菊と刀と天麩羅

猫丸

其の一 ローグ、蕎麦を手繰る。

「あァん? なんでお前さんが、こんなところで蕎麦ソバなんかすすってんだよ」

「……はないだろう、キクさんよォ」


 オレの妖精界フェイワイルドより訪れた小妖精ピクシーのごとき純朴な驚きを、〈蕎麦屋〉の親父は九層地獄バートルより現れた悪魔デヴィルのように耳聡く聞き咎めた。

 前日の深酒が祟って、普段より遅く目覚めた朝――いや、もう昼になろうかという頃合いである。オレはいつもどおり長屋の自室をでると、大家が営んでいる〈蕎麦屋〉へと飯を喰いに来たのだが、そこには思わぬ先客がいたのだ。

 港町バルダーズ・ゲートの〈門外アウター・シティ〉地域を闇から支配する〈組合ザ・ギルド〉でも一目置かれた無頼者ローグ――ウィーゼルの通り名で呼ばれる、若い女のハーフリングである。外見上はヒューマンの子供の様でありながら、その本性はしなやかな身のこなしと鋭い刃物さばきが剣呑けんのんな〈盗賊シーフ〉であるのだ――見かけに騙されてはいけない――特に女は。


「どこで何を喰おうが、の勝手やろ」


 オレの厭味をなまりの強い共通語でスルリとかわし、ウィーゼルは巧みに箸を操りながら蕎麦を食べている。馴染みのない食事道具だろうに、器用なものだ。この手先の器用さは、やはり〈盗賊〉の技術に裏打ちされたものなのだろうか。

 オレは長椅子の端に腰かけたウィーゼルから適度に離れて腰を下ろすと、親父にカケ蕎麦を一杯注文した。できあがりを待つ間、箸匙類カトラリーを入れている布袋を懐から取り出してカウンターに広げる。その中から今日は朱色の塗り箸を選んで箸置きに寝かせた。

 ウィーゼルは、百年に一度しか姿を現さない幻獣を見るような目つきでオレの一連の行動を眺めていたが、蕎麦を手繰たぐる手を止めると、カウンターを滑らせて皮の小袋をこちらに寄こした。今度はオレのほうが眉根を寄せてウィーゼルを見る番である。箸で革袋をつまみ上げてみるが、ずしりと重い。


「なんだ、これは?」

「この前の退の報奨金や。市当局ザ・ゲートは〈巨大鼠ジャイアント・ラット〉一匹につき銀貨シャード一枚を払っとる。それがあんたの取り分や」

「ああ、あれか……」


 革袋の中を覗くと、確かにまとまった数の銀貨が入っている。オレが退治した〈巨大鼠〉の数より明らかに多い気がしたが、ウィーゼルなりの謝意なのだろうと、黙って受け取っておくことにした。

 オレは「そうかい、じゃあ遠慮なくもらっておくぜェ」といって、硬貨袋を懐に仕舞った。そういえば、こいつの手下で穴熊バジャーと呼ばれるハーフオークの大男が、始末した〈巨大鼠〉の尻尾を切り取っていた。不気味なことをしやがるなと白い目で眺めていたのだが、あれは市当局へと差し出す証拠のためだったようだ。

 無頼を気取る割には義理堅いんだなと、律儀な盗賊を横目に見ると、ウィーゼルは涼しい顔で再び蕎麦を口に運んでいる。

 そんな時である。蕎麦の茹で上がりを待つオレの鼻先に、芳しく香ばしい匂いが漂ってきたのは。おやおやおや、この香りはもしや。

 

親父オヤッさん、こいつはひょっとして胡麻ゴマ油じゃないのかい?」

「あんたは相変わず食いモンの事となると鼻が利くなァ……ああ、そうだよ」


 クンクンクンと鼻を鳴らすオレに、まるで獣みたいな嗅覚だよと、半ば呆れ顔の親父である。〈剣の海岸ソード・コースト〉周辺ではオリーブ油や獣脂が広く調理に使われており、焙煎の手間がかかる胡麻の搾油は稀で、あまり見かけたことがない。

