第43話 慟哭と抱擁と約束

 目の前のバーチャルなHPバーが一気にレッドゾーンまで減った。


 クランツとカシュパルがブルーノの方へ走り出したのを見て、瞬時にブルーノのもとへ『移動』したわたしは血と煤にまみれて横たわるブルーノを目にした。

 赤が重なって、ブルーノのHPバーが見えない。



「うわああッ、ヒール!! やだ、ブルーノさんが死んじゃう!! ヒール、ヒール!! ブルーノさんッ!! うわあああ、ブルーノさん!!!」



 ブルーノの胸に両手を当てて、わたしは泣き叫びながら回復魔術のヒールを叩き込んだ。

 胸の上の両手に額をつけて祈る。


 精霊よ、お願い。ブルーノさんを守って。

 ブルーノさんの命を取らないで。



「ヒール!! ブルーノさん死んじゃやだぁ!!」


「馬鹿野郎、勝手に人を殺すな。この程度で死ぬわけねぇだろうが」


「……え?」


「さすがに堪えるダメージ量だったが死ぬほどじゃねぇよ。なめてんのか?」


「スミレ、落ち着いて。ブルーノならもうとっくに君のヒールで回復してるよ」


「魔族国の将軍がファイアボール一発で死ぬわけがないでしょう?」



 ブルーノがむくりと上半身を起こしたので、彼にすがりついて泣いていたわたしはぺたりと尻もちをついた。


 カシュパルが洗浄の呪文をかけ、血と煤で汚れていたブルーノはすっきりとした姿に戻っている。

 わたしの両手についていたブルーノの血もきれいになくなった。


 だけど。



 わたしの放ったファイアボールでブルーノが死にかけた。

 HPバーを見たわたしは知っている。

 レッドゾーンぎりぎりだった。

 ブルーノは本当に瀕死状態に陥ったんだ。



 わたしのファイアボールで、ブルーノが。


 わたしが、ブルーノを、殺しかけたんだ。



《クランツ! スミレを担いで制御室へ来い!!》


「承知!」



 魔王の声が聞こえたと思ったら体が宙に浮いて、すごいスピードで周囲の景色が後ろへと流れていく。

 ドアがバンと音を立てて開くと、部屋の奥に魔王が立っていた。

 スティーグとレイグラーフもいる。


 下ろされて床の上に立つと、魔王がゆっくりと腕を広げるのが見えた。



「来い」



 魔王の声を聞いたらもう我慢できなかった。

 わたしは号泣しながら魔王の胸に飛び込んだ。



 だってひどい。

 ブルーノがガードしないなんて思わなかった。

 あんなの、だまし討ちじゃないか。


 攻撃するつもりで魔術を放っていた。

 だって訓練だもの。そうしろって指示されたんだもの。

 でも、ブルーノを傷つけるつもりなんてなかった。

 あんな、死にそうになる程のダメージを与えるなんて思いもしなかったんだ。


 もう少しでブルーノは死んでしまうところだった。

 わたしが、殺しかけたんだ。

 自分のせいで、大事な人を失うかもしれなかったんだよ。


 怖かった。

 ブルーノが死ぬことも、自分が人殺しになることも。

 こんなの耐えられない。

 だってわたしはそんなことを望んでなんかいないんだから。


 ブルーノには何か考えがあったんだろう。

 必要だからああしたんだ。

 そんなことくらいわかってる。

 だけど嫌だ、こんなのは嫌だ。

 だってひどい。

 あんまりだよ。



 魔王はわたしを横抱きにして腰を下ろすと、わたしを膝の上に乗せて背中をポンポンと叩いた。

 離宮に来たばかりの頃、失語状態になって苦しんでいるわたしをお膝抱っこしてくれた時と同じだ。


 あの時もわたしは子供のように声を上げて泣いて泣いて、でも今日の方が酷いかもしれない。

 あの時は魔王しかいなかったけれど、この部屋にはスティーグとレイグラーフがいた。

 わたしを運んでくれたクランツもいる。

 きっとブルーノとカシュパルも追いかけて来ただろう。


 いい歳をしたアラサーのくせに、こんな風にわんわん泣いているところを皆に見られるなんて恥ずかしい。


 だけど胸の内に留めるなんてできなかった。

 声と涙と一緒に吐き出してしまいたい。

 あの瞬間の恐怖を、陥りかけた絶望を。



 しばらく経って、少し落ち着いたのか、それとも単に泣き疲れたのか、わたしはぐすんぐすんと鼻をすすり上げ始めた。

 魔王が腕を緩め、わたしを胸から離して顔を覗き込むと、目を閉じろと言ってからウォッシュをかけてくれた。

 でも、たぶん今の洗浄でスッピンになってしまっただろう。

 こんな泣き方をしておいて今更だけど、ただでさえ魔族には成人前の子供に見られがちだと言うのに、スッピンになったら尚更子供に見えるんだろうな……。



「ブルーノ、隣に座れ」


「おう」



 恥ずかしくて俯いていたら、魔王がブルーノに声をかけた。

 それを聞いて、それまで誰の声も聞こえなかったことに気付く。

 ……きっと皆に気を遣わせてしまった。

 申し訳なさでまた涙が出そうになる。


 ブルーノが隣に腰掛けると、入れ替わるように魔王はわたしを横抱きにして腰を上げた。

 そして今度はわたしをブルーノの膝の上に下ろすと、魔王はわたしの後頭部を手で押しながらブルーノの胸に顔を埋めさせた。


 えっ!?

 魔王が例外なだけで、異性をお膝抱っこするなんて魔族的には完全にNGじゃないの!?



