第37話 お酒の品質評価会

 ブルーノたちを見送った後、部屋に一人となった途端ため息が出た。

 今日は魔術の訓練にかなり集中力を使ったし、何度も気分が浮き沈みしたせいか疲れたな……。

 最近凹むことが多かったけれど、ちょっと情緒不安定すぎなんじゃないかと自分でも思う。


 今日一日だけでも重量軽減の魔術の不合格に、限定販売の手数料関連やアイテム取り出し時のミスと何度か凹んだし、一方でカシュパルをはじめ皆の言葉に何度も癒され励まされ勇気づけられた。

 価値がなければいけないのかというブルーノの言葉はぐさりと刺さったが、基本用護身術を見てもらい合格を言い渡された時は本当に嬉しかったし、カシュパル相手に試してみて護身術がちゃんと身に着いていたとわかり安堵もした。

 毎日こつこつと続けた努力が一つ実ったことで、自分の目指す方向性は間違ってないと確信を持てたのは大きい。


 ただ、ブルーノに気負いすぎだと焦りを指摘されて、確かにここしばらく気持ちに余裕がなかったなと思った。

 そう言えばファンヌにもスケジュールを詰め込みすぎと言われたっけ。

 昨日スティーグに失敗も学習の内と穏やかに諭されて前向きな気持ちになったのに、またすぐに凹んでしまったんだなぁ……。


 わたしは取り立ててポジティブな質ではないけれど、だからと言ってネガティブな人間でもない。

 ここのところの凹み具合は自分でもらしくないなと思う。

 焦っていた、それに尽きるんだろう。

 一人暮らしと雑貨屋開業を許可され、急激に身の回りが変化しだしたことに対して、わたしの希望を叶えるために提供されるたくさんの厚意に応えなければと自分で自分を追い詰める形になっていたのかもしれない。


 彼らの厚意をプレッシャーにしてしまうなんて、まったく失礼な話だ。

 焦らなくていい。自分にできることを着実に進めていこう。

 せっかくの機会なんだから、新しいことを学んだり身につけたりすることをもっと楽しもうよ。


 凝り固まった頭のままでは柔軟な発想は生まれにくいから、一度頭の中を空っぽにしてみるといいとレイグラーフも言っていた。

 今のわたしに必要なのは気分転換だな。



 ……たまにはお酒でも飲むか。



 ふと浮かんだ思い付きに、そういえば雑貨屋で扱う予定の食料品アイテムに酒類が何点かあったことを思い出した。

 そうだ、あのお酒を飲んで品質などのチェックをしよう。

 どんな商品かを知らずに売るのも良くないしね!


 そうと決まれば、急いでファンヌにメッセージを飛ばして夕食を少なめにしてもらわなければ。

 お酒を試すならお腹の余裕を残しておいた方がいい。

 小腹が空いたら食料品アイテムのチーズでもつまみにしよう。



 そんなわけで、わたしは内心でウキウキしながら軽めの夕食を済ませた。

 ファンヌに食欲がないのかと心配されてしまったが、今日は魔術の訓練で集中力を使って疲れたので早く休みたいだけだと伝えて誤解を解いた。


 ごめんねファンヌ。

 わたしはこの後の一人飲み会を堪能するために満腹度を調整しただけなんだ。

 嘘ついてホントごめん。

 でもネトゲのアイテムのことはファンヌには話せないし。



 夕食後はネトゲの機能を使って作業することが多いので、普段ファンヌには夕食以降はわたし付きの侍女としての仕事を終了してもらっている。

 そもそも、ファンヌもクランツもわたしが離宮に来てからずっと休みなしで勤めてくれているんだよね……。


 わたしはほとんど離宮から出ないから警備の兵士らで十分な時も多いし、給仕なしでも食事できるから二人とも適宜休みを取って欲しいと以前言ったことがあるのだが、ファンヌもクランツも首を縦に振らなかった。

 ブラック企業みたいな働き方をさせたくなくて何とか説得しようとしても、二人ともスミレは手が掛からないから空いた時間も多いし、自分の用事は空き時間に十分済ませられるので問題ない、と言うのだ。


 そうは言っても、たまには外出して誰かと会ったりしたいだろうに……と思いスティーグに相談したら、本人たちがやりやすい就業形態を取っていることと、いずれ折を見て長期休暇で補填することになっているから心配しなくていいと言われてしまえば、わたしの方からはそれ以上何も言えない。


 だから、せめて夕食以降は二人の業務を終えてしまえるよう大人しく自室に籠っている。

 わたしが離宮を出ることを選択したので彼らの離宮勤務はもうじき解消となるのだろうが、既に三か月半近く働きづめとなっている二人にはどうかゆっくりと休んでもらいたいと思う。




 夕食が終わりファンヌが退室すると、わたしはいそいそとアイテムのお酒を取り出した。

 お酒は全8種類。赤、白のワインに、ブランデーとウイスキー。シードルと蜂蜜酒に、それからラガーとエールの2種類のビールがある。

 すべて瓶入りで、それらをずらりと並べると思わずニヤリとしてしまった。ネトゲのくせに、なかなか豊富なラインナップじゃないか。


 離宮に来たばかりの頃はファンヌに寝酒を頼んでいたこともあるし、夜にふらりと訪ねてきた魔王と月を眺めながらワインを飲んだこともあるが、一人で宅飲みを楽しむのはこの異世界へ来てから初めてなのでものすごくわくわくしている。

 わたしはお酒が強くはないが、仕事が終わった後のビールのうまさは筆舌に尽くしがたいと思う程度には飲むのが好きだ。


 まずは何から飲もうかな~?と瓶を見比べているところへ、クランツからメッセージが届いた。



《実験施設での実技に備えて、破れてもいいような中古のシネーラの手配を将軍がファンヌに頼んだそうです。安心して訓練に臨んでください》



 おぉ、よかった! 最上級シネーラのままでは、破れたらどうしようとヒヤヒヤしっぱなしで集中できないかもしれないと心配してたんだよ!

