其の七 ウィッチ、覚醒する。

 四羽の飢えたハーピーたちが上昇気流にのって、次々と崖上の草地へと飛び上がってきた。その身は乾いた血と汚物に塗れ、その手にはかつての獲物であろう白い大骨が握られている。棍棒クラブ代わりの武器としているのだ。目には邪悪な光をたたえ、さながら獲物を狙う猛禽のようにオレたちの頭上を飛翔している。


「おのれッ! 汚らわしい怪女鳥ハーピーどもめッ! 羽根一枚も残さず滅ぼしてくれようぞッ!」


 えエッ!? どうしたんだ、急に。

 この激変ぶりは想像の埒外らちがいだ。

 ベリルはこれまでの淑女レディ然とした態度から一変し、まるで故郷くにの伝承に謳われる鬼女きじょのごとき形相となって叫んだ。オレはその怒声に驚き、弓矢の狙いが大きくそれてしまった。放たれた矢は明後日の方角に飛び去った。

 帽子にちょこんと座っていたヴィヴィは、ベリルの剣幕におののいて慌てて飛びたち、再びオレの肩の上に舞い戻った。そして、そっと耳打ちするようにいう。


「どうやら上のハイエルフ族には〝最初のハーピーは、呪いによってエルフが変化へんげした〟という伝承があるらしいのよね……彼女、その言い伝えを信じてるのよ。忘れていたわ」

「なんてこった。そりゃ同族嫌悪というやつじゃないか」


 オレたちの囁きごとが聞こえたのか(そういえばエルフは恐ろしい地獄耳なのだった)、ベリルは顔をこちらに向けて目を細めた。その手にはいつのまにか小さな棒切れのようなものが握られている。あれは――細杖ワンドと呼ばれる、魔法の焦点具フォーカス。つまり、ベリルは――。


「あんた、魔法の使い手マジック・ユーザーだったのか!」

「あら、知らなかったの? 墓の町の魔女ウイッチといえば、ここいらじゃ有名よ」

「魔女ッ!? 魔術師ウィザードってことか……治療師ヒーラーだっていってたろ」

「……魔法の水薬ポーションを調合するのは糊口ここうをしのぐため。私が本来、得意とするところは、元素を統べる秘術です」


 そういってベリルは短く呪文を詠唱し、手にした細杖を華麗に振るった。まるで楽団を率いる指揮者のように。すると杖の先から燃え盛る矢が出現し、空を飛ぶ一羽のハーピーに向かって一直線に放たれた。火矢は確かに命中してその体を貫き焦がし、地面へと落下させた。凶鳥まがどりは魔法による火傷と落下の衝撃による苦痛に呻き、凄まじい奇声をあげ地面をのたうちまわっている。


「すっごい魔力ね! やったわ!」

「狙いたがわず、か。見事なものだな」


 この魔法はオレも目にしたことがある。〈火の矢ファイアー・ボルト〉の呪文だ。魔術師としては初級の部類らしいが、対象に突き刺さるばかりか火で燃やしてしまうのだから侮れない。ベリルの投射キャストした魔法は、短矢ボルトというには大きく威力も高いので、自ら称したとおりの熟達者であるのだろう。水薬で癒し、魔法で傷つける。なるほど、魔女か。

 オレも負けじと新しい矢をつがえて、地面を転げまわる手負いのハーピーに矢を射た。地に落ちた獲物を狙うなど造作もない。ぎょえええええ!と絶叫してパーピーは動かなくなった。まず、一匹。

 群れの一匹が倒されると見るや、ハーピーたちは警戒を強め、オレたちから距離をとって旋回飛行をはじめた。


「アレが来ます! 気をしっかり持って!」

「例の〈歌〉かッ!」

「耳の穴に指をつっこんで、あーあーあー!って声をだすと良いわよ」

「両手が塞がってるんだよ、そんなことできるわけないだろッ!」


 ベリルの端的な警告はともかくとして、ヴィヴィの的外れな助言など悠長に聞いていられない。いくさの最中なのだ。さっきよりは距離があるが、ハーピーどもはまだ弓矢の有効射程の内にいる。

 オレは少しでも奴らの〈歌〉を妨害しようと、続けざまに二の矢、三の矢を射かけた。しかし、第二射は羽根を貫通してたいした傷を負わすことができず、三射目は足先をかすっただけにとどまった。なんたる無様。――そして、オレの焦りを嘲笑うかのように、奴らの〈歌〉が辺りにこだましたのである。


