第57話 仮縫いと名刺と店の名前

 わたしが自分の部屋から出るのは朝練や魔術の訓練、あとは池のあたりを散歩しに庭へ行く時くらいで、離宮の建物内をうろつくことはあまりない。

 だけど、今日は午前中に仮縫いの予定が入っているので、前回の衣類発注時のように一番良い客間へ移動した。

 もちろん今日も練習を兼ねて、『生体感知』を使い周囲の様子を確認しながら移動する。

 衣類の発注は一日がかりだったが、仮縫いは仕立て屋だけなのでそれほど時間は掛からないらしい。



 仮縫いはシネーラから取り掛かることになった。

 と言っても、シネーラは身体の線が出ないゆったりとしたワンピースだし、袖も手の甲が半分隠れるくらいに長く袖口もかなり広いので、寸法が問題になることはほとんどないらしい。

 そのため縫製は概ね済んでいて、どちらかというと刺繍の色や配置の確認がメインになるようだ。


 まずはスティーグが最初に見立ててくれた紫色のシネーラから着てみると、刺繍も結構進んでいてすごく素敵な感じになっていた。

 あの時スティーグが言っていたとおりシックで大人っぽい。

 わたしが1着めを着ている間にそのスティーグが部屋に来ていたようで、衝立の影から出たらソファーに座って手を振っていた。



「おはよう、スミレさん」


「おはようございます、スティーグさん! さっそくですがどうですか?」


「ふふっ、良いですねぇ。刺繍のグラデーションがイメージどおりですよ」



 くるりと回ってシネーラを見せると、スティーグもうんうんと頷きながら満足そうな顔をしている。


 仕立て屋が言うにはこの服の作業が一番進んでいるそうで、それを聞いたファンヌが他の服は後回しにしていいからこの服を先に仕上げて欲しいと言った。

 引っ越し日がいつ決まってもいいように、引っ越しの時に着るシネーラを早めに1着確保しておきたいらしい。

 当日は挨拶回りもするそうだし、記念すべき日に自分の名前にちなんだ色の服を着られるなんてと嬉しくなる。


 他の2着のシネーラは縫製が済んだ段階で刺繍はまだ入っていなかったが、さすがに良い仕立てでどちらも試着した感じはかなりいい。

 やはり自分専用に仕立てたものは寸法も色もどんぴしゃりだ。

 刺繍糸の色や配置のことでスティーグが仕立て屋に二三注文をつけたくらいで、シネーラの仮縫いは問題なく終わった。


 一方、ヤルシュカはいかにも本縫い前という感じのしつけ糸で縫い合わせた状態だったので、まず着るのに苦労した。

 しかもブラウス、ボディス、スカートの3点から成ることと、勝負服だから身体にフィットしている部分があるため、シネーラのようにズボッとかぶって終わりというわけにもいかない。

 だけど、仕立て屋と助手が二人掛かりで着せてくれた甲斐はあって、初めて着たヤルシュカはしつけ糸だらけでも可愛かった。


 思い返してみれば、シネーラやバルボラは既製品を選ぶ時にいろいろと試着したが、ヤルシュカは仕立ての1点のみだったから試着すらしていなかったのだ。

 日本でだったらまず着ないけれど、ここはアラサーのわたしでも小娘扱いになる異世界なんだし、オクトーバーフェストのコスプレみたいな感覚でたまに着るのも悪くないかなと一瞬考えてしまった程の可愛さがヤルシュカにはある。