「私がしていたのと同じようにしてやれ」


「はぁ!? 俺が!?」


「いいからやれ」



 少し間があったが、そっと背中に腕が回り、ポンポンと軽く叩かれた。

 ブルーノは不本意そうな声を上げたが、魔王の命令だから諦めたんだろう。

 魔王の意図はわからないけれど、ブルーノが抵抗しないならいいやと息を吐いたら力が抜けた。

 ぐんにゃりとブルーノの胸にもたれかかる。



「スミレ、ブルーノの体温を感じるだろう?」


「はい」


「心音も呼吸音も聞こえるだろう?」


「はい」


「大丈夫だ。ブルーノはお前の攻撃では死なない。ブルーノだけではなく、私も、レイグラーフも、クランツも、カシュパルも、スティーグも、ファンヌも、お前が大切に思う魔族は誰一人お前の攻撃では死なない」


「……でも」


「魔王の私が保証する。安心しろ」


「……はい。……うっぐ、うっ」


「我慢するな。全部ブルーノに吐き出してやれ。好きなだけ涙と鼻水まみれにしてやるがいい」



 魔王の手がわたしの頭をくしゃくしゃと撫でたので、気が緩んだわたしは再び声を上げて泣き出してしまう。

 背中に回された腕に力が入り、ぎゅっと抱きしめられたと思ったら、頭の上から悪かったとブルーノの声が聞こえた。


 ……魔王のお許しが出たんだから、泣きながらでもブルーノに全部言ってやる。



「なんで、あんな、だまし討ちみたいなこと、したんですか」


「……お前の真の実力を測ろうとした。盾で防いだんじゃ測り損ねるから生身で受けた。無防備な相手に最大出力で攻撃魔術を放つなんてこと、お前にはできないだろう。だったら不意打ちでやらせるしかねぇ。それに、ダメージを受けても致命傷には至らない、そう思った」


「でも危なかったんですよっ。もうちょっとで、ブルーノさん、うぅっ」


「すまん。お前の実力を測り損ねた、俺の失策だ」



 ため息と共に出たブルーノの言葉はとても重いものだった。

 魔族軍将軍である彼が簡単に失策などと認めていいはずがないのに、たかが人族の小娘相手にそう言わせてしまったことにある種の責任を感じる。



「必要だったんだと、わかってます。そうでなきゃ、あんなことしないってわかってるんです。だけどもう、ああいうことはしないでください。どれだけ厳しい内容でも、わたし、ちゃんと従いますから。説明してもらえば、納得できるに決まってるんです。そこは、信頼してますから」



 そう、わたしはブルーノを信頼している。

 足りなかったのはブルーノのわたしへの信用で、それを得られていないのはわたしの不徳の致すところなのだ。



「今回のことは、わたしが弱くて、指示しても大丈夫だと思ってもらえなかったからだってわかってます。もっと頑張って、安心して任せてもらえるようになりますから。技だけじゃなく、メンタルも強くなりますから。だからもう、わたしをだまそうとしないで。お願いだから、あんなのは、もう、二度と、やだ」


「ああ、もうお前をだましたりしない。どれだけ厳しいことでも正直に話す。……お前の心に余計な傷をつけた。本当にすまない」



 それからわたしはまたひとしきり泣いたけれど、言いたいことは全部言ったし、ブルーノも約束してくれたからか、しばらくするとわたしも落ち着いてきた。

 顔を上げたらブルーノと目が合って、その瞬間ブルーノが顔を背けて盛大に吹き出した。



「お前、ひでぇ顔だなぁ」


「誰が泣かせたんですか誰が! もう! このっ、このっ!」



 女子の泣いた後の顔を笑うなんて酷い!

 ムカついたのでブルーノの胸を拳でボカスカと殴りつけた。

 わたしの最大出力のファイアボールすら致命傷にならないとうそぶくなら、こんな軽パンチくらい平気でしょ!?


 ブルーノは笑いながらパンチを受けつつも、わたしに軽くウォッシュとヒールをかけてくれた。

 これで少しはまともな顔になっただろうか。

 隣に座っている魔王に顔の具合を聞いたら大丈夫だと言ってくれたので、わたしはブルーノの膝から降ると、魔王にぺこりとお辞儀をしてお礼を言った。


 魔王はいつもわたしを守ってくれる。

 魔王がすぐにハグして泣かせてくれなかったら、ブルーノに思う存分吐き出していなかったら、きっとこんなに早く立ち直れなかった。


 そして後ろを向くと、そこにいたレイグラーフとカシュパルとスティーグとクランツにも頭を下げて謝罪と感謝の言葉を伝える。

 皆心配そうな顔をしていたけれど、わたしがもう大丈夫と言ったらホッとしたような笑顔になって、それがとても嬉しかった。



「さぁさぁ、スミレ、ここに座ってゆっくりお茶を飲んでください。あんなにたくさん泣いて、喉が渇いたでしょう?」


「スミレさん、ネトゲのアイテムに『化粧品』がありましたよね。それを出してください。私がささっと顔を作りますから。『化粧水』と『保湿クリーム』? あるなら塗りましょう。……う~ん、このアイテム、質はパッとしませんねぇ。可もなく不可もなくというか。ネトゲのアイテムの特徴? へぇ~、そうなんですか」


「子供みたいな顔のままでいられたらこっちが居たたまれないから、メイクし直してもらえるのは助かるよ」


「同感です。予定が狂いますから、将軍はもう打ち合わせにないことはしないでください」


「あーあー、俺が悪かった。反省してる」


「詫びとして、スミレが引っ越したら美味い物でも食べに連れていってやれ」


「やったー! ゴチになりま~す」


「おい」


「へへへ」




 お茶を飲みながらおしゃべりしている内に、自然と笑顔が戻って来る。


 魔王が保証してくれた。

 ブルーノも約束してくれた。


 大事な人たちのためにも、もっと強くならなくちゃね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る