 久しぶりに嗅いだ芳香に、オレは頭がクラクラと眩暈めまいさえする思いである。


「こいつで何か料理を作るつもりはないのかい。この街の白身魚と芋の揚げ物フィッシュ&チップスも、だんだん喰い飽きてきたぜ、オレは」


 胡麻油がたっぷり入った油壷を見つめ続けるオレに、そんな物欲しそうな顔をするんじゃねェよ意地汚ねェなあ、と親父は呆れている。


「そりゃあまァ、良いネタが仕入れられりゃあ、こさえるのもやぶさかじゃぁねェけどもよ」


 そうなのだ。この〈門外〉に、小さいながらも店を構え、店舗に連なる長屋の所有者でもある〈蕎麦屋〉主人は、食に関しては一本気な性格であり妥協をしない。その季節の、旬な食材以外は進んで調理しようとしないのである。


「今時分なら茸かねェ。あぁ、揚げたて舞茸マイタケ天麩羅テンプラなんてェのを、大根おろしを落としたツユに、じゅじゅッと浸してひと齧りすりゃあもう……」


 こと食に関する限り、オレの妄想は無駄にみなぎるばかりである。

 そんな恍惚感にひたるオレを尻目に、汁まで残さず平らげたウィーゼルが長椅子から立ち上がった。店の親父にごちそうさんといって、金貨ドラゴン一枚をテーブルに置く。ひと月に何度か出店する〈大広場ザ・ワイド〉での販売価格との兼ね合いで、〈門外〉の店舗では料金を下げたのだ。

 それなりに値が張る食物ながら、市場での売り上げも好調というから親父の機嫌もすこぶる良い。許可証を取り上げられて、捨てられた犬のように拗ねていた頃が嘘のようである。まったく調子の良い親父だぜ。


「……そうだ。近いうちに、あんたを訪ねてくる者がおるかもしれへん。もし暇なら話だけでも聞いてやってくれるか」


 蕎麦を食べ終えたウィーゼルが、長椅子から立ち上がりながら、ふと思い出したようにそういった。いかにも物のついでといった、何気ない風を装っている。


「なんだそりゃ。またぞろ厄介事じゃないだろうな。オレは万事屋なんでもやじゃない。しがない剣士だぜ」

「しがない、剣士やろ?」


 そういいながら、ウィーゼルは口許をわずかに緩めて笑みを浮かべた。まるで悪戯っ子のように。

 いやいやいや、とんでもない誤解である。オレはいつも面倒事に巻き込まれているだけなんだ。不本意ながらも剣を振るうのは、オレにはそれしか能がないからである。


頼りになると、宣伝しておいてやった。いつとも、必ずともいえないが、もしやってきたらでいい」

「余計なことを……それで、どういう御仁ごじんなんだ、その物好きは?」

「そうやな……兎耳うさぎみみの、出不精で世間知らずで……ちょっと面倒臭い女、やな」

「うさぎィ?」


 そういわれてオレは咄嗟とっさに、毛むくじゃらで直立二足歩行する兎人うさぎびとを連想したのだが、十万を超える人々が暮らすこの街でも、そんな奇妙な人型種族ヒトにはお目にかかったことがない。

 オレの戸惑いを他所よそに「美味かったで、また来るわ」と親父にいい残し、ウィーゼルは〈門外〉の雑踏の中へと消えて行った。


     *


 秋の空は紺碧色に澄んで高く、いつもは霧に霞むこの街も、今日は上々の晴れ模様である。

 オレは食事をすませると煙草盆を引っ張り出してきて、愛用の煙管キセルで、上物の刻み煙草に一服けていた。商業都市バルダーズ・ゲートでは、南方産の良質なパイプ草も容易に入手できるのだ。悪癖とは知りつつも、なかなかこの習慣はやめられない。

 そんな時である。オレがフウと吐きだした紫煙のたなびく先に、突如としてくだんの女は現れたのだ。


「〈ノーチャペル〉地区で〈蕎麦屋ソバヤ〉という名の、麺料理を商うお店というのは、こちらで間違いないですか」


 店主の親父にそう問いかけながら、目深にかぶった大きな帽子を脱いだ人物は、もちろん毛深い獣人などではなかった。むしろ、オレの勝手な想像を見事に裏切る容姿であったのだ。

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