第29話 【閑話】将軍と近衛兵の会話

 廊下に出て背後のドアを閉めたところで、ブルーノとクランツは顔を見合わせると揃って深いため息を吐いた。

 クランツが親指で向かい側のドアを示す。



「気付け程度でよければ振る舞います。寄っていきますか?」


「あ~、悪いが頼むわ」



 スミレの部屋の真向かいにある離宮勤務用のクランツの部屋へ入ると、ブルーノは簡素な椅子を手繰り寄せてどさりと腰を下ろす。

 クランツがグラスに酒を注いで手渡せば、受け取ったブルーノはそれをひと息にあおった。

 喉が焼けるような感覚と胃に火が付いたかのような熱さを味わうと、ふぅと息を漏らしながら空のグラスを差し出す。

 そこへクランツは再び酒を注ぎ、自分のグラスにも注いで酒瓶をしまうと、窓際のベッドに腰を下ろしてグラスに口を付けた。



「ようやく人心地ついた。助かった」


「いえ、私も将軍がいて助かりましたので」


「おう。自分一人の時だったらと考えたらゾッとするぜ」



 二人ともグラスへ視線を落とし、少しだけ無言の時間が続いたが、ため息と共にクランツが口を開いた。



「まさか反撃のために噛みつこうとするとは、考えもしませんでした……」


「まったくな。アナイアレーションのことといい、あいつ俺らをどれだけ驚かせるんだよ。お前、よくスミレの面倒見てるなぁ。尊敬するぜ、マジで」


「私もここまでのことは初めてです。ただ、彼女は無自覚に庇護欲を刺激するような言動をするので、頭を抱えたくなることは間々あります」


「だろうなぁ。俺なんか子供感覚でつい手が出ちまうが、あれで大人の女だっていうんだから質が悪い」


「将軍は少し触れすぎです。スミレの油断を助長しかねませんから、もう少し自重してください」


「だよな、気を付けるわ。……そういう意味ではさっきのはある意味よかったのかもしれん。あいつ、相当ビビってただろ?」


「確かに。実はカシュパルが心配していたんです。自分たちに懐いてくれたのは嬉しいが、魔族男性への警戒心が薄くなってないかと」


「あ~~、そうだよなぁ……。だがよぉ、座学のはじめの方で泣いた時みたいに戸惑ったり不安そうにしてるのを見たらどうしたって何かしてやりたくなるじゃねぇか。魔族の本能みてぇなもんだろ? というか、カシュパルまでそんな心配してんのかよ」



 肘の上に頬杖をつくと、ブルーノはグラスの酒をチビチビと飲みながら言った。



「そういやぁ、女どもの敵意を逸らすために噂流したり、敬語になってるのを指摘したりと甲斐甲斐しく世話を焼いてたなぁ……。あの腹黒男にしちゃゲロ甘モードじゃねぇか。どれだけ魔族たらしなんだよ、スミレは。おっそろしい女だぜ」


「レイは溺愛ぶりを隠しもしませんし、魔王は冷静に見えますが最大限の許容を見せていますし……」


「落ち着いているのはスティーグとお前くらいか。偉いなぁ」


「私は職務上冷静でいる必要がありますから。しかし、スティーグはメイクを施した挙句、散々服を選んだというのに平然としていたそうです。並大抵の精神力じゃないとファンヌが感心していました。自分にはとてもできないと」


「ファンヌも陥落済みなのかよ! あの鉄面皮が!? 嘘だろ!?」


「自分の矜持と戦い続けているそうです。スミレが一緒に食事をしたい、パジャマパーティーをしたいというのを、スミレが離宮にいる内は侍女としての職務を遂行したいからと断っているそうで、スミレが城下町へ移ったら遊びに行って思う存分仲良しするんだと息巻いていました」


「怖ぇ……。おい、さっきのことは誰にも喋るなと再度口止めしといてくれよ」


「蒸し返したくはありませんが、仕方ありません。念を押しておきます」


「頼むぜ。俺は氷のファンヌを怒らせたくねぇ」



 おぉ怖い怖いと言いながらブルーノは腕をさすっている。

 とんでもない質問への赤裸々な回答をファンヌに知られたくないのはクランツも同じなので、口止めに念を入れることには賛成だ。



「まぁ、無自覚に庇護欲をそそっちまうのは仕方ねぇよ。実際戸惑うことばっかで不安だろうからな。それよりも、あいつ、普段はクソ真面目でお堅いくせに、何であんな明け透けな物言いをするんだ。数日前まで成人前の子供みてぇな顔してたヤツを相手に下ネタなんか言えるかっつーの」


「先程の質問には、本当に参りました……」


「まったくだ。……だが、あれは答えてやらないわけにはいかんだろ?」


「わからないままにしておくのは危険でしょう。非常に居たたまれない思いをしましたが、やむを得なかったと思います」


 

 そこへ風の精霊がクランツにメッセージを運んで来た。

 少しひそめた声のスミレの伝言に、クランツが言葉を返す。



《クランツさん。今、声を送っても大丈夫ですか? あの、質問があるんです》


「かまいません。何ですか?」


《先程の件なんですが、手で口を塞がれた時も噛んだらダメなんですか?》


「絶対に駄目です! ……抱きつかれて口を塞がれている時に相手を刺激するようなことをしたらどうなるか想像してごらんなさい。そういう時はすかさず『感電』させて『縛』すればいいんです」


