第63話 『転移』の実験

 正門付近にいたのは魔王とカシュパルの二人だった。



「イーサンです。こんばんは」



 研究院の男性用の制服と伊達メガネで変装したわたしが低めの声で挨拶したら、カシュパルがプッと吹き出した。酷い。

 笑いながらも沈黙の魔術を展開して音漏れ防止の結界を張ってくれたので、その中へ皆で入るとわたしは唇をとがらせて即座に文句を言った。



「もう! カシュパルさん笑い過ぎですよ」


「ごめんごめん。いやあ、イーサン、今日は気合いが入ってるね」


「何だか知らんが、こいつ今日はちょっとテンションがおかしいんだよ。偽名はもうやめだ。お前とスティーグで結界をキープしてくれ」


「落ち着けスミレ。良い子だから実験に集中しろ」



 魔王がそう言ってわたしの頭をくしゃっと撫でたら、エンドレスで流れていた脳内BGMがピタッと止んだ。

 ……良い子だからなんて、アラサー女子に向かって言う言葉じゃないと思うけれど、魔王に言われると何故だかくすぐったいような嬉しいような、不思議な気分になる。

 よし。BGMも消えたことだし、集中して実験に臨もう。

 わたしは両手で頬をパシパシと軽く叩いた。



 魔族国内で『転移』できる先はバーチャルなマップ上で「魔王城」と「境界門」と表示されている2か所だけだ。

 今日の実験ではその2か所を交互に『転移』して転移ポイントを特定し、安全に行き来できることや転移の諸条件を確認する。

 姿が見えないスティーグは既に境界門でスタンバイしているそうで、わたしたちはさっそく実験に取り掛かることになった。


 わたしとパーティーを組んで『転移』するのは魔王、ブルーノ、レイグラーフ、クランツの四人で、わたしの左右に二人ずつ背中合わせにして立ってもらう。

 軽く肘を曲げた彼らの腕を二本ずつまとめて片腕に組み、両腕で計四本の腕を組むと、わたしはカシュパルに向かって頷いた。



「スティーグ、準備完了だ。そっちはいいかい?」


《いいですよ~》


「じゃあ行くよ」



 カシュパルがスティーグに伝言を送ったのを見届けてから『転移』の呪文を唱えると、エレベーターに乗った時のように体がふわっと浮くような感覚がしたと同時に周囲の景色が変わった。

 暗い森の中に伸びる一本の道の上にわたしたちは立っていて、少し先の森の終わり際に薄暗い明かりが灯る巨大な石造りの門が見える。

 あれが境界門だ。

 3か月半ほど前にわたしが魔族国へ逃げて来た時、確かにここを通ってあの門の前に立ったのを思い出した。

 魔族国に来たのは昼間で時間帯が違うからか、久しぶりに見る境界門はまったく印象が違って見える。



「この位置に印を付ける。全員動くな」


「すげえな……。本当に呪文だけで転移しやがった」


「皆、異常はありませんか? 『移動』とは違って『転移』は少し体に負荷がかかるようですけれども」


「わたしは大丈夫です」


「問題ありません。無事にパーティーで転移できたようです」



 魔王が魔術で地面に印を付けている間に、『転移』した時に消えてしまったバーチャルなマップと『生体感知』を展開し直すと、マップ上にスティーグらしき点が表示された。



「スティーグ、もっと南だ。俺にはお前が見えるが、お前はこっちが見えるか?」


《ナイトアイは夜目が利くだけですから獣人族のような視力を期待しないでくださいよ。ええと……ああ、あれかな? はいはい、見えてきたようですねぇ》



 近寄ってきたスティーグが沈黙の魔術を展開し、全員が中に納まるように音漏れ防止の結界を張った。

 転移ポイントの計測が済んだようで、ブルーノの指示のもとパーティーメンバーの位置の入れ替えが行われる。



「次は魔王城か。スミレの予想どおり正門付近に出るといいんだがな」


「あ、わたしの予想が採用されたからさっきの場所に集合したんですか」


「そりゃそうだろ。ネトゲ仕様に関してはお前が一番詳しいんだから」



 ネトゲでのプレイを思い出すと、転移する場所というのはこれから攻略に向かう場所のやや手前であることが多かったし、少なくともいきなり敵がいる場所に転移するということはなかった。

