其の四 プリンセス、蜘蛛の巣に囚わる。

「あーイテテ。まァた、過酷な一日の始まりか。尻がいくつあってもたりないぜ……」


 オレは岩狒々ロック・バブーンのごとく赤く腫れあがっているであろう尻をさすりながら、つい小声でボヤいてしまった。

 港町バルダーズ・ゲートからでおよそ十リーグほど。ここは〈クロークウッド森〉の北端である。

 ――オレたちは、雇用主であるベリルが用意した巨大鳥である斧嘴鳥アックス・ビークまたがり、慣れぬ手綱さばきで、なんとかここまで辿り着いたのだ。

 小径こみちすらない荒野で何度もしそうになったが、ベリルの言葉どおり、斧嘴鳥の健脚ぶりは確かだった。草むす野原を駆け、小川を軽々と跳び越え、岩屑いわくずが転がるガレ場もたやすく走破する。乗り手の意をくむ賢さがあり、大きな音に怯えたり野獣の気配に怯むこともない。戦場いくさばに駆りだすこともできよう騎獣なのだった。その乗り心地をのぞけば、であるが――。

 大樹が生い茂る〈クロークウッド森〉にそっと寄り添うように、丸太を組んで作られた小屋と、小さなうまやがあった。その傍らには山のように積まれた丸太とまき、そして黒く焼け焦げた大地と、もみがら藁屑わらくずが横たわっている。そう、ここは炭焼き小屋なのだ。

 昨晩はこの小屋を、宿がわりに使わせてもらった。その対価としてベリルは魔法の水薬ポーションを何本か置いていったから、持ち主とは事前に話がついていたのだろう。なんともそつがない、手回しのよいことである。

 オレは「そろそろ行くかい」と、抜け目ないエルフ女に声をかけた。初対面からずいぶんと印象が変わったものだ。ぼうっと浮世離れした雰囲気をまとっているが、その行動力を侮るなかれ。見た目に騙されてはいけないのだ――特に女は。

 そういえばこの件を仲介した女盗賊は、また別の紹介をしていなかっただろうか。曰く、出不精とか世間知らずとか。つい口をついて「どこがやねん!」と漏らしそうになるのを、何とか押しとどめる。

 ベリルはまさにうまやから、沼スグリブルーベリーパーシモンと名づけた二羽の巨鳥おおとりたちを連れ出しているところであった。オレはすでに食事もすませ身支度を整えてあり、出発準備は万端である。

 ベリルは、先ほどのボヤきが聞こえたのか、


「ヒューマンという種族は、個体によって臀部でんぶの数が異なるのですか?」


 ――などと真顔でいう。冗談なのか、本気で尋ねているのか、何とも判断がつきかねる表情だ。


「そんなわけあるかよ。あんたらと同じで双丘が左右にひとつづつ、だよ。朝から尻の話ばかりしていたくねェよ、さっさとでかけようぜ」

「先にその話題を振ったのは、あなたの方です」


 独り言のつもりだったが、まったく、耳のいい女だ。いや、エルフという種族が有する聴力のなせるわざといったところか。オレは心の帳面の〈エルフ〉の項目に、新たに「地獄耳に注意せよ」と書き加えることにした。

 ベリルから差し出された手綱を取り、オレは昨日と同じく黄羽のパーシモンの背に跨った。青羽根のブルーベリーに乗ったベリルとくつわを並べて、オレたちは鬱蒼うっそうとした森の中へと歩を進めたのである。


     *


 治療師ヒーラーを生業とするベリルいわく、魔法の水薬の原材料は薬草以外にも、菌類や希少な鉱石など様々であるという。ならばこの〈クロークウッド森〉は絶好の場所であると思われた。深い森の中央部には(今は廃坑となっているようだが)鉱山があり、小さな湖沼を取り囲むように天然の花畑があって、苔むす老木には豊富にキノコ類も生えている。蕎麦屋の親父がいったとおり豊作の年のようである。