 その〈歌〉は――。

 甘美な声音と、優雅な抑揚をもって耳をくすぐった。

 心地良い海風を旋律メロディに、柔らかな陽光を拍子リズムとして。

 三羽の鳥たちが奏でる調和ハーモニーが、とろけるよう心地良い。

 〈エルフ語〉とも〈共通語〉とも似て非なる詩と音。

 オレは何故かとても、その意味が知りたいと思った。

 手にした弓矢を投げ捨てて、さえずるものたちに近づく。

 あのものたちは知っている。

 あのものたちなら答えをくれる。

 胸を焦がし続ける熾火おきびのような疼き。

 オレは知りたい、答えが、その答えを――。


「ちょっとッ! しっかりしなさいよ、あんたッ!」

「いッててててててててててててッ、いてぇッ!!」


 肩に乗っていたヴィヴィが、オレの耳朶じだをおもいっきり、千切れんばかりに引っ張って、さらに耳元で大声で怒鳴りつけた。ハーピーどもの〈誘い寄せの歌〉にまんまと魅了されていたオレは、その痛みと怒声でようやく正気に戻ることができたのだった。

 こんなにもあっさりと、敵の術中に陥るとは。なんたる未熟。

「すまない、助かったぜ」と、ヴィヴィに礼をいうやいなや、今度は羽ばたく音が頭上で聞こえた。凶鳥の襲撃を予感したオレは、攻撃を避けようと咄嗟に身を屈めた。その一瞬の後。鋭い鉤爪が虚空を切り裂き、とおりすぎていった。まさに間一髪。

 ハーピーはすれ違いざまに汚物を垂れ流しており、かろうじてその直撃はまぬがれたが、吐き気をもよおす臭いに不快感と苛立ちがました。ぎゃぎゃぎゃと嘲笑うような声がこだまする。ベリルが激しい嫌悪をぶつけるのも止むなしだ。

 どうやらベリルもヴィヴィも、〈歌〉の影響はうけていないようだった。妖精フェイの血に連なるものには、先天的な抵抗力が備わっているのかもしれない。

 乱暴なお姫様のおかげで〈歌〉による魅了からは何とか脱したが、弓矢は遠くへほうりだしてしまった。さて、どうしたものか――。


「私があのものたちを大地へ叩き落とします。とどめをさしていただけますか」

「協力してやっつけるってワケね!」

「……なるほど、わかった。やってくれッ!」


 ベリルが戦力になるならば、協力して敵に対するべきだ。魔法という使い勝手の良い攻撃手段があるならば、遠距離戦は任せておこう。オレは、大小両刀の鯉口を切り、すらりとカタナ脇差ワキザシを引き抜いた。


 両刀を構つつへその下、丹田たんでんに力をこめる。

 スーーーーーッ、コォオオオオオオオオオオッ。

 深く吸いこんだ空気を、ゆっくりと口から吐きだす。

 全身に血を巡らせ、内なる闘争本能ファイティング・スピリットを解放していく。

 これぞ〈〉国の戦士ファイター、武士に伝わる業、〈侍魂さむらいだましい〉である。


「きやがれ凶鳥ども、刀のサビにしてやるッ!」

「やっちゃえ、やっちゃえッ!」

「では、いきますッ!」


 オレの挑発を合図にして、ベリルは再び〈火の矢〉の呪文を詠唱し、宙を舞うハーピーに向けて投射した。魔法の火矢は一羽のハーピーに命中して、今度はその翼を燃やした。犠牲となった獣の脂に火がついたのか、大きな翼を焦がしながら地面へと落下してくる。言うは易し、行うは難し。宣言どおりに怪物を射落とすとは、やはり確かな魔法の腕前である。

 オレは予測される落下地点へ素早く移動すると、地面に激突し、その衝撃で跳ね上がったハーピーに向けて、刀を一閃した。


「せいやあッ!」


 手応えあり。間髪入れず、返す刀で怒涛の斬撃を見舞う。


「とうッ!」


 ぐぎゃあ!と苦痛の悲鳴を上げる凶鳥にむかってオレは、逆手に構えた脇差を突き刺した。すると、ご、ごげぇえええ!と、まるで家禽のような断末魔のひと鳴きをして、ハーピーは絶命した。

 ふたつ。残るはハーピーは二羽。上空にいた、そのものたちは――。


「あッ危ない、気をつけてベリル!」

「避けろっ!」


 同時に仕掛けたならばと示し合わせたのか、ハーピーたちは的をベリルにしぼり、急降下してきたのだ。かすめ飛ぶような鉤爪の攻撃をまともに浴びては、華奢なエルフ娘が無事ですむはずもない。しかし、ベリルは慌てることなく、再び呪文を詠唱し、軽やかに細杖を振るった――すると、である。

