第58話 二人目の友達

 午後は護衛中の護身術についてクランツと話し合うことになっている。

 せっかくだからクランツへお茶を出して味をみてもらおうとファンヌが言い出したので、昼食後のお茶の稽古はクランツへのお茶出しと兼ねることになった。

 あまりお茶が立て続くとわたしのお腹がチャポチャポになるからね……。


 クランツにお茶を振る舞うのは実験施設での昼食時以来だ。

 前回は定番の茶葉なら失敗のしようがないという酷い言い草だったけれど、今回はどうだろう。



「……いいんじゃないですか」


「ちょっ、今の間は何ですか。しかも微妙なコメントだし」


「クランツ、もうちょっと詳しくスミレに伝えてもらえないかしら」


「普通においしいと思います。前より腕が上がったと感じました。さすがですね、ファンヌ」


「いやいや、そこはわたしを褒めるところじゃないんですか」


「定番の茶葉でこの味ならたいていの魔族は満足するでしょう。短期間でここまで指導したファンヌの手腕に敬意を表します」


「お褒めにあずかりまして。……まったく、クランツは素直じゃないんだから。スミレ、クランツから合格をもらえたわよ。よかったわね」



 クランツはこんな風に時々憎たらしい言い方をするけれど、わたしに受け流せる余裕がある時しか言わないということに気付いてからは気にならなくなった。

 わたしのことをちゃんと見ていてくれて、彼なりに気を引き立てようとしてくれているのがわかるから、わたしも安心して不服そうな顔で唇をとがらせる。

 そんなわたしを見てクランツの唇の端が少し上がったのをファンヌもしっかりと見ていたようで、仕方のない人たちねと呆れた顔で言うと退室して行った。

 ちょっとファンヌ、何でわたしも一緒に呆れられているの!?



 さて、とクランツが涼しい顔で話し合いを開始する。

 護衛中の護身術については、ブルーノ考案の護身術を基に守りやすい方法をクランツが組み立て、わたしはそれに従えと以前ブルーノに言われた。

 なのでわたしはクランツの言うとおりにしようと考えていたのだけれど。



「近衛兵の私が同行している時にあなたに危害を加えようとしてくる魔族は基本的に魔王に逆らう意思がある者たちで、魔族国において間違いなく厄介な存在です。そういう連中に襲撃された場合は直ちに魔王城へ『転移』して欲しいと言ったら、あなたはそのとおりにしてくれますか?」


「えっ、わたし一人で『テンイ』するんですか? クランツさんは?」


「私はその場に残って対処するので、あなたは安全な場所へ逃げてください」


「そんなの嫌ですよ!」


「ハァ……。そう言うだろうと思ってはいました」



 驚いたことにクランツは敵を撃退するでも共に離脱するでもなく、わたし一人を逃がすことを提示してきた。

 わたしが拒否すると予想がついていて、それでも言うということは本当に彼はそう願っているんだろう。

 だけど納得がいかない。そんなの承服できるわけがないよ。



「理由を、聞かせてもらってもいいですか」


「私の任務は護衛なので、まずは護衛対象の安全を確保することが最も重要です。だから、あなたには安全な城へ逃げて欲しい」



 クランツの言いたいことはよくわかる。

 この3ヶ月半もの間、休みも取らずに護衛任務を勤め続けてくれているクランツは軍人であることに強い矜持を抱いているに違いない。

 己の職務を果たしたいと考えるのは当然だ。

 だけどわたしは。



「魔法を使うところを誰かに見られたら城下町での一人暮らしは解消となり、一生離宮で暮らすことになる。そういう覚悟で魔法を使えと、ブルーノさんは言いました。……わたしにとって敵前から『テンイ』でただ逃げるという行為は、何もせずに自分の自由を手放すということと同義です。クランツさんは、わたしにそれを受け入れろと言うんですか」


「そんなことは考えてません! 私はただあなたの身の安全を第一に考えているだけで」


「ですよね。ごめんなさい、意地の悪いことを言いました。……それならお願いします、一緒に戦わせてください。わたしは自分の自由を守りたい」



 わたしはまっすぐにクランツの目を見てお願いする。

 いくらブルーノから護身術の実技で合格をもらったとしても、プロの軍人からしたら実際の戦いの場にわたしみたいなのがいたら足手まといだろう。

 だけど、迷惑をかけるとわかっていても、自分の主張はしっかりと伝えなければいけない。

 だって、遠慮するな、迷惑だなんて考えるなとずっと言われてきたんだもの。

 ここで退いてしまったらこれまでそう言い続けてくれた彼らの厚意を無下にすることになるような気がして、わたしは必死で気持ちを奮い立たせる。


 クランツは気難しい顔をしたまま、ひとつ深いため息を吐くと口を開いた。



「私は非戦闘員であるあなたになるべく戦闘をさせたくないんです。実験施設での訓練はあなたには結構負担が大きかったでしょう?」


「確かにハードな戦闘は精神的にきつかったです。それに、クランツさんの気遣いもありがたいと思います。だけど、せっかくブルーノさんが授けてくれた護身術を使いもせず、しかもクランツさんを置いて自分だけ逃げるなんて、わたしにはどうしてもできません」


「私のことは気にしなくていいです」


「無理ですってば! クランツさんを置いていくくらいなら、わたしは迷わず殲滅を選びますよ!!」


「やめてください!」



 クランツがギョッとしたような顔で声を上げるが、今更何をと思う。

 ブルーノが非常用護身術にわざわざ殲滅なんて手段を組み込んだのは、そうまでして守りたい何かがあるなら自分の手でそうしろということだ。

 わたしだってできれば戦闘は避けたいし、自分の手を汚したくない。

 だけど、自分に敵対するヤツのために大事なものを諦めるつもりはないし、守りたいものを守るためなら人だろうが魔物だろうが容赦するもんか。


 それに、わたしは城の中なんて数える程しか歩いたことがないというのに、本当に城へ逃げれば安全だと言えるんだろうか。

 ヴィオラ会議のメンバーに連絡すれば迎えに来てくれるだろうけど、彼らが迎えに来るまでの間は大丈夫なの?