 ベリルはあらかじめ想定した採取ルートがあるようで、森の各地を巡りながら数多くの植物を採取していった。ときおりオレに、それは食べられるキノコ、あるいは食べてはいけないキノコなどと助言もくれる。希少で市場では高値がつくという松露トリュフの群生地を教えてくれたし、オレは実際に採りもした。鋭い嗅覚でキノコを見つけ出したパーシモンと奪い合いになり、あわやこぶしくちばしをぶつけあう寸前になったのだが。ベリルはといえば、そんなオレたちを見て呆れるばかりであった。


「パーシーは香りキノコが大好物なのです」

「こいつらは草食性なのか? てっきり肉食なんだと思っていたぜ。タカとかハヤブサのような」

「いえ、どちらも食べます。カラスのような雑食ですね。幼い頃からヒトに飼われ環境に適応していった結果、そうなったのかもしれません」

「なるほどねェ。柔軟な適応力と高い生存力というのも、こいつらの能力ちからのうちってわけだ」


 オレがそう感想を述べると、ベリルは感心したようにわずかに目を見開き、長耳もぴくりと反応した。「口ほどにものをいう」ってやつだ。何がいいたいのか、聞かずともだいたいわかる。「この剣士もまんざら阿呆ではないのだな」と、そう思ったに違いないのだ。まァ、よかろう。侮られるのには慣れている。

 そう、オレがひとり納得した時である――ベリルの兎耳が再び大きく動いたのは。


「何か聞こえませんか。どこか遠くのほうから、何か」

「何かって、なにが……んッ!?」


 ――けて――た――たすけて、お――おねが――、だれか――たす――。


 聴覚に優れるエルフでないオレの耳にも届いた、微かな声。それは助けを呼ぶ少女の叫びだった。

 とっさに顔を見合わせる。するとベリルは躊躇なく声のする方へと、斧嘴鳥を駆って走りだしたのである。まるでオレの意思など確認するまでもないという態度。ハァ。思わずため息がもれる。

 たしか、道中の護衛を依頼されたんだったよな、オレは――ならば仕方あるまい。依頼主の後を追わぬばならぬだろう。


     *


 木々が鬱蒼うっそうとおいしげる森の中を、ベリルの斧嘴鳥が疾走する。草むらをかき分け倒木を跳び越え、飛ぶような速さだ。声を頼りに暗い森を暫く走ると、木々のあいだに浮かぶ白いかすみのような、あるいは枝と枝の間に広がる薄い膜のようなものが目に飛び込んできた。なんだあれは!

 前方を駆けるベリルは素早く手綱を引き、ブルーは地面を滑るようにして速度を落とす。オレはというと、パーシーにしがみついてブルーの尻に激突しそうになるのを回避するのが精いっぱいであった。パーシーは木々の間にかかるに頭からつっこんでしまうが、鋭い嘴でなんとか停止した。

 あらためて見渡せば、その白い霞とは朝露に輝く蜘蛛の糸であった。それも只の蜘蛛ではない。糸の太さ巣の大きさから判じるに、明らかに巨大種ジャイアントのそれである。枝から枝へ、幹から幹へと、大樹を間にいくつもの白い罠が張り巡らされていた。

 パーシーは顔に貼りついた糸から逃れようと首を振るので、暴れるのをなだめながら取ってやった。この粘度と強靭さ。栗鼠りすや小鳥程度の小動物ならば容易く捕らえることができよう。実際それらしき大きさの、糸でぐるぐる巻きにされた塊があちこちに散見される。

 これらひとつひとつが巨大蜘蛛ジャイアント・スパイダーの餌食となった成れの果て、といったところか――すると、オレのすぐ目の前に浮かぶ白い塊が、先ほどの少女と思しき声でわめきだしたのだ。


「ちょっと! いつまでボーッしてんのよ! 早くこの糸をお切りなさい! この森を預かるプリンセスとして命じますッ!」


 蜘蛛の糸でぐるぐる巻きになった白い塊――いや、自称姫君プリンセスは、そう大声でのたまったのである。

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