菊と刀と天麩羅
猫丸
其の一 ローグ、蕎麦を手繰る。
「あァん? なんでお前さんが、こんなところで
「……こんなところはないだろう、キクさんよォ」
オレの〈
前日の深酒が祟って、普段より遅く目覚めた朝――いや、もう昼になろうかという頃合いである。オレはいつもどおり長屋の自室をでると、大家が営んでいる〈蕎麦屋〉へと飯を喰いに来たのだが、そこには思わぬ先客がいたのだ。
港町バルダーズ・ゲートの〈
「どこで何を喰おうが、うちの勝手やろ」
オレの厭味を
オレは長椅子の端に腰かけたウィーゼルから適度に離れて腰を下ろすと、親父にカケ蕎麦を一杯注文した。できあがりを待つ間、
ウィーゼルは、百年に一度しか姿を現さない幻獣を見るような目つきでオレの一連の行動を眺めていたが、蕎麦を
「なんだ、これは?」
「この前の害獣退治の報奨金や。
「ああ、あれか……」
革袋の中を覗くと、確かにまとまった数の銀貨が入っている。オレが退治した〈巨大鼠〉の数より明らかに多い気がしたが、ウィーゼルなりの謝意なのだろうと、黙って受け取っておくことにした。
オレは「そうかい、じゃあ遠慮なくもらっておくぜェ」といって、硬貨袋を懐に仕舞った。そういえば、こいつの手下で
無頼を気取る割には義理堅いんだなと、律儀な盗賊を横目に見ると、ウィーゼルは涼しい顔で再び蕎麦を口に運んでいる。
そんな時である。蕎麦の茹で上がりを待つオレの鼻先に、芳しく香ばしい匂いが漂ってきたのは。おやおやおや、この香りはもしや。
「
「あんたは相変わず食いモンの事となると鼻が利くなァ……ああ、そうだよ」
クンクンクンと鼻を鳴らすオレに、まるで獣みたいな嗅覚だよと、半ば呆れ顔の親父である。〈
久しぶりに嗅いだ芳香に、オレは頭がクラクラと
「こいつで何か料理を作るつもりはないのかい。この街の
胡麻油がたっぷり入った油壷を見つめ続けるオレに、そんな物欲しそうな顔をするんじゃねェよ意地汚ねェなあ、と親父は呆れている。
「そりゃあまァ、良いネタが仕入れられりゃあ、こさえるのもやぶさかじゃぁねェけどもよ」
そうなのだ。この〈門外〉に、小さいながらも店を構え、店舗に連なる長屋の所有者でもある〈蕎麦屋〉主人は、食に関しては一本気な性格であり妥協をしない。その季節の、旬な食材以外は進んで調理しようとしないのである。
「今時分なら茸かねェ。あぁ、揚げたて
こと食に関する限り、オレの妄想は無駄に
そんな恍惚感にひたるオレを尻目に、汁まで残さず平らげたウィーゼルが長椅子から立ち上がった。店の親父にごちそうさんといって、
それなりに値が張る食物ながら、市場での売り上げも好調というから親父の機嫌もすこぶる良い。許可証を取り上げられて、捨てられた犬のように拗ねていた頃が嘘のようである。まったく調子の良い親父だぜ。
「……そうだ。近いうちに、あんたを訪ねてくる者がおるかもしれへん。もし暇なら話だけでも聞いてやってくれるか」
蕎麦を食べ終えたウィーゼルが、長椅子から立ち上がりながら、ふと思い出したようにそういった。いかにも物のついでといった、何気ない風を装っている。
「なんだそりゃ。またぞろ厄介事じゃないだろうな。オレは
「しがない、お節介な剣士やろ?」
そういいながら、ウィーゼルは口許をわずかに緩めて笑みを浮かべた。まるで悪戯っ子のように。
いやいやいや、とんでもない誤解である。オレはいつも面倒事に巻き込まれているだけなんだ。不本意ながらも剣を振るうのは、オレにはそれしか能がないからである。
「剣だけは頼りになると、宣伝しておいてやった。いつとも、必ずともいえないが、もしやってきたらでいい」
「余計なことを……それで、どういう
「そうやな……
「うさぎィ?」
そういわれてオレは
オレの戸惑いを
*
秋の空は紺碧色に澄んで高く、いつもは霧に霞むこの街も、今日は上々の晴れ模様である。
オレは食事をすませると煙草盆を引っ張り出してきて、愛用の
そんな時である。オレがフウと吐きだした紫煙のたなびく先に、突如として
「〈ノーチャペル〉地区で〈
店主の親父にそう問いかけながら、目深にかぶった大きな帽子を脱いだ人物は、もちろん毛深い獣人などではなかった。むしろ、オレの勝手な想像を見事に裏切る容姿であったのだ。
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