 以前そう言った時は基本用護身術の動作確認だけだったから却下されたけど、さすがに次回は魔法に攻撃魔術とハードな内容だからなぁ。

 ブルーノは普段はぞんざいに振舞うくせに相変わらず細かい配慮をしてくれる。ありがたいことだ。


 すぐにクランツへ喜びの言葉を返そうとしたところで、ふと思いつく。

 クランツをこのお酒の品質評価に誘ってみようか。

 販売対象である魔族の感想を直に聞けるし、ちょうどいい。



「ありがとうございます。それを聞いて安心しました! ところでクランツさん、今お時間ありますか? ちょっと付き合ってもらいたいことがあるんですが」


《いいですよ。今からそちらに向かいます》



 返事のメッセージを聞き終えるのとほぼ同時にドアがノックされたので、わたしは急いでクランツを部屋に招き入れた。

 ソファーへと案内してテーブルの上に並べたお酒の瓶を見せると、クランツはわたしの意図を察したようでこちらを見てニヤリと笑った。



「これに付き合えと?」


「ご迷惑でなければ」


「大歓迎です。ネトゲのアイテムの酒ですよね?」


「はい。味の評価などを聞かせてもらえたら嬉しいです」


「いいでしょう。任せてください」



 クランツが快く参加表明してくれたので、二人でお酒の品質評価を開始する。


 わたしはグラスをもう一つ持って来ると、仮想空間のアイテム購入機能で『野外生活用具一式』を購入し、中から栓抜きを取り出した。

 栓抜きと缶切りとワインオープナーが一体となったアウトドア用品によくある多機能タイプだが、クランツが目を輝かせてわたしの手元を見ている。

 魔族国には複数の道具を一体化したツールはないのだそうだ。

 このセットの中にはナイフなどの刃物類や工具類を一体化したツールも入っていたので、とりあえずそれらをクランツに手渡したら楽しそうにあれこれとパーツを引き出しては感心していた。


 その間にわたしはラガーの瓶を両手で包み、冷却の魔術を唱えて十分に冷やすと蓋を開けてグラスに注ぐ。

 とく、とくっという音に、思わずごくりと喉が鳴った。

 うはぁ、おいしさの記憶に体が反応してるよ!


 クランツの前へグラスを置くと、自分のグラスを手に取る。

 そういえば魔族国では乾杯の習慣はあるのだろうかと思いクランツに尋ねてみたら、グラスを目の高さに掲げて乾杯と唱和するらしい。

 よし、さっそくやってみよう。異世界での初乾杯だ!



「乾杯」


「かんぱーい!」



 回復薬以外のアイテムを口にするのは初めてだったので、念のためひと口飲んで様子を見ようと思っていたのに、ついゴクゴクゴクッと行ってしまった。

 しかも、女子としていかがなものかとは思いつつも、くは~っという感嘆の吐息を我慢できなかった。

 ああぁ、よく冷えたラガーのすっきりした苦味とこの喉越しが堪らない!!


 おいしそうに飲みますねとクランツに笑われたが、久々に飲んだ感動と記憶による補正で実際以上においしく感じていた可能性もある。

 そもそも品質評価が目的なんだから、冷静に味わわないと。

 そう思いながら再びラガーを口に含めば、おいしいことはおいしいけれど、味そのものは特筆することもないごく普通のラガーだと感じた。



「クランツさん、このラガーは魔族国の品と比べてどうですか? どこか違いはありますか?」


「いえ、特に違いはありません。ごく普通の味です。ここまで冷やしたものは飲んだことがありませんでしたが、なかなか良いものですね」


 そう言うとクランツは空になったグラスを魔術で洗浄した。

 うん、とりあえずはご満足いただけたようだ。

 日本ではビールと言えばキンキンに冷えたものが一般的だったのでわたしもそうしたが、ラガーはともかくエールはそこまで冷やす必要はないかもしれない。

 そこで、空いた自分のグラスを洗浄してからエールの瓶を手に取ると、再び冷却の魔術を唱えて冷やし、今度は先程より短い冷却時間で蓋を開けて二つのグラスに注いだ。


 グラスを手にして匂いを嗅ぐと良い香りがした。

 ぐびっとひと口飲むと、深みのある苦味が口の中に広がる。

 うんうん、エールはこういう感じだよね。

 爽快感のラガーに、飲みごたえのエール。

 詳しくはないけれど、2種類のビールに対するイメージはそんな感じだ。


 2種類ともおいしく飲んだが、どちらも標準的な味で突出した何かを感じることはなく、クランツもわたしとほぼ同じ意見だった。

 でもまぁ、めちゃくちゃおいしい! というわけではなくとも、普通においしければ十分かな。



 それにしても、ビールといえばジョッキかグラスで注文することがほどんどで、瓶ビールを飲む機会はあまりなかったけれどおいしいものなんだなぁ。

 缶ビールより好きかもしれない。

 宅飲みでは今後もお世話になりそうだ。

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