第62話 変装して隠密行動する

 現在、わたしの脳内では某スパイ映画のBGMがエンドレスで流れている。

 何故かというと、今まさに少人数での隠密ミッションの最中なのだ。

 しかも変装までしているとなれば、そんな気分になるのも仕方ないだろう。

 インポッシブルなミッションではまったくないのだが、わたしのテンションは大・作・戦!という感じで非常に高まっている。


 時刻は夜の10時。

 いつも11時にベッドに入るわたしにとって、今夜の活動は随分と夜更かしになるから昼寝をしておいて正解だった。

 アラサー女子にしてはやけに健康的な生活だと自分でも思うが、この異世界には夜更かしするような娯楽もないし、朝練に寝坊で遅刻しようものならクランツの皮肉の餌食になってしまう。


 同行者はブルーノ、レイグラーフ、クランツの三人で、離宮を出て向かっている先は魔王城の正門付近らしい。

 馬車で通過したことしかないが、わたしの前を歩くブルーノの後をついていくだけなので問題ないだろう。

 外の明かりは必要な者が各自魔術で灯すもの、という魔族国では基本的に街灯はないので周囲は真っ暗だ。

 わたしはブルーノの指示でナイトアイという魔術を使っているため、この暗闇の中でも夜目が利いている。

 ナイトアイを使った今の視界は赤外線カメラの映像のようで、まさにスパイという感じがして非常にスリリングだ。

 しかし、変装までして人目を忍んで移動しているのに、バーチャルなマップを広げ『生体感知』を展開していても同行者の三人以外にほとんど反応がない。

 ……どうやら今夜はかなり厳重に人払いをしているようだ。



 『転移』の実験に先立ち、わたしを離宮の部屋まで迎えに来たブルーノとレイグラーフは、その場でまず『移動』に関する諸々を確認した。

 先日の『移動』の検証結果は既にクランツからヴィオラ会議に報告してあり、その検証結果をもとに『転移』の実験プランが組まれたそうだ。

 人目を排し秘密裏に行う今夜の実験を短時間で確実に成功させるため、この二人が最終確認をするらしい。


 わたしとクランツは二人で試行錯誤したいろいろな方法をやって見せてから、確実な起動方法である「わたしが両手で相手の腕を掴む、または片腕で相手と腕を組む」の2種類を披露した。

 呪文を唱える前はカップルのように腕を組んだわたしたちの姿にブルーノもレイグラーフも複雑な顔をしていたが、『移動』が発動した次の瞬間、揃って軍人と研究者の顔に様変わりした。



「魔術と同じように術式を洗練させていくならば、発動は後者の腕組みで固定した方が良くありませんか? 前者だと相手の腕の太さによっては起動条件を満たさない可能性がありますし、二人パーティーにしか対応できません」


「そうだな。一瞬の判断が命取りになる非常時のことを考えれば、両手が塞がる前者より片腕で済む後者を俺も推したい。スミレ、パーティーを組んでいる時の『転移』も『移動』も今後は腕組み状態で発動するよう習慣づけろ」