 それらの記憶から類推するに、境界門の転移場所は霧の森側の門外、魔王城の方は正門付近になるんじゃないだろうか。

 わたしがそう言ったのをクランツが『移動』の検証結果と共に報告していたらしい。



「でも、あくまで予想ですから。外れたらごめんなさい」


「それは元より織り込み済みですから、スミレは心配しなくてもいいですよ」


「正門以外だったとしても素早く転移ポイントを探し出せるように、カシュパルを魔王城の担当にしたんだ。あいつは諜報担当で風の精霊を手足のように動かせるから、城のように広い場所を任せるにはうってつけだ」



 何と、カシュパルは諜報担当だったのか。

 というか、こんな身近に本職のスパイがいたよ!!

 時々少年っぽさを感じさせるさわやか笑顔のカシュパルが魔王の諜報担当の側近とは、正直意外だ。

 それに、魔族国は平和だと聞いていたけれど、それでもやっぱり諜報活動はしているんだなぁ。

 風の精霊を手足のように使うって、いったいどんな風にするんだろう。

 話せる範囲でいいから、いつか諜報関係の話も聞いてみたいなぁ……。



 準備が整い、いよいよ魔王城へ『転移』する。

 四人と腕を組みパーティー状態で呪文を唱えると、フッと景色が変わり木立の近くに『転移』した。

 再びバーチャルなマップを広げてみると、どうやら正門から少し離れた地点のようだが、予想が大きく外れたわけではなさそうでホッとする。



《位置は把握したよ。そっちに行くからちょっと待ってて》



 カシュパルからレイグラーフに伝言が飛んできた。

 本当に情報の収集速度が速いんだなぁ……。


 魔王が転移ポイントの印を付けて位置を計測する間、ブルーノが辺りを見回している。



「この木立を少し拡張すれば、魔王城へ『転移』しても木陰に隠れられるな」


「ええ。それに比べて境界門の転移ポイントは道の真ん中ですし、端とはいえ霧の森の中ですから安全面でも不安があります」


「この木なら十日ほどあれば同じサイズに育てられますよ。ルード、私がやっておきましょうか?」


「ああ、頼む」


「決まりだな。スミレ、もしも必要が生じた時は魔王城に『転移』しろ。クランツもそのつもりで、な」



 十日で木立を拡張できるって、レイグラーフすごい! さすが精霊族!

 感心していたらブルーノから指示されたのでクランツと共に承諾しつつ、それを機に護衛中の護身術について相談に乗って欲しいとブルーノに頼んだ。



「ああ、そうか。複数で『転移』できるなら戦略も変わるよな。いいぜ、早けりゃ明日のうちに時間を取ろう」


「よろしくお願いします!」



 その後、更にカシュパルを加えた六人で呪文を唱えてみたが起動できなかった。

 どうやらパーティーの上限は五人らしい。

 そのまま魔王とレイグラーフがパーティーから外れ、境界門へ『転移』した後スティーグとカシュパルが入れ替わり、再び魔王城へ『転移』する。

 これでヴィオラ会議のメンバー全員が『転移』を経験した。

 更に、ブルーノとクランツが境界門と魔王城に分かれて安全を確保した状態で、わたし一人での往復も試す。

 ソロの『転移』も問題なく行えると確認できたので、最後にもう一度境界門へ行きブルーノとカシュパルを回収して魔王城へ戻ると、『転移』の実験は無事終わりを迎えたのだった。




