第36話 【閑話】将軍と側近と近衛兵の会話

 スミレの部屋を出てドアを閉めると、クランツは無言のまま向かい側にある自室のドアを開け、ブルーノとカシュパルを招き入れた。



「価値がなければいけないのかという将軍の問いかけに対して、スミレが一瞬見せた逡巡は何でしょう。カシュパルは早々に切り上げてしまいましたが、何か思い当たることがあるんですか?」



 二人が部屋へ入るとクランツは外を確認してドアを閉め、すかさず尋ねた。

 これまでにスミレが落ち込んでいるところは何度も見てきているし、ここのところ何かと凹んでいるのも気付いているが、それらとはどうも様子が違っていたように思う。



「思い当たることなんて特にないよ。ただ、自立していないと価値を認められないと言ってスミレが口を噤んだから、彼女を一人前の大人として扱うならあの場は追及せずに見守ってやった方がいいだろうと思っただけさ」


「確かに成人前の子供と間違われやすいことを気にしているようですが」


「それもあるけど、一人暮らしや雑貨屋開業をしたいと言い出したのだって、自立したいっていうのが元だったんだ。根本的に自立っていうものを重視してる子なんだよ、スミレは」



 あの時の会合で、確かにそんな話が出た。

 集団生活を嫌い、単独での生活を好む大型ネコ科の獣人族みたいだと評した覚えがある。

 それを思い出したブルーノが少し肩を落とした。



「自分一人の力で立ちたいってことか?」


「まぁ、できればそうありたいと思ってるんじゃないの」


「……他人からの助力は受けたくないか」


「その他人ってのに自分を当てはめて凹んでるんなら、水浴びでもして頭冷やしておいでよ。……僕らのこと、身内って言ってたじゃない。スミレのあの顔を見たくせに何を言ってるんだか」



 カシュパルはそう言ってブルーノに一瞥をくれると簡素な椅子を手繰り寄せ、深いため息を吐きながら腰を下ろした。

 つられるようにしてブルーノとクランツもそれぞれ適当な場所に腰を下ろす。



「それにしても、今日のは強烈でした……。何で彼女はああも無防備に我々の庇護欲を刺激するんでしょうか」


「ああ。俺もお前も群れを成す種族だから、ああいうのはホント堪えるよな」


「まったくです。身内だなんて言われたらもうグッと来てしまって……、本当にきつかった……」


「他人行儀で嫌だとか、ハァ~、俺ダメだ。あんなの、もう絶対守ってやらねぇとダメだろ。あー、もう無理。マジで無理」


「狼族は種族内の親密度が高いですから将軍には殊更堪えるでしょうね……」


「こいつは大人だ、子供扱いしちゃいかんとわかっちゃいるが、つい手が動いちまうし。逆にもう、甘やかさずに厳しく指導するくらいしかできねぇよ俺は」


「それにしても、カシュパルはよくあの場でああいう返しができますね。私は平静を装うので精一杯でした」


「ホントだよ。お前、よく平然としてられるなぁ。尊敬するわ」



 賞賛の眼差しを送って寄越す二人に向かって首を横に振ると、カシュパルは再び深いため息を吐いて両手で青い髪をかきあげた。



「そんなわけないじゃない。言っておくけど、僕、スミレにあそこまで強烈に庇護欲を掻き立てられたのはさっきのが初めてだったんだよ?」


「初遭遇がアレか……。同情するぜ」


「しかし、一瞬で立て直すところはさすがです」


「きつい時程平気な顔して余裕見せるってのが習い性になってるだけさ。……話には聞いてたけど想像以上の破壊力だったよ。あれで無自覚なのか……。クランツ、いつもお疲れ様。ブルーノも大変だね」



 共に衝撃を乗り越えた者同士の連帯感からか、何やら互いの健闘を称え労い合う流れになっている。



「レイが帰った後で良かったかもしれません。スミレのあんな言葉を聞いたらどうなったことか」


「確かに彼だったら泣きながら抱擁してたかもね。それにもしファンヌがあの場にいたら庇護欲大爆発で大変だっただろうなぁ」


「いや、俺はアレを他の連中にも喰らわせてやりてぇよ。あ~ぁ、レイグラーフのヤツ、早く録画と映写の魔術具作らねぇかな」


「そう言われると、確かに彼らにもさっきの一部始終を見せてやりたい気もしてきました」



 軽口を叩いて笑い合ったが、それが一旦途絶えると、カシュパルが小首を傾げてぽつりと呟いた。



「スミレ、ちょっと情緒不安定っぽかったね」


「重力軽減の魔術が不合格だったのがよっぽど堪えたのか?」


「それももちろん大きいのでしょうが、二、三日前から少し元気がなくなったように見えました。魔術以外のところでも何か自信をなくしているのかもしれません」


「そういう意味では護身術で合格をもらえたのは良かったかもね。まぁ、僕は急に相手をさせられてびっくりしたけど」



 限定販売の納品手続きが済んだ後、ブルーノはスミレの基本用護身術の習熟度を確認することにした。

 カシュパル相手に一度やってみないかとブルーノが水を向けると、是非ともお願いしたいとスミレが言ったのでやらせてみたところ、スミレは問題なく一連の動作を行い、カシュパルの腕を払いのけ、容赦なく感電させ縛りあげた。

 出来を見て満足したブルーノが合格を言い渡すと、スミレはとても喜んで、日頃訓練に付き合っているクランツに礼を言い、いきなり訓練に付き合わせてしまったカシュパルに礼を言い、護身術を考案したブルーノに礼を言ったのだった。



