第49話 実験施設での実技を振り返る

 実験施設での二日間の訓練をすべて終えたからか、安堵と共にドッと疲れが襲ってきた。

 体の疲れというより精神の疲れだろうか。

 とにかく一人でぐでーっとだらけたい。


 そこでわたしは実験施設を出る前にファンヌに伝言を飛ばし、夕食後のお茶を淹れる練習はなしにして欲しいとお願いした。

 快諾してくれたファンヌへ返事を送る際、お願いついでに、今夜は夕食をつまみにのんびりと一人晩酌したいからワインをつけて~、と付け加える。



《赤白どちらがいいの? グラス、それともボトル?》


「白のボトルでおなしゃすぅ……」


《もう、よっぽど疲れたのね。スミレ、離宮に帰るまでが訓練よ! しっかりしなさい! クランツ、お世話をかけますがよろしくお願いしますね》



 はぁ~~いとだらしなく返事をするわたしの口を片手で塞ぐと、クランツが承知したと被せるように返事して風の精霊を送ってしまった。

 うぅ、酷い。


 離宮の自室まで送ってもらうと、クランツに再度お礼を伝えた。

 わたしが護身術を身に付けられたのは彼の献身的な助力があってのことなのだから。



「そんなことより、酒を飲むなら今夜はもう部屋から出ないように。明日は講義が休みですし、朝練もなしにしましょう。朝寝坊していいので、一日しっかり休んで疲れを取ってください。ただし、くれぐれも飲みすぎには気を付けるように」



 ……わたしのことを心配して気遣ってくれているのはわかるけれど、お礼を言っているのにそんなことよりって言い方は酷くない?


 言い返そうとしたところへ、夕食を載せたカートを押しながらファンヌがやって来て、ファンヌに明日は一日休みで朝寝坊させると一方的に伝えると、クランツはさっさと退室して行ってしまった。



「それなら明日は起きたら伝言を飛ばしてちょうだい。朝食はそれから運びましょう。夕食の食器は朝食と一緒に下げるから洗浄だけしておいてくれると助かるわ。朝寝坊? そんなこと、気にしなくていいの。スミレはもっと我儘を言ったり甘えたりしたらいいのよ。今日だってお稽古を休みたい、ワインを飲んでだらけたいと強請ってくれて、わたし嬉しかったんだから」



 そう言いながら夕食をテーブルに並べると、ファンヌはにこやかに退室して行った。

 ……クランツといいファンヌといい、お小言を言いつつもわたしを甘やかしすぎじゃないだろうか。

 まるでお母さんだ。


 何だか嬉しいようなくすぐったいような気分になりつつ、手早くパンとスープだけいただいた。

 チキンのハーブグリルは冷めてもおいしそうだし、先にお風呂を済ませてサラダと共にワインを飲みながらゆっくりといただこう。




 そんなわけで、シャワーを浴びてさっぱりしたわたしは絨毯の上に直に座り込めるスペースでのんびりとくつろいでいる。

 今夜は月が明るかったので、カーテンを開け照明を消して月光浴を楽しむことにした。

 元の世界にいた時からこうやって月明りに癒されながらお酒を飲むのが好きなのだ。


 傍らに夕食の残りとワインボトルを乗せたトレーを置き、クッションにもたれて足を伸ばしながら冴え冴えとした月明りの中でワインを飲む。

 ああぁ、五臓六腑に染みわたるなぁ~。



 ワインの芳香とアルコールの余韻を楽しみつつ、わたしはぼんやりと実験施設で行った訓練のことを思い返す。


 本当に濃い二日間だった。

 今までの人生で、こんなに濃密な時間を過ごしたことなんてない。

 すごい経験をしたと、つくづくと思う。


 初日は確か、体術で手合わせを行うブルーノとクランツに補助魔術や回復魔術をかけることから始まったのだったか。

 いつもわたしの初歩的な訓練に付き合わせてばかりだったから、彼らのガチな戦闘姿を見るのはあの時が初めてだったが、二人ともものすごく強く、とてもかっこよかった。


 何となくあの場面をもう一度見たくなり、動画を探し出してスクリーン表示にしてみたら、まるでホームシアターでワイヤーアクションの映画でも観ているような気分になった。

 レイグラーフの講義で獣人族は身体能力が高いと聞いていたが、本当にすごい。

 魔族国将軍のブルーノと互角に渡り合うクランツも相当に強いのだろう。

 魔王の近衛兵なのだからそれも当然か。



 二人の手合わせが終わると防御の訓練の場面まで飛ばし、チキンのハーブグリルとサラダをつまんではワインを飲みつつ、そのまま動画を観続けた。

 あの時はブルーノの攻撃魔術を弾き返すのに必死だったが、こうして見てみると本当にブルーノの攻撃は強烈で、それでいて柔軟で、攻撃パターンが多彩な上に実に緩急が効いている。

 記憶の中のわたしは翻弄されっぱなしだった。


 やがて攻守が交代し、攻撃魔術を放つ側になった自分の攻撃を見ていると、やはり単調でブルーノの足元にも及ばない。

 ……いや、比べること自体がおこがましいのは百も承知だけれど。

 それでも、レイグラーフのアドバイスやブルーノの指導を受ける度に魔術の扱いが上達しているのが動画を観ていてもわかるし、講義で理論を学び基礎を磨いたらもっと成長できるかもしれない。



