其の四 プリンセス、蜘蛛の巣に囚わる。
「あーイテテ。まァた、過酷な一日の始まりか。尻がいくつあってもたりないぜ……」
オレは
港町バルダーズ・ゲートから直線距離でおよそ十リーグほど。ここは〈クロークウッド森〉の北端である。
――オレたちは、雇用主であるベリルが用意した巨大鳥である
大樹が生い茂る〈クロークウッド森〉にそっと寄り添うように、丸太を組んで作られた小屋と、小さな
昨晩はこの小屋を、宿がわりに使わせてもらった。その対価としてベリルは
オレは「そろそろ行くかい」と、抜け目ないエルフ女に声をかけた。初対面からずいぶんと印象が変わったものだ。ぼうっと浮世離れした雰囲気をまとっているが、その行動力を侮るなかれ。見た目に騙されてはいけないのだ――特に女は。
そういえばこの件を仲介した女盗賊は、また別の紹介をしていなかっただろうか。曰く、出不精とか世間知らずとか。つい口をついて「どこがやねん!」と漏らしそうになるのを、何とか押しとどめる。
ベリルはまさに
ベリルは、先ほどのボヤきが聞こえたのか、
「ヒューマンという種族は、個体によって
――などと真顔でいう。冗談なのか、本気で尋ねているのか、何とも判断がつきかねる表情だ。
「そんなわけあるかよ。あんたらと同じで双丘が左右にひとつづつ、だよ。朝から尻の話ばかりしていたくねェよ、さっさとでかけようぜ」
「先にその話題を振ったのは、あなたの方です」
独り言のつもりだったが、まったく、耳のいい女だ。いや、エルフという種族が有する聴力のなせる
ベリルから差し出された手綱を取り、オレは昨日と同じく黄羽のパーシモンの背に跨った。青羽根のブルーベリーに乗ったベリルと
*
ベリルはあらかじめ想定した採取ルートがあるようで、森の各地を巡りながら数多くの植物を採取していった。ときおりオレに、それは食べられるキノコ、あるいは食べてはいけないキノコなどと助言もくれる。希少で市場では高値がつくという
「パーシーは香りキノコが大好物なのです」
「こいつらは草食性なのか? てっきり肉食なんだと思っていたぜ。
「いえ、どちらも食べます。
「なるほどねェ。柔軟な適応力と高い生存力というのも、こいつらの
オレがそう感想を述べると、ベリルは感心したようにわずかに目を見開き、長耳もぴくりと反応した。「口ほどにものをいう」ってやつだ。何がいいたいのか、聞かずともだいたいわかる。「この剣士もまんざら阿呆ではないのだな」と、そう思ったに違いないのだ。まァ、よかろう。侮られるのには慣れている。
そう、オレがひとり納得した時である――ベリルの兎耳が再び大きく動いたのは。
「何か聞こえませんか。どこか遠くのほうから、何か」
「何かって、なにが……んッ!?」
――けて――た――たすけて、お――おねが――、だれか――たす――。
聴覚に優れるエルフでないオレの耳にも届いた、微かな声。それは助けを呼ぶ少女の叫びだった。
とっさに顔を見合わせる。するとベリルは躊躇なく声のする方へと、斧嘴鳥を駆って走りだしたのである。まるでオレの意思など確認するまでもないという態度。ハァ。思わずため息がもれる。
たしか、道中の護衛を依頼されたんだったよな、オレは――ならば仕方あるまい。依頼主の後を追わぬばならぬだろう。
*
木々が
前方を駆けるベリルは素早く手綱を引き、ブルーは地面を滑るようにして速度を落とす。オレはというと、パーシーにしがみついてブルーの尻に激突しそうになるのを回避するのが精いっぱいであった。パーシーは木々の間にかかるそれに頭からつっこんでしまうが、鋭い嘴で切り裂いてなんとか停止した。
あらためて見渡せば、その白い霞とは朝露に輝く蜘蛛の糸であった。それも只の蜘蛛ではない。糸の太さ巣の大きさから判じるに、明らかに
パーシーは顔に貼りついた糸から逃れようと首を振るので、暴れるのをなだめながら取ってやった。この粘度と強靭さ。
これらひとつひとつが
「ちょっと! いつまでボーッしてんのよ! 早くこの糸をお切りなさい! この森を預かる
蜘蛛の糸でぐるぐる巻きになった白い塊――いや、自称
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