留守吏

 少し陰った、クリーム色の天井をただ眺めて、ベッドに沈む。昼下がり、ひとりきりの寝室には、ただ時計の針が残酷に時を刻む音だけが響いている。ぼんやりとした視界の隅のほうで小さな蜘蛛が蠢いているのが見えて、私はすこし顔をしかめた。目覚めて最初に目にする生物が蜘蛛だなんてのは、すこし気味が悪い。虫が嫌いというわけではないが、活動するなら自分の目に入らないところでやってほしかった。曇った頭のなかでそうした雑多なこと考えていると、をふとカフカの『変身』を思い出した。ひょっとしてと自分の身体の神経を集中させてみたが、すぐに自分の身体がいつも通りなのがわかった。そりゃあそうなんだけれど、少し期待外れだった。

 きょうの覚醒はゆるやかになされた。何分前からか目はひらいていたような気がするけど、意識がはっきりするまでにひどく時間がかかった気がする。体は重くて起こそうとも思えなかったので、のそりと体を転がして、窓のあるほうを向いた。不用心にも閉じ切られていないカーテンの端から日の光が差し込んできていて、また顔をしかめた。まぶしい。私を照らし出さないでくれ。

 しばらくのあいだそうしてなんともいえない苦しい思いをしたあと、今度は壁のほうへ向き直して、壁に立てかけて充電してあるスマートフォンに手をのばした。ブルーライトを浴びて眠気を払いたかったのと、とにかくなにかしらの情報を頭に入れておきたかった。「なにもしていない」時間は、自分の身体が何もない空間の中で宙に浮かんでいるようで、嫌。とにかくなにかと繋がっている気分に浸りたいのだ。それが虚構かどうかなんて関係なかった。

 慣れた手つきで電源ボタンに押し付けた指に力をこめて、起動する。きっとひどい顔をしているだろうに、携帯端末の顔認証はいつも通り自分のことを識別してくれて、それが安心感と気味の悪さを同時に喚起する。ひょっとしたら、こいつよりも僕の顔を正面から捉えている人間もいないのかもなぁとか、そんなむなしいことを考えながら、画面の左上隅に表示されている時刻を見た。ちょうど、10時36分から37分に切り替わる瞬間だった。私はそれを一瞥してすぐ、それを手に取った理由なんかとうに忘れて持っていたものを放り投げて、もとのように仰向けになった。自分とスマートフォンの重みでベットが軋んで、すぐに沈んでゆく感覚が戻ってくる。

 まぁ、わかっていた。さっきの光の差し込む角度とか、カーテンを照らす日光の明るさとか、そういうのを踏まえれば、そのくらいの時刻であることはもはや自明な事柄といっていいだろう。腐っても人間なんだから、それくらいのことは分かる。意外性など一切ない。ないのだが。そういうのとは関係なく、「もしかしたら早起きできたかもしれない」という、わずかにでも存在していた希望が潰えてしまった事実が胸を刺した。いつも通りの自堕落が、いつも通りの嫌悪感を生む。

 ぼーっとしていると、さっきの蜘蛛が天井から壁へと移動しているのが見えた。私の意識は一気に蜘蛛のほうに集中した。冴えてきた目がより鮮明に蜘蛛を映し出すから、ゆらゆら動く白い触手は憎たらしいほどに鮮明で、肢の動きのダイナミズムには目を奪われる。どこかを目指してひたすらに進み続けている、そんなあの虫は希望をもって生きているのだろうかと、そんなことを考えながら、私は今日を生きる覚悟を決めあぐねていた。 

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留守吏 @211_gst

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