第28話 実技で学ぶスミレ専用護身術

 ひと通り座学での解説が終わり、昼食と休憩を挟んで午後からは実技となった。

 実技を開始するにあたり、ブルーノはまずわたしに大声を上げる練習から始めさせた。

 腕を掴まれたり抱きつかれたりしたらすかさず声を上げろというのだが、沈黙の魔術で音が漏れないよう結界を張ってあるとはいえ、大声や悲鳴なんて上げたことがなかったので加減がわからない。



「キャー!」


「もっと腹から声を出せ」


「離してーっ!」


「もっと大きく」


「誰かーッ!! 助けてーッ!!」



 ようやくOKが出たが、若干喉が痛い。

 日本では往来や公共の場で大声を出すのは迷惑行為だったからなぁ……。

 大声を出すのは慣れてないしまだ抵抗感もあるが、相手を怯ませるためには必要なことだ。

 一瞬の迷いが相手に付け入る隙を与える、躊躇することなく叫べとブルーノに言われ、慣れるまで毎日結界を張って自主練しようと思う。



 次に、ブルーノは自分とクランツの体をわたしに触らせ、押したり引いたり、叩いたり蹴ったりさせて男性獣人族の頑丈さを実感させた。

 二人とも軍人なので特に頑丈だからか、わたしが何をしようとびくともしない。


 最悪の場合このレベルの魔族男性が抱きついてくることを想定しておけと言われてビビったが、これから訓練するにあたり腕をつかんだり抱きついたりするが怖くないかとブルーノに聞かれても、そのことには恐怖も嫌悪も感じなかった。

 おそらくイスフェルトでの件があるから心配してくれたのだろうが、ブルーノやクランツには信頼感や安心感しかない。

 第一、訓練なんだし、相手は指導者なんだからそんなことは気にもしなかった。

 スポーツジムでもトレーナーとの身体的接触を意識したことなんてなかったし。


 ……でも。そう言われてみると、魔王にお膝抱っこして慰められたのはまだ離宮に来たばかりの頃だったのに、よく平気だったな、わたし。

 当時はまだ混乱していたとはいえ、警戒心がなさすぎるというか……。


 でも初対面の時、魔王はひと言目にお前を保護する、もう何も心配しなくていいと言ってくれた。

 まだ何も詳しい事を話していないのにそう言ってわたしを受け入れてくれた魔王を、わたしはその時点から盲目的に信頼してしまっているんだろう。

 そして今はもうわたしの機密を知る関係者全員と侍女のファンヌも同じくらいの信頼の対象となっていて、だからブルーノやクランツに触れられることに抵抗感なんてあるわけもない。


 二人との訓練はまったく平気だと答えたら、今はそうでも途中で怖くなったり少しでも嫌だと感じたらすぐに言えとブルーノは言った。

 普段はぞんざいに振舞うくせに、時折こうして細やかな気遣いを見せるブルーノはまるで父や兄みたいだなと思ったら、不意に実家が懐かしくなった。

 わたしは両手で頬を軽く叩くと、訓練に集中するべく気持ちを切り替える。



 次はいよいよ基本用護身術の実技だ。

 まずは範囲魔法の『朦朧』で周囲の者たちの判断力を低下させる。

 基本用護身術では魔法の使用がバレないことが大前提なので、不審に思われない程度に軽度かつ広範囲に作用するよう魔法を調整する。

 訓練中は危ないので『朦朧』なしで行うこととし、まずは腕を掴まれた時の目くらまし用の動きを習った。

 腕を引くのではなく、相手の腕を外側へ捻るようにターンして腕を外したと見せかけて、『移動』で一歩離れた地点へ瞬時に移動するというものだ。



「腕ってのは捻りに弱いんだが、それでも相手の力が強けりゃ外せないかもしれんので初めから魔法で移動して相手の腕から逃れる。腕が一瞬視界を遮るから、ごく短距離なら転移を誤魔化せるだろう。俺が試しにやってみるから、クランツはどう見えたか教えてくれ」


