第44話 【閑話】制御室での会話
昼食を終えたレイグラーフが制御室に戻ると、ドアの前に魔王ルードヴィグと側近であるスティーグの姿があった。
様子を見に来ると聞いてはいたがレイグラーフの予想より早かったその来訪に、魔王もスミレの魔術に高い関心を寄せていることがわかる。
古より行使できた者が一人もいないという禁忌の魔術アナイアレーションを彼女が使用したという事実を考えれば当然のことだが。
「お待たせしましたか? どうぞ」
「かまわん。進捗はどうだ」
「順調ですよ」
ドアの鍵を開け二人を室内へ招き入れると、レイグラーフはすぐにデータ収集のために機器の準備を整える。
いつもなら複数人で行う操作を今日は彼一人で行わなければならないから、忙しくて大変だ。
しかし、スミレ本人とヴィオラ会議の面々だけが知る秘匿事項に関わるため、研究院の者を入れるわけにはいかない。
集音されたドーム内の会話が制御室内に流れ始める。
そろそろ防御魔術の訓練を始めるようだ。
ブルーノが放つ攻撃魔術をスミレに魔力の盾でガードさせるらしい。
「重力軽減の魔術には苦労していたようですが、スミレさんの調子はどうです?」
「かなり良いですね。エレメンタルを意識するようにとひと言言っただけで、補助魔術と回復魔術の効果が上昇しました」
「ほう」
「へぇ~。回復はともかく補助もですか」
「スミレの場合、イメージさえできれば驚くくらい難易度の高いことを平然とこなしてしまうんですよ。実は昨日初めて防御魔術の訓練をしたのですが、途中から無詠唱で魔力の盾を出すようになりまして」
「えっ」
驚きのあまり、スティーグは絶句した。
始まった防御魔術の訓練を見てみれば、確かにスミレが無詠唱で盾を出しているとわかる。
それでブルーノの攻撃魔術を弾いているのだから、すでに使いこなしていると言えよう。
「お前の真似でもしたか」
「ご明察です。教えてもいないのに見よう見真似でやってしまうのですから」
「くくっ。子供のような無邪気さですねぇ」
「……だが、危ういな」
「えぇ。魔術に関しては圧倒的に知識と経験が不足しているのでいろんなことを詰め込んでやりたいところですが、慎重にならざるを得なくなりました」
徐々に威力が上がっていくブルーノの攻撃魔術にスミレはよく食らいついていっている。
最後にはブルーノの特大ファイアボールを受け止め弾いてみせた。
上々の出来に、機器の操作の合間を縫って防御魔術は合格だとレイグラーフが拡声の魔術具を通してスミレへ伝える。
喜ぶスミレの姿を見て嬉しそうに笑み崩れつつも、レイグラーフは冷静に分析していた。
「ブルーノのファイアボールの最高記録とほぼ同じ値ですから、最高出力と言っていいでしょう」
「よく凌いだな」
「凌いだスミレさんもすごいですが、ブルーノもスミレさんを相手によく本気の攻撃魔術を放てますねぇ。さすがと言いますか」
少しの休憩を終えると、いよいよスミレの攻撃魔術の実技が始まった。
最高出力で魔術を放つよう、ブルーノがスミレに指示している。
「スミレは最初の魔術の講義で四種類の攻撃魔術を試しただけですから、ここから先はほぼ未知の領域です。緊張しますね……」
「レイは機器の操作とデータの収集に集中しろ。スミレは私が見ておく」
「お願いします。くれぐれも頼みますよ、ルード」
実技が続く中、レイグラーフは一度だけ操作の合間を縫って精霊を召喚するよう拡声の魔術具でスミレに告げたが、それ以外はひたすら作業を続けている。
両手の指を組み合わせた上に顎を乗せ、ブルーノとスミレの様子をガラス越しにジッと見つめている魔王に、スティーグがためらいがちに声を掛けた。
「……やけに挑発しますねぇ」
「そうだな」
「スミレさんの真の実力を引き出すのが目的なんでしょうが……」
スティーグは首を傾げる。
ブルーノの態度がどうも腑に落ちない。
アナイアレーションのような究極の魔術でなくとも、スミレが暴発して攻撃魔術を振るったらどうなるかはヴィオラ会議のメンバー共通の懸念だ。
彼女の攻撃魔術の威力がどの程度なのか把握しておきたいというのは理解できる。
だが、そう煽りまくってギリギリまでの出力を促す必要はないだろうに。
攻撃魔術の試行はひと通り済んだようだが、ブルーノに煽られたスミレは最後にもう一度ファイアボールを放ってみたいと言った。
後になるにつれてどんどん魔術の精度が上がっていったから、一度目よりもっと威力の高いファイアボールを放つ自信があるのだろう。
そしてそれは正しかった。
スミレ渾身のファイアボールを魔力の盾を出さずに無防備なまま受けたブルーノの体が壁際まで吹っ飛んだのだ。
「なっ!? 生命値大幅減!! 残りわずか……から急速回復中! スミレの回復魔術ですか。さすが聖女……速いですね……回復完了。ふぅ、良かった……って、何をやっているのですかブルーノは! ああぁスミレが、あんなに泣いて……」
「威力を知るためとはいえ生身で受ける必要はないでしょうに。随分と無茶をしたものです。ブルーノらしくない気がしますねぇ」
「だが、スミレには実に有効だ。余程のことがない限り、おそらくスミレはもう人に対して最高出力で攻撃魔術を放てまい」
ハッとした様子でスティーグとレイグラーフが魔王を見る。
