其の二 ヒーラー、依頼に現る。

「このお店がある長屋ロングハウスに、腕の立つ戦士ファイターがいらっしゃると聞いて参ったのですが、お呼びいただけますか」


 凛とした声が、草原を渡る涼やかな風の音のように辺りに響いた。

 そういいながら女は、目深にかぶった大きな帽子を脱いで素顔を露にする。すると、その姿を一目をみるや〈蕎麦屋〉店主の親父は、まるで〈石蜥蜴門バジリスクゲート〉に飾られた石像のようにカチコチに硬直してしまった。呆けたように大口まであけている。

 まったく、だらしがないにも程があるが、その醜態もむべなるかな。

 女盗賊ウィーゼルがいっていた兎耳うさぎみみとは、先端の尖った長耳のことであり、つまりこの女はエルフであるのだ。


 黄金色の長髪はまるで雲間からさしこむ月光のよう。

 透きとおる白肌はさながら磨かれた雪花石膏アラバスターのよう。

 憂いをおびた碧眼はあたかも湖底に沈む藍玉アクアマリンのよう。


 見目みめ麗しき種族エルフの中でも、飛び切りのといって良いだろう――しかし、である。見かけに騙されてはいけないのだ、特に女は。


「腕が立つかどうかは知らないが、この長屋ながやに住む剣士とはオレのことだ」


 北方民が住まうロングハウス型の住居と、故郷くにの長屋造りとは全く異なる様式なのだが、横に長い形状は似ていなくもない。いちいち訂正をしてやる必要もあるまい。

 我らヒューマンよりも遥かに長命な種族である女は、泰然とした余裕と古風な優美さを纏って、こちらに視線を向けた。

 一方、店主の親父はというといまだ空想の〈石蜥蜴バジリスク〉に睨まれて石のように硬直したままである。まったく、ほんとうに、どうしようもないな。


「あなたがそうでしたか……仲介人から仔細は聞いていると思いますが……では、参りましょうか」

「はァ!? いやいや嫌ッ、まてまて待てッ!」


 どこからか「なにゆうとんねん!」と、仲介者であるウイーゼルのなまった合いの手が聞こえたような気がしたが、もちろんそれはオレの脳裏に浮かんだ妄想である。

 この女、眉目秀麗な外見とは裏腹に、どうにも浮世離れした御仁のようだ。


「仔細も何も、オレはあんたが誰か知らないし、何処へ何をしに行くのかも聞かされていないんだが……」

「そうでしたか、これは失礼しました。私の名はベリラス……これはいにしえの言葉で〝蒼く輝く海の如き貴石〟という意味ですが……あなた方にはそう、ベリルと名乗っておきましょう。上のハイエルフ二部族のうち、我らはムーン・エルフと呼ばれています。ゆえに私のことはベリル・ムーンライトとお呼びください。以後、お見知りおきを。ウィーゼルからは話を通しておくといわれていましたので、すでにご存知かと思っていました」


 うッ。こ、この女――厄介だ。とても厄介だ。いきなり長広舌を振るって特に尋ねてもいないのに自らの名が意味するところを語り、共通語風の略称や家名をその場で自称するところがなんというかもう――である。

 ウィーゼルといい、この女といい、何故オレの周りの者たちは本名を名乗りたがらないのか――まぁ、そういうオレにしても未だ幼名を使っているのだが。そういえばオレは〈蕎麦屋〉主人の名前を知らないことに気がついた。間借りしている長屋の、大家でもあるのに。


「オレはキクチヨだ。秋津菊千代アキツ・キクチヨ。東方〈〉国の出身、カタナを振るうしか能のない剣士だ。傭兵や用心棒から代理戦士まで、剣術にかけては大抵の者には後れを取らない自信はあるが、悪事には手を貸さないと決めている。どういう仕事を頼みたいんだ?」

「わたしは治療師ヒーラーを生業としております。この街から南へおよそ十リーグほど行ったところにある〈クロークウッド森〉で、魔法の水薬ポーションの材料となる、希少な薬草や鉱物を採取したいのです。あなたにはその道中で護衛をお願いしたい。近頃はコースト・ウェイ大街道にもたびたび小鬼ゴブリンが出没すると聞きましたので」


 それは確かにそのとおりだった。オレがこの街まで用心棒を務めた隊商キャラバンも、小鬼の襲撃が切っ掛けでオレを雇ったのだし、その小鬼どもが森からやってきた可能性も考えられる。十リーグといえば三十マイルほどか。徒歩でも健脚ならば丸一日くらいの距離であろう。


「契約料は一日につき十金貨ドラゴン。行き帰りの行程に一日づつ、森での探索に一日。合計三日間を最低保証します。期間延長の場合には双方の合意の上で。小鬼を撃退する以上の脅威が発生した場合にも、追加報酬をお渡しする用意があります。長く見積もっても四、五日といったところでしょう」

「ふうむ。悪くない話に聞こえるな。それに契約内容も公正だ」


 断る理由は特にないように思われた。唯一つ依頼人が、少々、厄介そうな性質たちであることを除いては。オレがどうしたものかと逡巡していると、ようやく幻想の凝視ゲイズから抜け出したらしい親父が、ぬけぬけとこういった。


「キクさんよ、ついでに〈クロークウッドの森〉でキノコやら山菜やらをたくさん採ってくれば良いんだよ。今年はどこの森も豊作だと聞くぜ。余れば儂が買い取っても良い」

「この店のお品書きメニューキノコ蕎麦が加わるってかい。そうだなぁ」


 この街に滞在してからずいぶん日がたち、懐具合も寂しくなってきたことだし、ここらでひと稼ぎしておくべきかもしれない。美味い飯の余禄がつくならば、いうことなしである。


「よしわかった。あんたの護衛を引き受けよう」

「それは良かった。では……今すぐに、というわけにはまいりませんね。明日の夜明けとともに出発ということでいかがでしょうか」

「かまわんよ。待ち合わせ場所は」

「〈竜渡りワームズ・クロッシング〉の南端、橋のたもとで」

「〈リヴィントン〉側だな。わかった」


 チオンター川を渡った先の地区も、この街の〈門外アウター・シティ〉の一部であるとオレが知ったのは、つい最近のことだ。つくづく〈バルダーズ・ゲート〉が巨大な都市であると実感する。この街は外へ外へと成長を続ける、巨大な生物であるかのようだ。

 では念のためといって、律儀に持参した羊皮紙の契約書に署名サインをすると、いまや雇用主となったベリルが思い出したようにいった。


「そういえば、キクチヨ殿は馬には乗れますよね」

「もちろんだ。故郷くにじゃあ幼き頃から武芸十八般を仕込まれたからな。馬術は得手えてなほうだ。兄上と競ってよく遠乗りに出かけたもんだぜ」


 ベリルは小さく首肯しながら「では問題ないでしょう、乗り物を用意しておきます」といって、優雅な足どりで去っていった。

 乗り物――馬だろうか。まさか馬車ということはあるまいが。森の中を探索するのだから、現地についてからは邪魔になるだろうし、ずいぶんと手回しが良いのだなと、その時のオレは暢気にも思っていたのである。

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