其の五 サムライ、大蜘蛛と対峙する。

「早くこの糸をお切りなさい! まったく気の利かないヒトね! この役立たず、●×■△、×○▲□×!」

「助けにきてやったのに、なんてェいい草だよ」


 最後は何といったのかよく判らなかったが、罵り言葉であろうことは容易に察せられた。故郷くにの言葉に置き換えるならば、デクノボーとかトーヘンボクとか、おそらくそんな意味だろう。

 雇い主であるベリルは罵詈雑言に眉根をよせつつも、「何とかしてあげなさい」と、言葉なく視線をこちらに向けてくる。やれやれだ。

 乗騎から大地へと降り立ったオレは、愛刀・神威奏弦カムイ・ソウゲンを引き抜いた。


「さっさと解放してちょうだい!」

「今から糸を切る。暴れるなよ。狙いが逸れても知らねェぞ」


 そう注意を促し、刃を一閃した。白い塊はポトリと大地に落下して「いったーい!」と、甲高い悲鳴を上げる。

 あたりに巨大蜘蛛ジャイアント・スパイダーの影はなく、当座の危険はないと判断したオレは、刀を再び鞘に納めた。草むらに転がった塊は感謝の言葉もなく、それどころか、矢継ぎ早に非難の言葉を浴びせてくる。まったく、騒々しいにもほどがあるな。

 ベリルは草むらに駆け寄って塊を拾い上げ、粘糸を丁寧に取り除いてやった。すると、絡まった白い糸の中から現われたのは、小さな妖精フェイであった。森の木陰の中では、微かな燐光に輝いて見える。姿形こそエルフに似てはいるが、身の丈はわずか一フィートほどしかない。


「ヴィヴィ! やはり、あなただったのですね。聞き覚えがある声だと思いました」

「そうよ、わたしよ! 〈クロークウッド森〉のプリンセスといえば、このわたし以外にいないじゃないの!」


 少し緑がかった肌にスミレ色の衣をまとい、波打つ髪は栗色。背中からは体長に比して大きな、蝶に似た羽根が生えている。長旅の間に得た知識と照らし合わせるならば、どうやら小妖精ピクシーと呼ばれる種族のようだ。

 ベリルはこの小さな妖精と既知の間柄であるらしく、

 

「お久しぶりですね。息災でしたか」

「息災もなにも……ペッペッ……ネバつく糸まみれよ、もう! いやんなっちゃう」


 ――などと、うやうやしく両手で捧げもつようにして小妖精と話している。その様を見てオレは、精巧な玩具を相手にわらべが一人遊びをしている姿を連想した。美しく儚げであるのに、どこか作り物めいている。


「姫君みずから領地の見回りとは、精の出ることです。今日は衛士を連れてはいないご様子ですが」


 えッ! それって世間に認知された公称だったのか?


「そうね。この広大な森を治めるのは、容易ならざること。近習きんじゅうの数をもっと増やすことができればよいのだけれど!」


 妖精の社会にも宮廷コートがあるのかをオレは知らない。他の人型種族ヒューマノイドと領土確定はすんでいるのか、などと無用な心配をしてしまう。浮世離れしたピクシーやエルフの言動は、東方の片田舎出身のオレには到底理解がおいつかない。姫君には供回りの従者までが存在するという。あるいは巫山戯ふざけているのか、はたまた本気なのか。はてさて。

 木漏れ日の差しこむ森の片隅。この優雅で暢気なやりとりを、オレは半ば呆れながらも見守っていた。不調法者のオレでも、それくらいの気づかいはあるのだ――しかし。

 その時だ、オレが突如として激しい衝撃に襲われたのは。


     *


 何者かが背後から勢いよく、覆いかぶさるようにぶつかってきた。油断しきっていたオレはその衝撃に耐えきれず、正面から地面に倒れ伏す。受け身をとる余裕すらない、完全なる不意打ちであった。


「うっそ! ドコからあらわれたの!?」

「危ない、キクチヨ! 逃げて、早く!」

「ちッ……くそッ。何奴なにやつ


 オレは悪態をつき地面に倒された痛みに耐えながら、首をひねり視線を背後に巡らす。すると、視界の端にかすかに見えたのは、毛むくじゃらの節くれだった細長い足。外骨格におおわれた巨大な虫のそれである。どこから現われたのか、こいつは巨大蜘蛛だ!

 蜘蛛は巨体で体を大地に押さえつけ、具足の隙間を狙って咬みついてくる。オレは上体をひねり、何とか拘束を抜け出そうともがくが上手くいかない。うつ伏せのままでは武器を抜くこともかなわない。


ッてェ!」


 首筋を守るために伸ばした右手。籠手こてに当たった牙が滑って二の腕に突き刺さり、オレはたまらず悲鳴を上げた。たかが虫ごときと侮れない凶暴さである。

 小さな妖精を守りながら手出しができないベリルが、大声で叫んだ。


「横です!」

「何だって!?」

「前後に逃げてはいけません。横に転がって逃れて下さい!」

承知しょうちッ!」


 オレは反動をつけて一回転馬手めて側に転がり、間髪入れずに逆方向に数回転、弓手ゆんで側に大地を転がった。目論見どうり蜘蛛は、オレの急激な方向転換に追随できない。巨大蜘蛛から十分に距離をとって、ようやくオレは八本足の檻から抜け出すことができたのである。

