第33話 初めての不合格と実技の打ち合わせ

 昨日スティーグが帰る間際に、調理がひと段落したなら今度はお茶の淹れ方を覚えてはどうかと勧められた。

 この世界の飲み物はお茶がメインで、今はファンヌが淹れてくれているが一人暮らしが始まれば自分で淹れるしかない。

 自分が飲むだけでなくお客さんに振る舞うことも考えれば、確かにちゃんと淹れられるようになっておいた方が良さそうだ。


 ファンヌが朝食後のお茶を淹れる様子を眺めながら、お茶の淹れ方を教えて欲しいとお願いしたらファンヌはすぐに快諾してくれた。

 お茶を淹れることは侍女の仕事の一部だから職業意識の高いファンヌの指導は厳しそうな気がするが、その分しっかりしたものを身につけられるに違いない。

 あの素敵な池を眺めながらおいしいお茶を飲めたら最高だろうなぁ。



 そんなことを考えていたところへ、ブルーノから《今いいか?》と声のメッセージが届いた。

 ファンヌが心得顔で食器類を下げて退室していった後、「いいですよ」と伝言を返すとすぐにまた風の精霊が戻って来る。



《魔族軍でいくつか限定商品を試したい。今日の購入枠は空いているか? 取りに行くならいつがいい?》


「購入枠は空いてます。レイグラーフさんの講義の後でもいいですか?」


《じゃ、講義が終わる頃に行く。ついでに非常用護身術の実技の話もするから、俺が行くまでレイグラーフに待ってもらってくれ》


「わかりました。お待ちしています」



 非常用護身術の実技は確か研究院の実験施設を使わせてもらうと以前言っていたから、それでレイグラーフとも話があるのだろうか。

 講義の前にブルーノの件をレイグラーフに伝えてから、昨日習った重量軽減の魔術のおさらいをする。


 実際の買い物を想定して重い物をいろいろとバッグに入れては魔術で軽量化し、応用力を高めていこうというのが今日の講義の目的なのだがうまく行かない。

 元々重量が軽くなるイメージを明確に描くのは難しい上に、中身が変わる度にイメージの構築がやり直しになる……。


 この魔術を風のエレメンタルを使うという一般的でない手法で対応しているわたしは、人前でも使えるよう精霊を呼び出さずに呪文の詠唱だけで使えるようにならなければならない。

 これだけ手こずるなら独自の手法にこだわらず、内容物に合わせてエレメンタルを選択する一般的な魔術の対応に変更した方がいいんだろうか。

 ……魔術の訓練で初めて足踏み状態になり、次第に焦りが募ってくる。



 結局、レイグラーフから合格をもらえないまま今日の講義が終わってしまった。

 順調に進んできた魔術の訓練で初めての不合格だ。どうしよう。

 ショックを隠せないわたしにレイグラーフが苦笑している。



「まだまだ使いこなせていないというだけで、一応形にはなっているではないですか。普通はここまで来るのに相当時間を費やすのですよ?」


「そうかもしれませんが、やっぱり凹みますよ……。どうしたらうまくイメージできるようになるんでしょうか……」


「こればかりは自分で模索するしかないのですが、一度頭の中を空っぽにしてみるといいかもしれませんね。凝り固まった頭のままでは柔軟な発想は生まれにくいですから」


「そうですね……。ハァ~~~、ちょっと他のことでも考えます……」



 レイグラーフの言う通りだ、頭を切り替えよう。

 そう考えながら、わたしは手のひらの上で円を描くように人差し指を動かし魔力の球を作ると、呼び出していた風の精霊にあげた。

 今日は長いこと拘束したのに結果を出せなくてごめんね。

 心の中でそう思いながら渡すと、精霊は魔力の球をパクっと頬張ったあとガッツポーズをしてからパッと消えた。

 もしかして励ましてくれたんだろうか。


 わたしが精霊に癒されていると、クランツに伴われてブルーノがやって来た。どういうわけか魔王の側近のカシュパルも同行している。



「どうした、スミレ。珍しく元気がねぇな」


「はぁ。それが実は……」



 そこへファンヌがお茶を持ってきてくれたので、慌てて三人に席を勧める。

 そしてお茶を配り終えたファンヌが退室してから、重量軽減の魔術をうまく扱えなくて魔術の講義で初めて不合格になってしまったことをわたしが打ち明けると、ブルーノは意外そうな顔をした。