 お誘いOKの勝負服というカテゴリーでなければ、本気で着ることを検討したかもしれないのになぁ……。



「まあ! スミレ、かわいいじゃない! そのヤルシュカ、とても良く似合っているわ」


「えへへ。ありがとう、ファンヌ。……何だかすごく新鮮な気分だよ。ウエストがキュッと絞られる感覚ってすごく久しぶり」



 そういえば、魔族国へ来てからずっと、わたしは身体の線が出ない地味服しか着ていない。

 もしかして、緊張感のなさから身体のあちこちが緩んできているんじゃないかと不安になってきた。

 最近は護身術の訓練や声出しの練習を続けているから、運動不足は解消されたと思う。

 それでも30代に入れば中年太りになりやすいというし、地味服を着ていても今後は意識するよう気を付けておこう。


 ファンヌの反応が良かったヤルシュカはスティーグにはイマイチだったようで、ブラウスを襟なしからラウンドカラーに変更することになった。



「このブラウス、すごく可愛いと思うんですけどダメなんですか?」


「別に悪いというわけではないですし、私も可愛いと思いますよ。ただ、襟なしを勧めてくるとは思ってなかったので……。スミレさんの場合は一番上までしっかりボタンを留められるブラウスの方がいいんじゃないですかねぇ」



 そうか。露出度の高さは恋愛や子作りへの積極性を表すから、襟元をどれくらい開けるかは重要なチェックポイントだったはず。

 広めの襟ぐりにギャザーを寄せた白いブラウスは可愛かったが、スティーグが反対する理由を聞いて納得した。

 着る予定のない勝負服だけれど万が一ということもあるし、恋愛に対して消極的ですとアピールする手段があった方が確かに安心できる。



 変更になったブラウスの襟元と袖口の刺繍の確認が済むと仮縫いは終了した。

 それほど時間もかからずスムーズに仮縫いが済んでホッとしていると、最後に挨拶を交わす時になって、何と仕立て屋から名刺を差し出された。

 懐かしい! この異世界にも名刺があるとは思わなかったよ!


 名刺といっても紙ではなくて、ごく薄い木の小片だ。

 表には「ランヒルドの仕立て屋」と、そして裏には住所らしきものが書かれていて、表側は綺麗な模様で縁取られている。


 城下町へ引っ越した後もご贔屓にと言って仕立て屋と助手は帰り、彼女らを離宮の出口まで送るためにファンヌも一緒に退室していった。

 もらった名刺を手に、わたしは興奮を押さえきれずスティーグに尋ねる。



「スティーグさん! 名刺ってどの業者に頼めばいいんですか? わたしも雑貨屋開業に向けて作りたいです!」


「これは細工師の仕事ですねぇ。こういう装飾的な木工製品全般を扱いますよ。木以外の素材も扱ったり、彫りと彩色しかやらなかったりと、人によってかなり違いがあるようですが」