「わかりました」


「えっと、こっち側に回ればいいんですか?」


「ああ、そうだ。それで――そう、もう一度。……よし。クランツ、どうだ?」


「意識して瞬きなしでジッと見られたら厳しいかもしれませんが、不意にやられたら術で移動したようには見えないでしょう。術で逃げるならもっと遠くへ逃げるはずだと考えてしまいますし」


「獣人族の動体視力でもそう見えるならまず大丈夫だろう。『朦朧』で判断力が落ちてるなら尚更だな。これを前後左右、どこからどっちの腕を掴まれても対処できるように練習しとけ」



 ブルーノと交代してクランツにも腕を掴んでもらい二、三度繰り返す。

 頭で考えなくても体がとっさに動くくらいになるまで反復練習が必要だろう。

 その次は後ろから抱きつかれた時の体の動きだ。

 両腕を前へ伸ばして相手の腕をずり上げると同時に腰を落とし、体の向きを変えながら立ち上がる瞬間に相手の死角に当たる位置へ『移動』する。



「少し遠いな、もっと近くに移動しろ。立ち上がる時に一歩踏み込め」


「相手の斜め後ろギリギリくらいですか?」


「ああ。お前が下にすり抜けたと思って辺りを見回したらすぐそばにいた、という具合にするんだ。そう、その位置でいい。もっと素早く。俺の位置からは許容範囲内だが、クランツから見てどうだ?」


「動きがぎこちないのでまだ不自然ですが、スムーズに動けるようになれば、『朦朧』で判断力が低下している状態ならスルリと抜け出たように見えてしまうと思います」



 更に前や横から抱きつかれた場合の動きも確認し、これもひたすら反復練習することとする。

 そして基本用護身術の最後の実技として、『ばく』という相手を蔓状のもので拘束する魔法を使った護身術を習った。

 基本用護身術は魔法を使っているとバレない、もしくは誤魔化せる範囲内で行うのが大前提だが、これは魔術具を使ったように見せ掛けるのだという。



「精霊族でこういう蔓状の植物を使役するヤツがいるから、それを魔術具化したものだということにして堂々と魔法を使えばいい。前から抱きつかれた時や引ったくりに遭った時、それから雑貨屋でのトラブルにも有効だろうから、しっかり身につけておけよ」


「堂々と魔法を使えるのはいいですね! 用途も幅広そうですし」


「魔王がお前に魔術具を持たせると言ってたから、それを使ったことにしておけばいいだろう。あいつは魔術具の権威だから、見たこともない魔術具を作ってたって不思議はねぇ」


「もしかして、戻り石を使う魔術具でしょうか」


「ああ、それだ。それを起動する動きでも入れて、『感電』で相手をビリっとさせて、一瞬離れさせたらすかさず『縛』だ。やってみろ。――ッツ、結構くるな」



 加減したつもりだったが、思ったより痺れさせてしまったみたいだ。

 慌ててブルーノに謝ったら、それくらいの強さは必要だからいい、それよりさっさと『縛』をしろと促される。

 交代してクランツとも練習をしたが、『縛』の蔓はとても丈夫で、二人が力を入れても千切れないどころか解けもしない。

 わたしが『かい』を唱えるまで芋虫のように床に寝転がることになるので申し訳なかったが、確かにこれを使えば強盗が来ても何とか取り押さえられそうだ。

 これは布団でも使えば自分一人でできそうだし、しっかりと自主練しておこう。




 基本用護身術の実技がひと通り終わったところで、今日の訓練はここまでだが何か質問はあるかとブルーノが言ったので、ふと思いついたことを尋ねてみた。


 以前何かで読んだのだが、背後から抱きつかれた時には腕に噛みついて反撃しろと推奨されていた覚えがある。

 そこで、背後から抱きつかれた時は腕に噛みついて反撃し、相手の意表を突くのはどうだろうかと尋ねたら、何故かブルーノもクランツも愕然とした顔でわたしを見たまま固まってしまった。

 無駄だ、やめておけと言われるかと思ったが、この反応は予想外だ。



「え? あの、噛みつくのはそんなにダメでしたか?」



 わたしが再び尋ねると、二人は互いに顔を見合わせて深々とため息を吐きながらしゃがみ込んでしまった。

 何だか少し顔が赤いように見えるけれど、気のせいだろうか。

 何? 何なの、このリアクションは!?