「今日のことを思い出して躊躇するからですか? ……まさか、ブルーノはそれを見越して」
「当然だ。少なくともこれでスミレが暴発する可能性はかなり低くなっただろう。安全保障上の懸念はかなり払拭されたといえる」
「なるほどねぇ、先程までのブルーノの振る舞いに得心がいきましたよ。彼が体を張った甲斐はあるというわけですか」
「ああ。だが、自分が受けるダメージ量を見誤ったようだな。それだけ威力が伸びたと、……ッ、いかん!」
ガタッと音を立てて立ち上がると、魔王はレイグラーフから拡声の魔術具を奪ってクランツにスミレをここへ連れて来るよう命じた。
クランツが即座にスミレを抱えて走り出し、ドームから姿を消す。
それを見た魔王はレイグラーフとスティーグに、スミレがここへ来たらすぐに治癒に当たるから誰も話し掛けるなと指示を出し、更にブルーノを責めるなとも付け加えた。
「職分を考えればブルーノの判断は誤りではない。手落ちがあったとすれば、スミレの実力を見誤り、想定以上のダメージを負った結果、スミレに過度のストレスを与えたことだけだ」
そこへクランツがスミレを連れて到着し、魔王が腕を広げるとスミレは魔王の胸に飛び込み号泣し始めた。
少し遅れてブルーノとカシュパルもやって来たが、魔王とスミレの様子に驚き部屋の入り口で立ちすくんでいる。
魔王がスミレを膝の上に乗せてソファーに腰を下ろすのを見ると、スティーグはスミレから見えない位置に他の面々を手招きして集め、沈黙の魔術で音が漏れないよう結界を張った。
『ルードから治癒の邪魔をするなと命じられましたので、会話をするなら結界の中でお願いしますね。それと、ブルーノを責めるなとも言ってましたよ。これでおそらくスミレは人に対して最高出力で攻撃魔術を放てなくなり、暴発の可能性は低くなった。手落ちがあったとすれば、スミレの実力を見誤って想定外のダメージを受け、彼女に過度のストレスを与えたことだけだ、とね』
『……チッ。ルードヴィグのやつ、全部お見通しかよ。だが、責めたっていいぜ。俺がしくじったのは事実だ。……ハァ~ッ、スミレのやつ、さっきより激しく泣いてるじゃねぇか……最悪だ……』
頭を抱えたブルーノが力なくしゃがみ込み、他の面々は途方に暮れたように顔を見合わせている。
『ねぇ。ブルーノが危なかったのは事実かもしれないけど、回復魔術があるし実際すぐに回復したのに、何でスミレはあんなに泣いてるのさ。もう、見てるこっちがつらいんだけど』
『先程も将軍が死にそうだと言って泣いていましたが、もしかして本気で案じていたんでしょうか』
『回復に対する感覚が私たちとは違う可能性があります。魔族は回復魔術でほとんどの病や怪我を治せるのが当然ですが、魔力を持たない人族にとっては病や怪我は治すことが困難な恐ろしいものなのかもしれません。慟哭する程なのですから余程恐ろしい思いをしたのではないでしょうか』
『スミレさんは魔術のない世界に住んでいたのですから、初めて攻撃魔術のダメージを目の当たりにして、我々が想像する以上にショックを受けたのかもしれませんねぇ……』
各々が胸を痛めていると、魔王がブルーノを呼んで隣に座らせ、スミレをブルーノの膝に乗せて頭を胸へ押しやった。
すると、スミレは激しく泣きながらブルーノに先程の行為の意図を問い質し、自身の気持ちを切々と訴え始める。
『ちょっと待って、こんなのもう聞いてられないよ。健気すぎるでしょ』
『こんな泣かせ方は駄目だ……守らなくては……。心ごと守らなくては……』
『裏切られたように感じて深く傷付いたのですね……。ルードが治癒と言った意味がわかりました……ああぁ、胸が痛い』
『これは泣かせてあげなくてはいけませんねぇ……。それにしても、庇護欲の掻き立てられ具合が強烈すぎですよ。私はこういうのは希薄な質なのに……、勘弁してください……』
『ああ、スティーグはスミレのこういうところを見るのは初だったね。初めてがこれだなんて、心底同情するよ』
『話には聞いていましたが想像以上です。……ハァ、何とかしてあげないと……』
それぞれに心が揺さぶられるのを堪えながら必死に冷静さを保持しようと努めているところへ、ふと思いついたようにカシュパルが疑問を投げ掛けた。
『ねぇ。ところで、ルードのあの慰め方はアリなの? 平然とやってたけど』
『問題はありますが、あの様子だとスミレには必要なんでしょう。後でしっかりと問題点を指摘しておかなくては』
『ブルーノには厳しい罰として機能しているようですよ。無防備な庇護対象にあのようにされては……私だったら気を失いそうです……』
『間違いなく誰もが居たたまれない気持ちになりますよ。その点、ルードはすごいですねぇ。さすがは魔王です』
『……ルードだけがスミレの痛みに気付いたんだ。実際すごいよ』
やがてスミレが泣き止み落ち着きを取り戻すと、もう大丈夫と告げた。
それを見て、彼らの顔にもようやく安堵の表情が浮かぶ。
その後、テーブルを囲んで皆でお茶を飲んだ。
それまでの空気が嘘のように、穏やかで温かな空気が制御室に満ちていった。
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