 すぐさま立ちあがって得物えもの鯉口こいくちを切る。オレは大小の両刀を同時に抜いて油断なく身構えた。

 波濤はとうに突き立つふたつのいわおのごとく――弐厳ジゲン流はいかなる状況にも応じる変幻自在の剣。二刀の構えで、まずは守りを固めたわけである。

 高い知性を持つ動物よりも、蟲類はその動きや意図を見切るのが難しい。獣の本能より更に素早い、反射的な感覚で行動するからだ。

 咬まれた右腕に毒を流しこまれたのか、焼けつく感覚があった。微かに痺れを感じるが、まだ太刀筋を鈍らせるほどではない。


「青白い外皮……震えている? 気をつけてください。もしかしたら」

「そいつはたぶん、渡りウォーカーよ!」


 ベリルとヴィヴィ(と呼ばれた小妖精)が同時に声をあげた。

 この二人は、どことなく声まで似かよっている気がする。背格好は大いに異なるが、まるで姉妹の様だ。


「渡りィ? 何だそれは」


 オレは蜘蛛に注意を払いつつ、反射的に疑問を口にしたのだが――。

 彼我の距離を測るようにしていた蜘蛛は。

 全身の外皮を微細に振動させたかと思うと。

 まるで墨絵の輪郭が水ににじんでぼやけるように。

 姿形が風景に溶けこむが如く――消えてしまった。


「消えた!? どうなってる……姿が見えないだけじゃない、音もしない……気配そのものがないぞッ!」

「だから、それが渡りなのよッ! 体をのよ!」

「滑りこませるって、いったいどこにだよ!?」


 ヴィヴィは相手の正体に気がついたようだが、こちらにはどうにも言葉が通じない。表現が独特過ぎる。難儀なお姫様である。ごうを煮やしたベリルは――。


「あれはただの巨大種ではありません。移相蜘蛛フェイズ・スパイダーです!」


 ――そう叫んだ。

 移相蜘蛛とは聞かぬ名だ。その大きさや凶暴さは巨大蜘蛛にも勝るとも劣らないが、更なる特性を持った種ということか。


「移相蜘蛛には〈物質界プライム・マテリアル・プレーン〉と〈エーテルプレーン〉を行き来する、転移フェイジング能力があるのです」

「それは……あの世とこの世を往来するって意味か」


 どうッ!と再び、視覚外から衝撃が走る。どうやら蜘蛛はオレに狙いを定めたようで、隙あらば押し倒して糸塗れにしようと散発的に攻撃をくわえてくる。注意をすべきはあの毒牙であるが、姿を消している間は完全に気配を絶っているから、追跡は困難である。

 その神出鬼没ぶりがいかに戦い辛いかは、いうまでもないだろう。眼前に捉えたはずの蜘蛛がいつのまにか消え去り、知らぬ間に背後に回りこまれているという状態なのだ。

 左右の腕を大きく開き、寝かせた刃を大きく振るいながら牽制してみるが、蜘蛛ならぬ雲を掴むが如きありさまである――さて、どうしたものか。


「なぜ蜘蛛にはオレの居場所がわかるんだ。こちらには姿すら捉えられないというのに……」

「あちらからは見えているのよ。薄いヴェールを通したように、ぼんやりとだけど。側と側は隣りあうプレーンだから……」


 ――そうか、わかったぞ。閃きの真偽を確認するため、オレはベリルに問うた。


「ヤツは瞬間移動しているわけじゃないんだよな?」

「そうです。転移とはあくまでもプレーン間を渡る能力ですから」


 ――ならば、こうだ。眼前に姿をみせた移相蜘蛛が、牽制に放った粘糸を避けると、オレは両刀を

 蜘蛛は再び外骨格を振動させると、すうと姿が見えなくなる。


「ちょっと、アンタなにやって……」

「しっ、静かにするのです、ヴィヴィ」


 あまり得手ではないが、やるしかない。オレは左手で刀の鞘をつかみ、前方に引き出して鯉口を切った。右手を軽く柄に添え、腰を落として、静かに呼吸を整える。居合イアイの構えである。

 頭の中で数を数える。

 ひとつ――ふたつ――みっつ――。

 心中に蜘蛛の姿を思い浮かべる。

 よっつ――いつつ――むっつ――。

 心中の蜘蛛はオレの横から後方へと滑るように回りこむ。

 ななつ――やっつ――ここのつ――。

 数えるのはあくまでも客観的な時間を計測するため。

 聴覚、嗅覚、触覚。視覚以外の全知覚を己の背後だけに集中する。

 とお――ひとつ――ふたつ――。

 蜘蛛は気配を消しつつ、外皮を再び震わせながら物質界に姿を現し、そして――。

 ――ここだッ!

 オレは先祖伝来の名刀・神威奏弦を抜刀し、振り向きざま真横に薙ぎ払った。

 果たして、そこには――。

 前足二本を両断され体液を流しながら、のたうつ移相蜘蛛の姿があった。苦痛に悶えてギチギチギチと悲鳴を上げている。

 それでもなお、蜘蛛はオレを押し倒そうと勢いよく覆いかぶさってきた。

 咄嗟の判断で、身を後方に引いてかわす。

 蜘蛛は巨体を揺らして地面に倒れ伏す。

 オレは上体を捻りつつ両手で刀を握り、

 八相の構えから勢いよく振り下ろした。

 八つならんだ眼を左右に分けるように、

 名刀の鋭い刃が頭部を綺麗に両断した。

 蜘蛛は何度か足を痙攣させたが、すぐ動かなくなった。

 オレは血振ちぶるるいし、体液でべたつく刀身をぬぐうと、鞘に納めてようやく警戒をといた。ふう、危ないところだったぜ。


「よくやったわ! 褒めてつかわす!」

「流石は私の見こんだ剣士、お見事です」


 ヴィヴィは蝶のように優雅に宙を舞いながら、なんだか上から目線にオレを賞賛した。ベリルは腕を組み満足そうに微笑みながら、いささか控えめな賛辞をオレに送った。

 オレはというと――賞賛も賛辞も素直に受け取れず、どうにも複雑な気分である。

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