其の六 ハーピー、漁船を襲う。

「……そんなわけで、あたしは〈夏の宮廷サマー・コート〉を飛び出してきたの。以来この森を領地として治めてきたのだけれど、ある時は森の中心で鉱山事故があり、またある時は大規模な森林火災。そしてまたある時はゴブリン類ゴブリノイドの大繁殖と、困難ばかりだったわ。ホントやんなっちゃう。その度にあれこれと手を尽くすのは、あたしなんだから。そして、昨日のことよ。お散歩の途中でソード海を望む断崖から下を見下ろしたら、漁船が座礁しているのが見えたのよ。あらまあたいへん! どうやら人型種族ヒトが難儀してる様子と思ったから、あの炭焼き小屋まで知らせに飛んだというわけ。その途中で、ついうっかり、あの忌まわしい蜘蛛の糸に引っかかっちゃったわけだけど。これも女王陛下から、この小さな森をお預かりする、高貴なるものの義務ノーブル・オブリゲーションね……いたしかたないわ」


 オレはかつて小妖精ピクシーという存在を、無垢なるものの象徴としてたとえたかもしれない。しかし、今ここできっぱりと訂正しよう。これほどうるさい生物は、西方大陸フェイルーン広しといえども他に存在しないと。

 その煩い生物は、こともあろうに今、オレの左肩に乗っている。身長一フィート足らずであるから、さほど重さは感じない。だが、耳朶じだに噛みつかんばかりの勢いであれこれ喋くり倒す。このな立ち居振る舞い。ヴィヴィ(というのは通称で、ヴァイオレットというのがいみなであるという)が妖精フェイのお姫様なんてェのは――まァ、はったりだろうな。

 斧嘴鳥アックス・ビークを駆って〈クロークウッド森〉西部へと向かう、馬上ならぬでのことである。

 小さな妖精、ヴィヴィは早口で長広舌をふるった。オレはというと、森を疾走する乗騎パーシモンの手綱を繰るのに必死で、どうやら彼女が故郷を後にした理由わけをすっかり聞きそびれたようである――が、敢えて深くは尋ねないことにした。いかなる種族であれ女子おなごが気持ち良く舌を振るうのを邪魔してはならないのだ。さもなくば――面倒なことになる。長い旅路の中で学んだ経験則である。

 オレは「ほう」とだけ、相づちをうった。肯定するでもなく否定するでもない曖昧な調子で。というのも、オレは前方を駆ける影に気をとられていたのだ。

 ベリルは、蜘蛛の巣から救出されたヴィヴィから「漁船が座礁して難儀している」という話を聞くやいなや、またしても自分の乗騎ブルーに跨って走りだした。オレの意向を確かめず、なんならヴィヴィに詳しい場所を聞くよりも前に、だ。

 焦燥感に駆られているようでもあり、義務感にとらわれているようでもある。一介の治癒師ヒーラーにすぎないエルフ娘が、何故これほどまでに他人事に首をつっこみたがるのだろう。雇われ剣士にすぎないオレには、その心中を推し量量るのは難しい。それゆえに無鉄砲な雇用主を追って、いたしかたなく、オレもまた駆けているのである。


     *


 漠然とした疑問を抱えながらも手綱を繰り、暗い森を走り続けていると突然に視界が開けた。

 森の樹々が途切れた先、西方大陸フェイルーンの果ては、海風が吹きつける断崖絶壁であった。ここに陸は終わり、海が始まる。薄暗い森を這いでたばかりのオレたちには、紺碧の空が目に染みて、陽光をかえす海の輝きに目が眩む。

 ベリルは素早く乗騎から大地に降り立ち、断崖の縁から大海原を見下ろした。ヴィヴィもオレの肩から優雅に飛んで、今度は鍔の広いベリルの帽子に降り立った。オレも鞍上から恐る恐る眼下に目をやるが、海面まで少なくとも七十フィートはありそうだ。

 ゴクリと喉が鳴った。我知らず生唾を飲み下したようである。背筋にゾクリと震えが走った――そう。何を隠そうオレは、高所が少々苦手なのである。


「この場所ですか、ヴィヴィ。難破船はどこに!?」

「座礁といっても岩場に乗り上げている感じだったから、たいして船体は壊れてないかも……ホラ、あそこよ」


 そういってヴィヴィが指差す方を見れば、陸地の近くに海面から顔を出す岩場があって、浅瀬に引っ掛かった笹舟ささぶねのような漁船が見えた。船の上空を弧を描くように海鳥の影がいくつも舞っている――ずいぶんと大きな鳥だな――いや、あれは。


「「ハーピー!!」」


 ヴィヴィとベリルが同時に、悲鳴のような大声を上げた。


怪女鳥ハーピーだとッ!? あれが、そうか」


 その怪物の噂は耳にしたことはあったが、実際に見るのは初めてだ。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ!とけたたましい奇声を上げる、半人半鳥の奇怪な姿。上半身は人型種族ヒューマノイドメスに似ているが、下半身と大きな翼は禿鷲ハゲワシのそれである。この崖に住まう四羽の怪物の群れが、眼下の船を獲物として狙い定めたのである。水夫かこの真似事をしている時に聞いた話であるが、たしかハーピーには――。


「あのモノたちの唄う〈歌〉に気をつけてください! 意志の弱い者は魅了チャームされてしまいます」

「ワケのわかんない〈共通語コモン〉みたいなうただけど、意味を理解できなくとも囚われてしまうわよ!」


 そうなのだ。やつらの声には、吟遊詩人バードの奏でる呪歌まがうたのごとき、ヒトを魅了する魔力が宿ると聞く。まったく、次から次へと災厄のように面倒事が天から降ってくる。やはり、最初の直感で感じたとおり、関わらない方がいい厄介な女だったんじゃないか、この女ベリルは。

 漁船を救い出すというのは、この怪物どもを何とかすることも含まれるのだろうし――ならば、面倒ではあるが、いたしかたあるまい。

 オレは鞍上から大地へ飛び降りると、斧嘴鳥に背負わせた装備の中から、半弓ショートボウと矢筒を取りだした。念のためにと用意してきた遠隔武器である。こんなことなら、より強力な長弓ロングボウを持って来ればよかった。が、いまさら後悔しても仕方がない。このまま傍観していたら漁船の乗組員たちが皆、ハーピーどもの餌食になってしまう。野生の獣はひとたび獲物と見定めると、簡単に諦めることはないという。怪物とて、そうした習性は同じなのだ。

 海風が吹きつける断崖の上から、怪物が舞い飛ぶ海原を見下ろす。あまりの高さに瞬間身がすくむが、意識を空飛ぶハーピーへと集中してやり過ごす。オレは半弓を引きしぼり、比較的近くを飛ぶ一羽に狙いを定めた。おそらくまだ我らの存在を気づかれてはいまい。不意打ちの上、高所から矢弾を射るという地の利もある。

 今だ。ぶん。ひょう。ぎゃあ!

 オレの射た矢は強風でわずかに狙いを逸れたが、大きな翼には命中して、ハーピーは悲鳴とも怒声ともつかない声をあげた。

 その奇声が開戦の合図だった。

 崖上に新たな獲物の影を見てとったハーピーたちは、風に翼をはためかせ、次々と上昇してきたのだ。

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