第32話 重量軽減の魔術とスティーグの来訪
今日は二日ぶりにレイグラーフの講義がある。
講義のはじめに二日間何をして過ごしたのかレイグラーフに聞かれたので、みっちりと調理実習をしてもらったことと、その流れで魔族の職業体験についても知りとても驚いたことを話した。
「レイグラーフさんも調理できるんですよね? 得意料理とかあるんですか?」
「できることはできますが……。あ~~、スミレをがっかりさせてしまうかもしれませんが、精霊族の私たちはあまり肉や魚を食べないので、簡素な食事で済ませてしまうのですよ。なので、得意料理と言えるほどのものはなくてですね……」
精霊族の場合、サラダなどの非加熱で素材状態に近いものを好む傾向にあるそうで、元々調理には関心が薄いらしい。
他の部族が食料としないものを食べることもあると聞き、俄然興味が沸いたのでどんな物か尋ねてみたら、ミネラルを摂取するために土を固めたものをクッキーのようにサクサク食べたりするのだそうだ。
ちなみに、樹性精霊族のレイグラーフの好物はミネラルウォーターと野菜ジュースで、料理だとスープやシチューが好きと聞いて、何となく納得する。
精霊族は他の部族と比べて種族が多く、その生態も様々らしい。
ヒト型化が苦手な種族が多いため、城や城下町で見掛けるのは樹性や草性、土性や岩性の精霊族くらいだという。
確かに水や風の精霊族にヒト型化は難しそうだな……。
わたしが興味津々だったからか、魔術の講義がひと通り終わったらまた座学を再開する、詳しいことはその時に教えようとレイグラーフが言ってくれた。
魔族のことをもっといろいろと知りたいので今から楽しみだ。
調理に関する話から、今日の講義では食材の買い出し時に使う重量軽減の魔術を教わることになった。
徒歩での買い物でブイヨンや肉などの重い物を運ぶのは大変そうだから非常にありがたい。
空間を歪める魔術具のバッグを使っているフリをしてどこでもストレージに入れてもいいのだけれど、空間を歪める魔術具は魔力を多く消費するため持ち歩いて普段使いしている魔族は少ないらしい。
目立つのを避けるのであれば、普通のバッグに入れ重量軽減の魔術をかけて手にぶら下げて運ぶ方がいいとのことで、人前でどこでもストレージから物を出し入れするのはやめておいた方が良さそうだ。
さっそく重量軽減の魔術を使ってみるが、これが非常に難しかった。
重い物が軽くなるという、重力の法則に逆らったイメージを具現化するのに酷く手こずる。
魔術の訓練を受け始めて以来、ここまで手こずったのは初めてだ。
ここは精霊の力を借りよう。
でも、質量や重力……どのエレメンタルを呼び出せばいいんだろう?
考えた末、わたしは風の精霊を呼び出し、圧縮空気の力で押し上げるイメージで軽量化を図ってみたところ、何とかうまくいったのでホッと息をついた。
一般的な魔術の対応としては、内容物が液体や水分を多く含むものなら水、岩や金属なら土といった具合に内容物に応じたエレメンタルで働きかけるそうで、わたしの選択はレイグラーフの意表を突くものだったらしい。
「風を使う……なるほど、その発想はありませんでした」
「何となくですが、風のエレメンタルは空間をコントロールするイメージがありまして……。でも、このやり方が異質なら人前で使わない方がいいでしょうか」
「いいえ、精霊さえ呼び出さなければ他の人にはわからないから問題ありません。呪文の詠唱だけで使えるように練習しましょう」
そんなわけで、わたしは精霊を呼び出さずに軽量化できるようになるまで繰り返し練習した。
散々苦労したが一度できたら多少イメージしやすくなったのか、その後、時間はかかりつつも一応何とかなったのでホッとする。
今まで魔術の訓練で苦労したことがなかったから、少し舐めてかかっていたかもしれないなと反省した。
反省しつつも、今日の講義では重量軽減の魔術一つしか習得できなかった上に、内容的にも赤点ギリギリっぽかったのがやっぱり悔しい。
早く魔術を修めて座学もやりたいのになぁ……。
講義が終わり、空き時間で商品情報のデータ化作業でもしようかと考えていたところへ、ふらりとスティーグが訪ねてきた。
不思議なことに、スティーグは前もって連絡をして来ないのにいつもわたしの手が空いている時にやって来るんだよなぁ。
わたしの様子を見つつ、さり気なく要望を聞き取っては各方面の調整をしてくれるところといい、単なる勘なのかそれとも観察力が鋭いのか、とにかくすごい能力だと毎回感心している。
そのおかげでわたしはこの離宮で快適に過ごせているのだから感謝することしきりだ。
離宮へ来たばかりの頃は頻繁に覗きに来ていたが、わたしの様子が落ち着くにしたがってスティーグの来訪頻度は減っていき、レイグラーフの講義が始まってからは週に一度くらいのペースになった。
こうしてふらりと訪ねてきては自分でお茶を淹れ、一緒に飲みながら他愛のないおしゃべりをしていく様があまりに自然なので、魔王の側近なんだから多忙だろうにという申し訳なさをいつしか忘れてしまう。
本当に不思議で、すごい人だ。服選びもメイクもうまい天才だし。
