第56話 合格ゲットで魔術の訓練卒業

 昼食時になって、ファンヌが給仕をしながら「スミレの部族名は魔王族になったんですってね」と言ってきた。

 午前中に何人かとメッセージのやり取りをした時は誰も何も言わなかったが、この時間帯になってどうやら魔王の通達が回り始めたようだ。

 ファンヌにはステータス画面のことは言えないけれど、この後のレイグラーフの講義ではその話もできるといいなぁ。



 食事が終わり、午後からはレイグラーフの講義だ。

 実験施設での二日間と昨日の休日を挟んだので、三日ぶりの講義となる。

 実験施設ではあまり話せなかったし、久しぶりに彼とゆっくり話せるのが嬉しくて、わたしは講義前からにこにこだ。


 そのレイグラーフは講義を始める前に、改めて国民証を付与されたことを祝ってくれた。



「スミレ、本当におめでとう。ああ、私は嬉しくてたまりませんよ。あなたはもう異世界や人族のお客さんではなく、私たちの仲間なんですね」



 レイグラーフはわたしの頬を両手で包んで顔を覗き込むと、満面の笑みを浮かべながらそう言った。

 この人は、普段は恋愛要素が含まれれば勝負服程度の話題でもあたふたするくせに、どうしてこういう恋愛度が高そうなムーブを平気でしてしまうんだろう。

 本当に不思議でならないけれど、わたしに対して恋愛感情が欠片もないからだということはわかるので、こちらも気を遣わなくて済む。

 師弟の信頼関係が醸成されていて魔王とはまた違う安心感があるからか、何だかもうレイグラーフ相手ならこういうムーブも平気になってきてしまった。

 魔王のお膝だっこといい、慣れというものは恐ろしい。



 わたしは祝いの言葉とこれまでの指導に対して改めてレイグラーフにお礼を言うと、付与されたデモンリンガを見せた。

 レイグラーフにも魔王からの通達がいったそうで、わたしの部族名が魔王族と呼称されることになったことと、ステータス画面に変化があったことも知っていた。



「ほう、これがルードのデモンリンガですか。綺麗な色ですね」



 昨日は聖女だからわたし一人だけ違う色なのかと意気消沈したけれど、わたしのデモンリンガだけが持つ薄い紫色を褒められたことがやけに嬉しかった。

 今朝の魔王とのやり取りを思い出す。

 わたしは魔王族の唯一の民で、それはとても誇らしいことだ。


 ……何だか、聖女であることに捕らわれて、自分で自分を苦しめているだけのような気がしてきた。

 もうじき城下町で暮らし始めることだし、もう聖女のことはなるべく意識から外しておいて、今は魔王族としての自分のことだけを考えるようにした方がいいのかもしれないな……。



 他の庇護者たちのデモンリンガは薄い緑色だと聞いたと話したら、レイグラーフが少数部族について解説してくれた。

 二千年ほど前にエルフ族、ドワーフ族、妖精族ら少数部族が魔族国に庇護を求めてきたのだが、彼らは正式に魔族国へ組み込まれることは望まなかったため、魔族と区別するために色付きのデモンリンガを付与されることになったのだそうだ。


 彼らが魔族国に庇護を求めてきた理由は、住んでいた土地を人族に占拠され住処を失ってしまったからで、そのため少数部族には人族を嫌う者が多いという。

 数は少ないが、城下町にも少数民族は住んでいる。

 そして、人族を嫌うとまではいかなくとも、関わりたくないと考える者は魔族内にもそれなりにいるだろうと言って、レイグラーフは目を伏せた。



「あなたの腕にデモンリンガがあっても、元人族だからとあなたに嫌味を言ったり暴言を吐いたりする者がいるかもしれません。さすがに暴力を振るうことはないと思いますが……」


「なるほど、そういう事情があるんですね。わかりました。十分に注意します」


「ハァ~~ッ、心配ですよ私は……」


「大丈夫ですよ、レイグラーフさん。わたし、少々嫌なことを言われたくらいではへこたれませんから」



 元の世界でもそんなことは普通にあった。

 学校でハブられたり、バイト先で客に怒鳴られたり、職場で嫌がらせをされたりと、数えたらキリがない程度には嫌な経験をしてきている。

 今の恵まれた環境が特殊なのであって、世の中が自分に優しい世界じゃないことの方が多いんだから。


 レイグラーフは心配そうな顔をしていたが、わたしが胸を叩いて大丈夫だと受け合うと、少し考えてからにっこりと笑った。



「それなら、へこたれないスミレにもう一度挑戦してもらいましょうか。重量軽減の魔術に」


「ふおっ!?」



 不合格になったこと、すっかり忘れていたよ!!

 1、2、……5日前のことだっけ?

 あんなに凹んでいたのにまったく思い出さなかったなんて、それだけこの数日間の中身が濃かったということなんだろう。


 重量が軽くなるイメージをうまく描けず、手こずった挙句不合格になった時、凝り固まった頭のままでは柔軟な発想は生まれにくいから、一度頭の中を空っぽにしてみるといいとレイグラーフに言われた。