「はい、わかりました」


「んじゃ、さっそくだが俺と『移動』してくれ」


「あっ、ずるいですよブルーノ! スミレ、私も試させてください」



 初めて呪文による転移を見たからか、二人とも我も我もと圧がすごい。

 それにしても、ブルーノはともかく、恋愛絡みの事柄が苦手なレイグラーフまでわたしと腕を組もうとするとは思わなかった。

 知的好奇心の方が上回るとは言え、この人、わたし相手だと恋愛度が高い行為でも本当に平気なんだなと、アラサー女子としては若干微妙な気分になる。

 教え子としては、女性として意識されていないのは気楽でいいのだけれど。


 二人とそれぞれ『移動』した後、次は複数人で試そうということになり、三人と腕を組む。

 最初は両腕で三本の腕をまとめて抱え込んだが、ブルーノが片腕に二人、もう片方の腕に一人という風に分け直した。

 片腕に組まれる二人が背中合わせに立てば前後左右の哨戒が可能だと言われ、ブルーノは常に敵襲や安全性の確保などを考えているんだなと感心する。

 そうして試した四人での『移動』は問題なく発動した。

 このネトゲ仕様ではパーティーは何人まで組めるんだろう。

 五人までOKだったら両腕に二人ずつ組めるのでちょうどいいのだけれど。



 『移動』の最終確認を終えると、わたしはレイグラーフからこの服に着替えるようにと言って研究院の制服を渡された。

 おおぅ、変装して隠密行動をするのか。まるでスパイみたいだ。

 急いで寝室に行きベッドの上に服を広げると、何と男性用の制服だったのでパンツ派のわたしはかなり喜んだ。

 この異世界は細身のテーパードパンツのようなヴィヴィ以外に女性用のパンツはないから、緩やかな仕立ての男性用ズボンを一度履いてみたかったのだ。

 着てみると全体的に丈がやや長かったが、元々この異世界は男性用もゆったりとした服なので許容範囲内だろう。

 そういえば、せっかく変装するならネトゲのアイテムを併用してもいいんじゃないだろうか。

 わたしは仮想空間のアイテム購入機能で度なしの『メガネ』と、髪の色を変える『染め粉』を購入して寝室を出た。


 居室に戻ると、レイグラーフはカシュパルとメッセージのやり取りをしているようだったので、ブルーノとクランツの前でくるりと回って研究院の男性用制服姿を見せる。

 二人に問題なしと太鼓判を押してもらうと、今度はブルーノに『戻り石』を購入するように言われた。

 これは魔王からの指示だそうで、実験が終わるのは遅い時刻になるから、実験後すぐに自室へ戻れるよう対となる置き石を自室に置いて来るように、とのことだ。

 魔王は既に戻り石を入手しているから、当然戻り石を使った転移は検証済みなんだろう。

 『転移』の実験をするついでに、わたしやヴィオラ会議のメンバーにも戻り石の転移を経験させるつもりなのかもしれない。

 帰宅時刻のことといい、相変わらず行き届いた心配りをしてくれる人だなぁ。


 わたしはさっそく戻り石を購入すると置き石をテーブルの上に置き、戻り石をズボンのポケットにしまった。

 そして先程購入したメガネをはめてみせ、染め粉で髪の色を変えたらどうだろうと二人に提案する。

 ブルーノは実際に染め粉で髪色を変えた経験があるのでニヤニヤ笑いながら賛成してくれたが、クランツはあの場にいなかったからアイテムで髪色を変えるというのがピンとこないようだ。



「で、お前は何色にするつもりなんだ?」


「せっかくだから地毛とまったく違う色にしたいなぁ……。赤とかどうでしょう」


「プッ。魔王族は揃って赤髪好きかよ。変なところでルードヴィグに似やがって」


「隠密行動のための変装で、そんな目立つ髪色にしてどうするんです。闇になじむような色にしてください」



 今の会話に魔王がどう関わるのかわからなかったが、赤い髪はクランツにばっさりと切り捨てられたので他の色を考える。

 わたしは焦げ茶色の髪なので黒髪に憧れはあるけれど、どうせならいかにも異世界ファンタジー!というような髪色にしてみたい。

 う~ん、暗めの色なら青か紫か緑あたり……って、そうだ!

 せっかく研究院の制服を着ているのだし、レイグラーフの深緑色の髪色を真似してみよう!


 わたしはダダッと洗面所に走り込むと鏡の前で染め粉を使い、見事にレイグラーフと同じ深緑色の髪になった。

 ネトゲの変身アイテムには肌の色を変えられる『特殊白粉』もあるので肌もレイグラーフと同じ褐色に変えられるけれど、そこまで本気を出さなくてもいいか。

 メガネの位置を直し、鏡の中でちょっとポーズを決めてみる。

 研究院の制服と伊達メガネ効果で普段より五割増しで賢そうに見えるのは気のせいだろうか。

 フフフ、辣腕スパイっぽいぞ!と鏡の中の自分を自画自賛してしまう。


 足取り軽く居室に戻れば、カシュパルとの連絡が済んだのかレイグラーフが話の輪に戻っていたので、わたしは彼らの前に走り込んで自分の変身姿を披露する。



「ジャ~ン! レイグラーフさんとお揃いにしました! どうですか?」



 わたしが両手を挙げて万歳のポーズで披露したら、何故かその場の空気が凍りついた。

 ヘッ、何で?

 わたしの恰好、そんなに変だった!?


 レイグラーフが真っ赤な顔で固まっている。

 ブルーノとクランツは顔を背けるようにしてそっぽを向いてしまった。

 ……この空気は……アレか、お誘い関連だな……。

 どのあたりがお誘い案件なのかさっぱりわからないけれど、よりによってレイグラーフの前でやらかしてしまったのは最悪だ。

 せっかくわたしの前では恋愛的なムーブをしてもまったく気にしていなかったというのに……。



「あ~、何がどう問題なのかは実験が終わったら教えてやる。とりあえずスミレはその髪色を変えてこい。気が散って実験に集中できねぇ。青……もダメか。黒も紫も微妙だな……ああもういい、元の髪色に戻してこい」



 片手で顔を覆ったままブルーノがそう言って、この話は強制終了となった。

 ブルーノとクランツはお誘い関連のわたしのやらかしに被弾する確率が高くて非常に申し訳ないが、こればかりはレイグラーフに教えてもらうわけにいかないので二人にお願いするしかない。


 わたしはすごすごと洗面所へ行き、髪色を地毛の焦げ茶色に戻した。

 調子に乗り過ぎたかなとメガネも外し、とぼとぼと歩いて居室へ戻ると、ブルーノが苦笑いでメガネはしてもいいぞと言ってくれた。



「……いいんですか?」


「変装グッズなんだろ? そっちは別に問題ねぇ。それよりお前、実験中の偽名を考えろ。せっかく変装してもスミレと呼んでたら、わかるヤツにはわかっちまうからな」


「イーサンかハントでお願いします!!」


「何でいきなり元気になってるんだよ……。まあいい、行くぞイーサン」


「ラジャー!!」


「……外に出たら声を落とせよ?」


「は~い」



 そんなわけで、イーサンであるわたしは脳内BGMにアドレナリンを出しつつ、暗闇の中をナイトアイで夜目を利かせ、バーチャルなマップを広げ『生体感知』を発動し、周囲を警戒しながら仲間と共に隠密ミッション継続中なのだ。

 指令がメッセージのメモで届いて、《なお、このメモは5秒後に消滅する》と伝言が届いてくれたら言うことなしだったけれど、それは脳内で補完しておこう。



 やがてマップに魔王城の正門が映り込んできた。

 マップ上には魔王たちと思われる2つの点があり、『生体感知』でも二人分の反応が見える距離まで近づく。


 ミッションは隠密行動からターゲットへの接触に移行する。

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