「ふう、何とか終わりましたねぇ」


「結構強行軍だったけど、短時間で済ませられて良かったよ」


「ハァ~ッ。『転移』の魔法は本当に素晴らしいですね……。ああ、スミレが研究院の所属ならもっともっと魔法の研究ができるのに! ねえ、スミレ。今からでも遅くありません。研究院に入って私と一緒に魔法の研究をしませんか?」



 お疲れ様と皆で労い合っているところへ、レイグラーフが何やら妙なことを言い出した。

 わたしは基礎のレベルから圧倒的に知識が足りてないと知っているくせに、この先生はいったい何を言っているんだろう。

 わたしが呆気に取られているうちに、魔王以外の面々が次から次へと口を出し始めた。



「おいおい、こいつを勧誘していいなら魔族軍だって黙っちゃいないぜ」


「スミレは戦闘向きではありませんよ。第一、怪我でもしたらどうするんですか」


「戦闘させる気なんかねぇよ。こいつがいれば変化へんげ者への通訳が容易になる。今までとは違った部隊編成や運用が可能になるんだぞ? めちゃくちゃ戦術の幅が広がるじゃねぇか」


「それじゃ、魔王の側近にするのが一番じゃない? それで必要な時に必要な部署へ都度出向してもらえばいいんだよ。スミレが同僚になったら楽しそうだし」


「それはいいですねぇ。ネトゲアイテムの納品手続きも省略できますし、翻訳機能があればどの時代の言語でも読めそうですから、古い先例を調べる時に重宝しますよ」


「魔王の直属であることに変わりありませんし、護衛のシフトが容易になるので私は助かります」



 魔王がチラリとわたしを見たので、わたしは思わず首を横にブンブンと振った。

 無理だよ! 社会の一歯車でしかなかったわたしが魔族国の中枢で働くなんて無理無理無理!!


 わたしの必死さが伝わったのか、魔王はフッと笑ってさらりと告げた。



「スミレ、もう遅い。戻り石を使って部屋へ戻るといい。ブルーノはスミレとパーティーを組め。戻り石も複数で転移できるのか確認してこい。クランツは念のためスミレの部屋へ先行し待機」


「承知!」



 クランツは返事をすると即座に走り出し去っていったが……速い。あっという間に姿が見えなくなったよ。

 獣人族の身体能力は本当に高いんだなぁ、と感心していたら驚くほど短時間でクランツから到着を知らせる伝言が届いた。


 わたしは実験に協力してもらったお礼を皆に伝え、おやすみなさいと告げると、ブルーノと腕を組んで戻り石に魔力を流す。

 『転移』は体が浮くような独特の感覚があったけれど、戻り石は転移陣に乗った時と同じで感覚に変動はない。

 何事もなくブルーノと共に置き石を置いてあった自室のテーブル前に転移したようで、待機していたクランツが魔王に無事転移したことを伝言で報告している。



「よし。じゃあ後は……あー、お前のやらかしの始末があったか……」


「わたし何かやりましたっけ――ってああっ! 髪色をレイグラーフさんとお揃いにした時の……」


「後でメモを送る。音漏れ防止の結界を張って読んだ方がいいぞ。それから、メモは火の精霊に渡して燃やせ。いいか、絶対に残すなよ!?」



 そう言って念を押すと、ブルーノとクランツは帰っていった。

 ううう、不穏なアドバイスだなぁ……。

 割とすぐに飛んできた風の精霊からメモを受け取ると、わたしはアドバイスに従い、沈黙の魔術を展開してからメモを読む。



『お揃いを喜ぶ

 →相手と同一の存在になりたい

 →あなたと一つになりたい』



「うわああああッ!!!」



 わたしは叫び声をあげ、羞恥のあまり絨毯の上をゴロゴロと転がりまくった。

 くうう。深夜だし、音漏れ防止の結界を張っておいて本当に良かった。



 思わぬ方向への解釈に、お誘い関連の厄介さを改めて感じる。

 魔族の常識を早く身につけたいけれど、道のりは遠いな……。

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