――でも。



 攻撃魔術の訓練が一旦終わったところで動画を閉じた。

 ここから先はブルーノを瀕死に追い込んだファイアボールの場面へと繋がっていくからだ。

 気持ちの整理はついているとはいえ、昨日の今日で見直す気にはなれない。


 わたしはワイングラスの中に魔術で氷を作り出し、ワインを氷で割るとひと口飲んだ。

 ワイン好きには眉をひそめられそうだが、この飲み方だとキリッと冷えて甘さも抑えられるので気に入っている。

 氷割り白ワインの爽やかな酸味を味わいつつも、わたしの口からは重めのため息が零れた。



 昨日のファイアボールの件で、わたしは大切な人を傷つけたことと人殺しになりかけたことに恐怖したが、今日はあれだけたくさんの魔物を倒したというのに特に胸を痛めていない。

 今わたしの中にあるのは訓練をやり切ったという充実感と、努力を認められた嬉しさと、己の手を血で汚したという喪失感だ。

 そう。喪失感であり、罪悪感でないところにわたしは自己嫌悪している。


 イスフェルトがわたしを取り戻しに来る可能性をブルーノに指摘され、頭に血が上ったわたしは離脱と殲滅の実技で魔物を攻撃しまくった。

 目的のために障害となる魔物を倒す。

 その攻略方法を考え、実行し、更にブラッシュアップしていく、あの感覚。

 あの時のわたしは確実にゲーム脳になっていたと思う。

 思考の文脈のどこかで、魔物を狩る、と考えた覚えがある。

 城下町での一人暮らしと雑貨屋開業の許可を得たあの会合で、魔術具の扱いを軽く考えていたことに気付き、この世界はネトゲではないのだと自分を戒めたというのに。


 魔法による攻撃は流血を伴わなかったので攻撃魔術と比べてハードルが低かったせいもあると思うが、慣れ親しんだゲーム感覚にどっぷりと浸かり、最速で最大効率を求め、何の躊躇もなく作業のように敵を蹂躙した。

 元の世界の基準でいえば殺戮にあたる行為なのに、魔物とはいえ自分が生きる世界のリアルな命をたくさん奪ったのに、後悔もなく罪悪感もないのはやはりゲーム感覚だからなんだろう。

 だけど、手を汚したと、潔白さを失ったと喪失感だけは感じているなんて。



 喪失感……既にわたしは自分が持っていたものをいくつか手放している。

 異世界へ召喚され固定されたことで家族や友人、慣れ親しんだ暮らしを失った。

 聖女となり、平凡な社会の一歯車という立ち位置を失った。

 失うものが一つや二つ増えたところで今更嘆くこともないじゃないか。

 生き様だのポリシーだのと言えるほどの気概を持って生きていたわけでもないのだし、今までのように地道に生きていくなら甘んじて変化を受け入れるだけだ。


 それに、失ってばかりなわけでもない。

 魔王の庇護は手厚く、元の世界と比べて遥かに好待遇な暮らしをさせてもらっているし、周囲の人々から寄せられる厚意や親愛の情も身に余るほどに受けている。

 イスフェルトにいた時の絶望的な孤独感はもう欠片もない。



「……本当に、ありがたいなぁ」



 思わず口をついて出た。

 こんなに良くしてもらって、わたしは彼らに何を返すことができるだろう。


 そう考えたところで自嘲する。

 そんなの決まってるじゃないか。



「やっぱり、わたしが聖女として振る舞うことなんだろうな……」



 わたしが聖女として魔族国で生きていくなら、今みたいにこそこそせず人前でも魔法をバンバン使えるから、役に立てることはいろいろとあるだろうし、それこそ魔素の循環異常が起こったらわたしが手当てできるから魔族軍の負担を減らせるに違いない。


 だけど、彼らはわたしにそれを求めずにいてくれる。

 わたしが聖女の存在を忌諱していると知っているから。


 今回の訓練中いろんな魔法を使ったけれど、使用可能魔法の一覧表に載せてあるのに、ブルーノは聖女の回復魔法だけは一度も試してみろと言わなかった。

 好奇心旺盛なレイグラーフはエレメンタルを素としない魔法に興味津々だ。

 なのに、魔法の中で唯一エレメンタルに作用する『四素しそ再生』という魔力の循環異常を回復する魔法については一切触れてこない。



 何をやってるんだろうな、わたしは。


 今日やったのは非常用護身術の実技だ。

 訓練であって殺戮ではない。

 だけど。


 ……引かれなかったかな。

 皆褒めてくれたけれど、人が変わったかのように魔物を狩りだしたわたしを見て、正直なところどう思ったんだろう。

 ゲーム感覚で魔物を倒していたなんて言ったら、どんな反応をされるだろうか。


 以前、喧嘩での魔術の使用についてブルーノは魔力の無駄遣いだと言い、魔素は無限じゃないとわたしを戒めた。

 わたしがゲーム感覚で作業のように行った戦闘で消費した大量の魔力は、無駄遣いじゃなかったと言い切れるだろうか。

 わたしが魔力を一番有用に使えるのは、やはり聖女の回復魔法なんじゃないだろうか。


 呪文に乗せてエレメンタルを空気に馴染ませていく、不思議な心地よさを伴うあの感覚にもこの二日間ですっかり慣れてしまった。

 だからこそ、精霊の力を借りて振るう力はこの世界の理に従って正しく使わなければいけないと思う。

 エレメンタルを素としない魔法だってきっと例外じゃない。




 ……強力な魔術や魔法を使いまくったから、精神がちょっとオーバーヒート気味なのかもしれない。

 魔術と少し距離を置くか、生活魔術みたいな穏やかな魔術と触れたいな。


 明後日の講義でレイグラーフにお願いしてみよう。

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