「そう言えば、魔族の職業体験について話を聞いたんですけど、縫製とかもやるんですよね? スティーグさんはあれだけセンスいいのに、服飾関係の仕事に就こうとは考えなかったんですか?」
「もちろん縫製もやりましたよ。ですが、手先が器用なわけではありませんでしたから、さして向いているとは思いませんでした」
「そうなんですか。……あ、もしかして魔王の側近も職業体験があるんですか?」
「んー、さすがにそれはないですねぇ。未成年魔族は原則として王都へは入れないので、部族の里の中での仕事しか体験できないんですよ」
「へぇ~っ! じゃぁ城下町には大人しかいないんですね。知りませんでした」
「だから、元のメイクのスミレさんが城下町をうろついたら、何故子供がいるんだと騒ぎになる可能性があったんですよ」
「え……。えぇッ!?」
ナチュラルメイクのわたしは何も知らない魔族から見るとかなりの確率で成人前の子供に見えるらしく、物件の下見の帰りに価格調査のために立ち寄ってもらった店のいくつかでカシュパルは実際にそう尋ねられていたらしい。
彼女は成人だ、魔王の側近である自分が保証する、とカシュパルが如才なく対応してくれたから騒ぎにならなかったのだと知り、わたしはかなり凹んだ。
子供と見間違えられることに対して実際はアラサーなのに恥ずかしいと思うだけで、まさかそんなトラブルの元になる可能性があるとは考えてもみなかった。
そんな厄介なわたしを連れて予定外の店巡りに付き合ってくれたのか、カシュパルとクランツは……。
今更ながらに申し訳なさで胸がいっぱいになる。
「知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまいました……」
「騒ぎにしない自信があったからスミレさんの頼みを引き受けたんです。あなたがそんな顔をする必要はありませんよ。それに、あなたの知識が片寄っているのはレイの講義の方針によるものですから、あなたに責任はありません」
レイグラーフの講義が実用に特化されたのは一人暮らしと雑貨屋開業の許可をもらってからだし、しかも今は魔術の訓練を最優先にしている。
概論のような内容から講義が始まったのはわたしが「この世界のことをもっと知りたい」という漠然とした要望をしたからで、レイグラーフのせいじゃないよ。
わたしがそう言うと、スティーグはくつくつと笑い出した。
「一方的に知識を与えるのではなくあなたの気付きを促す方針のようですから、彼のやり方は間違っていないと私は思っていますよ。ですが、スミレさんの責任でもないのですから、自分を責めるのは感心しませんねぇ。レイグラーフも、カシュパルもクランツも喜びませんよ?」
「それは、わかっているんですけど……」
「失敗も学習の内ですから、離宮にいる間にせっせと失敗しておくことです。我々はあなたが成長するお手伝いを楽しんでいますから、迷惑を掛けているだなんて考えるのはお止しなさいな」
そう言ってその話を切り上げてしまうと、スティーグは魔族の職業体験について話を続けた。
職業体験を含めた魔族の教育は基本的に部族の里で行うが、城と魔族軍と研究院で働きたい者は成人後に王都にある学校での教育も修めなければならないそうだ。
王都への立ち入りが成人のみとされているのはヒト型化を始めとした王都独自のルールがあるからで、里での教育中に適性を認められなければ王都の学校への入学は許可されないらしい。
「じゃぁ、わたしがお世話になっている皆さんは優秀なんですね」
「役人、軍人、学者としては、という意味ならそうなるんでしょうが、それ以外の職に就いた者たちもそれぞれの職において優秀ですよ。おかげで我が魔族国は皆が豊かな暮らしを送れています。ありがたいことですねぇ」
すべての魔族が里のほとんどの仕事を知っているから互いの仕事に理解があり、そのため労う気持ちも感謝の気持ちも自然と浮かぶ。
どの仕事は楽だ、どの仕事が優れているという風に考えないのは、どの仕事が欠けても里の運営は回らなくなるということを身に染みて感じるからだとスティーグは言った。
遥か昔から続いている職業体験という習わしは単に将来の仕事を決めるだけでなく、部族や種族内の、ひいては魔族社会の中で不和を生まないために必要な仕組みでもあるのだな……。
「魔人族は、部族長が魔王になるという特殊な立ち位置にある部族です。私が城勤めを仕事に選んだのは、長を支えることだけでなく、人と人、人と仕事の間を円滑かつ効率的に回すことに喜びを感じるからでしょう。服装のコーディネートをするより、人や仕事のコーディネートをする方が楽しいのですよ、私は」
そうして城勤めをしている内に現魔王のルードヴィグが即位し、乞われて側近となったのだそうだ。
そう聞いて、わたしはなるほどなぁと深く納得した。
いつでも自然体なスティーグの察する力の高さはこういう背景が影響しているのだろう。
そして、彼とおしゃべりしている内に、さっきまであんなに凹んでいたのにいつの間にか忘れていたことにふと気付いた。
スティーグは、本当に不思議ですごい。
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