《なるほど! わかりました。ありがとうございました!》


「どういたしまして」



 風の精霊が姿を消すと同時に、クランツはグラスをぐいとあおった。

 ブルーノは気の毒そうな目でクランツを見ている。



「頭が痛ぇな……」


「本当に……」


「だが、気付いた時にその都度教えるしか……だーッ、こっ恥ずかしい!! 俺はできねぇ! お前らに任せる!」


「駄目ですよ将軍! ただでさえこの方面に関してはレイがまったく当てにならないんですから、一人でも多くの教え手が必要です! ……実際、男でないとわからないことも多いですから、ファンヌ任せにするのは危険でしょう」


「こっち方面に関しては特に獣人族と竜人族はNGが多いから、魔人族のファンヌには確かに難しいかもしれんなぁ……。だが、俺だって何がNGかなんてすぐには思いつかねぇよ」


「それは私も同じですが、護身の一環と考えれば我々の職務範囲です」


「チッ。……わかった、善処する。ついでだ、カシュパルとスティーグも巻き込もうぜ。スティーグは魔人族でNGは多くないが、スミレの世話係で接する機会も多い。メイクしても平然としてられるんなら、むしろヤツこそ適任だろ」


「確かに。それにカシュパルが懸念していたことと関連しますし、今日のことを話せば教える必要性を彼も感じるでしょう。機会があれば竜人族の男視点からのNGを教えてやって欲しいと伝えておきます」



 この厄介な事柄への対処を無骨な軍人二人で抱え込むのはやめ、魔王の側近二人を巻き込む方向で合意する。

 少し安心したのか、それとも単に腹を括ったのか、ブルーノは残っていた酒を飲み干すと話題を切り替えた。



「ところで護身術のことだが。使える魔法の一覧と、基本用と非常用の内容を踏まえた上で聞きたい。お前は護衛中の護身術についてはどう考えている?」



 ついさっきまで嫌だと駄々をこねていたとは思えない程、ブルーノは真面目な顔でクランツに尋ねた。

 その問いに対し、クランツは一瞬ためらったが思い直して正直に答える。



「本音を言うと、私を置いて『転移』で安全なところへ逃げて欲しいです」


「軍人の意見としてはそうなるよな。だが、スミレは拒むだろうよ」


「……でしょうね」


「とっさに動けなくなるような指示ならしない方がいい。ひっ迫した状況では致命傷になりかねん」


「ですが、私が負傷して動けなくなるようなことでもあればスミレの身が危険に晒されます」


「それじゃますますあいつはお前のそばから離れねぇよ。スミレは聖女なんだ、癒しのエキスパートだぞ? 治癒の魔術も使えるようだが、それよりも性能の高い聖女専用の癒しの魔法を使うだろうな」



 ブルーノの言葉にクランツは顔をしかめた。

 スミレは召喚で一方的に押し付けられた聖女という存在を疎んでいて、未だに受け入れられていないという。

 その聖女の力を自分のために使わせるようなことはしたくないのだ。

 だが――。



「たとえ忌まわしい聖女の魔法だろうが、お前が怪我したなら間違いなくスミレはやる。それくらいわかるだろ?」



 そう。ブルーノに言われるまでもなく、スミレがそうするだろうことはクランツにもわかっている。

 お人よしの彼女は自分だけ助かることを良しとしないだろう。

 それに、責任感が強く努力家な彼女が自分にできることがあるのにそれをせずに逃げるという選択をするとは思えない。

 それでも彼女の身の安全を優先して欲しいとクランツは考えてしまうのだが、ブルーノはそれをやんわりと否定した。



「護衛はお前の任務だが、守りたいのはこちらの都合であって、スミレ自身が守られたいと思ってるわけじゃねぇ。お前があいつを守ろうとするのと同じくらい、あいつだってお前を守ろうとするだろうよ」


「護衛が護衛対象に守られては面目が立ちません」


「まったくだ。だが、お前の矜持やスミレの気持ちより俺が優先するのは結果だ」



 空になったグラスを弄びながら、ブルーノは言葉を続ける。



「俺は常に最悪の事態を想定するから、スミレ専用の護身術もそういう観点で作った。スミレは性分としては真面目で大人しい。だが、俺たちの予想もつかない思考や言動をすることがある。そして、強大な力と技を持っている」


「禁忌の魔術に、ネトゲ仕様……」


「俺が今怖ぇなと思っていることの一つに、もしもスミレが大切に思っているヤツらに何かあった時、あいつはどうするかってのがある。もしもお前を置いて逃げた結果お前に何かあったらあいつは間違いなく自分を責めるし、お前を害した相手を許さないだろう。――なぁ、あいつその時何をすると思う? 俺はそこがまだ読み切れねぇんだ」



 怖くねぇか? とブルーノは薄笑いを浮かべる。

 そして、そのままポツリと呟いた。



「反応が読めないという意味では、イスフェルトが絡んだ時が一番怖ぇな」



 クランツの喉がごくりとなった。

 ヴィオラ会議発足の時に魔王は言った。

 スミレを守り、スミレから守ると。

 スミレの身を守ることだけが護衛ではない。

 彼女が暴発することがないよう導くのも巡り巡って彼女を守ることになるのだ。



「……わかりました。護衛中の護身術の件はよく考えてみます」


「二人で話し合ってみるのもいいと思うぜ。ある程度まとまったら教えてくれや」



 そう言いながらブルーノは空のグラスを魔術で洗浄する。

 それをテーブルの上に置くと、邪魔したなと言ってブルーノは帰っていった。

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