 それに、もしも彼らが全員出掛けていて城にいなかったら?


 そんな考えが頭に浮かんだら途端に不安になってきた。

 わたしにとっては、クランツと一緒に敵に囲まれることより一人で城へ逃げることの方がよっぽど怖いよ。

 こんな弱音を吐くのは申し訳ないし、いい歳をして恥ずかしいとは思うけど、不安なことはちゃんと正直に伝えておかなくちゃ。



「『テンイ』した先に敵がいないという保証もないのに、不案内な城へわたしを一人放り出すなんてことしないでくださいよ。護衛だったら、そんな時こそ側にいてくれなきゃ……」



 面目ないからボソボソと小声でそう言ったら、クランツがハッとしたような顔でわたしを見た。

 それに釣られるようにして、わたしは勢い込んで再度クランツに頼み込む。



「体術がお粗末なのはわかってますから、クランツさんの指示以外の行動は取りません。でも魔術ならそこそこサポートできると思うんです。足を引っ張らないようにしますから。お願いです、一緒に戦わせてください!」



 クランツはしばらく眉間に拳を押し当てて何やら考え込んでいたが、やがて拳を解いて手を下ろすと背筋を正し、何かを決意したような表情でわたしに告げた。



「スミレ、私と友人になりませんか」


「……へ?」



 は? 何? 友人になろうって言ったの?

 え、何で今そんな話に?

 護衛中の護身術について話し合ってたんだよね、わたしたち。


 話の展開について行けないわたしは、口をぽかんと開けたままクランツを見つめてしまった。

 そんなわたしに向かって、クランツは真剣な顔で言葉を続ける。



「護衛対象と共に戦うという選択肢を近衛兵の私は持ち合わせていません。護衛対象のために命を捨てることも辞さない、それが近衛兵の矜持です。理解してもらえないかもしれませんが、守りたいものや譲れない一線は私にもある……」


 そう言ってぐっと眉間を寄せたクランツは一度目を伏せたが、すぐに顔を上げるときっぱりと言い切った。



「ですが、友人とならば共に戦えます」



 驚きのあまりわたしは声が出なかった。

 だって、友達って「気付いたら友達になっていた」というもので、子供の頃ならともかく、大人の友情が「友達になろう」なんて風に始まることってある?

 それとも、魔族国ではこういう風に友情がスタートするのが普通なの!?


 驚きに混乱が加わったわたしは口を開けたままでクランツと見つめ合っていたのだが、クランツは一旦視線を外して少し考えるような素振りをしたあと、更に言い足した。



「それに友人になれば、今まで話せなかった心の内も話せるようになるのでは? ファンヌに話したくても機密事項に触れるから話せないということは結構あったでしょう?」



 思いもよらない言葉に目を見開いて固まっていると、クランツが「嫌ならいいです」と言って目を伏せたので、わたしは思わず立ち上がって叫んだ。



「嫌なんかじゃないです!! びっくりしただけですよ……。嫌なわけないじゃないですか。むしろ、その、ありがとうございます。嬉しいです」



 クランツは一瞬ホッとしたような顔をしたが、次の瞬間、今度は恥ずかしそうな顔になってそっぽを向いた。

 だからそのシャイ顔やめなさいってば、毎度心臓がびっくりするでしょーが。

 力が抜けたわたしはぽすんと椅子に腰を下ろすと、内心で悪態をつく。


 もともとクランツのことはほとんど友達のように感じていたとは言え、改めて友達になろうと言われると何だか非常に気恥しい。

 何だこれ。青春か。

 でも、恥ずかしがっていること自体も気恥ずかしかったので、わたしは再び立ち上がるとクランツに向かって手を差し出した。

 わたしの振る舞いにクランツが訝し気な顔をする。



「その手は何です?」


「握手しましょうよ。友達になるんでしょ、わたしたち」


「……将軍に、魔族の男に不用意に触れるなと言われたのを忘れたんですか?」


「ちゃんと覚えてますよ。でもクランツさんは異性でも友達なんだから、お誘いとか関係ないでしょう? ――ほら、早く手出してくださいよ」



 わたしが催促するとクランツは少しためらったものの、こちらへ手を伸ばしかけたところで動きを止めた。

 何だろうと思っていると「さんはいらない」というつぶやきが聞こえたので、わたしは大きく頷いて手を伸ばし、クランツの手をグッと握った。



「ありがとう、クランツ。これからもよろしくね」


「こちらこそ、よろしく」



 敬語を省いてみせたら、普段皮肉屋でクールな美形近衛兵はこれまで一度も見たことのない無邪気な笑顔を見せた。


 不用意な笑顔で心拍数を上げるなと言いたかったけれど、また今度にしよう。


 わたしの身の安全だけでなく、心も守ろうとしてくれるクランツの気遣いが嬉しかったから、ね。

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