 ……装飾的な木工製品全般……。

 もしかして、わたしが欲しいと思っている商品カタログも細工師の仕事に当たるんじゃないだろうか。

 魔術具店で見た木の板でできた商品一覧が映っている動画を素早くスライド表示してスティーグに見せると、やはり該当業者は細工師でいいらしい。

 思わぬタイミングでToDoリストに挙げていた事柄が解決したので、わたしは小躍りしたい気分になった。

 ファンヌが戻って来る前に動画を見せられたのもラッキーだったし、動画の該当場面を頭出ししておいて良かったなぁ。


 わたしは名刺をしげしげと見つめながら、自分の名刺はどんな風にしようかと思いを巡らせる。



「名刺に使う木の板っていうのはいろいろと種類があるんですか?」


「ええ、安いものから高級品までありますし、色や丈夫さで選んだりもしますよ」


「おおぉ……って名刺の材質より、まずは店の名前を考える方が先ですよね」


「店の名前は“スミレの雑貨屋”でしょう?」


「いやいや、そんな捻りのないネーミングはちょっと」


「えっ?」


「へっ?」



 スティーグとわたしは顔を見合わせると、相手の言っている意味が分からないというように、互いに首を傾げた。

 驚いたことに、魔族国では店や工房の名前は「代表者の名前+業種」のパターンしかないという。

 嘘でしょう!? とわたしが言うと、ひと目で誰の何屋かわかる良い名前なのに何の問題があるのかと、逆にスティーグに問われてしまった。

 オシャレ感とか……と答えるも、スティーグの言う明確な利便性と比べると非常に弱い主張だと言わざるを得ない。


 他の名前がないわけでもないと言うので期待してみたら、代替案は「スミレの雑貨」だそうで思わずずっこけてしまった。

 たった一文字違うだけじゃないか……。


 がっくりとうな垂れたわたしを尻目に、ところで相談とは何ですかとスティーグが尋ねてきた。

 そうだった。城などへの納品について相談しておかないと。



「実は限定商品のことで聞きたいことがありまして」


「ああ、『仮想空間のアイテム購入機能』でしたか? 確か、ルードとブルーノとレイが納品を希望していましたねぇ」


「はい。アイテムの購入にはいろいろと制限があるので、もし本当に納品するならそれを踏まえて在庫確保の準備を進める必要があるんです」


「なるほど。そういえばカシュパルから内装工事が完了したから明日は最終チェックに行くと聞いています。引っ越しもそう遠くないでしょうから、話し合いが必要なことはスミレさんが離宮にいる間に済ませておきますか」


「そうしてもらえるとありがたいです。レイグラーフさんの講義やクランツさんとの訓練もあるので定期的に離宮へ里帰りするつもりなんですけど、その時に納品できたらと考えてます」


「わかりました。限定販売の手続きは我々魔王の側近が同席して行うことになってますから、こちらから話を通しておきましょう」




 そこまで話が進んだところへファンヌが部屋へ戻って来た。

 ネトゲ仕様に関わる話はこれ以上できないので次はスカーフの巻き方を教えてもらおうと思ったら、スティーグの方が時間切れとなってしまったらしい。

 思っていた以上に仮縫いと名刺の件で時間を使ってしまったようだ。


 名刺のことを思い出し、セットで店の名前のことも思い出してしまった。

 郷に入っては郷に従えというし、残念なネーミングだろうと結局受け入れざるを得ないだろう。

 だけど、生まれて初めて開く自分の店の名前が「スミレの雑貨屋」って……。

 あーあ、と心の中で嘆息しながら肩を落とす。



 スティーグのスカーフの巻き方はファンヌも教わりたいと言うので、元々ファンヌにスカーフの巻き方を教えてもらう予定だった週末の精霊祭の時に一緒にやることになった。

 何でも精霊祭には同じ部族の親しい人たちと食事をする習慣があるそうで、魔人族の彼らは毎回魔王と三人で食事をしているらしい。

 そして、この度わたしも魔王族となったのだから長と一緒に食事をするべきだと二人は主張し、2部族一緒にまとめて食事会をしよう、そしてその時にスカーフの巻き方講習会もやろう、ということで話がまとまってしまった。


 祭りの日に部族の長と、親しい仲間と一緒に食事する――。

 ふおおッ! 何て素敵な祝日! 魔族っぽい!!



 わたしも即同意したので、それじゃと手を振って退室しようとするスティーグをドアのところまで見送りにいく。

 ドアノブに手を掛けたスティーグはわたしを振り返ると、何やら楽しそうに顔を綻ばせた。



「ねぇ、スミレさん。いろいろと具体的になってきて、楽しいですねぇ」


「はい!」


「名刺も素敵なものを作りましょう。明日城下町へ出たら細工師の情報も集めてみるといいですよ」


「そうですね……はい、そうします!」



 店に自己満足な名前をつけたところで、客である魔族の人たちに何屋かわからないとスルーされてしまっては意味がない。

 それに、ただでさえ魔王の庇護者として周囲に紹介されるわたしはそれ以上目立ちたくないのだ。

 聖女であることを隠してひっそりと雑貨屋を営むなら、埋没できるこのネーミングはむしろ歓迎すべきなのでは?

 第一、どんな名前にするか悩まずに済むし!


 「スミレの雑貨屋」、いいじゃない。

 折り目正しい魔族の店っぽいよね!?

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