第61話 ウィンドウショッピング終了のお知らせ
昼食を終え、わたしたちはノイマンの食堂を後にした。
自分のデモンリンガで支払いをしてみたかったが、カシュパルにまだダメだよと言われては仕方がない。
引っ越しが完了するまでの経費は庇護者であり部族長でもある魔王の管轄なのだそうで、これから向かう食器と調理器具専門の道具屋での買い物も払わせてもらえないらしい。
残念だし申し訳ない気もするけれど、魔王の顔を潰すわけにはいかないから大人しく引き下がろう。
よそで食事して「おいしかった。ごちそうさま」の印に自分で食器をウォッシュできただけでも、一人前の魔族みたいでわたし的には大満足だ。
魔術具のチェック作業を早く進めたいからと、レイグラーフはカシュパルから鍵を預かって一人先にオーグレーン荘へ戻っていった。
残った四人で西通りを渡り、おしゃべりをしながら三番街へと歩いていく。
バーチャルなマップと『生体感知』を併用しながら歩くのにも慣れてきた。
チラリとクランツを見たら目が合って、小さく頷いてくれたから多分目の動きは改善したんだろう。
「それにしても、スミレは本当においしそうに食べるわよね」
「ちょっと~、人を食い意地張ってるみたいに言わないでよ」
「あ、それ僕も思った。自分と違うメニューだったから、そんなにおいしいのかと気になっちゃったよ」
「わかります。私は追加で注文しようかと思いました」
それは食べすぎでしょ、だから注文していないだろう、とクランツとやり合っているうちに目的の道具屋へ到着したようだ。
看板には「ラウノの道具屋」の文字と、カップとフォーク、そして鍋の絵が描いてあった。
なるほど、食器と調理器具専門と書いてなくてもわかる作りになっている。
うちの雑貨屋はどういう看板にしようかと考えつつ、ドアを開けたカシュパルの後に続いて店の中へ入った。
店のドアが動く度にカランカランと音がするので、この異世界でもドアベルが使われているんだなと思い音源を見る。
色味からすると銅製だろうか、いい音だ。
オーグレーン荘のドアには付いていなかったから、うちも雑貨屋の開店までには取り付けないとと考えているとカシュパルが耳打ちしてきた。
「スミレの家のドアベルはレイが付けてくれる予定だよ」
「ホントですか!? わあ、嬉しいなぁ」
「動画を観た時にレイが気付いたらしくてね、防犯用に魔術具を仕込んだドアベルを作るって言ってたんだ。戻ってから詳しく聞いてごらんよ」
「助かります。わたし、全然思い至らなくて」
さすがは研究院長。ドアベルにまで魔術具を仕込むとは。
よし、早く食器を買って部屋に戻ろう。
部屋主のいないところでレイグラーフにばかり作業をさせては申し訳ないし。
そう思い、急いで店内を見て回るうちに気付いた。
あれ? この店の商品、どれも離宮で見たことがあるものばかりだ。
不思議に思ったのでファンヌに尋ねてみる。
「ねえ、ファンヌ。この店の品って、離宮で使ってるのと同じだよね?」
「ええ、そうね。見たところ、すべての食器とカトラリーが揃っているようよ。調理器具はまだ全部見ていないけれど」
ん? すべてのって、どういうことだろう。
離宮で使っているすべての食器がこの店にあるということだろうか。
それ以外の食器も見てみたいなら、やっぱりウィンドウショッピングするしかないんだろうな。
「そうか~。離宮で使ってない食器も見てみたいから、ここでは足りない調理器具だけ買うことにしようかな」
「離宮にない食器なんてないわよ? 食器、カトラリー、調理器具、どれも全種類揃っているんだから。よその店を見に行っても置いてある商品はここと同じよ」
「……他の食器はないの? すべての食器って、もしかして魔族国内に存在するすべての食器っていう意味?」
「もちろんそうよ。この店には魔族国内のすべての食器とカトラリーが揃っているから、後はスミレの好きなものを選ぶだけね。あ、店の主人に調理器具も全種類あるのか聞いてくるわ」
カウンターの方へスタスタと歩いて行くファンヌの背中を、わたしは声もなく見送った。
ファンヌの言った意味がすぐには理解できない。
え? それって、食器の種類はここにあるだけしかないってこと?
魔族国内全部で? 嘘でしょッ!?
さっき内装屋が調達してきた青い花柄の茶器のセットが目に入る。
離宮でお茶の稽古に使った茶器のセットは6種類で、ここにすべて揃っていた。
――茶器のセットは、魔族国内にこの6種類しかないのか。
初めて知る事実にわたしは愕然とした。
何で食器類だけそんなに種類が少ないんだろう、内装や衣類はあんなに選択肢が豊富だったのに……と考えたところでわたしはようやく思い至る。
これは、たぶんネトゲ仕様のせいだ。
料理のグラフィックの使い回しと一緒で、食器のような世界観構築のための背景装置でしかないもののグラフィックは少しの種類しか用意されてないんだろう。
衣類や内装の選択肢が豊富に見えたのは色や柄が自由に選べたからだ。
わたしが以前プレイしたネトゲでは、キャラクターの個性を出したり自宅の内装を楽しんだりする要素として、装備品やインテリアの中には色やテクスチャを変更できるものがあった。
だが、そうやってユーザーが自由に変更できるものはそれほど多くない。
ゲーム容量に上限がある以上すべてを細かく設定しリアルに描写できるわけもないのだから、世界の一部が簡略化されるのは当然のことだ。
……頭では理解できるけれど、がっかりだなぁ。
でも、とりあえず、この異世界では店を見て歩くウィンドウショッピングという楽しみが成立しないということはよくわかった。
わたしの城下町ライフの楽しみがひとつ消えたわけだが、ネトゲ仕様なら仕方がない。
がっかりはしたけれど、クソゲーというほどグラフィックが酷いわけではないのだからと気を取り直す。
料理だってグラフィックは使い回しだけれど味はいろいろあるし、服と内装があれだけ個性豊かなら生活の彩りには十分だ。
それに、この分ならほとんどの店が取り扱いジャンルの品を全種類揃えていそうだし、いろいろと見て回らなくてもいいというのは利点でもある。
もっと気に入る品があるかも……と考えなくて済むのだし!