 ベリルの体が瞬間光ったかと思うと、その姿が四つに分身したのである。なんとッ! どれもが同じ容姿をしており、同じ動きをする。オレたちですら見分けがつかない。


「〈鏡像ミラー・イメージ〉ッ! 〈幻術〉も手慣れたものね、さすがは魔女ッ!」


 突如として現れた分身の姿に戸惑いながらも、ハーピーたちが急降下を止めることはない。二羽の凶鳥はに攻撃をしかけた――しかし、である。

 一羽の鉤爪はベリルをとらえたが、触れた途端にその姿は霧のように消えた。〈鏡像〉で作られた幻だったのだ。そして、もう一羽はを目標にするか迷いが生じたからか、鉤爪自体が大きく外れて空を切り裂いた。それぞれに目標を外した二羽は、悔しそうにひと鳴きすると、再び大空に舞い上がった。

 ヴィヴィがいうとおり、魔女の二つ名はハッタリではないようだ。攻撃魔法だけでなく、敵を欺く補助魔法にも通じている。やはり、見かけでヒトを判断してはならないのだ。特に女は。


「私の矢は決して狙いを外さないわ」そういってベリルは、先ほどとは違う呪文を詠唱しはじめた。手にした細杖が複雑な印形を宙に描く。すると、杖の先から白く光り輝く三つ矢が出現し、ハーピーを狙い撃ちする。


「次は〈魔法の矢マジック・ミサイル〉の呪文ねッ!」

「……さっきから解説してもらえるのはありがたいんだがよう、お前は何もしないのか」

「だって、あたしは姫ですもの。それに、〝お前〟なんて呼び方やめてちょうだい。不躾ぶしつけよ」

「……へいへい。わかりましたよ、殿


 ヴィヴィは殿下という呼び名が気に入ったのか、肩の上でぴょんぴょん飛び跳ねた。まったく、その様は姫君らしからぬ。

 〈魔法の矢〉は宣言どおり狙いを過たず、一羽のハーピーに命中した。しかも三本ともが翼を射ぬき、姿勢を崩したハーピーは木の葉のように落下し、地上へ着地せざるをえなかったのである。


 さァ、ここからはオレの出番だ。

 素早く近づいて打刀の一撃を見舞う。

 凶鳥は手にした大骨でオレの刃を受けた。

 飛び立ついとまを与えず、そのまま数合すうごう切り結ぶ。

 鋭い鉤爪が使えないぶん地上ではこちらが有利。

 オレは両手に持った大小を連続して打ちこんでいく。

 大骨一本ではさばききれず凶鳥の体には傷が増えていく。

 半分はヒトの姿といえ大骨を振り回すだけの乱暴な戦術。

 所詮は邪悪なだけの怪物よ、このまま手数で押し切ってやる。

 ――と、勝利を確信したその時だ。


 仲間の窮地を見て取ったもう一羽のハーピーが、オレを背後から襲ってきたのである。避ける間もなく大骨の一撃を受けて、背中に激痛が走った。

 ぬかった!

 オレは前後をハーピーに挟まれる形となってしまったのだ。

 素早く体の向きを変えて構えなおす。

 左右の凶鳥に向かって両刀を向けて牽制した。

 両方向に油断なく気を配るが、数の不利はいかんともしがたい。

 先ほどまでの優勢はどこへやら。

 オレは、ハーピーが振るう大骨をかろうじて弾き、いなすだけの、防戦一方に追い込まれてしまったのだ。肩にいたはずのヴィヴィも、いつのまにか飛び去って退避している模様である。

 なんと逃げ足の速い!


「よくぞ敵を一箇所に集めてくださいました。これで一掃できます」

「この状況で、なにを暢気なこといってやがン……なんだとッ!」

 

 ベリルが振るった細杖の先からまばゆ光芒こうぼうひらめいた。

 オレの眼前で一点に集中した魔力が、超高温の火焔かえんとなって膨張していく。そして、低く鳴り響く轟音とともに――。


「いっけーッ、〈火球ファイアーボール〉ッ!」

「嘘だろうッ!?」


 ヴィヴィがなぜか楽しそうに、そういいはなった。

 オレの悲鳴が彼女らに届いたかどうかはわかない。

 完成した〈火球〉の呪文が大爆裂したからである。

 オレもろとも、ハーピーどもを焼き尽くすように。

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