「へぇ~。お前には魔術の才能があると思っていたが、妙なところで躓くんだな」


「ブルーノさんやレイグラーフさんがそう言ってくれたので、いつの間にかわたしもその気になっていたみたいで……。おこがましいかもしれませんが、結構凹んでるんです」



 昨日スティーグに、失敗も学習の内だから離宮にいる間にせっせと失敗しておくことだと言われたけれど、やっぱりできることなら失敗はしたくないよ。

 わたしががっくりとうな垂れると、レイグラーフが焦ったようにフォローをし始めた。



「ですから、普通はもっと時間がかかるものだと言ったでしょう? 重量軽減の魔術を苦手とする魔族は少なくないんです」


「そうなの? 僕はその辺りの魔術に手間取った覚えはないけど」


「ううぅ……」


「あぁっ! カシュパルは余計なことを言わないでくださいよ!」


「俺もねぇな」


「私もありません」


「ちょっ。酷いですね、皆して」



 わたしが唇を尖らせて不貞腐れると、ブルーノとカシュパルが笑い出した。

 クランツとレイグラーフは困ったような顔をしている。



「だが、これは……ひょっとすると、俺らが苦労してないのは変化へんげする部族だからかもしれんぞ」


「なるほど、それはあるかもね」


「え、どういうことですか?」


「竜化する竜人族や獣化する獣人族は、自分の体の大きさや重さが明確に変わるだろ? その実感があるからだと思うが、物の大きさや重さが変わることに抵抗感がねぇんだよ」


「僕の場合は竜化すると空を飛べる。体を宙に浮かせるという感覚が身についているからか、物を軽くしたり浮かせて動かしたりすることは割と簡単にできてしまうんだよね」



 目から鱗というか、わたしは口をぽかーんと開けてしまった。

 そうか、身体的な違いが大きいと感覚的にも全然違ってしまうんだなぁ……。

 わたしはヒト型化している彼らしか見ていないからか、彼らが獣人族や竜人族だと知ってはいても自分とそこまで違うという認識がなかったかもしれない。

 ……となると、樹性精霊族のレイグラーフはどうなんだろう。



「もしかして、レイグラーフさんも樹に変化へんげできるんですか? 確か樫の木でしたよね?」


「ええ、滅多にしませんが一応できますよ。精霊族では多くの種族が簡単に変化へんげできるのですが、樹性の者は特殊でして……。私たちは根を下ろすのに多くの地面と深さを必要としますから、周囲への影響が大きすぎるのです」


「なるほど……」



 何というか、レイグラーフの回答はわたしの想像の範囲を超えていて呆然としてしまった。

 でも、よく考えてみれば確かに元の世界でも大きな樹木の移植にはショベルカーが必要だったのだから、それも当然か。

 すごいな、樹性精霊族。



「ちょうどいい。非常用護身術の実技の時にカシュパルが竜化した姿を見せてやるから、一度元の世界の固定観念を吹っ飛ばしてしまえ」


「えぇっ、見せてもらってもいいんですか!?」



 そういうのってミーハーな気持ちで「見たい、見せて」なんて思っちゃダメだと考えていたんだけれど、そうでもないんだろうか。

 いや、でも「変化へんげを見せて」は獣人族や竜人族にはお誘い認定されそうな気がするから、多分自分からは言わない方がいいだろう。



「ああ。元々そのつもりだったんだ。非常用の実技ではでかいヤツや空を飛ぶヤツに襲われた時の対処もやるから、カシュパルにも手伝いを頼んでおいた」


「わぁ~ッ。カシュパルさん、ありがとうございます。よろしくお願いします!」


「ふふっ。スミレの魔法や魔術を見るだけじゃなく体感できるわけでしょ? 貴重な機会だからね、断れないよ」



 そんなおしゃべりを交わしながらポットのお茶を注いでお代わりを飲んだが、重力軽減の魔術の訓練で集中力を使い果たして疲れていたこともあり、しみじみとおいしく感じた。

 一緒に出された素朴なクッキーのような焼き菓子もおいしくて、少し元気が出てきたかもしれない。

 うん、やっぱりお茶の淹れ方を習っておこう。

 こうして来客があった時や、疲れたり凹んだりした時に自分を癒すには必要なスキルだよ。




 おしゃべりがひと段落すると、ブルーノが非常用護身術の実技の訓練について話し始めた。


「研究院の実験施設を借りられる日が決まった。明後日、明々後日のどちらかでという話だったが、スミレが攻撃系、補助系、回復系魔術の実技を望んでいるので護身術の訓練と併せて行いたいとレイグラーフから申し出があった」



 そう言ってブルーノがわたしを見たので、その通りだと強く頷いてみせる。

 説明文で読んだだけで魔術をわかった気になってはいけない、使用可能な魔術であってもどれくらいの規模になるのか実態を知らずに使うべきではないと、わたしはアナイアレーションの件で学習した。

 とりあえずは一度試せればそれでいいのだけれど、威力の高い攻撃魔術を離宮の庭で試すのは気が進まないから適切な環境下での実技をお願いしたいのだ。



「非常用護身術では敵対者に向かって魔法を放つ。攻撃経験がないスミレにはハードルが高いだろう。それに慣れるためにも、高威力の攻撃魔術をぶっ放す練習は都合がいい。それに非常用の実技で敵対者役に与えたダメージを癒せば回復魔術の練習もできる。そんなわけで、非常用護身術と魔術の実技を合同で二日に渡って行うことになった」



 なるほど、それは確かに効率が良さそうだ。

 ただ、魔法や攻撃魔術で与えたダメージを回復魔術で癒すと聞いて、練習相手に怪我を負わせる前提で練習するんだと気付いて少し気が重くなった。

 誰かに攻撃するのは怖い。でも非常時の護身には必要なことだ。

 生まれてこのかた殴り合いの喧嘩なんてしたことはなかったけれど、イスフェルトでは暴力を振るってきた相手に対してわたしも躊躇なく殴り返した。

 それにクランツが護衛している時にわたしが躊躇したら足を引っ張りかねない。


 護身術が実際にどれくらい役に立つかなんてわからないけれど、恐怖で足が竦んで動けないなんてことにならないように、心構えだけでもしておくんだ。


 改めて覚悟を決めたわたしを見て、ブルーノがニヤリと笑う。



「スミレ、お前にも攻撃魔術をぶっ放すから頑張ってガードしろよ?」


「うぇっ!?」



 明後日までに心構えを準備しておきます……。

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