わたしはさっさと頭を切り替えて、さくさくと食器を選んでいく。
とりあえず自分の分とファンヌの分、割れた時用の予備として3枚ずつ買うことにした。
客用でない普段用の茶器や多用途に使えるお皿、シチューやスープ用の器など、ファンヌと一緒に選んではカウンターへ積んでいく。
揃える食器の種類って結構あるなぁ……。
それでもお茶碗やお椀にどんぶりや小鉢と、必要な食器が多かった日本の暮らしと比べれば少ない方だろう。
そうやって次々に食器を選んでいるうちに、何と、離宮で一度も見掛けていない食器を見つけた。
マグカップ。そう、スープや温かい飲み物をいれる、実に使い勝手のいいあのマグカップだ。
ファンヌに尋ねると、離宮内でもスタッフの休憩室では使われているそうだが、わたしの前に出されたことはない。
わたしはこの異世界で初めて見た食器を買って帰れるのが嬉しくて、3色あるマグカップを3つとも手に取り、いそいそとカウンターへ運んだ。
ファンヌの好きな色を選んでもらったら、残りの2つのどちらかをその日の気分で使うことにしよう。
購入する食器とカトラリーと調理器具は結構な量になったが、店主が包み紙と紐で手際よく梱包してくれたので、四人で手分けすれば持って帰れそうだ。
支払いの時にカシュパルが店主と会話を交わしながら、この子が近所に住むのだが自炊をするそうなので今後も世話になるだろうと、さりげなくわたしのことを紹介する。
こういう店を開くくらいだから店主も料理好きなんだろう、自炊談議をしたいからまたおいでと言ってくれたので、ぜひにと言って店を後にした。
オーグレーン荘へ戻ると、レイグラーフが引き続き魔術具と格闘していた。
レイグラーフに軽く声を掛け、買ってきた食器類と調理器具をキッチンへ運び込み、皆の手を借りて食器棚や戸棚にしまう。
ふう、ToDoリストに上げていた項目を一つクリアできたよ。
皆のおかげで作業も終わったし、レイグラーフを労うためにもお茶を淹れたいところだが、茶器はあっても肝心な茶葉がない……。
ネトゲアイテムに茶葉はあるが、ファンヌにはネトゲ仕様のことを伏せているから出すわけにはいかないのだ。
しまった、帰り道にどこかで買ってくれば良かったと悔やんでいるところへ、スティーグがひょいと現れた。
しかも、ジューススタンドのテイクアウトを差し入れに持って。
この人、本当にどうなってるんだろう。
もう、タイミングも手土産も完璧すぎるでしょ!?
「あうぅ、スティーグさん、ありがとうございます。ちょうど飲み物が欲しいなって思ってたところだったんですよ」
「それは良かった。ほほう、この部屋がスミレさんのお店になるんですねぇ。いいじゃないですか。発注したバルボラとのバランスも問題なさそうですよ」
「わあ、良かった! それを聞いて安心しました」
他の部屋も見せてもらうから皆に差し入れを配ってとスティーグに言われ、まずレイグラーフに飲み物を選んでもらってから残りを皆で適宜分ける。
ストローはなく、瓶のキャップを開けて直接口をつけて飲むらしい。
わたしがもらったのはベリージュースで、木苺系なのか思ったより酸っぱかったがおいしかった。
周辺の店はテイクアウトも充実してそうだし、食べ歩きが楽しめそうだな。
レイグラーフの作業も無事終わり、黒竜の執事さんに連絡を入れ、鍵を掛けに来てもらう。
カシュパルから聞いていたとおり、レイグラーフが魔術具仕込みのドアベルを設置してくれたので、家を出る時にカランカランといい音をさせていた。
瀟洒な真鍮製のドアベルで、アンティークな照明の魔術具ともマッチしていて嬉しくなる。
帰りの馬車の中ではレイグラーフがいじった魔術具の話で盛り上がった。
オーグレーン荘は古い建物なので家全体を管理する魔術具やキッチンのオーブンなどの魔術具の仕様もかなり古かったらしい。
それらをすべて研究院長自ら最新版にバージョンアップしてくれたというのだから、レイグラーフには頭が上がらないよ。
「とんでもない。あなたの家の魔術具を自分の手で更新できて、私がどれくらい安心したか……。この安心感に比べたら多少の労力なんて安いものですよ。ルードが敷設した高性能魔術陣もありますし、スミレの家は魔族国内屈指の防御力です。何があろうと家の中にいれば安全ですからね。これで私も安心して寝られます」
一般家屋の話とは思えないような表現が混じっていた気がするんですが……。
相変わらず心配性なわたしの先生は、いつものようにわたしの頬を両手で包んで微笑みながらそう言うと、その振る舞いをファンヌやクランツに窘められまくっていた。
そんな様子を眺めながら、皆と一緒に出掛けられて楽しかったなぁと今日一日を振り返る。
ウィンドウショッピングの楽しみは消えたけれどマグカップを見つけられたし、内装は素敵だったし、食べ歩きの楽しみも残っている。
新しい生活への期待とそれを後押ししてくれる皆への感謝で、わたしの胸はますます膨らむのだった。
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