「あー、お前の言う噛みつきは、獣人族と竜人族にとってはマーキングに当たる」


「マーキング? 縄張りのことですか?」


「……求愛行動ですよ。しかも、かなり熱烈な」


「へっ?」


「お前の言う行為は、相手に今すぐ抱いてと言ったに等しい」


「えぇッ! 嘘でしょう!?」



 反撃したつもりの噛みつきが熱烈な求愛行動だなんて、一体何の冗談なの!?

 これまでも魔族社会と日本との様々な違いに驚いてきたが、これがブッちぎりでナンバーワンの驚きだ。

 あまりの衝撃に、わたしもへなへなとしゃがみ込んでしまった。

 驚きすぎて頭が働かないが、とりあえずこの行為について正しく認識するためにも確認しておきたい。



「お願いです。正しく認識するために、切実に知りたいので包み隠さず正直に教えてください。……お二人がわたしみたいなのをナンパしたとして、もしも噛みつかれたらどうしますか?」



 ブルーノもクランツも勘弁してくれと言わんばかりに顔を背ける。

 それでも、わたしの必死さが伝わったのか、この質問をしたことも俺たちの回答も絶対誰にも喋るなと念を押しつつ、渋々ながらに答えてくれた。



「……何だ、シネーラに地味メイクの癖にやる気満々かよ、素直じゃねぇなと言いつつ、肩に担いで近場の宿に直行する」


「……即座に人目につかないところへ移動してキス。とろとろに蕩かしたらどちらか近い方の自宅へ移動します」


「ひゃああ!! …………えぇ? うわあああぁ!!!」


「やかましいッ! ナンパした相手に熱烈に誘い返されりゃそうなるだろッ!! いいかスミレ。お前、不用意に魔族の男の体に触れるなよ!? 絶対勘違いされるからな!!」


「はいいぃッ!! 肝に銘じます!!」



 ちょっ、魔族国の恋愛感覚って熱すぎる上にスピーディー!?

 冗談みたいな話だと笑い飛ばしたいけれど、魔族の常識に疎いわたしは笑ってる場合じゃないよ。

 遊び慣れているというわけでもなく、マジでそういう反応が普通なのか……。

 誘ってなんかいない、こちらは恋愛意欲が低いんだ、放っておいてくれという主張は総スルーされそうだな……。

 アラサー地味女のわたしがナンパなんかされるわけないと高をくくっていたけれど、そうも言ってられない気がしてきた。

 誤解されたら終わりだ、ナンパされたら速攻で逃げるに限る!


 決めた、わたし明日から毎日大声上げる練習するよ!

 護身術の訓練も頑張ろう。

 腕に手がかかった瞬間に魔法を発動する勢いで護身術を身体に叩き込まなきゃ、魔族社会ではとても生きていけないぞ!!



 非常に気まずい空気にはなったが、わたしが今後魔族社会で暮らしていく上での心構えとして、これ以上ないくらいに為になることを学ばせてもらったと思う。

 わたしがそう言って二人にお礼を伝えたら複雑そうな顔をされたが、役に立ったならよかった、俺たちも認識を改めると言うとブルーノとクランツはぐったりとした様子で帰っていった。



 非常用護身術の実技は日程が決まったら連絡をくれるらしい。

 それまでに今日習った分が少しでも身につくよう頑張ろう!

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