 そういう意味では、防御魔術の訓練と実験施設での訓練と休日を挟んだのはちょうど良かったのかもしれない。

 実験施設での2日間で魔術と魔法を使いまくった結果、魔力の扱いも上達したと思うし。



 前回と同じように、実際の買い物を想定していろいろと重い物を入れたバッグをレイグラーフがテーブルの上に用意する。

 わたしは持ち手部分を手にすると、エレメンタルを意識しながら呪文を唱えてから、そっとバッグを持ち上げた。


 あれ? 全然軽い。

 問題なく重量軽減ができている。


 レイグラーフがバッグの中身を入れ替えては何度か繰り返したが、拍子抜けするくらいにまったく問題なく重量軽減することができた。

 以前のように、風のエレメンタルを利用して圧縮空気で下から押し上げて、というような具体的なイメージは一切浮かべなかったのに。

 以前は何故こんなことに手こずったのか、今となっては本当にわからない。



「前回はあんなに苦労したのに……。不思議です」


「ふふっ、ブルーノの言ったとおりになりましたね」



 実験施設での実技の際に変化へんげした姿を見せてやるから、一度元の世界の固定観念を吹っ飛ばしてしまえとブルーノは言った。

 確かに、竜化したカシュパルの姿を見た影響は大きかったと思う。

 ほっそりとしたカシュパルの身体が一瞬であんなに大きく頑丈なものになり、なのに軽々と空を飛ぶのを目の当たりにした。

 しかも、自分も乗せてもらって、実験施設のドーム内とはいえ宙を飛んだのだ。


 それに、考えてみたらわたし自身も『霊体化』で変化へんげに近いことを体験しているじゃないか。

 呪文ひとつ唱えるだけで身体が半透明になり、壁や人体をすり抜けるというあり得ないようなことを体験したのだ。

 固定観念も既成概念も吹っ飛ばすには十分な出来事だったと言える。



 この世界では魔力で何かをするのは当たり前のことで、そこに妙な先入観や理屈を差し挟む必要なんてない。

 魔術も魔法も、呪文を唱えれば定められた効果が表れる。

 それがこの世界の理なんだ。



「やけにすっきりした顔をしていますね」


「何だかいろんなことがすとんと胸に落ちました。多分、頭でごちゃごちゃと考えすぎていたんだと思います」


「高位の魔術になると理論が非常に重要になってきますが、魔術の本質的な部分は感覚が大きく作用します。そのあたりの機微を体得できたのかもしれませんね」



 そう言うと、レイグラーフはテーブルの上で両手の指を組み合わせると、わたしの目を見てにっこりと笑った。



「重量軽減の魔術は合格です」


「やった―ッ!!」



 わたしが両手を挙げて万歳のポーズになって喜んでいたら、レイグラーフは更に言葉を続けた。



「そして、実験施設での訓練、実技も見事にクリアしました。十分に魔術の知識と技能を身につけたと見なします。スミレ、魔術の訓練は本日で卒業ですよ。おめでとう」


「えっ。――あ、ありがとうございます!」



 確かにネトゲのバーチャルなウィンドウ上でタップして起動するだけだった2週間前と比べたら、エレメンタルを意識しながら呪文を詠唱して起動するのが当たり前になった今のわたしは魔力の扱い方が相当上達したと思う。

 まさか今日で魔術の訓練を卒業するなんて考えてもみなかったので驚いたが、努力を認められたんだと思ったら心底嬉しくなって、思わずガッツポーズして喜びを噛みしめてしまった。

 レイグラーフもわたしの様子を見て嬉しそうに笑っている。


 そんなレイグラーフの顔を見ていたら、一昨日の晩の一人飲み会でしばらく魔術と少し距離を置きたいとか、生活魔術みたいな穏やかな魔術と触れたいなどと考えた自分が恥ずかしくなった。

 実はそんな風に弱気になっていたことを懺悔のつもりで白状すると、スケジュール的に仕方がなかったとはいえ随分と詰め込み教育になったから、精神的に辛くなるのも無理はないとレイグラーフは言ってくれた。



「実験施設では両日とも午後はみっちり攻撃魔術や戦闘の訓練でしたからね……。私はむしろ、あなたがそう感じたと聞いて安心しました。威力に酔って攻撃魔術に深く傾倒してしまう人はそれなりにいますから。スミレが穏やかな魔術を通してエレメンタルと親しんでくれたら、私もその方が嬉しいですよ」


「はい。わたし、以前レイグラーフさんが言った、“森羅万象はエレメンタルの上に成り立っている。目に見えない、自分の理解が及ばないところでもエレメンタルの力は及んでいる”という言葉を折に触れて思い出すんです。精霊に力を貸してもらうんだから、丁寧に向き合っていきたいと思ってます」


「それには、より幅広い知識を身に着けるのが一番ですね」



 そんなわけで、これまで大急ぎで詰め込んできた魔術の訓練は一旦終了して、今後の講義は久しぶりに座学を再開するらしい。

 これはわたしも待ち望んでいたことなので、ものすごく楽しみだ。

 ただ、内容をどうするかまだ考え中らしく、準備もあるので少し時間を置かせて欲しいとレイグラーフは言った。

 そうか、それで明日明後日と講義の予定が入ってなかったんだな。


 知りたいことや気になる分野があれば取り上げてくれるとのことなので、わたしはさっそく精霊祭について知りたいとお願いしておいた。

 好奇心旺盛なレイグラーフの座学は話がどんどん広がっていくので、聞いているのもディスカッションするのもとても楽しい。


 座学が再開されるなら今借りている本を早く読み上げてしまいたいけれど、それは難しそうだから城下町へ持ち出させてもらえないかとお願いしてみたら、すべてレイグラーフの私物だったそうであっさりと許可をもらえた。

 今後も参考図書は積極的に貸してくれるそうなので、一人暮らしが始まったら夜はゆっくり読書を楽しもうと思う。


 それから、引っ越した後の講義はどうなるのかと尋ねてみたら、しばらくは毎週離宮へ帰ってきて講義を受けないかと言われた。

 やはり心配が先に立つようで、できれば週イチで顔を見ながら近況報告を聞きたいのだそうだ。



 ……せっかく自活するんだから、経済的にだけでなく精神的にもしっかりと自立しなくてはと考えていたのだけれど。


 心配性の先生も少し弟子離れした方が良いのでは!?

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