろん、幽霊探しが優先だよ。ただ経路に三年二組を組み込ませてほしい」

「私は全然大丈夫ですよ」

 きょとんとした顔で猫村さんが言った。感謝の意を込めて「すみません」と目を伏せると、柳も「咎めたつもりはないよ、ただ珍しいから」と戸惑いが混じった声を上げる。僕は思わず眉を下げて笑った。なかなか鋭い。

「うっかりしてたよ、申し訳ない」

 遠慮がちに歩き出した僕の背中に、「嬉しいです、第二校舎行くことあんまりないので……探検みたいで」

 と声がかけられた。声には、わくわくした響きよりも遠慮がちなニュアンスが含まれている。優しい少女だ。必要のない気遣いをさせてしまったことに、罪悪感で眉を下げる。

 引き返して第一校舎の一階を突っ切り、渡り廊下から第二校舎に入る。太い金属のノブがついた重い扉を力いっぱい引くと、「おっと」と小さな驚きの声がドアの向こうで零れ落ちたのがきこえた。

 僕が顔を見る前に、柳が「あ」と呟く。

望星みほしちゃん」

「柳、部活中?」

 開けたドアを支えながら顔を出すと、教室で見慣れた顔がこちらを向いた。望星。以前、捜索部に来たことがある。クラスでよく喋るわけではないけれど、ブランクがあっても気兼ねなく話せる、関係維持のための努力を必要としないからりとしたな女の子だ。彼女はこちらを向いて微笑む。

「やあ、あかね。柳がいるからいると思ったよ」

「当たり、部活中だよ」

 目を細めた望星は猫村さんの方にも柔らかに視線を下げた。

「早速つぶちゃんの依頼を受けてくれたんだね、ありがとう」

 先輩、と咎めるように、あるいは甘えるように口にする猫村さんに、「ごめんごめん、猫村さんって呼ばれてるのかな?」と望星がからかいの混じった表情を返す。でもその目には慈愛に似た光が宿されていて、親しげなのが肌でわかる。

「知り合いなの?」

「この子は中学のときの後輩だよ」

「じゃあ、さっき言ってた先輩って望星のこと?」

 彼女は頷く。

「そうです、三人はお友達だったんですね? 以前先輩も捜索部にお世話になったんでしょう?」

 ああ、去年の話だから茜と柳にではないんだけどね、と望星が肩をすくめた。

 それは事実で、僕は彼女が捜索部に対してどんな依頼をしたのかは知らない。以前部室を訪ねてきたときは、依頼ではなくひとりの部員を探しに来ていて、後日談のようなものだった。

「そういえばさっき本瀬もとせに会ったよ」

「本瀬に? 捜索部のメンバーによく会うね」

「会うっていうかぶつかったんだ、まったく小走りで歩きスマホなんかしてて」

「危ないな、会ったら注意しておくよ」

 頼むよ、とハイタッチでもするような軽やかさで微笑んで、「じゃあまた」と彼女はすいと歩き出した。また明日、と軽く返してから僕たちは今度こそ第二校舎へ足を踏み入れる。

 階段を無視してエレベーターホールへ向かい、上向きの三角が描かれたボタンを押す。エレベーターが近づいてくるのを横目にちらりと猫村さんを見ると、彼女はふと僕を見てきょとんと首を傾げた。

「どうしたんですか?」

「……いや。猫村さんはつぶちゃんと呼ばれてるの?」

 彼女はあぁ、とわざとおおげさに眉を寄せ、頬を膨らませてみせた。慣れているのだろう、何度も同じネタでいじられるアイドルを彷彿とさせる反応だ。

「背が低いからだと思います、ちょっとばかにしてるんです」

「仲がいいんだね」

 まぁ、と不本意そうに口角を上げる姿はいかにも可愛らしい後輩という感じがする。実際、つぶちゃんというのは愛称なのだろうし、彼女自身の表情にも低身長をネタにした呼称への憤りよりもあだ名で呼ばれる嬉しさが滲んでいるように見える。

「望星先輩には、すごくお世話になってて」

「そう」

「分け隔てないし、決めつけがないっていうか。話しやすくて」

「よくわかるよ」

 確かに、望星はよい意味でドライで柔軟だ。自分の確固たる軸を持っていながら、他人を否定することがない。先輩であっても後輩であっても、彼女は頼りになる存在だろう。

 エレベーターの、放課後の廊下の、人ひとりいない教室の静かな空間に、ぽつぽつと猫村さんと僕の声が響く。他には何もない。終わりを迎えて語られなくなったおとぎ話みたいに、夢みたいにぼんやりした空気が漂っていた。やなぎは話を振られない限り自ら話し出すことはなく、ただたいていの時間は僕のことを見ていた。その何かを読み取ろうとする真剣な目に、あとでどこから話をしようか迷いながら、形式的に本を探す。

「あぁ、あった」

「その本ですか?」

「うん、見つかってよかった」

 ほっと安心したように笑みを浮かべる猫村さんに、少しだけ胸が痛んだ。


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