「ハハッ、悪ぃな。だが、護身術の内容をまったく知らないヤツ相手にどれくらい通用するかを見られたし、あいつの出来も良かったから満足したぜ」


「腕は簡単に解かれるし、ビリッと痺れたと思ったら一瞬のうちに縛られて床に転がされてるんだから驚いたよ。何が起こったのかわからなかったけど、クランツを相手にやってるのを見ながらブルーノの解説を聞いてなるほどと思ったね」


「実際の場面では、事前に『朦朧』って魔法で相手と周囲の連中の判断力を低下させることになっている。魔法の使用を見抜かれることはまずないだろうな」



 自ら考案したスミレ専用護身術を初めて目にしたカシュパルの感想を聞き、ブルーノは満足そうに目を細めると、功労者であるクランツを労った。



「短期間の練習でよくモノにしたぜ。クランツもよくやったな」


「いえ、私は特に。スミレが真面目に取り組んだ結果ですし、何より将軍の匙加減が絶妙でした。体術が不得手なスミレでも練習すればできる範囲の難易度に収めてあったのが大きいです」


「スミレにしか使えない魔法を組み込んだのも良かったね。呪文の詠唱が聞こえないなんて、言われなきゃ気付かなかったよ」


「将軍から合格をもらえてスミレも自信がついたでしょう」


「すごく嬉しそうだったもんね。それにしても、腕を掴むのはともかく、抱きつくのはやりづらかったな~。スミレもクランツも平気なんだからびっくりだよ」


「さすがにもう慣れましたから。それに……、いや、何でもない」


「…………スミレは匂いがしないから平気、って?」


「なッ!?」


「おまっ! 言うなよ、そういうことは!!」



 クランツとブルーノは焦って顔をやや赤らめた。

 獣人族と竜人族は異性の放つ匂いを感知したことをきっかけに、相手に惹かれることがある。

 匂いといっても微細なもので魔人族や精霊族は感知しないのだが、獣人族と竜人族の鋭敏な嗅覚はそれを捉え、恋愛方面において大きな影響を受けるのだ。


 しかし、目に見えず感じ方も人それぞれな上に、時には下半身も反応してしまう本能的な刺激であることもあって、異性の匂いの感知は非常にデリケートな事象として扱われる。

 そのため、余程親しい仲でない限り獣人族と竜人族が異性の匂いについて赤裸々に語ることはないのだが――。



「だって変じゃない? あれだけ動けば多少は汗ばむだろうに、無臭のままってどういうことさ」


「それは……まぁ、確かに俺も以前から気にはなっていた。なぁクランツ、スミレはいつもああなのか?」



 二人に視線を向けられて、クランツはものすごく嫌そうな顔をした。

 恋愛対象でないとしても、護身術の訓練に付き合って日に何度も抱きつく動作をしている女性の、しかも匂いについて語るなど獣人族の男としては非常に居たたまれない。

 だが、カシュパルもブルーノも下ネタとして聞いているわけではなく、スミレという異世界人の生態に関して情報を共有しようとしているのだ。

 クランツも答えないわけにはいかないだろう。



「……ええ。スミレはいつも不思議なほど匂いがしません。いっそ不自然と言ってもいい程に無臭なのです」


「お前、それじゃ護衛も大変だろ。匂いで居場所を確認できねぇとはなぁ……」



 実は以前、スミレが離宮に来てまだ間もない頃、夜に魔王がふらりとスミレの部屋を訪ねてきたことがあったのだが、取り次ぎのためにドアをノックしても返答がなく、ドアを開けて部屋に入ってみればスミレの姿がない。

 隣の寝室にもおらず、慌てて庭へ出ても匂いを追うことができず、離宮に詰めている警備の兵士らにメッセージを飛ばした結果、スミレは庭の池のほとりでのんびり星を眺めていると知り、安堵のあまり魔王の前で脱力しかけたという苦い経験がクランツにはある。


 部屋を出る際はたとえ深夜であろうとひと言声を掛けてくれとスミレに伝えたので、それ以来同じ失態は犯していないが、嗅覚が役に立たず視覚に頼るしかないというのは獣人族の軍人にとって任務の難易度が跳ね上がるのは事実だ。



「でも、ある意味安心材料ではあるよね。城下町で住み始めても、匂いに釣られて寄って来る男はいないってことなんだし」


「それはまぁ、そうだな」


「だけど、これどうする? どうしてスミレが無臭なのかは気になるけど、レイに話せば間違いなく研究したがる上に確実に協力を要請されるよ? 正直言って僕はまっぴら御免なんだけど」


「そんなの、俺だって絶対断る」


「私もお断りです」



 三人は互いに顔を見合わせると、揃ってため息を零した。

 そして、この件については機会があれば調べる程度に留めることで合意する。



「多分、単に『ネトゲの仕様』なんだろうと思うけどね……」


「同感です。そう考えるのが一番自然じゃないですか」


「だよなぁ。だが、一応ルードヴィグには報告しておく必要があるだろう。カシュパル、お前から伝えておいてくれ」


「……側近だから仕方ないか。了解、引き受けるよ」



 この件をヴィオラ会議に諮るかどうかは魔王の判断に任せることにしよう。



 その後、明後日から二日間行われる実験施設での訓練に関して打ち合わせると、ブルーノとカシュパルは帰っていった。

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