第9話 海



病院は海の近くにあった。窓を開ければ水平線が見えるほどに、潮騒が聞こえるほどに近い。


それでも、浜辺までは五百メートルはある。交差点を渡って、防潮堤の切れ目の門から出ることを考えたら、もっと歩くかもしれない。


健康な人間なら、散歩で行ける距離だ。だが、伯父はそうではなかった。重病のために最後の方は立つことはおろか、起き上がることすら、ままならなかった。


だから、その朝、伯父がベッドから消えていた時、病院は大騒ぎになった。医者や看護師が院内のあちこちを探しても見つからず、警察に届け出ようとしたところで、警察の方から病院に連絡が入った。


白い砂浜と、青い海の境界。その波打ち際で、伯父はこと切れていた。パジャマ姿で、上半身は波でずぶ濡れ、下半身は砂まみれだった。


一体どうやって、そこまで行ったのか。いや、行くことができたのか。あたりの砂浜には、海亀のように這いずり回った跡がついていた。それを見ても医師たちはまだ信じられなかった。


病院の外で人が亡くなると、変死扱いとなる。警察も捜査に乗り出したが、最終的に事件性はないと判断された。検視の結果も死因は病死であり、溺れたり外傷を与えられた形跡はなかったからだ。


医師も、警察も、伯母さえも。


明らかにおかしな事実には目をつぶった。


そして「病死」という、わかりやすい事実だけに目を向けた。


だが、それは正常な反応だ。


この世には、見てはいけない事実がある。


一度見たら最後、もう目を離すことはできない。


ついに私も、あの夢を見るようになった。


*


この手記も終わりに近づいてきた。


昨日、昼食の後で私服姿の警官がやってきた。伊豆白浜の海岸に打ち上げられた、身元不明の水死体について確認して欲しい。そう言って一枚の写真を差し出してきた。


写真を確認して、私は頷いた。


「天城氏で間違いありません」


水死はきれいな死に方ではない。以前にそう聞いたことがあったが、天城氏の体は損傷した様子もなく、眠るように安らかな顔をしていた。


以前、私に予告した「ご神体の引き上げ」に成功したのか。それとも失敗したのか。それはわからない。


私の病状を考慮したのか、そばで見ていた医師が「もうこれ以上は」と制止して、警官は引き取った。


あれから半年が経った。


私はまだ病院を出られない。


もう体の方は何ともない。問題は精神の方だ。診断は悪夢障害とレム睡眠行動障害。医師と両親が相談して入院となった。命の危険があると判断されたらしい。


入院しているのも、もう松崎町ではない。ここは神奈川県相模原市にある病院。湘南の海まで三十キロもの距離がある。だが、夜になると潮騒が聞こえてくる。それが窓の外の音ではなく、自分の頭の中から聞こえていることも、私は知っている。


下田市での一件から半月ほど経った頃から、全身汗まみれで目覚める夜が増えた。別の部屋で眠っていた両親は、私の叫び声に飛び起きた。だが、それもほんの始まりに過ぎなかった。始め無意識の底に沈んでいた夢は、徐々に意識の層に浮かび上がった。ぼんやりとした「綿津見之宮わたつみのみや」の輪郭が、数ヶ月をかけて、次第に鮮明な像を結んでいった。

そしてとうとう、伯父が見ていたであろうものが、天城氏が見ていたであろうものが、正八が見ていたであろうものが、私にも見えるようになってきた。


恐ろしい。正八の絵を見た時も戦慄したが、あんなものは子供だましだった。あれよりも何千何万倍も恐ろしい。私たち人間の概念が全く通用しない、時間も空間もない、始まりも終わりもない、どんな絵にも言葉にもできない世界だ。その世界全体を満たす異形の神の全貌も、私にはとても知覚できない。


だが、最も恐ろしいのは、今では私がそこを「そんなに悪い場所じゃないな」と思い始めていることだ。時には「行ってみたい」という気分に駆られることさえある。そしてその気持ちに抗うのが、だんだん難しくなってきている。





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海に呼ぶ絵 添水 @souz

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